第二十九話 ゼツボウ


「カナ!?」
「えッ......カナちゃん!?」

紛れも無くカナ本人である。ナルトのほうを振り向いてにっこりと笑っているカナの手にはクナイ、その下には弾かれた無数の千本。
いつの間に抜け出したというのか。パクパクと口を動かすだけで声も出ないナルトとは違い、サスケはずかずかとカナに歩み寄り、カナの肩を掴んで「この馬鹿!」と叫んだ。

「来んなっつっただろうが!動けるようになったのならまず言いやがれ!」
「だって!ナルトがピンチなのを見て頭が回らなかったから!」
「だからってッ......お前もナルトと同じだ考え無しが!!」
「......って、それはナルトにも失礼な気が」
「サスケてめッ、なにどさくさに紛れてオレが考え無しとか言ってんだってばよ!」
「ホラ......痛ッ」

場に似合わない言い合いになったところで、カナは急に顔を歪めた。すぐさま気がついたサスケはカナの体の異常に目を止める。「お前、」と呟きながら、サスケはカナの両足を凝視していた。

かなりの血が出ている。よく今立てていられるものだと言えるほどの出血だ。「カナちゃん!?」と同じく気付いたナルトも叫んでいた。
その中で、冷静に言葉を発した者が一人。

「自分の足を傷つけてまで......この場に来たんですか、あなたは」

白だ。恐らく最も早くカナの傷に気がついた白は、じっとカナの足の血を見ていた。

「こんなつもりじゃ、なかったんだけど......」

カナも白に応えて口を開く。

「突然風の力が強くなって......風で氷を割ろうとして。確かに氷も割れたし動けるようになったんだけど、威力が制御できなかったせいか足まで傷つけちゃって」
「......いきなり僕の氷を割れるまでの威力を手にした理由は?」
「......それは、言えません」

というより、説明のしようがなかった。カナにも全てを理解できているわけではないし、それに、今はそれどころではない。カナにとって今 重要なのは、この傷を負いながら戦えるかどうか、だった。実のところ痛みは半端ではない。

「カナちゃん、大丈夫なのか......?」
「......わからない、かな」
「わからねえってお前......だからお前は!」

サスケの目は本気だ。だが、白からサスケに目を移したカナの目も、真剣味を帯びている。だからといって、とカナは唇を動かし、爪を手の平に食い込ませた。

「だからといって、私ばっかり逃げてるわけにはいかないでしょ。私だって、サスケと同じ忍者なんだから」

その言葉にサスケは何も返すことができない。加え、カナは口を挟む間も与えなかった。
カナは急に印を組み始めていた。「サスケ、火遁!」とカナに促され、サスケもチッと舌打ちしつつも印を組む。

今度はカナも鏡の中にいての攻撃。なんとか鏡を一枚でも溶かすことができれば、三人の自由度は格段に増す。二人は一枚の鏡に向かって、先ほどとそれぞれ同じ印を組んだ。

「風遁 風波!」
「火遁 豪火球の術!」

その火力は先ほどとは比ではない。明らかに格段に威力が上がった炎に、今度はナルトも茶々を入れることもできなかった。莫大な熱エネルギーによって鏡がしゅうと音をたてる。氷が水へと変化する音だ。

耐えかねたその鏡の白は、ぱっと現実に姿を現し、違う鏡へと向かっていく。一枚の鏡は確かに消えかけ始め、カナとサスケは全てを溶かすために更に力を入れ始める。

その背後で白が身構えているなどとは思いもよらず。

「(やはりカナさんサスケくん、あなたたちは厄介だ。......ですが、背中ががら空き......今度は二人まとめて!)」

白の手にあるのは、数本の氷でできた千本。今度は先ほどのように猶予を与えず、触れた瞬間に凍らせる。
サスケとカナの背をしっかりと目に捉える白。一瞬で、氷千本を放つ。
だが、それに気付いたのは、ナルトだった。

「サスケ、カナちゃん!!」

「......え」
「!!」

二人が目を見開き振り向く頃には、ナルトの小さな背はほぼ凍っていた。

「ナルト!」

ナルトの姿を見るなり硬直してしまったカナの代わりに、サスケがそう叫ぶ。
ナルト本人は、小さく口元を上げて 笑っていた。

「へへ......今度はオレが、守ったぜ......」
「ナルトっ!」

しかし笑っているといってもナルトはふらつき、地面に倒れ込む前にカナがすぐさま身を乗り出し、ナルトの体を受け止める。「わり......体、動かねぇ」とナルトはまたへらりと笑う。しかし笑い事じゃない。ナルトの意識は急速に遠のいていっているようだ。
ナルトは最後の力を振り絞ってサスケに手を上げていた。

「サスケ......少しだけ、頼むってば、よ」
「......ああ」

サスケが短く返事をする。すると、ナルトは力尽き、カナに全体重を任せきってしまった。
傍目から見ても呆然としているカナ。その肩にサスケの手が置かれる。

「大丈夫だ、カナ。そいつは気絶してるだけだ」
「......わかってる、けど」
「今は前だけ見ろ。0.1秒も油断するな」

カナがサスケを見上げれば、強い眼差しがそこにはあった。カナの頭を縦に振らせざるを得ないほどに。カナは暫くナルトをじっと見ていたが、そのうち静かに地面にその体を横たわらせていた。
そして白ももちろん全てを見ている。

「どうも予想外ですが、上手い方向にいったようですね」

カナの足からは相変わらずどくどくと血が出ていて痛々しい。平然を装ったところで、カナが冷や汗を大量に流していることもわかる。暫くはともかく、いずれはカナも動きが鈍くなる。それにナルトは完全に戦いに参加できなくなった。後はカナとサスケに術を使う暇さえ与えなければ、白にとってなんの問題もない。
カナとサスケによって溶かされた氷の鏡も、いつの間にかまた修復されていた。

「ナルトくんが起きるのを待つわけはありませんよ。......いきます」
「望むところだ」

明らかに白の視線はサスケへと向かい、そしてサスケもそれに応えた。だが、カナの「サスケ......」と呟く声には迷いが見えていた。サスケはそのカナの迷いも見破る。

「カナ、お前はナルトに被害が出てないようにしてろ。その足じゃ逆に危なっかしい」
「......うん、ごめん......ナルトは任せて」

カナはこくりと頷いた。サスケはそれを確認してから また白へと視線を戻す。が、白はサスケの視線が移ったと同時に、再び目にもとまらぬ速さで動き始めていた。

千本が至るところから放たれサスケを襲う。本来ならば簡単に捉えられるものではない。白の瞬間移動はサスケの目にも止まらない。
しかし、サスケは完全にほぼ全てを避け、弾いているといっても過言ではない動きへと化していた。狼狽えるのは今度は白のほうだ。

「(致命傷となる気孔を狙っているのに、ことごとく外されている......!?)」

白は自身の甘さを自覚しているとはいえ、今は手加減をしているわけでもなく、本気で攻撃を加えるつもりで動いているのだ。にも関わらず、白の目にはサスケの動きのキレは増すばかりに見えていた。弾かれ地に落ちた千本は、サスケの武器へとなっていく。
しかし、カナとナルトへと向かう千本のほうはカナがなんとか処理しているものの、それ以上本数が増えればカナの今の足では補えないものがあった。既にカナの息切れは酷い。ナルトだけは絶対死守しているが、いくつかカナには傷がついている。その事態を把握していないサスケではない。

「平気か!?」
「なんとか。ナルトだけは絶対に守るから、安心して......」
「ウスラトンカチ!オレはお前の心配をしてんだ!その足じゃ限界があるだろうが!」
「あはは、でも全部自分のせいだし、私も......なんとか自分で逃げるから」

そう言うと、カナはナルトの肩に腕をまわして立ち上がる。足に負担はかかるが、こちらのほうが避けやすい。サスケはそれを見て苦々しく顔を歪めるが、舌打ちを一つしただけ。
そしてまた、白の千本だけに意識をやる。

白の千本は未だ大量に放たれている。サスケとカナは今ただ必死に避けることだけしかできない。しかし、避けることはサスケには十分余裕なこととなっていた。それどころか、今ではカナの動きさえフォローし始め、護りながら戦っているのである。

「(あの少年、何かが見えている......一体何が)」

白は千本を放つ手を休めないままにそんなことを考えていた。驚くべきサスケの成長スピード。今まさに戦闘しながらもサスケは成長しているのだ。

ならば、と白は考えついていた。そして白はまたも一瞬にしてサスケとカナの視界から消え去る。

「消えた......」

サスケは事実を端的に口にした。

「(どこだ。どこに消えた!?)」

黒の瞳が鏡全体を行き来する。しかし前後左右見ても敵、白の姿を見つけられない。
一方で、サスケの背後で息を荒げていたカナのほうは、見ているだけでナルトが重そうに見えた。そのうち、カナの肩からナルトの体がずり落ち始める。なんとかカナはナルトが落ちる衝撃を最低限に押さえ込んだが、おかげでカナ本人も膝を折る羽目になった。

「っおい!」
「だいじょう、ぶ......!」

すぐさまサスケが振り向く。顔色をも悪くし始めたカナは、言葉とは裏腹に全く大丈夫そうには見えない。
そんな幼なじみになんと言葉をかけたらいいかと迷っているうちに、また千本がサスケの頭上から襲う。神経を研ぎすましている今のサスケではそれを感知するのは簡単で、サスケはそこら中に落ちている千本一つで弾き返した。

「カナさんに限界がきたようですね」

二人の真上に位置する鏡の中で、白が淡々と言った。反撃のようにサスケは千本を放つが、それらは鏡に跳ね返されるだけだ。

「素晴らしい。素晴らしい動きです。キミは、よく動く」

白の声がサスケの意識とはまた別方向から送られる。サスケが振り向いた途端にまた千本が放たれるが、サスケは反射神経で避けた。

「けれど、次で止めます」

今度は前方。隠れる気もなく目の前に姿を現した相手。サスケは思わず身を引いた。

「運動機能、反射神経、状況判断能力。キミの全てはもう限界のはず」

次々と白の姿が隣の鏡へ、隣の鏡へと移っていく。それに合わせ、サスケとかろうじてカナの視界も変わっていく。しかしカナももう容易に動ける状態ではない。足の血が毒々しくコンクリートの地面を濡らしている。サスケももちろんそれを分かっている、よって緊張感は今まで以上となる。
サスケは白の姿を見失うまいとじっと視線を送っていた。

「(落ち着け......集中しろ!そして......)」

サスケの瞳が一瞬、ぶれる。


「(見切れ!)」


───白の手から離れる千本が、そこから先、サスケの目には実に遅く見えていた。

サスケの動きは、それまでよりもずっと素早い。千本が到達する何秒も前に、余裕をもってサスケは動いていたのだ。サスケは、カナとナルトを一瞬にして抱え、跳んだ。

完全な見切り。
驚きに目を見張ったのは白だけでなく、カナもだ。抱えられながらカナはゆっくりと視線を上げ、見慣れた顔を直視した。するとカナの瞳が一瞬にして射止めたのは、"赤"。


赤地に黒の三つ巴。写輪眼、そのもの。


カナの開いた口はあまりの衝撃に何かを言うことはできなかった。

もちろん白もその写輪眼を確認していた。写輪眼、血継限界。それがサスケにあるとなると、長くは戦えない。この戦闘は長く続けるべきではない。

「(ストレートにあの子を狙うのは浅はか)」

白は行動に移し始める。また鏡から鏡へと姿を移動させていく。相手は言うまでもなくサスケ、だけだ。カナは暫く立つこともままならないだろう。
だが、白の視線はちらりと動けない相手二人に向かった。

「(なら......あの子たちを使い、おびき寄せる)」

白は今、"忍"だった。

まずいくつかの千本を使い、サスケを二人から引き離す。まるで二人には興味がないかのように、一点、サスケだけを狙って。そして、サスケの二人を守ることへの意識をほんの一瞬逸らした時。

白は一気に飛び出していた。カナとナルト、二人に向かって。

「なっ!」
「!!」

表情を驚愕で染める瞬間は二人、サスケとカナは同時。ただしナルトを抱えて動けないカナとは違い、サスケは舌打ちしすぐ二人へと足を向けていた。

カナは瞬間的にクナイを取り出したが、それは迫り来る白が放った千本によって弾かれる。もう一秒としたら辿り着くだろう相手を考えるともう、カナにできることはただ一つ以外になかった。
せめてナルトだけは、と少年の体を抱え込む───同時に、カナの周囲に風が渦巻く。

大丈夫だ、致命傷は避けられる。風羽の風に守られて。


カナは、目を瞑った。




───何秒と経っただろうか。否、あるいは実際はほんの一瞬だったのか。
ただ何故かカナにとって、今の時間がとてつもなく長かった。

それは、次の瞬間に目に捉えた、その光景のせいだったのかもしれない。

「......サスケ......?」

深い青の生地に一族の家紋。見慣れた、背中だ。けれど。

「......サス、ケ」


サスケのその首には、何本もの千本が刺さっていた。
それを一瞬で射止めたカナには、近くで倒れた白の姿など全く見えなかった。


「ケガは......ねえかよ......ウスラ、トンカチ」

聴き慣れた声。言われ慣れた言葉。なのに、見慣れない姿。

「っは......な、んてカオしたやがんだ、よ......カナ」

カナの視界がおぼろげになり始める。
サスケの姿がどんどん不鮮明に滲んでいく。

「冗談、だよ、ね......?」

カナの口からそんな言葉が零れる。
振り返ったサスケの口元は、いつもと全く変わらないような笑みを作っていた。


それと同時に、サスケの体は後方に倒れていく。


「サスケ!!」


それを素早く察したカナは足のケガのことなど忘れ、すぐさまナルトをその場に置き、サスケを受け止めた。
そのせいでナルトの意識もゆっくりと浮上し始めた。「う......?」と声を漏らしたあと、徐々に開いていくナルトの空色の目には、何度もサスケを呼ぶカナの姿が映った。

「カナちゃん......?」
「ナルト......!」
「どした......って、サスケ!?」

ぎょっと目を見開いたナルトはカナ同様、背中の痛みを忘れ去り、二人の下に駆け寄っていた。対し、カナの膝の上で寝るサスケは「うる、せえよ......」と弱々しく返す。
ナルトは一瞬で状況を理解するが同時に混乱に陥っていた。「お前......!」と呟くナルトはその後の言葉が見つからない。

すると、またも口を開いたのは、今にも瞼を閉じそうなサスケ。

「あの男を......」

そう切り出すサスケの手を、カナは痛いほどに握りしめた。

「あの男を......兄貴を倒すまで......死んでたまるかって、思ってたの、に......」

唐突にカナの目から涙が溢れる。
やめて、と言おうとして、カナは喉が乾いて上手く声が出せないのに気付いた。
カナの涙が一つ、また一つとサスケの頬に落ちる。サスケはそんなカナを見上げ柔らかく目を細めた。

「ナルト......」
「な、なんだってばよ!」
「カナを、頼んだ......ぜ......」
「サスケ!!」

何を言い出すんだとばかりにカナは目を見開くが、サスケは待ってはくれなかった。


「お前らは、死ぬな」


黒い瞳は、静かに閉じられた。


どくりと波打ったのはカナの鼓動。
ずっと傍にいたサスケとの記憶が脳裏に渦巻き始める。
いつもは鮮明に甦ってくるというのに、今は相当昔であったことのように、色あせた映像ばかりだった。
中でもずっと脳裏を占めていたのは、あの日の記憶。約束をした日。


"一緒に生きよう"───


その言葉を思い出した直後、またカナの頬に涙が伝う。


「サスケ......やめてよ......。約束したでしょ......!一緒にって、言ったでしょ......!?」



「ゆるさねェ......」


唸るような低い声。ずっとサスケを抱きしめていたカナは、そこでようやく顔を上げていた。

「ナルト......?」

カナが小さくぼやく。だが返事が返ってることはない。
ナルトの姿はいつのまにか変容し、その赤の瞳は怒りだけに燃えていたのである。


「ぶっ殺してやらァ!!!」


いつもとは別人と化してしまった仲間が、カナの目の前にはいた。


 
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