第四十四話 ひとむかし、


千本の風切り音が、やけに大きく聴こえた。


「(今──────!?)」


カナはその時風を使おうとして───しかし、一瞬で呆気にとられていた。

一瞬だった。
突然カナの視界から千本だけでなく、男たちも視界から消えたのである。というより、暗闇ばかりで、何かが見えるどころか本当に何も見えない。

「え......え?」

予想もしていなかった事態だ。カナは本気で戸惑い、痛む頭を抑えながら、ゆっくりと上体を起こした。

何が起こった?いや、もしかして、ここは既に死の世界?タイミングを掴むどころか、完全に逃してしまったのか?

痛みではなく、混乱でくらくらしてきた。
だがそんな時、カナは自分の肌にさらさらと落ちてきたものに気付く。

「......砂?」

と同時に、カナの視界にようやく光が戻っていた。暗闇を作っていたものが剥がれ始めたのである。徐々に視界は元の景色へと戻っていく。一面に張られていた砂がぼろぼろと崩れていく。空、木々、の次に見えたのは、雨忍達。

しかし、カナは身構えることもしなかった。雨忍たちの意識もカナになかったからである。彼らの視線の先を追い、カナは、ようやく目を丸めていた。


「我愛羅くん......?」


砂瀑の我愛羅、そしてそのチームメイトであり兄妹であるテマリとカンクロウが、そこにいた。
だが、我愛羅はカナのことなど見ようともしないようだし、テマリとカンクロウも目を丸くして我愛羅とカナを見比べているばかりだ。
三人のうちカナに面識と言えるほどの面識があるのは、たった一人のみ。だから助けてくれた可能性があるのは我愛羅だけーーだが、可能性があるといっても、そうする義理はあったのか。

「......我愛羅、くん?」
「......」

しかしカナの声に言葉は返ってこなかった。ぴくりとも動かない我愛羅は雨忍にばかり視線を注いでいる。カナがそれ以上セリフを思いつかないうちに、雨忍の一人のほうが口を開いていた。

「どういう了見だ?砂が木ノ葉を護って何の得になる」

真っ直ぐ我愛羅へと投げかけられた問いかけだ。しかし、我愛羅はそれにも応えない。それが癪に障ったようで、雨忍は青筋をたてた。

「まあいい。宣戦布告と見なすぜ、チビ。オレらの前に立ちはだかったことを後悔させてやる」
「御託はいい。早くやろう、雨隠れのオジサン」

ようやく口を開いた我愛羅は、真っ正面から挑発の言葉を吐いた。我愛羅の背にあるヒョウタンから砂が出てくる。
しかし、この二次試験のルールにおいては、我愛羅よりもその兄カンクロウのほうが冷静だった。もし巻物の種類が同じなら、争う必要はない。チャクラを使う無駄な戦闘は避けたほうがいい。
しかし、カンクロウが全てを言う前に、それは「関係無いだろ」という声で遮られていた。

「目が合ったヤツは、みな殺しだ」

明らかに雨忍達を格下に見てるような物言いにより戦闘は勃発した。

「じゃあ早くやってやるよ!!」

男の手にあった数本の傘が宙に浮き、印の結束と同時に術が発動される。忍法・如雨露千本。無数の千本が傘から飛び出し、我愛羅の周りを囲み、襲っていく。その千本の勢いは砂煙が起こる程のもので、結果どうなったかすぐ確認することは不可能だ。
しかし、雨忍は既に勝ち誇った笑みを讃えていた。

「他愛のない......」

しかし、我愛羅をよく知っている兄妹と、敏感に風でチャクラを感じ取ることのできるカナは、確信をもった目で我愛羅の位置を見ていた。
砂煙が消えた後。そこにあったのは、砂でできた殻。それはいつしかさらさらと崩れ、中にいる"無傷の"我愛羅が見えてくる。その瞬間、ようやく雨忍は愕然とした。

「な......一本も!?」

雨忍の口から零れる戸惑いの声。対して、我愛羅にチャクラの乱れは何一つ見られない。我愛羅は真っ直ぐな冷たく落ち着いた目で雨忍を見ているだけだった。
それから、呟いたのだった。


「千本の雨か......じゃあ、オレは血の雨を降らせてやる」


それは実に小さな呟きだった。独り言だろう。しかし風に乗った言葉は、しっかりとカナの耳まで届いた。
どくん、とカナは跳ねた鼓動を感じた。驚愕は顔には出なかった。ただ手を拳にして強く握りしめる。

何が彼をこんなに変えてしまったのか。

カナにはわからない。あの日以来、あの一度以来、会うことのなかったカナに、悟りようもなかった。

現実味のないブランコの音が脳内に響き始める───



カナが初めて風羽の森から出かけた場所。それは、風の国、砂隠れの里だった。
本来なら、風羽の子供は森から出ることは叶わなかった。森から出られる条件、それは一族を護るために忍になることただ一つだ。しかしこうしてたまに長が子供を連れ出す時があった。

「ねえ、本当にこれ一度っきり?」
「一度きりだの。子供はみな一度だけだ。その代わりこの一度で、森の外をよく見ろ。きっとお前のためになることがある」

何度尋ねてもそうとしか言わない長に、幼いカナはふくれたものの、その表情は砂隠れについた途端消えていた。

「カナ、私は風影殿とお話することがある。大人しくできるな?」
「うん!ねえ、里を見て回っていい?」
「......夕方までに戻ってくるんじゃぞ」

元気よく返事をしたカナは、その途端風影邸を飛び出し、走り出していた。
砂隠れは風羽の森とはまるで違う。緑などまったく見えない代わりに、並んでいるのは砂や岩でできた家、家、家。外の世界。待ち望んだ世界に、カナの心は高鳴るばかりで、どうやって帰るのかも忘れて走っていた。

忍になったらいっぱい外に出られるんだって。いいな、私も忍者になりたいな。でも、風羽の皆が忍になってるわけじゃない。父様と母様は忍だけど、私にはなれるのかな......


「......?」


その時、カナは不意に立ち止まっていた。何かが聴こえた気がして、耳を澄ます。だが、確かに何かを聴いたはずなのに、今は何も聴こえなかった。「あれ?」と一人首を傾げたカナは、まあいいか、と再び走り出そうとした。


キー......キー......


すると、今度こそ聴こえたのは、物静かな金属音だった。

「......ブランコ?」

好奇心は、迷う事なく働いた。今度は闇雲にではなく確かな目的を持って走り始めた。
ただのブランコの音だった。だが異様にカナの心を突き動かしたのは、聴こえるはずのない距離で耳に届いたからだった。やっと拾える程度だった音が徐々に大きくなっていく。

そしてようやく、カナは公園の入り口と思われる場所を目にしていた。

「見つけた......っわ!?」

そのカナの目前を急に横切った小さな影。見れば、使い古されたボールがてんてんと転がっていた。何の意識もなく拾うと同時に、声がかけられる。

「ヘイ、パス!」

公園の中。少年たちがこちらを見ていることに気づき、カナは慌てて投げ入れた。サンキュー、と笑った少年は、また彼らの遊びに興じ始めた。

小さな公園。遊具はあまり見当たらない。ただ広いグラウンドで子供たちがボールを蹴って遊んでいる。
カナはなんとなしにそれを目で追っていた。人と人との足の間を抜け、蹴られ、高く上がり、落ち、跳ね、また蹴られ。それは実に単純なボール遊び。カナが風羽の森でする遊びとなんら変わらない。

「(......あ、そういえば。ブランコの音は?)」

カナは失念していた出来事を思い出し、ふっと公園の中を見渡していた。
それと同時。
再び子供たちの間をすり抜けていったボールが、今度は入り口とは反対方向に転がっていった。

ブランコだ。

カナはぱっと顔を明るくした。捜していたものが見つかって、それだけで満足を得た。しかし、それと同時にカナはまた違うことに気をとられる。

そこに、一人でブランコを漕いでいる少年がいた。
赤い、赤い髪の、きれいな目をした、小さな男の子。

彼は気付いた。自分の足下へと転がってくるボールに。そして動いた。そのボールを子供達に返してやろうと。少年は、ただ動いた。それだけだった。
なのに、少年を目にした子供達が叫んだのだ。


バケモノ───!!!


面白がっている声じゃない。本気で、畏怖した声だった。
カナは呆然とその場を見ていた。先ほどまで遊んでいた子供たちはもういない。子供たちはカナが振り向く間もなく 遠く、遠くへ消えて行ったのだ。先ほどのカナと同じ動作をした彼が、巨大な怪物であるかのように。

公園の中に残ったのは、小さな泥だらけのボールと、赤い髪をした少年。
夕暮れの赤い日が差している。夕日の赤を浴びながら、カナの瞳の中で少年はまたブランコに座った。ぽてり、とボールが落ち、転がっていく。少年は漕ぎもせず、じっとボールを見つめているだけ。......それだけ。

「......変なの」

気付いたら、カナの口からそんな言葉が出ていた。少年は弾かれたように顔をあげた。少年にゆっくり近づいたカナは、首を傾げて振り向いていた。

「ね、そう思わない?なんなんだろ、あの子たち。オクビョウモノなのかな」
「え?」
「ねえ、隣、座ってもいい?」

少年は隈で象られた目を大きく見開いてカナを見ていた。対して、カナはじっと相手の返事を待つだけだ。
少年の驚いた顔は消えなかったが、そのうち、おずおずと頷いた。その途端カナはにっこりと笑う。

「ありがとう!あのね、私ずっとブランコ探してたの!」

それだけ言って、カナはブランコに飛び乗った。少年は呆気にとられていたようだったが、カナはまだ相手の気持ちに気付くほど大人でもなかった。ただ、ブランコの金属音が辺りに響き渡った。

幼いカナは幼いなりに感じ取っていた。今の音は、さっき聴いた音とは違う、と。
キー、キー、と鳴る音は同じようで、まったく違った。あの時の音はこの少年が出した音なんだろうか。あのどこまでも遠く響くような音は。まるで、助けて、とでも言っているような音は。

「きみ、里の子じゃないの......?」

不意に弱々しい声がカナの耳に届き、カナは漕ぐのをやめた。金属音が消える。ずさっと足で速度を落としたカナは、伏し目がちに見てくる少年の目を見返した。

「うん。私、この里に来たの初めて。でも、どうしてわかったの?」
「......僕を、恐がらないから。僕のこと、知らないんでしょ?」

カナは目を瞬く。「この里の子は、みんなキミから逃げるの?」と悪意のない言葉が口から飛び出た。震えた少年がそれでも頷いたのを見て、ふうん、と口を尖らせる。

「でも、私がこの里の子でも、キミから逃げたりしないよ。だって私はあの子たちみたいなオクビョウモノじゃないもん」
「そ、そういう意味じゃ!それに、あれがフツウだし......」
「フツウ?」
「だって僕は、バケモノなんだ」
「バケモノ?」

そういえば、子供たちもそう言って公園から逃げ出していた。
バケモノ。バケモノ?
今のカナの頭に巡ったのは、大人たちが読み聞かせてくれる、絵本の中のそれだった。ツノがあって、目がギラギラしていて、痛そうなツメが手にも足にも、それから口から色んなものを吹き出して。

「キミ、ヘンシンできるの?」
「へっ。ヘンシン?」
「違うの?じゃあどう見たってキミは、私とおんなじ人間にしか見えないんだけど......」

本気で頭を悩ませたカナは首を傾げる。少年が何も返せないのを目にして、ぴょんとブランコから下りて少年の前に膝をついた。ぎょっとして身を引いた少年、だが彼が逃げ切る前に、その手をぎゅっと掴む。

「手の大きさも私と同じだし、ツメも長くないし、指もちゃんと五本だし」

一体どこをどう見て、あの子たちはバケモノなんてものを想像したのだろう。
隙を見て、カナは更に人差し指で少年の頬を突ついていた。少年は本気で驚いて頬を抑える。カナは悪びれもなく笑っているだけだ。

「うん、イヤなコトされてもヘンシンしない!」

少年は実に戸惑っているようだった。どういう顔をすればいいのかわからないようだった。カナが本気なのかどうかもわからないのだろう。なにせ、今までこうやって話す相手もいなかったのだから。
またカナの手が少年の手に伸びるのを、今度は逃げずに見つめるばかりだった。カナの小さな手が我愛羅の手を包んだ。

「私は逃げないよ。だってキミ、全然バケモノじゃないもん」

ぴくりと震えた少年の手を感じ取る。カナはにっこり笑って、少年の顔を見上げた。隈で象られた目はまだ見開かれたまま。

「ねえ、あのね、私、カナっていうの。キミは?」
「え......?」
「私ね、森の外に出てきたの初めてで......あ、私の一族はおっきな森で暮らしてるんだけどね、忍者じゃなかったら普段そこから出ることはできなくてね、でね、えっと......」

いつのまにかカナは言葉に詰まり、声はごにょごにょと小さなものになっていく。少年の表情が少し変わる。きょとん、としたものだ。気恥ずかしくなりカナは俯いたが、「だからね、何が言いたいかって言うと」と小さく言ってから、また少年の顔を見上げ、照れたように笑った。

「外の世界は、楽しいけど、ちょっとだけ不安なの。だから、私とトモダチになってほしいなって」
「......とも、だち?」
「うん!トモダチがいれば、もう何も怖くないでしょ?」

少年の瞳が今までにないほどまた大きく開かれる。少年はまだ小さく呟いた。「とも、だち......」と、何か大切な言葉でもあるかのように。
すると、突然だった。少年の頬につっと雫が伝ったのだ。
涙だった。

「えっ......ど、どうしたの!?」

今度は驚いたのはカナのほうだ。見るからに焦った表情でオロオロし始める。少年は涙を流した目でそれを見た。

それから、初めて、笑顔を見せていた。



それはとても控えめな笑顔だった。けれどカナは今でも覚えていた。涙で頬を濡らしたままのあどけない笑顔。その笑みを見て、幼い自分もまた笑ったはずだ。
その出会いはお互いしか知らない、小さな出会い。幼いゆえの好奇心と偶然とか重なった巡り合わせ。たった数十分の短い間。
それでもカナは鮮明に記憶に残している。赤い髪の、きれいな瞳の少年───我愛羅を。

その我愛羅が今、カナの目前で戦っている。血走った目で残虐な言葉を吐く少年となって。敵である雨忍に欠片の容赦もなく。殺意をもって近づいてくる相手にも怯えず、戸惑わず、ひたすら冷静に。
カナの耳に我愛羅が呟いた術名が届いた。

「砂縛柩」

同時に突っ込もうとしていた雨忍の足下の砂が崩れる。砂が突如動き出し、まるで意思を持ったように雨忍の体に巻き付いていくのだ。悲鳴を上げても意味なく、砂に覆われた雨忍は、最早顔しか見えない。

「うるさい口まで覆っても殺せるが......ちょっと惨めすぎるからな」
「ひっ。まっ待て!!」

我愛羅の声は何の情もない。昔と変わらない白く綺麗な手は、落ちていた雨忍の傘を掴んで広げる。
そうして、もう片方の手はゆっくりと掴まった雨忍のほうへ上げられた。我愛羅の冷血な表情は変わらない。変わっていくのは、更に殺気立っていく彼の目のみ。
あげられた我愛羅の手が、ぴくりと動く。

同時にカナの心音が警鐘を鳴らしていた。


「砂爆葬送」


カナの頬に、赤い液体が降ってきた。真っ赤な、真っ赤な、液体だった。

カナは唇を噛み締め、震える体を抑えようと、強く自分の体を抱きしめた。血の匂いが嫌でも鼻につく。辺りには血が散乱している、その全てが雨忍だったもの。
男は死んだ。原型すら留めていない。存在が一瞬にして、消えたのだ。

「苦しみはない。与える必要もないほど、圧倒したからだ」

赤い髪の少年は言った。

「死者の血涙は漠々たる流砂に混じり、更なる力を、修羅に与う」

それから我愛羅の瞳が動く。あと二人いる、雨忍のほうへ。射止められた雨忍たちはあからさまにびくりと体を震わせた。

「ま、巻物はお前にやるっ。お願いだ、見逃してくれェ!!」

雨忍の一人が我愛羅の足下に巻物を転がせた。だが我愛羅は見向きもしない。殺気だった目は未だ雨忍達のほうに。


「我愛羅、くん」


擦れた声がカナの口から零れた。我愛羅は見向きもしない。あまりに小さすぎて聴こえなかったのだろう。カナの心臓がまたどくりと音をたてた。今からまた起ころうとしている殺戮を予測しているかのように。

止めろ、と全身が叫んでいる。

カナの足の裏が強く地面を踏みつけた。

「(もう、見たくない)」

そして瞳は強く。カナは自分の頬についた血を拭き取った。

「(見たくない......殺させたくない!)」


力一杯、足下を蹴った。


 
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