第六十話 待ち人


白い手が、髪に伸びる。さらり。根元から撫でるようにして降りていった手は、すぐに髪から離れた。
短い。あれだけ頑張って綺麗に伸ばしてきた髪は、もうない。悔いはないけれど。

「サスケくん、カナ......」

サクラは自室で物思いに耽っていた。たった今呟いた、現在入院している二人のチームメイトを頭に浮かべて。
二人が入院することになった中忍試験第三の試験予選から半月、無論サクラは既に病院に訪れたことがあった。しかし結果は、二人とも面会謝絶。まだ目を覚ましていないという。暫くは会うことはできないと言われ、サクラはその日からは一度も足を運ばなかった。
けれど、もう半月だ。

サクラは息をつき、顔を上げた。緑色の瞳が映したのは机の上にある写真立て。サクラはそっと立ち上がり、その写真立てを手に取る。
そこに写っているのはサクラたち第七班の姿。チームを組み見事下忍に昇格すると、決まって集合写真を撮らなければならないそうだ。七班も例外なく、天気の良い日に全員で集まって写真に写った。

右にナルト。左にサスケ。中央下、二人の間にカナ、そのカナの頭を抱くようにしているサクラ。最後に、ナルトとサスケそれぞれの頭に手を置いているカカシ。
その日の光景が一気に甦ってくる。
なんでサスケなんかと、と敵意を剥き出しにしたナルトに、それはこっちの台詞だと売り言葉に買い言葉を返していたサスケ。どんなポーズで撮る?とはしゃいでいたサクラと、いつも通り楽しそうに笑っていたカナ。四人のそれぞれの様子に苦笑しつつ、ホラ写真屋さんだって暇じゃないんだから、と全員に言ったカカシ。
結局いつもと変わらずまとまりのない第七班。ナルトとサスケはお互いにむすっとしているし、カカシはその二人を押さえつけつつ苦笑しているし、カナは笑っているとはいえカメラ目線など考えてもおらず、きちんと写真を意識しているのはサクラだけ。

噛み合っているようには、決して見えないだろう。はたから見てもなんて面倒くさそうなメンバーなんだ、である。
けれどサクラはそれでも、この写真が、そしてこの写真を撮った日のような平凡な毎日が大切で仕方がなかった。

それなのに。


『お前らをそんなにしたヤツは......誰だ』

『さ、ない......許さないッ!!』


怖かった。二人ともまるで別人のようになって、いつもと違う様子で戦っていた。
サクラの身が震える。きゅっと目を瞑って、イメージを追い出した。もう終わったことなのだ。あの二人の試合の後、二人を連れて行ったカカシが戻ってきた時、カカシは大丈夫だと言ってくれた。だから、きっと。

「ここでうだうだ考えてたって、しょうがないもの......!」

サクラは小さな決意を口にし、写真立てを置いた。



木ノ葉の里の外れにある岩山。そこはあまりの険しさに、忍がよく修行に使う場所であった。里の中心部では見られないような大きさの鳥がそこら中で鳴いている。巨大な岩石の間を通ってきた風は鋭く冷たい。

そこで、今まさに修行をしている者の姿があった。それも、並の者が一目見れば、青ざめて逃げ出したくなるような修行方法である。
その姿は険しい崖の途中にあった。かといって両手両足を使っているわけでもない。両手両足が引っかかる状態を常に維持できるほど生易しい崖でもないのもあるが、左手に至っては本人の意思で背中に縛られているのである。

「(体がここまで鈍っているとはな)」

しかし、本人・木ノ葉が讃える強者上忍、はたけカカシは微塵もそんなことを不安に思っている様子はなかった。不意に崖が崩れ、右手だけしか崖を掴めないなんて状態になっても焦ることはない。確実に崖の上へと上っていく。

そしてもうすぐで頂上に達する、という位置に達した時だった。
唐突にカカシの顔に影がかかった。カカシは突然の異変にも臆することなく、ゆっくりと顔を上げる。
その目に映ったのは、二つの影。

「よう」
「こんにちは」

それは、二人の部下の。



サクラの足取りはどことなく重かった。サスケとカナの件から吹っ切って病院へ足を運ぼうとしたはずであったのに、思わぬことを途中で遭遇したいのから聞かされ、再び暗い気持ちになり、ここぞとばかりに二人への不安も再び伸し上がってきたのである。
それでも暗い表情で見舞いをするわけにはいかないと、サクラはできるだけ平常心を保とうとしていたのだ。

しかし。

まだ体調がよくないから五分だけ、という言葉に納得し、看護婦に連れられいのと共にサスケの病室に足を踏み入れた時、そこにサクラはサスケの姿を認めることはできなかったのだ。
焦る看護婦といのの後ろで、サクラは呆然と突っ立っていた。クローゼットを勢い良く開けた看護婦が「服がなくなっている」と言う。代わりにベッドの上には病院服が畳まれてあった。

サスケは、どこへ消えた?

そう思った時、サクラの頭に甦ってきたのは変貌したサスケであると同時に、あの気味の悪い、舌の長い男だった。狙った獲物は必ず逃さないというような、一度見たらもう二度と忘れられないような、そんな絡め付く眼光を持っていた"蛇"。

「(まさか......)」

思ってしまう心は止められない。サクラはいのに気付かれないように、ぎゅっと自分の拳を握りしめていた。



しかし実際のところ、サクラの不安は見事に外れていた。

木ノ葉の外れの崖の頂上、岩陰にて。はぁ〜と長く大きく溜め息をついたのは、左手の拘束を既に解いたカカシである。

「だーれがカナを連れてこいって言った?サスケ」

カカシの元を訪れた二人は居心地が悪そうに目を逸らしていた。珍しくも妙に拗ねたような顔をしているサスケの隣で、カナは自らの元を訪れてくる鳥たちにひたすら構っている。
カカシはまた一つ大きな溜め息をついた。

「まったく、カナを連れ出したとバレたら、火影様に怒られるのはオレだっていうのに」
「......そこなんですね」

思わず突っ込んでしまったカナだが、「ん?なんか言った?」とイイ笑顔でカカシに言われ、ぶんぶんぶんぶんと盛大に頭を横に振った。

「あの......でも、サスケばっかりが悪いわけじゃ。確かに誘いに来たのはサスケですけど、私も断ろうと思えば断れたし」

続けるカナの脳内に甦ってきたのはヒナタの姿だった。カナの身を案じて必死になっていたというのに、それを嘘をついてまでここに来たのは自分だ。サスケの誘いがあってこその行動ではあったが、決めたのは自分自身の意思でしかない。
カナの隣に小さく置いてあったのは、花瓶に入れられた可愛らしい花。

「そのスズラン、見舞いか」

カカシの問いに、カナは小さくハイと頷いた。だがカナの表情が完全に暗くなる前に、サスケが会話を打ち切るように立ち上がった。

「とにかく。さっさと修行を始めてくれ」
「ったく、生意気な。まあそう急くな、サスケ。予選の結果は知りたくないのか?」
「!」
「そういえば......サスケと私は、お互いの試合しか知らないもんね。カカシ先生、どうだったんですか?」

全ての予選の結果と、本戦出場者の戦い方を知りたいと思うのは当然のことだ。カナは身を乗り出し、サスケは息をついて再び腰を下ろした。一気に真剣になった二人の表情の前でカカシは口を開いた。



窓際の椅子に座り、はあ、とサクラといのは溜め息をついた。二人の持つそれぞれの花が心なしか寂しそうに見える。サスケが不在だったため、一本は無駄になってしまった。
ぱたぱたと軽い足音が近づいてきて、二人は顔を上げる。先ほどの看護婦だ。

「サスケくんの行方はこちらでも捜すけど、あなたたちももし見かけるようなことがあったら、連絡してね」
「はい」
「それから、リーくんとカナちゃんだったわね」

看護婦は手元のバインダーを見やり、二人の名前を探して部屋番号を確認した。

「リーくんのほうが近いから、そちらを先にするわね」
「はい」
「あの子も動ける体じゃないから、面会は少しだけになるけれど」


もちろんそれでも構わなかった。サクラは看護婦の目を見ながらしっかりと頷いた。せめて、元気な姿を一目だけでも見れればと。
しかし。

「リーくん?面会よ。可愛いお嬢さんが二人、」

リーの病室に到着して、看護婦ががらがらと引き戸を開けた途端。「ああ!」と突然叫び声を上げた看護婦はバインダーを落とした。それが先ほどサスケの病室に着いた時の様子と重なったことから、サクラといのもすぐさま病室の中に入る。

「もう、リーくんまで!」

二人が察したとおり、リーの姿もサスケと同じくそこにはなかったのだ。
サスケの時と同じようにクローゼットをチェックする看護婦。だが今度はデジャヴもなく、そこにはリーが愛用している緑タイツがきちんとかけてある。
サクラといのも不安そうに病室を見渡す。そして、「もう、一体どこに!」と看護婦が呟いて、他の仕事仲間に伝えにいく寸前だった。

「あれ!」

いのがふいに呟いて、サクラと看護婦もいのが指をさす方向を見た。
窓の外。リーの病室、二階から見渡せる、中庭。そこに 片手片足で腕立て伏せをしているリーの姿があったのだ。

その姿を目に留めたサクラは暫く惚けていたが、いのに「行くよ!」と促され、看護婦に続いてリーの元へと急いだ。



「カナの試合のすぐ後、ザク・アブミ対シノは、オレ自身が封印をお前らに施していたから詳細は知らないが」

そういう前置きの後、カカシは順々に第三の試験予選の結果を口にしていった。
シノの蟲たちとの連携攻撃、カンクロウの傀儡捌き、テマリの風遁術、シカマルの頭脳戦、ナルトの意外性対決、ネジの日向特有の才、我愛羅の異彩な能力、ドスの音波。そして、サスケ、カナ。残った人数は二次試験合格者の半分、僅か十人。

事細かに戦闘の状況を話したカカシは最後に一枚の紙を出す。手渡されたサスケはカナにも一緒に見るよう促した。

「本戦はトーナメントで行われる。といっても、別に中忍になれる者が一人だというわけじゃない。例え一回戦で負けたとしても、その実力が買われれば、誰でも中忍になれるというわけだ」

紙に書いてあるのは本戦で行われるトーナメント表だった。

第一回戦、うずまきナルトvs日向ネジ。
第二回戦、我愛羅vsうちはサスケ。
第三回戦、油女シノvsカンクロウ。
第四回戦、テマリvs奈良シカマル。
第五回戦、ドス・キヌタvs風羽カナ。

勝った者がどんどん上に上がっていくトーナメント。しかし、全てに勝ち上がったからといって中忍になれるわけではないという。勝ち上がっても能力を見せられる場が増えるのみ。ただし、昇格できる確率だけは上がっていく。

全てを理解したカナとサスケが次に思うのは、お互いの対戦相手のことだった。
特に顔を暗くしたのはカナのほうだ。相性が悪い自分の最初の相手のことだけではない。

「(サスケの相手はあの、我愛羅くん)」

複雑な心境になるのは否めなかった。第一、今のままでは明らかに......勝敗は決まっている。
「まあそう難しい顔をするな、カナ」とカカシに言われ、カナはようやく顔を上げた。だが難しい顔をしているのはカカシも同じだった。

「しかし、サスケ。お前の対戦者の実力は、このオレがこの目でしっかりと見てる。はっきり言うと、今のお前ではまず勝てない」

単刀直入。カナがまさに今思っていたことである。そんなことを知る由もないサスケは眉を吊り上げるが、事実は事実だ、とカカシは言い切った。
こくりと喉を鳴らしたのはサスケではなくカナだ。カナの脳裏に、第二試験での、我愛羅と雨忍の戦闘が思い浮かぶ。我愛羅自身は一切動いていなかったのにも関わらず、我愛羅は傷つくことなく、躊躇もなく、一瞬で殺したのだ。人、一人を。

「正直......私もそう思う」
「!......お前、コイツのこと知ってんのか」
「死の森でサスケたちとはぐれた時に、ちょっと。......太刀打ちできないって思った。その時は敵の敵は味方って感じで終えれたけど、もし巻物争奪で鉢合わせになってたら」

敵うわけがなかった。
始終暗い顔をしているカナの様子をじっと見て、カカシは「そうか」とぽんとカナの頭に手を置く。そう弱気な性格でもないカナが言うことだ、全て本当なのだろう。
カカシはよしよしとカナを撫で、「だからそう難しい顔をするなって」と苦笑した。

「予選があって良かったかもしれないな。ある程度の対策を練ることができる。サスケ、確かに今のお前では我愛羅に勝てないだろうが、ま!安心しろ。オレが修行つけてやるから」
「......フン」

サスケは鼻で笑い、今度こそはと立ち上がった。それに反応し、カナの周りに集まっていた鳥たちが飛び去っていく。サスケは止まることなく歩き出し、やがて日の当たるところへ出て行った。太陽の光は眩しい程に地上を照らしていた。



「片手腕立て伏せ二百回、できなかったら、片足スクワット百回......!」

リーはやっとの思いで自分ルールを口にした。額には大量の汗が流れ、頬を伝い、地面を濡らしていく。
リーの体は重傷だった。予選の対戦相手であった我愛羅によって、左腕、左足を潰されたのだ。下りてきた看護婦にとって見ていられるものでは到底ない。

「リーくん!やめなさい!リーくん!」

しかし、一向に止まる様子もないリーに、看護婦が実力行使でやめさせようとした時だった。

「触らないで下さい!!」

リーのその剣幕に押され、看護婦は何も言うことができなくなった。看護婦の目の前で、リーはまた"片手腕立て伏せ"を続ける。

「修行の、邪魔をしないで......!」

リーには今、どんな言葉も届かない。必死だった。中忍への道に掘られた穴を埋めるように、負けた悔しさを更なる力に変えようとして。

もう二度と、忍としてやっていけない体だということも知らずに。

サクラは強く、強く自身の服の裾を握った。いのから聞かされた真実。こんなにいつも努力を重ねているこの少年が、もう夢を掴むことはできないというのだ。

リーの脳内に映っている様々な顔が、尚更 リーの理性を邪魔していた。
中忍試験前、中途半端に戦闘を終わらせてしまい、ちゃんとした決着がつけられなかったサスケ。どれだけ"落ちこぼれ"と馬鹿にされようと、いつか絶対に勝つことを誓ったネジ。予選で当たり、今の大ケガをリーに負わせた我愛羅。師に一族のことを聞かされ、試験前にいつか戦うことを約束したカナ。そして最後に、予選では大幅な成長を見せていたナルト。
この全員が本戦に残った。残れなかった自分を置いて......けれど。

「僕は、まだ、終わっちゃいないんだ!!」

リーの脳裏に甦るのは、敬愛する師の言葉。自分を信じていれば、努力する価値はいくらでもあるのだと。努力すれば努力するだけ次に生かせるのだと。だから今度は、今度こそは。

「199......!」

あと、一回。しかし、そのあと一回というところで体は限界を超え、リーは悲鳴にもならない声をあげて、どさりと倒れ込んだ。

「リーさん!」

駆け寄るサクラ、いの。看護婦はいち早くリーの容態を見る。リーはもう目を開けてもいない。看護婦はすぐに立ち上がり、「彼を見ててちょうだい!」とサクラといのに声をかけてから病院内に走っていった。

それを見送った二人はそっとリーに近寄った。

近くで見れば見る程、リーが負っているケガの酷さが分かってしまう。包帯で巻かれている片手足。医師がきちんと手当はしているようだが、忍に二度と戻れない程というのならきっと気休め程度のものなのだろう。

サクラといの、二人の脳内に過ったリー対我愛羅の試合。
あれだけ冷酷な相手と戦ったというのに、リーはまだ諦めていないというのだろうか。

サクラは、不意に呟いた。

「ねえ。いの」
「......なによ」

「どうして男の子って、無理ばっかりしちゃうのかな......」

サスケを思い出して、どこか泣きそうなサクラの声。

「そんなこと、女の私に訊かないでよ......」
「ごめん......」


ざっ__
その時、唐突に、二人の背後から足音が聴こえた。


「男の子ではないけど......カナちゃんも、おんなじだね」


サクラといの、二人は振り向く。そこに立っていたのは、その大きな瞳を潤めているヒナタだった。
ヒナタ、とサクラはぽつりと零す。二人の目の前で、ヒナタはきゅっと自分の指を絡めて、震えていた。

「さっきね、カナちゃんに会ってきたの......」
「カナに......?」
「でもね、もういない」

目を見開く、サクラといの。
直感だった。直感的に、理解してしまっていた。

「ほんのちょっと前に、看護婦さんを呼びに行って、病室に戻った時にはもう、いなかったんだ......!」

寂しく揺れていたカーテン。人がいなくなった病室。静かなそこには、几帳面に畳まれていた病院服だけが取り残されていて。
そして、ヒナタが持って来たあのスズランも消えていた。

「カナ、ちゃん......!」

今にも泣き出しそうなヒナタ。サクラはそんな小さな少女に近づき、優しく抱き寄せた。


「本当、カナも、馬鹿なんだから」


サクラはそうっと空を見上げた。この空気に似合わない、憎たらしい程の快晴だった。銀色の少女は、きっとこの空の下のどこかで、あの真っ直ぐな瞳をしているのだろう。そうして、きっと......強くなって。


『仕方ないから、待っててやるわよ』


だから絶対に、無事に帰ってきて。


 
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