第三十六話 洗礼
中忍選抜試験当日。その日、カナが最初に姿を見たのはサクラだった。
といっても待ち合わせ場所でではなく、その途中でだ。カナは昨夜は高揚ですぐに眠れず、普段より起床が遅かったために遅れ気味だったのだが、サクラが遅刻することも十分かなり珍しい。
「おはよう、サクラ」
カナが声をかければ、サクラは目を丸めて振り向いた。
「カナ。......どうしたの?遅いじゃない」
「それは、サクラこそでしょ?私はただの寝坊だけど」
カナは怪訝そうに小首を傾げた。この様子だとサクラはただの寝坊ではないようだ。いつものハツラツとした元気はなく、そうなの、と返す声はどこか頼りない。ナルトとサスケを思えばサクラを急かしたい気持ちは山々だったが、今のサクラの様子を見ると、そうするのはカナの気を咎めた。
不意に零したのはサクラだった。
「カナは......カナは、昨日、躊躇ったりしなかった?」
「......? どういうこと?」
「試験を受けることに......不安とか」
おずおずと言葉を差し出すサクラを見て、カナはなんとなく察する。なんと言えば良いか迷ったが、とりあえず求められた答えを言う。
「不安がない、なんてはっきりとは言えないけど。でも私はそれより挑戦したいって気持ちが大きいかなあ」
何よりも夢のためにね、と微笑むカナをサクラはじっと見つめる。「そっか」と呟く声は弱い。
ちょうどその時集合場所が見えてきて、ナルトの声が二人の間を抜けていった。朝の挨拶や遅れたことへの謝罪をしている間も、サクラの浮かない顔は直らないようだった。
その事態が好転したのは、二階にある、301号室の前。
偽301号室の前には受験者による人だかりができていた。どうやらここを通るためには立ちはだかる青年二人をどうにかしなければならないらしい。無視すれば良い話だが、ご丁寧に結界も張ってあるらしく、どうしてもここを通過する必要があるようだ。
......などということを階段を上がったサスケは瞬時に見抜き、班員三人を引き連れて堂々と青年の前へと進んだ。四人の耳に届くのは青年たちの小馬鹿にしたような声。
「酷いって言うヤツがいるようだが、これはオレ達の優しさだぜ?中忍試験は難関だ!」
「この試験を受験したばっかりに、忍をやめていくもの、再起不能になったもの。オレ達は何度も目にしてきた」
「それに中忍っていったら部隊の隊長レベルよ!任務の失敗、部下の死亡、それは全て隊長の責任なるんだ。それをこんなガキが」
「どっちみち受からない者をここでふるいにかけて何が悪い?」
あまりに理不尽な言い分に、ナルトが突っかかろうとしたのは言うまでもないが、それをカナとサクラが二人掛かりで止めたのもまた然り。サスケはといえば、そんなことは気にもかけなかった。
「正論だな。だが、オレは通してもらおう。そしてこの幻術でできた結界をとっとと解いてもらおうか。オレは三階に用があるんだ」
「ほう。気付いたのか、貴様」と片方が眉を吊り上げる。サスケは青年から目を放さなかったが、不意に呼んだのはチームメイトだった。
「サクラ、どうだ」
「え?」
「......お前なら一番に気付いてるはずだ」
サクラはきょとんとサスケを見る。どこか不自然に目を逸らしているサスケ、その顔によると、柄にもなく居心地悪さを感じているようだ。思わず吹き出しそうになった幼なじみがいたが、手を口に当てて堪える。
「......サスケくん?」
「......お前の分析力と幻術力のノウハウは、オレたちの中で一番伸びてるからな......」
いつもはぶっきらぼうなサスケなりの励まし方である。目を瞬いていたナルトも、サクラの表情の変化に気付いたのか、ニッと笑っている。肩を震わせているカナに制裁を入れるサスケを見ながら、サクラはじわじわと自身の中に上ってくる温もりを感じた。
自分が抱えていた悩みなど、班員たちにはお見通しだったのだ。
「もっちろん!!とっくに気付いてるわよ。だって、ここは二階じゃない!」
途端、301と書かれてあった標識が201へと変化した。他の受験者たちが呆気にとられた声が廊下に響く。その中で、術を破られた青年はというと、意地の悪い笑みを貼付けていた。
「ふぅん、中々やるねぇ。だけど、見破っただけじゃ......」
青年の目が鋭く光った。
「ねェ?」
刹那で青年の足は攻撃へと移っていた。それに対抗し、初めに動いたサスケ。青年と同じように足を振り上げたのだ。
しかし、互いの足がぶつかることはなかった。
突然の乱入者のせいで、またはおかげで、二人の足はそれぞれ軌跡を止められたのである。
「ふぅ......」
その乱入者とは、先ほどは青年に殴られていたはずの少年だった。
安堵の息を漏らした彼は両者の足を放す。「なっ」と漏らしたサスケが、後方に下がりつつ驚愕の目を向けることも気にせず、少年は自分のチームメイトと話し始めていた。
「(あ、消えた)」
一部始終を一歩下がって見ていたカナは、通せんぼをしていた青年たちがふっといなくなったことに気付く。結局あの二人は何者だったのか、わからないままとなったが、既に周囲のピリピリしていた空気は四散し、受験者たちの壁は消えていた。
隣ではナルトとサクラが何事かを話している。カナはじっと少年を睨んでいるサスケに近寄った。
「大丈夫?サスケ」
「ああ......それより、アイツら全員、打たれた痕が消えてやがる。フェイクだ」
「わざと殴られてたみたいだね。油断させておこうって魂胆かな」
カナもサスケに倣って彼らのほうを見る。その見慣れないスリーマンセル。その中でも、一際目立つのが、先ほどの介入してきた少年。
緑。
......数秒後、サスケは呆れた目をカナに向けた。
「で、お前は何で笑ってんだ?」
「いや、やっぱり改めて見ると、あの人の格好が衝撃的で......あはははっ、もう耐えられない......っ」
「......そうかよ」
そのまた数十秒後、カナは更に腹を痛めることとなる。笑いで。
いきなりそのオカッパ+全身緑タイツの少年がサクラに話しかけ、爆弾発言をしたためだ。
「僕の名前はロック・リー!サクラさんというんですね。僕とお付き合いしましょう!死ぬまであなたを守りますから!!」
その場が一気に静まったのは言うまでもない。しかしサクラは。
「絶対、イヤ......」
「えっ......」
その途端冷たい風が吹いた気がする。
「あんた、濃ゆい」
たった数秒で惨敗してしまった少年、リーの頬にはだぁーっと涙が伝っていた。
カナは無論 盛大に笑ったわけで、隣のサスケはほんの少しだけリーが不憫に思えた。とはいえ止める気にもなれず、サスケは視線をカナから外した。
その時だった。
「おい、そこのお前」
サスケはすぐさま気づいて振り返る。
「名乗れ」
そこにいたのはリーのチームメイトらしき少年だった。その目はサスケを真っ直ぐ捉えている。カナはきょとんとして目に浮かぶ涙を拭いていたが、返事を無しにさっさと消えようとしているサスケの服だけは掴んでおいた。
「オ"イカナ、放せ」
「いいからいいから。失礼でしょ」
「お前らルーキーだな?年はいくつだ」
そこでサスケが少年を睨み 「答える義務はねェ」などと言い出したもので、カナが焦って代わりに「12です!」とだけ答えてから、厄介なことになる前にとさっさと退散した。
もちろんその間もサスケは抵抗していたわけではあるが、カナに対して辛く当たることができないのもサスケである。
そうして第七班はそれからサクラを先頭に先へと進んだ。
ずっとその動向を見ていたのは、ついさっきサクラにフられ、盛大に嘆いていたロック・リーだった。
「リー、行くわよ。なにやってんの?」
「......キミたちは先に行ってて下さい。ちょっと、確かめたいことがあるので」
そう言ってリーはチームメイトの言葉にも気にかけず、第七班が進んで行った方向へと動き出す。
リーが第七班を見つけたのは、見失ってからそれほど時間も経っていない頃。階下を歩く四人の姿を見、すぐさまリーは声をかけた。
「目つきの悪いキミ!ちょっと待って下さい!」
七班全員が見上げる。リアクションは様々、その中でもサクラは本気で嫌そうにげっと漏らすまでに至った。そしてサスケは、十分自分のことだと理解しているようで、不機嫌そうに「何だ」と返す。
「今ここで僕と、勝負しませんか」
リーが提示したのは真っ向からの挑戦状。
「今ここで、勝負だと?」とサスケが返せば、リーは階下に飛び降り、はい、と笑った。