第四十三話 独りの戦い


幼い頃、一族が大蛇に襲われ、自分が知らぬうちに一族は"死んだ"。それを思い出すたび、強烈なイメージで脳内を這い回るのは、常にあの爬虫類、蛇だった。
森で暮らしていたカナだ。それまでは、野生の動物や虫などを忌んだことはなかった。だがあれ以来、カナは蛇に近づくことさえままならない。蛇を見るたび、あの事件が鮮明に蘇ってしまう。

「(蛇、みたいだった)」

強風にさらされ、飛ばされる。一瞬感じた悪寒、殺気が、カナの体を支配する。カナが本気でこの風から逃れたいなら、風を操る風羽の血はきっと力を貸すだろう。しかしそれができなかった。蛇を見てしまった時のような感覚が、今のカナを襲っていた。

近づけない。逃れたい。異質な視線。捕まってはいけない。遠ざからなければ───


その時、カナは意識の中で低い声に問われる。"逃げるのか"、と。"戦わぬつもりか"、と。
意識の中で瞳を動かす。何もない空虚な空間。相変わらず誰もいないというのに声だけが聴こえる。

「......あなたは、"あれ"の正体を知っているの」

カナは問う。冷たいものが背中を通っているような気がした。知りたいと思うのに、知りたくないと本能が言っている。返事はない。その意味がわからないほど、馬鹿にはなれない。

「あれは、なに」
『知ってどうする』
「どうするって、そんなこと、聞いてみないと」
『知ってもお前は何もできまい。知らぬ今でさえ恐れているというのに、知った後は余計だろう。......お前は復讐が意味を成さぬものだと知っているはずだ』
「......それって、」

カナは身震いをした。そこまで聞けば 十を聞かずとも解った気がした。
しかし、気がしただけ。

カナの意識がまたゆっくりと世界を変えていく。もう一度質問を重ねようとした時には、景色は森へと変換されていた。

「(......いつもより早い)」

思わず呆然としてしまうカナ。これまではあの空間が割れてから戻ってきたというのに。しかしそれを何故と聞く相手もいない。カナの体をさらった風もとっくにやんでいたようで、上体を起こしたカナは顔についた土を払い落とした。
その時、また言葉が聴こえた。

『だが、あやつはお前の意思など知ろうともしないだろう。お前はいずれ、覚悟を決めなければならない。できるだけ、早く』

「......覚悟?」

ぽつりと零すものの、返ってきたのは草木が重なりあう音だけだ。
数秒経って、カナは溜め息をついた。頭が痛い。第七班と合流しなければならないし、あの視線の意味も考えなければならない。一度は辿り着きそうになった答が、更に奥のほうへと逃れていくような感覚。

「(動かなきゃ......)」

しかしずっとこうしているわけにもいかない。早く仲間と合流しなければ。

あの風のことを思い出す。あの風を放った張本人が、もしかしたら今も三人を襲っているかもしれないと考えると、ぞっとした。あの視線が仲間達に絡まっていると考えれば。あの、蛇のような視線が。

「自分だけ逃げて......馬鹿!」

バシン、と自らの両頬を叩いた。すぐさま立ち上がり、自分を奮い立たせる。
行かなければならない。早く、早く、早く。


殺気。


「!!」


カナは咄嗟にその場を離れた。
見れば、今までカナが立っていた場所には数十本の千本が刺さっていた。反応が少しでも遅ければハリネズミになっていただろう。

カナはキッと向かいの茂みに目をやった。木陰に隠れていた三人組はのっそりとカナの視界に入ってきた。中央を歩く大男に、仮面をしている男、それに身長の低い小男。その全員が雨隠れの額当てをし、背にいくつか傘を背負っている。
カナと目があったのは中央の大男だった。

「確かお前は、木ノ葉のフォーマンセルの一人だったよな?なんで一人でいる......なんて聞いても、答は一つしかないか」

くつくつと笑う男にカナは眉をひそめる。どうやらこの男は他の三人が死んだと考えているらしい。だが特に反論する理由もないカナは、黙って足下の土を均した。雨忍たちは揃って訝し気な顔をする。

「無謀だな。向かってくる気か?」
「......見逃してくれるんですか?」
「あり得ないな」
「三対一、どうせ逃げるのは難しいですから。それに、巻物を奪えるかもしれませんし」

カナは強い視線を三人に向ける。「奪う?」とせせら笑う雨忍。可能性は、確かに低い。そこまでカナは自分の能力を過信しているわけではない。だが、思わせておけばいい。
口では挑発的に言ったが、実際はそこまで考えていない。巻物は二の次だ。三人に隙をつくり、その間にこの場から消えればいい。

「ぬるい里で育った木ノ葉の下忍が......井の中の蛙だってことを教えてやるよ!」

先に動いたのは男だった。また千本を投げられ、カナはクナイを放つ。キィンと金属音が響いて二つの武器は地に落ちた。

それを合図に、雨忍三人衆は散る。中央、左、右へと。
相手の位置と行動を把握できなければ対応しきれない。カナはできるだけ後方に下がり、三人全員を視界に入れるようにする。左右に動くカナの瞳に仮面の男が接近してくる様子が映った。

「風遁 風車!」

仮面男が持つクナイに対抗し、カナは風を纏った拳で受け止めた。「風遁か」と呟いた男。二つの力は相殺し合い、これではキリがない。

他に二人も相手にしなければならないカナは、身を離そうと男の腹に蹴りを入れる。「ぐっ」と呻いた男は狙い通り後方に下がった。苛ついたように睨んでくるが、カナは他の二人に気を散らす。すぐ後ろに別の気配が近づいてきていた。

「(踵落とし!)」

瞬時に判断したカナは両腕をクロスさせてそれを防いだ。頭に届きそうになった足を間一髪で防ぐ。だが、「(重い......!)」と目を眇めるカナ。体格の差は歴然だ。
地に足がついた瞬間、カナは咄嗟に自らかがみ込んだ。不意に抵抗が消えた大男はバランスを失う。その隙に背後に回り込んだカナは、すぐさま印を結んだ。

「風遁」
「させねえよ!!」

しかし、そのまた更に背後から声。カナは察知して横へ逃げた。
小男が背負っていた傘を振り回していた。それが届きそうになるも、「風波!」と術を放ち、相手の軌道を変える。男の舌打ちが聴こえてくるようだった。
三対一のハンデは想像以上に大きい。

「(一人ずつなら相手になるのに!)」

逃げようにも、これではキリがない。相手はわざと一人ずつかかってきている。カナの意識を分散させるためだろう。先ほどの踵落としでずきりと痛んだ腕を庇う。またも並んだ男たちがニヤリと口角を上げた。

「口ほどにもねェ。さすが木ノ葉の忍だな」

無意識に、カナの眉間に皺が寄る。先ほどの男のセリフ、"ぬるい里"という言葉も蘇った。

「オレの里は内向的で、他里の情報ってのはあんまり手に入らないんだがよ。それでも五大国の情報はさすがに入ってきやすい。その中でも木ノ葉ってのは、生温い里だって有名でな」
「......何が言いたいんですか」
「試験の為にこの里に来てみりゃあ......まったく、噂ってのは大抵信用ならねえんだが、今度ばかりは正しかったってことだ。ガキが忍者ごっこだってよ。聞きゃあそんなガキのお守りまで、この里じゃあ忍が一日中やってんだろ?」
「だから、何が......!」
「こんなトコは、忍里じゃねェっつってんだよ。平和に浸った軟弱者の集まりだ」

頭に血が上るという感覚を、カナは今、ゆっくりと味わっていた。

再不斬と戦った時以来、いや、あれとも違う。あんな、一気に百度に到達にするような憤りではない。煮え立つような、もっと奥のほうから、じんわりと上がってくるような、憎しみにも似たもの。

自分が侮辱されたなら、なんとも思わなかっただろう。
だが、違う。侮辱されたのは、里だった。
カナが慕う、三代目が守る、この木ノ葉隠れの里だった。


「......言いたいことはそれだけですか」

今までの声とは違う、煮え立つ内心とは裏腹に、冷たい温度を感じさせるような声が響く。それを何とも感じなかったのか。ヘッと笑った男たちは、互いに合図し合い、瞬時に三方向に分かれた。すなわち、カナを取り囲むように。
カナの視線が全員を一人ずつ捉える。男たちはそれぞれ、背負っていた傘を手に構えていた。

「もっと楽しませてくれると思ったんだがな。次こそハリネズミにしてやろう」

忍法、と口ずさむ男の口を、カナは黙って見つめていた。


「「「時雨千本!!」」」


一度宙に浮いた三本の傘が、男達が印を組み終わると同時に方向を定める。狙うは当然、一点のみ。柄のほうがカナを差すように回る。そして同時に、カナへと突き進んだ。
カナはぱちりとポーチを開き、三つの手裏剣で無駄なくそれらを狙った。カカっと音をたて突き刺さり、傘は一瞬勢いをなくす。だがそれと同時に、傘が開いて千本が飛び出した。

何十本、いや、何百本か。

ハリネズミ。これを喰らえば、カナに残された道は一つしかないだろう。


元より、この雨忍たちは、第七班はカナを除いて全員殺されたと勘違いをしていた。その時点でカナが巻物を持っている可能性が薄いことなどわかっていたはずだ。それにも関わらず、初めから男たちが選んだ道といえば、カナに攻撃を加えること───もっと正確に言えば、殺すことだった。
千本が向かってくる中で、カナは嫌に冷静だった。

他里の忍を見れば考える間もなく殺すことが、ぬるい里でない条件なのか。


「(そんな里、私は絶対に......嫌だ!)」


男たちが訝しげに眉をひそめる。カナは印を組んでいた。


「風遁 風波流(かざはりゅう)!!」


次の瞬間、カナを中心に津波のように激しい風が起こった。
数千に及んだ千本も風には逆らえず、逆方向へと飛ばされていく。それだけではなく、風は周囲にあるもの全てを吹き飛ばし始めた。
唸る風は邪魔をするもの全てを隅へ隅へと追いやっていく。それは雨忍三人衆に至っても例外ではない_。


数十秒後、カナの周囲には、土砂しか残っていなかった。



試験開始から数十分。暗い第四十四演習場の中、キバ、赤丸、ヒナタ、シノの第八班は、最終目的地の塔へと木々の間を飛んでいるところだった。天地の巻物は既にキバの懐にある。第八班のノルマは既に終了した。そのため、キバは実に上機嫌である。

「罠にかかった奴らが運良く地の書を持ってるたァなァ!この分じゃオレ達、一番乗りだぜ!」
「調子に乗りすぎるな。それは危険だ」

すかさず口を出したのは、キバと正反対の性格といってもいいシノ。相変わらず常に冷静である。

「どんな小さな虫でも、常に外敵から身を守るため、敵に遭遇しないように注意を払う。これが安全だ」
「んなの解ってらァ!相変わらず解りにくい喋り方しやがって、この虫オタク!」

明らかな嘲りが気に障ったのか、シノはぴくりと眉根を寄せる。それを素早く察知した温和な性格のヒナタは、慌てて二人の間に入り仲裁をする。

「で、でも、シノくんの言うことも一理あるかと」
「チッ。わかったよ、ったく!」

さすがにヒナタからも言われると反論できないのだろう。キバは不機嫌そうに言って、先頭へと躍り出た。

その時だった。
ほんの一瞬ではあったが、唸るような凄まじい音が三人の耳に入ったのだ。三人はすぐさまその場の枝に止まる。気配を察知しようとするも、近くに何かがいるとは考えられない。
どこかで戦闘でもしているのか。八班は顔を見合わせる。

「いやにでけェ音がしたな」
「クゥン」

キバと赤丸は鼻を動かすが、収穫は得られない。

「クソ、何だか知らねェが風が遮ってやがる。匂いがうまく辿れねェ......ヒナタ!」

キバがヒナタを見れば、ヒナタは既に印を組み意識を集中させていた。「白眼!」という声と共にヒナタの目に神経が集中する。ヒナタの目には既にここら一帯の景色は映っていない。普通なら肉眼で捉えることのできないほど遠く、遠くにその目はある。次々と景色が変わっていく。暫くは暗い森が続き、光が見え始め、拓けた場所になり───

ヒナタはそこで目を見開いていた。

「何か見つかったのか」

いち早くヒナタの表情の変化に気付いたシノが尋ねる。ヒナタは暫く白眼でそこを見ていたが、そのうちシノやキバ、赤丸を目に映し、弱々しく口を開いた。

「カナちゃんが、戦ってる......」
「カナが!?」
「それも、一人だけで。ナルトくんもサスケくんも、サクラちゃんも近くにはいない!」

それがどういうことなのか、考えが行き着かないほどヒナタは楽観主義者じゃない。まさかと思ってしまう心は止められなかった。だがそこで、力強い手がヒナタの肩に置かれる。

「早合点すんなヒナタ!行って、確かめればいいだけの話だ......!」

キバは珍しく脳内で冷静に思考を巡らせていた。
あのサスケが簡単にやられるとは思えない。カナ以外が全滅というよりは、カナだけがはぐれたというほうが納得できる。しかし、だからといって安心できる事態ではない。この森の中、ほとんどがスリーマンセルで行動している。ならば、敵に会った時は既に三対一、出会い頭から不利は決まってしまうのだ。

更に、木々に耳を寄せたシノによって絶望的な発言が上乗せされた。

「.....六人。カナを除き、"六人"がその場に集結しているようだ」
「なっ、二チームかよ!」

最早考えている暇も猶予もない。普段ならキバの安易な行動は咎められるものだが、この時ばかりはキバの行動を制するチームメイトもいなかった。
行くぜ、とだけ叫んで走り出すキバのあとに、先ず赤丸が吠えて続き、シノもヒナタもそれを追う。試験もなにもない。カナ自身も今は敵だろうと知ったことではない。
仲間のために駆けつけるのは、木ノ葉の忍として当然のことだった。



いつの間にか、土煙だけを残し、風はやんだ。
カナを中心とする一帯は数十秒で荒野と化していた。生えていた木々は全て折れ、追いやられ、土だけが残っている。えらく拓けた場所に変わってしまった。それほどの術を、カナはほとんど考え無しに放ってしまった。

「(チャクラ、足りないかも......)」

忍の動力源はチャクラだ。それを一気に使ってしまったために、カナはふらりと座り込む。意識は大丈夫だが、暫くは大した応戦もままならないだろう。今のカナの対抗手段は、数本のクナイや手裏剣か、もしくは、チャクラいらずの風羽の風だけだ。
どこかの茂みに隠れて、回復を待つほうが得策だろう。

カナはもう一度、ふらりと立ち上がった。重い体を引きずり、土と木片ばかりになってしまった地上を歩く。自分のせいだとはいえ、茂みまでは少し遠い。自嘲気味に、カナは笑ってしまった───


雨忍三人の姿はカナの視界に入っていなかった。
どこまでか知らないが吹き飛ばされたのだろう、とカナは考えていた。
当たり前だった。"風波流"はただの打撃技でしかないので、死に至っていないことは確実だが、怒り任せに使った術だ。気絶程度は当然だろうと思っていた......思い込んでいた。

まさか彼らが"風波流"を防ぐ方法を持ち合わせていたなど、カナは思いもしなかった。


「やってくれたな......小娘」


悪意の籠った声はカナの背後から響いた。足を引きずっていたカナは本能的に横に転がっていた。ハッと起き上がってみれば、大男が一人、拳を握りしめていた。

「(何で、っ!)」
「動きが鈍いなオイ、チャクラ切れか!?」

男の蹴りが飛んでくる───咄嗟に思いついた対抗手段は、しかし実行されぬまま、カナは力任せに蹴り飛ばされていた。ずさっと地面に転がり、カナは僅かに血を吐いた。
風羽の風は、使えない。チャクラ無しに使っていることがバレたら、厄介なことになってしまう。

見れば、男の体は確かにボロボロだった。だが確かなのは、気絶するまでには至らなかったことだ。何故、と一度脳内で唱えたカナは、パッと男のある持ち物が目に入り込んだ。
その背に背負っている、巨大な傘。

「もしかして......その傘で」
「ご名答。その通りだよ。これは、雨隠れの里で作られてる特殊な傘でな......ちょっとやそっとの頑丈さじゃねェ。例え鬼が金棒振り回したところで壊れやしねえ」

ぱきり、と違う方向から枝を踏む音がして、カナは振り返る。大男だけでない、小男も仮面の男も、無傷ではないが、その手に傘を持っていた。互いに万全の状態ではない。しかしこの状況、チャクラをほとんど使ってしまったカナが、更に不利に陥ってしまったのは明らかだった。

ザリッと土を踏みしめる音を聴き、瞬時にこの場から離れようとするものの、遅い。後頭部に打撃を叩き込まれカナは地に伏してしまう。震える手でなんとか印を組もうとしたが、その前に手を踏みつけられていた。

「痛ッ」
「下忍のくせに......やけに強力な術を使いやがって。ムカつく小娘が」

悪態をつく男を見上げ、余裕がないのにも関わらず、カナは笑ってしまった。

「ぬるい里の忍を、相手にしてるんじゃなかったんですか?」
「クソガキ!!」

男は強くカナの腹に蹴りを入れた。自業自得だと内心思いつつ、カナは気持ちの上では若干すっきりしたことは否めない。この状況下、周囲に敵が取り囲んだ状態で、カナは不思議と冷静だった。
三代目の言いつけを破れば、まだこの状況から脱するすべがあるからかもしれない。ただ、そのタイミングが微妙に掴めないままだ。

「妙に大人ぶってるのが気に食わねえ。その目、すぐ開かねえようにしてやるよ」

男の苛立った声を聴きながら、カナは心中で三代目に話しかけた。

「(このまま死ねとは言わないだろうから......ゆるしてね、おじいちゃん)」

男が手にもったのはただの数本の千本。しかし、それだけでも今のカナにとっては十分な凶器だ。普段なら避けるのは容易い、が、今は動くこともままならない。できるだけ目を開いて男たちを見上げる。

「フン。じっとしてりゃあ可愛いのになあ?」

男の声が歪んで聴こえる。そこにある千本は死へのカギ。無論、開けさせるわけはない。カナはひっそりと目を細め、しっかりと照準を合わせた。
使うタイミングを、見誤ってはならない。

「あばよ」

なんでもないことのように、無情な声がカナの脳内に響く。
千本の風切り音がやけに大きく聴こえた。


 
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