第六十一話 "道は既に"


休養。絶対休養。それ以外には考えるな。ただいつもの調子を取り戻すことだけ考えとくよーに。

以上が、三日前、カナがカカシに長々と教え込まれたことだった。珍しくも真剣な目で、冷や汗をかいて身を引いているカナにびしっと人差し指をつきつけて。三日間は体を動かすな、と言われたのである。

「(......)」

無論、カカシの言葉に異論を挟める余地はなかった。なんせカナが寝ていたのはまる半月、15日間なのだ。それだけの間気絶したまま動かなかった。ゆえに、カナは大人しくカカシの言うことを聞くしかなかった、のだが。

「(......)」

不満はいっぱいである。
岩陰で座りつつ身を休めているカナは、日なたのほうで体術修行をしているサスケとカカシをじぃっと見つめていた。

「(こうして見とくだけでも、勉強になることはたくさんあるけど。やっぱり、暇だあ)」

焦っているのに。本戦はもう約半月後になり、修行猶予期間もまた約半月後なのである。半月を無駄に過ごしたのだからのんびりしていられるわけもない。
カナの脳裏に浮かんできた一回戦の対戦相手の姿、ドス・キヌタ。ただでさえ相性はかなり悪いのだから打開策も練らなければならない。それに、彼は音忍なのだから━━━

「......"音"」

本戦に上がってきたドスだけではない、ザクもキンも、一族を殺したという大蛇丸も、そしてそれを教えてきた北波も。
音の忍たちは純粋に中忍の昇格を目指しているとは思えない目の色をしていた。大蛇丸と北波に関しては尚更だ。この首筋にある"呪印"というものは、一体。大蛇丸が残した謎の言葉の数々は、一体。
何より。

『お前はそうやって自分の名前を守ってりゃいい。だが他人がどう思うかは勝手だ』
『最初から知ってた......なにせ、目の前で見せられたからな。それが、オレの傷だ』

あの時北波が言っていた、"傷"とは?
この三日間、カナがいくら考えても結局見つからない答だった。北波の意図が分からなかった。何故あそこまでカナに拘っているのか。


ヒョロロロ......


考え込んでいたカナの耳に届いた鳴き声。座り込んでいるカナの足の上に、一羽の鳶が乗っていた。

数秒、お互い首を傾げる。その後、また鳶が鳴き声を上げ、笑うように目を細めたかと思うと飛び上がり、カナの周りを一周旋回してから遠く遠くの空へ羽撃いていった。
どうやら暗い顔をしていたカナを心配していたようだ。それを理解したカナは、微笑んで消えていく鳥の後ろ姿を見送る。

鳥を愛し愛され、共に戦いに出向く一族、"鳥使い風羽"。

カナは目を細め、すっと掌を空に向ける。カナの意思一つで、そこに柔らかな風が集まる。

常に風を身に纏い、チャクラ無しに風遁を扱うことのできる一族、"風使い風羽"。


『なるほど。さすが、風使いの一族というわけだ』

死の森でのドスの言葉がカナの脳裏に甦る。
ドスは知っていた。知るはずのない情報を、むしろ当人であるカナですら幼き時のことゆえに覚えていなかったことまで。"風使い"、その二つ名。それを思い出したと同時に浮かび上がってきた"鳥使い"の称号。
呆れる。北波から流れているのだろう各国へ行き渡った情報に、その一族である自身が教えられるなんて。

「もう、忘れないようにしよう......」
「何をー?」
「わっ!?」

突然下りてきた声に奇声をあげるカナ。見上げれば、ん?とにこにこ笑っているカカシと、大量に汗をかきながら不機嫌そうに立っているサスケがいた。正反対に、カカシは涼し気である。

「......またボロ負けしたの?サスケ」
「......そのうち勝つから見てろ」
「あーはいはい。てゆーかオレの質問は無視なのね、カナ」
「えっあっすみません」
「そんなことより」

どことなく悲しそうに眉を垂れるカカシ、に謝ろうとしたカナ、の言葉を"そんなこと"で済ませるサスケである。

「花瓶、倒れてんぞ」
「え!?」

カナもカナで、サスケの台詞でカカシへの謝罪なんてすっぱり忘れ、慌てて自分の脇に置いておいた花瓶を見た(小さく悲し気な溜め息をついたカカシは見えなかった)。すると確かに花瓶が倒れて、ヒナタがくれたスズランが投げ出されていた。

「なんで、あ、さっき風出しちゃったから!?」

呟いてすぐさまスズランを救い出すカナに、サスケが呆れて「なにしてたんだお前」と溜め息をつく。
サスケよりも、立ち直ったカカシが反応していた。

「風?カナ、まさかお前内緒で修行しようとしてたんじゃないでしょーね」
「ち、ちがいます!ただ......い、色々と.......」
「ふうん?」
「.......」

屈み込んでじぃっと見てくるカカシにカナのほうが居心地が悪くなる。考え無しに行動するからだめだったんだと心中で自分を卑下するカナである。
が、何故か更に不機嫌になったサスケの声が、カカシの名を呼んだ。

「近ェんだよ」

誰に、とは言わない、が、首を傾げるカナとは違い カカシはそこまで鈍くはない。「(めんどくさいねーコイツも)」、と思ったカカシは立ち上がって一歩下がった。カナは視線から解放されて万々歳のはずだが謎のほうが深い。

「......今の会話、分からなかったのは私だけ?」
「お前だけだ。いいから水でも汲みにいけよ、お前は。ホラ」
「水?」

実力はそこそこあるはずなのに、戦闘時以外だとどうしてこうも抜けているのか。呆れ半分サスケは座り込むカナに手を伸ばした。「スズラン枯れてもいいのかよ」、と言ったサスケの手を自然と取って立ち上がったカナは、あ、と声を上げた。

「ウスラトンカチ」

その耳にたこができるほど聞いてきた罵声に言い返せるわけもなく。
スズランだけを入れた花瓶を手にしたカナは、どことなく落ち込んだ様子で険しい道を苦もなさげに下りていった。ちょこちょこ揺れながら消えていく銀色を、目だけで追いかける二人。

落ちたのは数秒の沈黙。

それを破ったのは、カナがいた時よりも数段眼差しを暗くしたサスケ。

「おい、カカシ......」

ここ数日間、何度となく繰り返してきた言葉で担当上忍を呼ぶ。なんだ、と短く返したいつもはやる気無さげなその男の顔にも、僅かに陰が差していた。

「訊きたいことがある」

雲が、太陽を覆った。

「そ。......じゃあま、座るか」

まるで長い話になることが解っているかのようにカカシは促し、自分は近場の岩に腰をかけ、どこからともなく愛用のイチャイチャパラダイスを持ち出した。慣れきったサスケは特に突っ込むこともなく、カカシからほどよく離れた地べたに座り込む。夏場にしては冷たい風が、ひゅうと吹いてきた。

サスケはすぐには話し始めることができずにいた。ゆえに、時折響くのはカカシが本のページを捲る音だけである。しかしおかしなことにカカシの目は文字を追っていない。体現のみ通常通りを装っても、カカシの心はそこにはなかった。

サスケは、ようやく口を開いた。

「......何で、カナの呪印には封印の式がない?」

カカシの予想通りだった。鋭い視線を向けてくるサスケに、カカシは読んでいなかった本から目を放す。サスケは続けた。

「確かにあの封印の後、オレはすぐ意識を手放したが、カナにオレ同様の封印が張り巡らされていく様は見ていた。なのに何で、今はそれがない」
「......それ、カナに言ったか?」
「いや......本人が気にしてねえ様子だったから、アイツは何も知らないと考えた。だからアンタに聞くタイミングを見計らっていた」

カナに花瓶の水を取り替えに行くように促したのはサスケだ。突然のことを好機と思って行動し、しかもそれを自然に取り繕っていた様はさすがだなとカカシは思う。この三日間、カナは修行に励めなかったのとはいえいつもこちらを見ていたのだから、サスケも切り出せなかったのだろう。

カカシは数秒目を閉じ、自身が施そうとした封印の術がカナから消えていた様を思い出した。そしてそれに気付いた時に思ったことを。

「オレに聞いたところでそれが正解かどうかは分からないぞ」
「それでもアンタは、オレより知ってるだろ......何かを」

不機嫌そうにそう返したサスケ。カカシは口布の中で小さく溜め息をつき、しょうがないな、と呟いた。

「仮説だ」
「......」
「それを念頭に置いて聞けよ。一つ目は......お前の呪印と、カナの呪印の違いだ」

カカシが自分の首元をとんとんと叩く。促されるようにしてサスケは自身のそれを見た。サスケのそこにあるのは、写輪眼にも似た三つの勾玉。だが、カナの首筋にあるのは、まるで鳥のような。

「お前のそれは恐らく、力の増幅を目的としたものだ。無闇やたらにチャクラを使うと、更に強大な力が宿主を取り込もうとし、いずれ自我を失ってしまうことになる。だが、カナには」
「確かに、そんな様子は一度もなかった。アイツは死の森でも自然に戦っていた」
「もしかしたら、カナがヤツから貰った呪いは宿主に影響する全てのことを、受け付けないようにするものなのかもしれない」

カカシの言葉を受け、暫しサスケは気難しそうな顔をして地面を睨んでいたが、思い出したようにまたカカシを直視した。

「"一つ目は"つったな。まだなんかあんのか」

鋭く言葉の裏をついたサスケ。カカシは心中で失言をしたと後悔した。確かに、カカシが考えた仮説は、"呪印の相違の可能性"だけではない。もう一つだけ。
だが、これはカナに深く関わっていることだ。話したことによって、二人の関係が崩れないとも言い切れない。
お互いを支え合うことによって歩み続けてきたこの二人が、揺らいでしまうかもしれない。

カカシは躊躇した。ここですぐさま判断し、口にする内容ではないだろうと。

だが、サスケは直感かそれとも他の何かか、カカシが口を噤もうとしたのを予知したかのように口にした。

「言ってくれ」

普段のサスケなら有り得ない口ぶり。まるで嘆願でもするかのような。カカシは僅かに瞠目し、サスケのその目線を受け止めた。そして、その目の光に気付いてしまった。
カナとそっくりの、その瞳の色に。どれほど巨大で鋭い刃を向けたところで切れそうもない、二人の絆が見えたような気がした。
カカシは目を細めて笑った。

「まったく、ほんと、妬けちゃうね......」
「は?......アンタ......」
「ちょ、そんな目で見るのやめてくれる?そういう意味じゃないから」
「じゃあどんな意味だっつーんだ!」

思いも寄らず気の抜けた空気になった中、カカシはぱたりとイチャパラを閉じた。それが合図だと思ったのかサスケも絶対零度の目を正して真剣な瞳をカカシに向ける。ふう、と一息ついたカカシは、ゆっくりと右目だけの視線でサスケを貫いた。

「オレでさえ、この間知ったことだ。そして火影様が内密にするくらい、重大なことでもある。知っているのは火影様とオレ、本人のカナ、上層部などの極僅かな人数......それと、恐らく」
「?」
「他国に故意に流された情報から知った輩は少なからずいるだろう」

再不斬のようにな、と重い声で続けたカカシにサスケは目を見開く。

「再不斬だと!?カナがいるこの木ノ葉でさえ知らない奴らが多いのに、なんで他国で!」
「現段階で考えられることは、カナか"風羽"に敵意を持っているヤツがいて......何らかの方法で風羽の秘密を知り、他国の悪党の矛先をカナに向けるようにしたんだろう、ということだ。現に再不斬はカナを狙った。カナが持つ、強大な力を奪うために」
「強大な......力?」

ずっと一緒に歩んできた、あのカナに?

呆然としているサスケを前に、カカシはゆっくりと、カナのことを語り始めた。



風から聴こえる水音を辿ること数十分。

「この林の奥かな」

ぽつりと呟いたカナの前には雑木林。木ノ葉の中でも端のほう、初めて通る道で、"風使い"の能力がなかったら辿り着くことはできなかっただろう。そう考えて"方向音痴"という不名誉な言葉をいつもかけられるカナは実に微妙な気持ちになった。

さっさと水を汲んで、さっさと帰ろう。遅くなったらまたサスケになんやかんや言われそうである。意外と口煩いサスケを思い出しつつカナは雑木林の中へ入ろうとした。

が。

ドンッ、とお約束のように体当たりされた衝撃で、足を踏み込む前に危うく転けそうになっていた。

「わっ、と!」

寸でのところでなんとかバランスを保ち、両手の中の存在を確かしめてから安堵の息を漏らした。

「いったた......」
「あっご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」

それからカナは慌てる。ぶつかった相手は衝撃に耐えられなかったらしい。
しかし、焦ってオロオロしているカナの前で、相手はあまり気にしているふうでもなく顔を上げ、苦笑した。

「あ、平気よ。こっちこそごめんね、前も見ずに走ってきちゃって......って」

そこでそのお団子結びをした少女は、口をぽかんと開けた。なんのことはない、カナも同じ顔をしている。

「アンタ。ええっと、カナ、だっけ?」
「は、はい......あなたはテンテンさん、ですよね?リーさんと同じ班の」

会話をしながらカナは片手をテンテンに差し出した。なんの疑いもなくその手をとり、立ち上がったテンテンは無邪気な顔で笑う。間違いなく、カナたちルーキーと共に第一、第二試験を受けてきた先輩チームの一員である。

「久しぶりね。予選の時以来よね。ああそういや、死の森ではリーがお世話になったっけ。礼を言っておくわ」
「いえ!こちらこそ、リーさんには助けてもらったので。本当にピンチだったから」
「あはは、リーはいっつもアレだから」

アレ、と言われて、カナは思わず 第一次試験会場に行くまでの道のりで起こった出来事を思い出した。リーらの担当上忍であるガイまでもが現れ、青春と叫びあっていた師弟二人......話した限りではまともなテンテンは苦労しているのだろうな、とカナは遠い目になった。
だが、すぐさま異様な視線に気付く。食い入るように見つめてくるテンテンである。

「ええっと、なにか?」
「っと、ごめんごめん。......目、ちゃんと戻ってるのね」
「? 目、ですか?」
「ああ、自分のだから分からないわよね。なんでもないわ、気にしないで」

テンテンは取り繕うように笑い、途端にハッとしたような顔になった。

「そう、忘れてた!医療パック持ってくるんだったのに!」

その言葉にカナがリアクションを起こす間もなく。テンテンはダッと走り出し、カナをあっという間に通り越していった。目をぱちくりして振り返るカナの瞳に、走りながらカナを見て大声を出すテンテンが映る。

「ごめん、えっとカナ!その林の奥に私の班員のネジって子がいるから、無茶しないように暫く見張ってて!!」
「えっ」
「お願いねーー!!!」

それっきり、テンテンはさすが先輩と言いたくなるような速さでカナの視界から消えていた。

呆然と見送るカナ。
その脳裏の端に、冷たい視線を光らせる少年の顔が浮かぶ。

「......しょうがないか」

このまま放っておくのも気がかりな上、何より断る間もなくテンテンは行ってしまったのである。カナはようやく雑木林に踏み出した。



雑木林の中に、大木に凭れ掛かっている人影があった。肩で息をし、その長い黒髪は前に垂れている。閉じられた両目に寄っていた神経がゆっくりと解かれていった。かなり消耗していることは明白だ。
しかし、ギンっと一気に開かれた両目に光る意志は、強固だった。疲労しているにも関わらず、俯いていた顔を上げ前を見据える。
まるで、死角から突然現れた少女にずっと前から気付いていたかのように。

「何の用だ」
「......用は、別にないんですけど」

テンテンの班員である長髪の少年、ネジのつっけんどんな言葉に、カナはどこかぎこちなく応えた。
ここに到達する前に小川を見つけたのか、その両手にある花瓶には既に水が入っている。迷わないために案内を頼んだのだろう小鳥は、ぴるると一声鳴いてからカナから離れていった。
そのカナは一歩一歩を踏みしめるようにネジに近づいていく。

「大きなケガとかは......してないみたいですね。良かった。血まみれで倒れていたらどうしようかと思ってたから」
「大きなお世話だ。何しにきたと聞いてる」
「テンテンさんに頼まれたんです。あなたが無茶しないよう、見張っておいてって」

少しずつだが確かに歩み寄ってくるカナを見て、ネジは顔をしかめる。迷惑だと言わんばかりの表情だった。「テンテンか。だがそれはオレが断る」と冷静さに冷静さを重ねた声が響く。尚かつネジはそのボロボロな体で立ち上がろうとし始めた。今度はカナが顔をしかめる番だった。

「擦り傷程度のケガしかないといっても、とても動ける状態には見えないんですけど」

しかし、ネジはその声が聴こえているだろうに、動きを止めようとはしない。息切れしながらも両の足で立つ。一瞬でネジの両目に、血継限界、白眼が浮かんだ。

「お前には関係無いことだ。オレには休憩している時間なんてない。それは、お前も同じはずなんだがな。こんなところでなに時間を持て余しているんだ?」
「担当上忍の先生に休養を命じられたんです。私だって焦ってはいますけど」
「ハッ、甘い担当上忍だな」
「私はもっともだと納得もしてます。それにカカシ先生は良い先生です、悪く言わないで下さい」

最後にそう言ったカナの声は、そこだけは譲れないというような意思が垣間見えた。表情も珍しく固い。
ネジもそれに気付くが、だが根に潜むプライドのためかカナの言葉を聞き入れる様子ではなかった。立たせた足を前に進ませ始める。白眼もまだ開いたままだ。このまま修行を続ける気だろう。
それを見ていたカナは、花瓶をそっと地面に置いてから一息つき、咎めるような視線のまま印を結んでいた。

「風遁 風繭」
「なっ」

カナが印を結び終わった途端、現れた風羽のオリジナル忍術は見事にネジを包んでいた。

「何のつもりだ」

風音で中の声は聴こえない。それを察して、カナは一度風の力を弱める。微風はネジを包んだままだ。

「あなたが意地を張るのは勝手ですけど、あなたを心配している人がいるんです」
「お前が気にすることじゃないだろう」
「頼まれた身なので、無為にはできません。だから、せめてテンテンさんが帰ってくるまでは大人しくしといて下さい。それと私以外の人がその風を触るとケガするので、無理に進もうとしないで下さいね」
「......チッ。おい、この術を解け」

ネジの白眼が解かれる。不愉快そうだが、一応はカナの言葉を呑み込む気になったようである。ほうっと息をついたカナは風繭を解いた。風によって舞っていた砂や木の葉がゆっくりと地面に下りていった。

数秒カナを睨んだネジは、無言のままに元の位置に戻っていった。なんとなく苦笑をしてしまうカナである。

喋ることもなく、気まずい雰囲気はあるが、カナはテンテンに言われた手前逃げ出すことも敵わなかった。カナもまた、花瓶を手にしてそばにある木の下に腰掛けた。ネジとは遠くも近くもない距離だった。

「......お前は」
「!」
「ヒナタ様の"ご友人"らしいな」
「ヒナタ......様?」
「あの試合で、ヒナタ様が珍しく大声を出していた。随分好かれているのだな」

突如振られた話だった。カナは顔を上げて、少し先の木の下にいるネジを見た。ネジはどこを見ているともとれない目をしていた。
第三の試験予選の記憶が途中で途切れているカナには、ネジの言葉の意味は解らない。だが存外伝わってきたことはあった。カナには予選の結果をその目で見ていなくともカカシから聞いた言葉もあった。

「あなたは......どうして、家族であるヒナタに」

だがカナが言い終わる前に、睨むような視線がカナを襲った。ネジは今にも白眼を発動しそうな視線でカナを射止めていた。

「家族などではない」

重い言葉が、カナにのしかかった。カナはまたも眉根を寄せた。

「ヒナタ様は宗家、オレは分家。決して相容れない決別の道が既に敷かれている」
「道が既に、敷かれている?」
「そうだ。逃れることのできない運命がそこにあるんだからな。オレが宗家に縛られる分家であることは、決して変えることのできない過去、現在、そして未来。オレは例え死んでも、宗家に尻尾を振る自分になどなりたくない。まして家族など」

吐き気がする、とまで言ってのけたネジ。カナに向けていた鋭い視線がゆっくりと閉じられる。その瞼にカナの意味ありげな視線を感じても、まるで他の意見など聞き入れたくないなどというように。

カナは話している最中も視線を片時も逸らさずネジを見つめていた。
そのカナには、既に身を寄せたいと思えど寄せる血縁者などいない。ゆえに、目前の少年に言いたい言葉は多々あった。だが、自分に関わる一切の事情は全て飲み込んだ。
カナは数十秒と考えた末に、ようやく口にした。

「変えられないことなんてない」

脳裏に甦るのは、カナにとっての"ヒーロー"の姿だった。

「変えようと思わなければ、不変のものになってしまうけれど......変えようと思えば、例え望み通りの形にならなくても、何らかの形になる。でもあなたは、運命だ敷かれた道だと思い込んで、縛られてる」
「......オレが目の前の"壁"に立ち向かえない臆病者だといいたいのか」
「いいえ。あなたもまた、ヒナタという"宗家"に背くことで、自分の立ち位置を変えようとしているんだろうとは思います。けれど同時に心のどこかで諦めてるから、」

"諦める"。その言葉を使うと、その言葉を絶対にゆるさない一人の少年が、カナの頭を駆け巡った。前へ進むことしか考えていない鉄砲玉のような少年。自覚なくとも、昔の"泣いていた"カナ"を、少しずつ立ち上がらせてくれた、あの。

「あなたもきっと、本心では分かってるんじゃないですか」
「......フン。お前には分からないんだろうな。同じ運命に逆らえない者でも、考えが違いすぎる。お前にはお前の考えがあるのだろうが、オレには相容れないことだ」

ネジはそれ以上はカナを見ずに立ち上がった。話している間に回復したのか、もう辛そうではない。だが、まだテンテンは。
そう思ったカナが「まだ動かないで下さい」と制止をかけようとした時だった。「遅くなってごめーん!」と声が上がって、振り返ったカナの視線の先に、目立つ桃色の服が見えていた。

「テンテンさん!」
「あ、カナ。ごめんね勝手に押し付けちゃって。ネジ、無茶しようとしてなかった?」
「えっと」
「余計なことだぞテンテン。オレはそんなに柔じゃない」

ぶっきらぼうに言って遠のいて行くネジを、テンテンは「もーまたそんなこと言って!」と咎めつつ追いかける。その光景を見て、氷点下の雰囲気を持つネジと火山のように熱い緑の師弟をチームメイトに持つテンテンは、かなりの強者だなと思ってしまったカナであった。

愛らしいスズランの誇る花瓶をその手に確かめてから、カナも立ち上がる。ケガを治療するだの大した傷じゃないだの言い合っている先輩チームに声をかける度胸はカナにはなかった。

「(......ま、いっか)」

声をかけずに消えても、きっと忘れてくれるだろう。
テンテンとネジの二人に背を向け、カナは静かに歩き出す。雑木林が風に揺れていた。

何事もなかったかのようにいなくなろうとしたカナの背に、落ち着きのある声がかかった。


「運命は変わらない」


カナはぴくりと反応して、そのまま立ち止まった。

「お前がどう思おうと......日向の。そしてお前、風羽の運命だって変わりはしない」
「......知ってるんですね」
「ああ。大蛇に襲われ、お前以外が全員死んだ、ということくらいだが」

「ちょ、ちょっとネジ」とあたふたするテンテンもまた知っているのだろう、ネジの言葉を止めようとする。
しかしネジは真っ直ぐとカナの背を見据えるだけだった。その視線には様々な感情が溢れかえっていた。
何を言ったところで、この目の前にいるカナは、死の森で思わず"足"を貸してしまった少女なのだ。
そう、今 振り返ったその表情にあるような、ふわりとした温かい笑みを向ける......

「楽しみにしています」
「......何をだ」
「ナルトと戦えば、きっと分かります。彼との試合が終わったあと、あなたと話をすることを楽しみにしています」

あ、それと、と無言になったネジにカナは続けた。

「サクラに以前聞きました。死の森で、支えて下さったこと。ありがとうございました」

ぺこり、と頭を下げたカナは、今度こそ雑木林を去って行った。残されたネジもまた、よく分からないといったような表情をしているテンテンの隣で、小さく鼻を鳴らしてからカナが去った方向に背を向けた。





サスケは、目を見開いていた。カカシは、瞼を下ろしていた。
唸るような強い風だけが、時を動かしているようであった。


 
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