第三十五話 夢追う為に


次の瞬間、木ノ葉丸はカナの腕の中に収まっていた。
カナだけがホッと安堵の息を吐いている。呆気にとられている者たちの中、男の足下に小さな石が転がった。

「よそんちの里で何やってんだ、てめェは」

そして上から降ってきたその声に、全員が道の脇の木の上を見た。
すると、先ほどまではいなかったはずのサスケが。その颯爽とした登場にサクラの黄色い声が飛ぶのは必至で、ナルトが嫌そうに顔を歪めるのもまた然り。

「失せろ」

弄んでいた石ころをサスケは一握りで潰す。挑発的な目は男に堂々と突き刺さる。おかげで男の苛々がますます上昇する。

「オレはお前みたいに、利口ぶったガキが一番嫌いなんだよ。降りてこい、ガキ!」

男はついに武器であろうものにまで手を伸ばしていた。「オイ、"カラス"まで使う気かよ!?」と女が叫ぶと同時にサスケとカナの目は細められた。こんな町中で忍具を使い始めれば、本格的に周囲にまで影響を及ぼしてしまう。

だが、その時だった。


「カンクロウ、やめろ」


冷静極まりない声が全員の耳に届いていた。前触れは、一切なかった。
サスケのいる枝の反対という近距離にいたというのに、サスケでさえもその気配に気付けなかったのだ。
その姿は七班と変わらない背丈の少年だった。

「我、我愛羅......!」
「里の面汚しめ」

どうやら知り合いであるらしく、男・カンクロウと、少年・我愛羅の間には妙な空気が流れた。外見ではまず間違いなくカンクロウのほうが年上だ。だというのに、カンクロウのほうが怯えている。


「(......あれ......?)」

だが唯一、そんな奇妙な光景に気を取られていない人物がいた。
カナの瞳には、我愛羅の容貌だけが映っていたのだ。

どこまでも深い赤の髪。目の周りを象るまでに至っている隈。中に何が潜んでいるのか、計り知れないその瞳。そして、"我愛羅"という名前。


───ボール、
ブランコ、砂、赤、悲鳴、翠、温もり、涙、笑顔、約束───。



「女。......お前の名は」

カナが自分の意識から我に返ったのはそう問われた時だった。他でもない、我愛羅という少年に。
いつの間にやら枝から下りた我愛羅は、男女二人組の間に立っていた。カナを、真っ直ぐ見つめて。

「......? どしたの、カナ」

全く動かないカナに心配そうに声をかけるサクラ。カナは、そのサクラに軽く首を振ってから、ゆっくりと我愛羅に視線を合わせた。

その瞬間、我愛羅が僅かに目を丸くしたのは見間違いではないだろう。カナの目に映るのが我愛羅の赤のように、我愛羅の目に映るのはカナの銀だった。
しっかりと二人の視線が交差したのは果たして数十秒だったのか、一瞬だったのか。わからないまま、カナは小さく口を開けた。

「憶えてる......?」
「......!」

驚いた顔をしたのは周囲のほうだった。我愛羅ももちろんまた僅かに表情を動かしたが、それは他の者の同じ種類のものではない。
そんな我愛羅にカナはほんの小さく微笑んで、でもどこか申し訳無さそうに呟いた。

「......ごめんなさい」

その言葉の意味は我愛羅だけが、我愛羅だけしか理解できないもの。

我愛羅は瞬間的に息をのみ、そしてすぐさま姿を翻し、瞬身で消えていた。そしてカナと我愛羅を見比べながら驚いていた二人組、カンクロウとテマリも戸惑いながらすぐに我愛羅のあとを追うことで、その場には木ノ葉の者だけが残される。

意味深な空気だけが残り、カナの微笑みは少々崩れていた。

「......カナ?」
「あ......うん、なに?」
「いや......知ってるのか?あのガキのこと」
「......んー。でも、人違いかも」

サスケに問われたことでカナの微笑みは微妙ながらもいつものものに近づき、不安げに見ていたサクラも安心を取り戻す。

「なによそれ、確信もなく話しかけたの?」
「あはは、...」
「にしても、サスケ兄ちゃんもカナ姉ちゃんも、さっきはありがとだコレ!」
「オレは?なあ木ノ葉丸、オレは?」
「ナルト兄ちゃんはかっこわるかったぞ」
「ガーン......」

そんないつも通りの会話に戻っていき、先ほどまで流れていた空気は消えた。



───しかし、第七班のすぐ近くの茂みに隠れている忍数名の、不穏な空気は尚も残っていた。男三人、女一人で構成されている形だけの"同志"。
彼らは観察、または偵察するように第七班を眺めていたのである。

「どう思う?」

一人の男が口にすれば、別の男が「大したことないと思うけどさ」と切り出し、ついさっき姿を消した我愛羅の他に、サスケの話を持ち出した。
だがその次には、妙に緊張感に欠けた声が割り込んでいた。

「あと一人だぜ」

バカにしたような笑みと共に。それを聞いた一人が不快そうに視線を送る。

「どういう意味だよ、新入り」
「新入り?......あーまァ、お前らとは関わったことなかったからしょうがねえか。けどま、お前らよりも長く"アイツ"の傍にいたセンパイとして忠告しとくぜ」

軽く口元を上げたその男は、スッと何かを指差した。

「あの銀髪にも、気ィつけとけ」

誰もの視線がその一点に集中する。銀色をなびかせて穏やかに笑う少女は、一見では人畜無害にしか見えない。

「なに?あの弱そうなガキのこと?本気で言ってるわけ?」
「別にお前らがどう思おうと勝手だがな......好きにすりゃいい。それに、ただ気ィつけろっつーだけだ。手は一切出すなよ」

カナのことを口にした男の顔には確信があった。カナを見る目には密かな棘さえ潜んでいる。突如男の笑みが消え去り、代わりに今までは隠していたチャクラの質が現れ、他三人に冷や汗を流させた。

「アイツは、オレのターゲットだ」

生温い風が男の髪を流した。
その色は、銀。






次の日。任務もないのに、第七班は何故か召集をかけられていた。場所はいつもと変わらず、小さな橋の上である。

「あ、おはよう、サスケ」
「ああ」

集合時間五分前程に来たサスケを迎えたのは、鳥を手やら肩やらに乗せたカナだった。
カカシは決して時間通りに来ないのに、それでもきちんと時間を守るのは何故だろうか、とサスケはふと思う。何が悪いってカカシが悪いのだが。

サスケはカナと程々の距離をとり、手すりに体重をかけた。それからは何もせずカナと鳥を眺めていただけだったので、サスケはいつしかこくこくと頭を揺らし始めてしまう。

そんな光景に呆気にとられたのは、次に来たサクラだった。
カナの傍でうたた寝しているサスケと、そんなサスケを見てくすくす笑っているカナ。サクラがその途端 悲鳴をあげなかったのは上出来だが、怨念渦巻くサクラの登場にカナがビクッとなったのは仕方ない。





カカシが現れたのは、いつも通り一時間も二時間も遅れた後だった。「今日はちょっと人生という道に迷ってな」とか宣うカカシにナルトとサクラが突っ込むのは最早見飽きた光景、更に悪びれなく話を切り出すカカシも然り。

「ま、なんだ。いきなりだが、お前達を中忍選抜試験に推薦しちゃったから。これ、志願書な」
「中忍試験?」

カカシの手から急に現れた四枚の紙に全員の視線が集まる。そこには確かに志願書と書いてあった。

「といっても推薦は強制じゃあない。受験するかしないかを決めるのはお前達の自由だ」

そうカカシが言った直後、ナルトが「ヤッタァ!カカシセンセー大好きだァー!」とカカシに飛びつく。対してカカシは迷惑そうにべりっとナルトを引きはがす。ちなみに志願書四枚は近くにいたカナに渡していたので無事である。

「受けたい者だけその志願書にサインして、五日後の午後三時までに学校の301号室に来ること。以上だ」

カナから渡されたうすっぺらい紙にそれぞれが目を通す。カナも同じように目を通しながら、沸き起こる高揚心を感じていた。サバイバル演習時に感じたものと似ているものだった。
進みたい。自分のやれるところまで。
強者が集う中で、"中忍"という景品を奪い合う。そう考えると、カナの胸は一層高鳴った。


「......カナ」

その時、カナを小声で呼ぶ声があった。カカシだ。「はい?」とカナがいつも以上に間抜けた声を出すと、カカシは苦笑する。

「少し話があってな。残ってくれるか?」
「......わかりました」

小声のやり取りだ、二人の会話に気付いた者はいなかった。三人ともすっかり"中忍選抜試験"に囚われていたというのもあるが。
後はいつも通り、自然とそれぞれの帰路についていく。最後まで残っていたナルトに手を振ってから、カナはカカシを見上げた。

「話って、なんです?」

こうして場を整えたのだ、決して呑気なものではないだろう、とカナは予想していた。そしてその予想通りカカシはいつになく真剣な顔をしている。カナは黙ってカカシの言葉を待った。
すると、思いもがけない返答があった。

「三代目から聞いたよ......お前の、腹の中のもののこと」

"神鳥のことを"。

カカシがその名を出し、カナは素直に驚き、目を見開く。
だが過剰反応はしなかった。一旦俯いたカナは、すぐに表情を正して顔を上げた。

「既にご存知だと......思ってました」
「三代目は、なるべくこの事を知られたくなかったらしい。だからオレにも言わなかった」
「じゃあ、どうして急に」

カナの当然の疑問にカカシは黙る。カカシの脳内に駆け巡るのはつい最近の出来事。正確に言うならば、"聞いた"のではない。"問いただした"のほうが正解だった。再不斬との戦いでできたわだかまりは、まだカカシの中に燻っていたのだ。

「覚えてるか?波の国任務での再不斬との最初の戦い」

突然の話題にカナは思わず目を瞬く。

「私が気絶した、あの時のことですか?」
「ああ、そうだ。あの時お前はただ気絶していたわけじゃない。風が急に暴走し、それが原因で意識を失ったんだ」

カナが眉根を寄せて目を見開く。「でもタズナさんは再不斬に殴られたからって......」とカナの口からようやく出た言葉は、「恐らく躊躇したんだろう。自分が教えても良いものかってな」というあり得そうな言葉に遮られる。もちろんタズナへの怒りが芽生えるわけではない。カナにはそれ以上に気になるものがあった。

「風の暴走って......?」

何も記憶に残っていないカナは尋ねるしかなかった。しかし、カカシも明瞭な答が出せるわけでもなかった。

「悪いがオレも答えられそうもない。わからなくて三代目に訊いたんだからな......そしたら、三代目は"神鳥"について語って下さった。三代目もその暴走についてはご存知なかったみたいだが、恐らく神鳥の能力だろうとは仰った」
「能力......」
「あの時のお前の恐怖は極限状態にあったろうからな。オレもその可能性が高いと思ってる」

カナは不甲斐なさそうに俯く。意識が途絶えた後の詳細はカナには不明だが、大なり小なり迷惑をかけたことは確かだ。恐怖は他の三人も同じであったろうのに、改めて自分がおかれた状況の特殊さを認識する。

「(神鳥......)」

まだその存在を明確に捉えられていないカナは、強く眉根を寄せて俯いた。
その頭にぽんと手が置かれる。見上げたカナは、しかし、カカシの話がまだ終わってないことを悟る。

「まだ話はもう一つある」
「......?」
「信じられないかもしれないが......再不斬が既に、神鳥について知っていた」

カナは更に動揺した。
木ノ葉の者であっても知る者はほんの一握りだというのに、他国の忍がそれを知っているというのはあまりにも不自然すぎる。三代目が不用意に口外したりしないことは無論だ。他の者にしても、知っているのは確実に信用されている者だけのはず。木ノ葉から漏れるということは、絶対にあり得ないのだ。

「......まさか」

カナは一つの考えに至り、だがまさかと思いつつもそれしか他に思い当たらず、おずおずと口を開いた。

「どこか、木ノ葉とは違うところで......この事を知っている人がいて、情報を流している、ということですか?」
「......まだ予測の域でしかないが、それが一番可能性が高いだろうな」
「"風羽"を......もしくは、"風羽カナ"を恨んでいるから?」
「そこまではなんともいえない。だが、他国に敵がいるだろうと予測できたのならまだ対策はできるんだ。......オレの言いたいこと、分かるか」

カカシは真っ直ぐカナを見つめていた。その時、カナはふいに手の中の薄っぺらい存在を思い出す。"中忍選抜試験"。そのために集まった忍が今、ここ木ノ葉に集結している。
だが、カナは小さく笑って、カカシを見上げた。

「それについては大丈夫です、カカシ先生。それに、ダメと言われても私は絶対に受けますよ」
「......受けることは極めて危険なんだぞ。お前が試験を受ければきっと合格できることは信じてる、だが、もし受験者に成り済ましてくれば」
「それでも、私は前に進みたい」

視線を流し、川の流れを見るカナの目は強かった。その光景にカカシは既視感を覚える。まるで、波の国で忠告したあの夜のようだ。あの時の強い目は未だそこに健在している。

「私の夢は......願いは、共に生きる、ということ。それなのに、私が自分で歩を止めちゃったら矛盾じゃないですか。私はずっと、彼の隣を、歩いて行きたいから」

笑って言ってみせるカナの目を追い、カカシもまた水の流れを目で追った。
そこに浮かぶのは何故かサスケだった。いや、何故もなにもないか、とカカシは思い直す。カナが言う約束の相手というのはサスケであろうから。

「あーあ、なんか......妬いちゃうねえ」

ぼそりと呟いたカカシを、カナが不思議そうに仰ぎ見た。

「え?」
「いーや。そこまで言われたらしょうがないなって言っただけだよ。オレはどうにもお前に甘いみたいでね、カナがそう決めたのならそれでいいさ」

カカシは冗談であるかのようにそう言い、カナの頭をくしゃりと撫でた。

「甘い?......嘘でしょう?」
「さぁ、どーかねぇ」
「嘘です、絶対嘘です」
「何でそんなに全力で否定するの?」

そんな会話を続けながら、カカシはカナが無事で済むようにと密かに願った。こんなにも真っ直ぐ夢を見続けている少女を、部下を、仲間を、絶対に失いたくなかった。


 
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