第五十六話 時を刻む鈴


二回戦の選手である北波は、ゆっくりと階下に下りてきていた。どこまでもマイペースで、何人もの視線が鋭かろうとも、蚊ほども気にする様子はない。
カナもまた、北波を直視していた。しかし対戦者に向ける目にしては、戦意や刺々しさのカケラもなかった。

カナはただ見つめていた。自身の頭に響く小さな痛みを感じながら。
北波という人物は、あの時の接触から、カナの中で得体の知れない人物となっている。

「どうしたよ。浮かねえ顔だな」

カナの前に立った北波は開口一番そう言った。口調はあの時と変わらない。飄々としていて、それでいて何かを奥に秘めている瞳も。
カナは目を伏せた。北波の言われるまでもなくカナは自覚していた。こんな表情は戦う相手に向けるものではない、けれど。

「私だって、こんな気持ち初めてです。戦うことは元から好きじゃないけど、そうすべき時があることはわかってるし、何より、これは試合だから」
「わかってんなら、んな顔してんじゃねえよ。もっと戦意を持ったらどうだ?」
「......できることならしたい。だけど、どうしてか、あなたとは本当に戦いたくない」

そう言った瞬間、カナは自分の背筋が凍った気がした。
北波から漏れだしたのは明確な殺意ではなかった。だが複雑に絡み合った感情がカナを突き刺していた。

「お前は......」

北波から漏れだす声。カナはびくりと反応する。冷たい空気が漂っているこの空間で、カナは息を吸う動作さえなるべく殺していた。
その空気が散ったのは、試験官であるハヤテが介入したからだった。

「そろそろ始めますが。よろしいですか?」
「......ああ」

北波はほぼ躊躇することなく応えた。対して、カナは数秒ののちにようやく「はい」と声を絞り出した。

ここで逃げ出すことはできない。いくら心のどこかで思いあぐねていることがあるとはいえ、放棄なんてできるはずがない。
決めたのだ。サスケと共に、前へ進むと。


「それでは、第二回戦。風羽カナ 対 北波、始めて下さい」


開始の合図。ハヤテが二人から一瞬で離れると共に、すぐさま動き始めたのは北波のほうだった。
ダンッと強く床を蹴り、一気にカナとの距離を詰める。甲高い音が会場に響き渡った。二人の力がぶつかり、北波の短刀と、カナのクナイがキリキリとせめぎあっている。

「どうだよ。ちっとはやる気になったかよ」

余裕そうに北波は零す。しかし、対してカナはほぼ全力で力をクナイに込めていた。死の森でもそうだったが、体格差のハンデは大きい。チャクラの力を借りてやっとのことで対抗していた。

「試合から逃げるつもりなんて、ハナからありませんよ......!私には、約束があるから!」

離れる二人。だが、すぐに今度はカナが動く。二人の攻防戦が始まった。



サスケとカカシは階下で試合を観戦しているため、階上にいる第七班はナルトとサクラのみだった。しかしあまり寂しく見えないのは、その隣に緑色の熱い少年がいるからだ。
第二試合、カナvs北波を真剣に見ているナルトとサクラの隣で、リーは目を炎にして拳を握った。

「燃えますッ燃え上がります!!うおおお、お二人ともファイトでーす!!」
「バカ、アンタ、なに両方応援してんのよ。あの北波ってヤツ、カッコいいけど音忍でしょー?カナって子とほとんど面識がないにしても木ノ葉を応援しなさいよ」

そのリーにツッコミを入れたのは、リーの熱気からあからさまに遠ざかっているテンテン。途端にリーがしょぼくれる様子を横目で見て、気が紛れたサクラは苦笑した。しかし、その目はすぐにカナに戻る。
階下の二人は互いに引けをとらず、体術やクナイなどを使って応戦している。まだまだ戦いは序章といったところだろう。
カナは"普通に"戦えている。サスケのように痛みで動きが鈍くなることはない。サクラはその事に心底安堵した。

「なあなあ、サクラちゃん」

ちょうどその時 ナルトが口を開いた。視線は変えずにサクラは「何よ」と返す。ナルトは数秒黙ってからまた続けた。

「カナちゃんって、よく言うよなぁ......"約束"とかなんとかって」

その言葉にサクラの脳裏にもカナの声が木霊した。先ほど叫んでいたこと。そして、予選が開始される前にも言っていたこと。『私には、約束があるから!』『私は今、前に進みたい。約束したことを、守りたいから』━━━その二つの台詞を思い出し、「でも」とサクラは口にする。

「よくったって、まだ二回しか言ってないじゃない」
「あ。そっか、サクラちゃんは知らねーんだな。カナちゃん、波の国の任務の時も言ってたんだ。"約束"ってさ......そん時のことはオレもよく覚えてねーけど、なんか、すっげー大切そうに言ってたってことは覚えてんだ」

言いながら、ナルトは階下のカナを見ていた。息を切らして必死に戦っている少女。そう、必死に。試合直前はどこか戸惑っていたようだが、今のその目は強い。その全ては先ほどの台詞を口にした時からだ。

「なんか......よっぽどその約束の相手のこと、大事に思ってんだな。カナちゃん」
「......そうね」
「少しだけ、妬けるってばよ」
「うん。なんとなく分かるわ、アンタのその気持ち」

二人の心底からの言葉は、階下の二人が戦う音と、会場に漂う熱気に掻き消されたのだった。



北波の蹴りに、飛び上がって彼の足の上に避難したカナ。その蹴りの勢いのままカナは宙に跳ぶ。しかし足に乗られたことは予想外だったとはいえ、北波にとって焦ることではない。

「空中だぜ。どーすんだよ!」

クナイが一直線にカナへと放たれる。咄嗟に印を結んでいたカナだが、間に合わない。ぴっと僅かな鮮血が散り、「カナ!」と何人かが叫ぶ声が重なった。
とはいえ本人はそれほど動じていない。足が軽く地につき、カナは頬についた血を拭った。頬、首筋、腕、足の数カ所にクナイの傷跡が残っているが、大事ではない。

「(こんな大勢の前で、風羽特有の風を起こすことはできない。反応速度は多少遅くなるけど)」

以前三代目に言われた、他人の前では"能力"を使うな、という言葉を思い出す。今は痛いほど分かるその意味。ただでさえ風羽の情報が流れている中で、更なるデータを大勢に見せるわけにはいかない。争いの火種を生みたくはない。


「これがお前の全力か」

唐突にそう切り出したのは北波。中々動き出そうとしないカナを見てか、短刀を鞘にしまっている。しかし、カナは答えない。北波は静かな目をしていた。

「甘いな、お前は」
「......」
「忍としてそれでやっていけてんのかよ。向いてなかったんじゃねえか。今からでも遅くねえぜ、さっさと辞めちまえ」

途中まではなんとも思わなかったカナだが、そこまで言われるとさすがに頭にくる。甘いとの言葉には反論できないが、忍はカナがはっきりとした意志を持って選んだ道だ。

「あなたに心配されなくても大丈夫です。忍を辞めるつもりなんてありません」
「......そうかよ......なら全力で挑んでこい。やるだけやってみせろよ。そんで......絶望しろ」
「!?」

カナは目を見開く。北波は渇いた笑いを零していた。その目は酷く冷たく、とてもたまたま対戦相手になった者に向けるような視線ではなかった。音忍の残虐性は身を以て知ったとはいえ、それだけで説明がつくものか。

「どういう意味......」
「そのまんまだ。世の中頑張ったら全てうまくいくモンじゃねえぜ、"風羽"。理想像なんて永遠に遠いまま、届くわけねェってことを教えてやるよ」
「あなた、は」

カナは僅かに口を開いた。懐疑の念が色濃くその目に現れ、それを北波に向けていた。

「あなたは、私に会ったことがあるんですか......?」

そして何か、恨まれるようなことをしたとでもいうのか━━━。
確信はない。だが、そうとしか思えない。今の北波の冷たい視線も、カナには身に覚えのないことだが、しかし会ったことがないのなら余計にワケがわからない。


「!」


前触れ一つない。
カナは反応することができなかった。
北波が、目で追う間もなく、既にカナの傍にいた。

カナも観戦者も息を呑む。背が高い北波は背筋を曲げ、カナの耳元で囁くように言った。

「あの時のことを、教えてやろうか......」
「あの時......?」
「お前が初めて、絶望を知った日のことだよ」

どくりとカナの心臓が跳ねる。北波の顔に恐る恐る視線を向けた。だが、存外その表情は、嫌な色をしているわけではなかった。

「(なに、この人......)」

その瞬間にはカナは既に、北波の言葉よりも北波自身に気を取られてしまった。

「(なんでこの人、嫌なセリフばかり言うのに、感情がそれに伴ってないの?)」

思った事は口に出ず。
北波はそれからスッとカナから離れていった。カナもそれを追って振り返る。
今の数秒の会話は二人にしか届かないものだった。観戦者たちは一様に眉をひそめている。カナは跳ね上がる鼓動を抑えながら北波を見ていた。北波は、薄く笑っていた。

「ああ、その前に答えてやるよ。オレがお前に、会ったことあるか、だったか?」

静まる会場内。意味深な二人の会話に、誰もが引き込まれていく。
サスケとカカシもまた然り。


「アイツ......」
「......北波、ってヤツのことか?」

サスケの呟きにカカシが応える。サスケは小さく頷いた。その目はずっと北波を捉えたままだ。
灰色に近い銀色の髪と、深い茶色の瞳。サスケは北波を見ているとどうしても思ってしまっていた。まるで全てが、

「カナに、似てやがる」

続けて言うサスケに、カカシもまた「......そうだな」と呟いた。
ただなんとなく同調したわけではない。カカシ自身も、そう感じていた。容姿だけでなくまとう空気も似ているのだ、思わないわけがなかった。

「だが、カナの血縁者であるはずがない。サスケ、お前は知ってるだろ。風羽のことを」
「......ああ。本人から聞いた」
「だからこの場合、ただ似ているだけ......そう考えざるを得ない」



そして、そのカナにどことなく似ている北波は、フンと笑っていた。

「いいや。オレとお前は、無関係だ」

会ったことがあるのか、という問いに、北波はそう答える。カナは眉根を寄せて「無関係?」と繰り返した。北波はゆるりと笑っていた、感情の読めない笑みだった。

「ああ。それ以上でも、以下でもない」

北波の台詞を聞きながら、カナは感じた違和感を探し当てた。北波の答は微妙にズレているのだ。
しかしそれを指摘する間もなく北波が動く。とはいえそれは荒々しい素振りではなく、カナはじっと様子を伺った。

それでも北波が取り出したソレを見た時、カナは呆気にとられてしまった。



「なんだありゃ」

そう階上で漏らしたのはキバだった。
北波の手にあるものは、三本の細い鉄。20センチにも満たないそれらは、一本のベルトのようなものに固定されている。刃物ではないし、武器になりそうにも見えない。
ぽつりと返事したのはヒナタだった。

「楽器......かな」
「楽器ィ?」
「あの鉄、空洞だよね。ああいう楽器はたくさんあるから、多分」
「そうなのか?でも、んなモン何に使うんだよ」
「キバ。相手は音の忍よ」

続けたのは三人の担当上忍、紅だった。振り返ってそちらを見たキバは、だからなんなんスか?と首を捻る。更に助け舟を出したのはシノ。

「音の忍なら、音を使うことは十分予想できる。何故なら試験前、薬師カブトを襲った忍も、"振動"を使っていたからな。あの男の扱う"音"があれなのだろう」
「こんな時ぐらい、もっとスパッと言えよ、スパッと!」

そうしていつも通り、騒がしいキバと冷静なシノの変な口論が続く。その間に挟まれながら、ヒナタはじっとカナを見ていた。友人として、不安に思う心は当然だった。ヒナタはより一層強く手すりを握りしめた。



「楽器、ですか?」
「ご名答。刻鈴ってんだ。貰いモンだが」

北波は見せびらかすようにその楽器、刻鈴を掲げた。クイと手首を捻れば、音が空間に木霊する━━━名の通り、鈴に近い音色だ。カナは思わず聴き入ってしまった。

「すごく便利な道具でね......」

そう言う北波は暫くじっと自分が取り出したそれを見つめていた。カナは訝しく思ってそんな北波を見つめる。まるで刻鈴にとてつもなく深い思い入れがあるようだった。
北波の目は、唐突にカナに向けられた。

「普段は滅多に使わないが、使って効果的な相手もいる。━━━お前みたいにな」


カナはその瞬間、ぐらりと脳を揺すぶられた感覚に陥った。

「しまっ__!」

油断していた。先ほどの音を不用意に聴いてしまったせいだろう。
目の前の光景が霞んでいく。クナイを握る力がどんどん抜けていく。

最後に見えたものは、北波の無表情だった。


カランッ......


カナが握っていたクナイが、落ちた。金属の音が何重にも木霊する。
北波はただただ目の前の少女を見ていた。カナは、眉一つも動かさずに、ただそこで突っ立っている。

「"刻鈴"......」

北波は呟いた。

「"時を刻む鈴"......過去を見るにはぴったりだろ。......絶望を見せてやるよ、"オ姫サマ"」


 
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