第五十一話 束の間
『必殺!影分身、魚捕りバージョン!!』
幾十にも同じ声が川辺に響き、それに続いてばちゃんと大人数が一斉に川に飛び込む音。そしてまた続くのは、クナイが刺さる音と、少し離れたところからはくすくすと笑う声。
「全く。あんな大声出しちゃって、ナルトのヤツ。敵がやってきたらどーするつもりなのかしら」
「あはは、ナルトらしくていいよ」
岩の間から見えるナルトとサスケの魚捕り風景を横目に、カナは笑いながらサクラに返した。
時間は正午前後。お昼時である。ナルトとサスケは食材である魚を、カナとサクラは火の準備を。とりあえず枝を集めておけば、後でサスケが火遁を使ってくれるという寸法だ。
「あいたっ」
「え、大丈夫?切っちゃった?」
「あー......ヘマしちゃった。大したことじゃないけど」
粗方準備を整えたカナは、サクラの傍に寄ってその傷を確認した。どうやら枝の端で切ってしまったらしい、白い肌に血の玉が浮かんでいる。「一応、消毒液つけとく?」とカナはまた声をかけた。
しかしようやくカナは、自分がサクラ以上のヘマを犯してしまったことに気づいた。
サクラがじっとカナの首筋を見つめていたのである。カナはハッとしてハイネックを上げた。
「ど、どうしたの?」
「......ねえカナ、そこ、ケガしてない?なんかアザみたいなものが見えたんだけど」
「き、気のせいだよ!く、首をケガした覚えなんてないし!」
間を置いたらまずい。と思って咄嗟に返したが、説得力の欠片もない。これでは更に言及されてしまうことなど明白だ。
疑い深そうな目を向けてくるサクラを前に、「......えっと」と目を左右に泳がせたカナは、「準備もできたし、サスケとナルト呼んでくるね!」と脱兎することにした。
アザ。
サクラは間違っていない。カナが隠すハイネックの下には、確かに黒いアザが浮かんでいる。三日前、音忍たちと遭遇する前にリーに指摘された。カナ自身はその時初めてそのことを知ったのだが、同時に、これを容易く人に見せてはいけないと悟った。
何故なら、心当たりはありすぎる。
しかしあの夜の出来事が脳裏に浮かびかけた時、カナはぶんぶんと頭を振った。
「(今は、考えても仕方ない。試験に集中しなきゃ)」
どうせ考えたところで何か為せるわけでもない。頭を切り替えたカナは、タタッと小走りして川沿いに出た。
「サスケ」
カナの呼びかけにサスケは横目で見る。今度は気取られないようにと始めからハイネックを抑えた。
「火の用意できたから、火遁お願い」
「ああ。......とりあえず四匹でいいか」
それまで保存用にもっと捕れだのなんだの言っていたくせに、カナの手を引いてさっさと戻ろうとするサスケを見て、ナルトが怒声を張り上げたのは言うまでもない。カナは苦笑いするしかなかった。
■
ぱちぱちと燃える火の中で魚が焼けていく。
昼食をやっと始めた第七班。それなりに全員が腹を空かせ、待ちに待った食事のはずだった。しかし約一名を除いて、三人はなんとなく重苦しい雰囲気を放っていた。
ナルトはただただ魚が焼けるのを心待ちにしているだけだが。
「もう、四日目だね」
そう切り出したのはカナ。言うまでもなく、それは第二試験が始まってからのこと。同じことを考えていたサクラが「そうね」と同調する。第二の試験開始は昼の三時頃。あと25、6時間しかないと、サスケも口にした。
期限の半分はとうに過ぎた。これまでは大蛇丸戦や音忍戦で傷ついた体を癒すのに時間をあてていたが、そろそろ動かなければならない。半分を過ぎたということは、かなりの数が合格していてもおかしくはない。対となる巻物が手に入る確率も少ないだろう。
それどころか。
「もしかしたらもう、"天"の巻物は、ないかも......」
「どういうことだ、サクラ」
「だって、この第二試験、期限の五日間のうち、もう四日も経っちゃってるのよ?それって、試験のトータル時間の八割は使っちゃってるってことだし。...参加人数80人、26チーム。天地13本ずつしかない巻物......ただでさえ、合格は最大13チームでしょ?それに、カナとナルトは知らないだろうけど」
「うん?」
「サスケ君は覚えてるわよね?大蛇丸ってヤツが、私たちの持ってた天の書を燃やしちゃったのを」
その瞬間、カナは目を見開いた。チームメイトに悟られないようすぐ顔を伏せる。
その間にもサクラが冷静な判断の結果を話しているが、カナはどくどくと高鳴る鼓動を抑えられなかった。更に首筋に痛みが戻ってきた。見なくてもわかる、これはあのアザの部分が痛んでいるのだ。
「どうしたんだってばよ?カナちゃん」
「え」
「わ、カナアンタ、汗だくよ。顔色も悪いし、気分悪いの?」
ふいにかけられた声に、カナはやっと全員の視線が集まっていることに気付いた。三人とも、ナルトまで心配そうな顔つきだ。しかし、カナは仲間に心配をかけたくはなかった。選べる選択肢は、「ううん、なんでもない!」と強がること。
それで仲間達が納得するはずもないのだが。サクラの言う通り、今のカナの顔色は異常に青白い。
「ほんとに、大丈夫だから」
カナはもう一度そう言ったが、サクラは目敏く見つけていた。カナの手が首筋を抑えているのを。そこは間違いなく、先ほどサクラが目をつけたところなのだ。
「ちょっとカナ、そのハイネックの下、見せてくれない?」
「え、な、なんで?」
「いいから、ほら。なんでもないなら見せられるでしょ?」
サクラの言及に明らかに身を引くカナ。サクラは手を伸ばしてまで近づくが、それでもカナは手をどけようとしない。
そんな言い合いの光景が数十秒と続いて、はたで見ているナルトは首を傾げながら「なんなんだァ?」と零す。対照的にサスケはじっと聞いている。二人がようやくストップしたのは、カナが急に立ち上がり、「喉が渇いたから水汲んでくる!」と言い出したからであった。
「あっ!ちょっと、待ちなさいよ、カナ!!」
サクラはすぐさま呼び止めるが、カナは振り向かず、竹筒を手にあっという間に木々に消えていった。さすがに追いかけはせず、サクラは不満そうに「もうっ」と呟く。「カナちゃんどうかしたのか?」と何も解っていない顔で聞くナルトにも、サクラは「知らないわよ!」と怒鳴って返し、ナルトが気後れするほどだった。
その数十秒後、不意に立ち上がったのがサスケだった。
「サスケくん?」
「少し周辺を確認してくる」
そうしてサスケもまた木々の中に消えていく。声をかける暇もない。眉をひそめるナルトの横で、サクラは複雑な心境で溜め息をついた。
■
木々の中を抜ける銀色。その目にちょろちょろと流れる小川が見えてきた。
カナはそこで息をつき、程よい大きさの岩に座り、相変わらず首筋を抑えていた。体中に響くような痛みにもまだ襲われている。
溜め息が漏れる。この痛み、どうしたものか。何か施そうに見えるものではないし、元々包帯などで治療できるものではないだろう。
「(みんなに下手な心配かけたくないのに)」
早々に諦め、空を仰ぐカナ。葉々の向こう側に見える青。しかし、カナの目に映るのは闇の色。
"大蛇丸"。サクラが言ったその一言が未だに残っていた。恐ろしいほどの殺気も脳に刻み込まれている。ぎらぎらと光る捕食者の目。あの男は確かに言った、カナ以外の七班にも接触したと。だがサクラの話を聞いてようやく現実味を感じた。その瞬間、とんでもない戦慄に襲われた。
「(サスケの首元にあるあのアザ......あれ、私ときっと同じヤツなんだ)」
カナの額にじわりと嫌な汗が浮かんでくる。まるで今も、あの男の手の平の上にいるような感覚だった。
「......!」
唐突にカナは咄嗟に首筋を隠していた。理由は一つ、背後に気配を感じたからだ。
見なくてもわかるほどの、突き刺さるような視線がどうしようもなく痛い。カナはぎぎぎと振り向く。案の定、黒い眼差しがカナを見据えていた。
「サ、サスケ......来てくれたの?」
「......水汲むんじゃなかったのか」
「そ、そうだった。ごめん、喉乾いてた?」
「......別にそういうわけじゃねえけど、さっさと戻って来いよ」
「う、はい......」
サスケの目から逃れたいがために、手に竹筒を持ったカナはとっとと水辺に急ぐ。背後を意識しつつも、竹筒に飲み水を入れていく。意外にも恐れていた言葉はかけられず、カナは密かに安堵した。
その時、カナは肩に軽く乗る存在感に気付いた。
見れば、可愛らしい小鳥がカナの顔を覗き込んで首を傾げていた。それに便乗するように、次から次へと何羽もカナの体に止まり始めている。
鳥が好んでやってくる風羽の血。
くすりと笑ったカナは、自然と口ずさんでいた。
"夜空 羽根が舞う"
"しろいふくろう 弧を描き"
「(独りぽっちはさみしいと......空をきって、朝にした)」
心中で歌詞を呟いたのはサスケだった。耳にたこができるくらい聞いた詞だ。
そして、とサスケは思い返す。この歌は、数日前、サスケの暴走を止めた。
今となっては憎い兄も言っていた。カナの声は不思議と心を落ち着かせる。木々に響き渡った歌声は、そうして、サスケが抱いていた異常なほど激しい怒りを洗い流した。
疲労が溜まっていたんだろう、カナはその後すぐ気を失った。ネジが足を貸した後、真っ先にカナに向かったのはサクラだった。
『......カナ、リーさんと戻ってきた時には既に、万全じゃなかったの。大したケガはなかったけど、明らかに疲れてた。なのに、ここに来てもまだ必死に戦ってたわ』
カナは自分のことを顧みない。自分の生死を気にしていないわけではないが、少なくとも仲間の二の次だ。決して本人がそう言うことはないが、七班は既に感じている。そういう意味で危うい存在。
「(バカだ、お前は)」
一歩、サスケの足がカナに近づいた。カナは気付かない。いち早く気付いたのは小鳥達のほうで、何羽かが飛んでいってから、カナはようやく振り返った。
「あ、ごめん」
照れたようにカナは笑い、それから小川に浮かせていた竹筒を拾った。
それからサスケの変に真面目な顔にやっと気付いたカナだったが、しかし、逃れることなどできなかった。
「サスケ?」
「その首筋、どうした」
真っ直ぐド直球───カナは言葉に詰まる。
サスケの足がまた一歩、カナに近づく。同様にカナは一歩後ずさりするが、サスケの視線からは逃れられない。
「その服から見え隠れするものは、一体なんだ?」
「な......なんでもないよ?気のせいだって」
サクラの時と同じように、カナは言い訳らしい言い訳を零してまた下がる。するとやはりまた一歩足を踏み出すサスケがいる。
こんなに強引なサスケは波の国の一件以来かもしれないと、カナは頭の隅で思いながら、しかしそれでも心配はかけたくない。ということでまた、一歩と後ずさったのである。
が。
そこは既に川だった。
「うわっ!?」
しかもそれだけでは留まらず。思わぬことで足を滑らせたカナは後ろへとふらめく。掴むところもなく、風を使うなどという思考にまでは辿り着けず、カナはこのまま川へと......
落ちはしなかったのは、何のことはない、サスケのおかげだ。袖を掴まれたカナはそのままサスケのほうへと引き寄せられる。サンダルは濡れたが、他に被害はない。
「危なかった......ありがと、サスケ」
驚いた心臓を押さえつけながら、カナは何事もなかったように振る舞った。......いや、正確にいうと、本当に頭から抜けていたのだが。
カナが数秒後に事態に気付いた時、サスケの視線は既に完璧にカナの首筋へと向けられていた。ハイネックが今の反動でずれている。そこでバッとカナは手で隠すが、もう遅い。
カナの袖の裾を離してから、顔を背け、サスケは不機嫌そうに一言吐いた。
「やっぱりな」
その一言はカナにとって重いものだ。カナは徐々に俯いていた。
「......ごめん」
「何で謝ってんだよ」
「だって、無駄な心配とか、かけちゃったし」
カナがそこまで言ったとき、サスケは苛ついたようにカナに振り返っていた。だが、カナはただ俯いて気を沈ませているばかり。ハア、と深く溜め息をついたサスケは、「痛むのか?」と低い声色で問う。カナは僅かに顔を上げ、「今は大丈夫」と返した。
「さっきは唐突に痛んだけど、耐えれないほどのものじゃないから。平気だよ」
「......チャクラを使う時は?」
「それも一応確認した。これからの戦いで足引っ張るわけにはいかないし」
「お前、いつもそればっかりだな」
「何が?」
「なんでもねえ」
僅かに出た本音を紛らわすサスケ。カナは訝しそうにサスケを見ていたが、いつしか地面に目を落とした。カナの頭に思い浮かぶのは、他の二人の仲間の顔。サスケにバレてしまった今、カナが何よりも気がかりなのが、二人の笑顔が崩れること。
「サスケ。......この事、ナルトとサクラには言わないで」
カナの声は真剣そのものだった。上げられたカナの瞳。サスケはその瞳の強さを直に受け止め、けれど、表情は苦々しいものとなった。
「何でだよ」
しかしサスケはこう言ったものの、返ってくる答は大体想像できていた。
「お願い。二人に気を使われたくないの。それは、サスケに対しても同じだったんだけど......サスケにはもう言い訳のしようもなくなっちゃったし。......でも、せめて二人にはいつも通りでいてほしいから」
「痛んでもいつも通りでいれんのかよ、お前は」
「大丈夫。きっと、サスケが私とサクラに"ナルトには言うな"って言ったのと同じだよ」
そう言われてしまえば、サスケはそれ以上何も言えなかった。「......ウスラトンカチ」と漏れたサスケの言葉に、カナは苦笑する。その苦笑に言葉はなかった。いつもなら違うと言うところを、カナは何も言わなかった。
サスケの言葉の裏にある、カナを心配している気持ちは、ちゃんと受け止められている。
「いつもごめん。ありがとう、サスケ」
いい加減な言葉じゃない。カナが心底からそう言えば、サスケはちらりとカナを見た後、すっと手を差し出していた。特別に何か言うわけじゃない。だが、カナも自然とその手に自分の手を預ける。
互いの温もりほど、安心するものはなかった。