第九話 忍の条件
「私の番、ですか」
そう言ったカナが振り向いた先に見たのは、正真正銘、これからカナたちの担当上忍になるかもしれないカカシだった。クナイを投げた手をそのまま、未だイチャパラに視線を落としている彼だったが、不意にカナの顔を真っ直ぐと射抜く。
「さすが風羽だな、カナ。風遁......なかなか術のキレがいい」
そのセリフにカナは僅かな動揺を示した後、きゅっと口元を引き締めた。「ま!それはいいとして」とカカシは言いつつ本をしまう。カナは目を丸くした、が。
「戦うか?」
カカシの口から次に出たのはそんな予想外の言葉だった。
一瞬 ポカンとするカナ。だがそのカカシの視線が、あまりにも意味深なものだということに気付く。
「(......もしかして、私の考えはあながち外れでもなかった?)」
ごくり、とカナは唾を呑み込んだ。
「この試験は......カカシ先生が言った通りの意味じゃない。本当の答は、“裏の裏“に隠れてるんですよね?」
カナの問いに沈黙するカカシ。そしてふっと笑ったあとに、「そうかもね」と曖昧に答えた。
「でもじゃあ、どうする?スズ取りはやめるか?」
「え、っと……」
やめてもいいのだろうか。
「ちなみに、ナルトはもちろん、サクラとサスケも、まだ取れてないよ」
「サスケも?そんなの…じゃあ、私に取れっこないじゃないですか」
「いや、分かんないよ?もしかしたらお前だけ取れるかもしれない。めでたく一人勝ち!……なんてことになるかもな」
カナはその状況を想像してみる。自分の実力にすごく自信がないわけではない。例えば、忍の術には相性があるから、確かにカナだけが取れる可能性もゼロじゃないとは思う。
だが、それはあまりにも。
「それは……すごく、嫌ですね……」
三人を差し置いて自分だけ額当てをつける姿は、自分のことながらすごく嫌いになりそうだ。
カナが素直に感想を漏らすと、カカシはやけににっこりと笑った気がした。
「嫌、か」
「嫌……じゃないですか?普通に……」
「普通に、ね。じゃあ、どうしたいのよ」
「できれば……みんなで一緒に合格したいです。別に、敵対する必要なんて、ない…」
「じゃあ、どうする」
そう返されてしまうと困ってしまうカナは、頭を抱えるしかなかった。オマケに大前提がスズ取り合戦となれば、カナの考察は全て無意味に帰す。
まだまだ素直なカナが、わかりません、と無念そうにカナが言えば、カカシは苦笑していた。
「そうか......できれば答えてほしかったが。お前、ナルトを助けたしね」
「え?」
「でも、ま!これにばっかり時間を費やすわけにもいかないし、お前だけ優遇するわけにはいかないし」
「......?どういうことですか?」
「とどのつまり......オレは、お前らの実力も試してみたくてね」
「!」
カカシの目がぎらりと光った瞬間、カナは反射的に距離をとっていた。カカシはその行動に「良い反応だな」と笑いながらまた本を取り出す。
本を一度 しまったのはこの話をするためだったのか、と少し肩を落としたカナだが、すぐに集中した。
「......もう、いいんですか?」
相手の本を読む動作を捉えながら問う。カカシは全く顔をあげることはしなかった。片手の人差し指で、まるで挑発するかのようにカナを誘う。頭に血を上らせたりはしなかったが、それでもカナが迷わず突き進んでいったことには変わりはなかった。
ガ___ッ!!
その重い音は、カナの蹴りがカカシの腕に当たった音だった。入ったわけではない、当たっただけだ。
カカシは一歩も動かないままに、ただカナの足を抑えた。それはナルトの時と変わらなかったがカカシは無意識に目を細める。
「(重い......)」
ナルト以上にカナの蹴りは重かった。
戦闘は得意じゃなさそうだと認識をしていたカカシはそれを即座に取り消す。体重の軽いくノ一がこれだけ重い蹴りを繰り出せるのだ、それなりの修行を重ねたのだろう。
そのことに驚く間もなく、受け止められた足を支えにしたカナは一気に飛ぶ。流石にそれには目をあげたカカシ。暗い森に差し込む光に一瞬目が眩んだが、その光より前方にいるカナが空中で印を組んでいるのは捉えた。
「(分身の術!)」
心の中でそう唱えたカナ。すると、カナを囲うようにして現れたのは、オリジナルを差し引いての五人のカナ。
カカシが下で刮目してこちらを見ているのを捉えながら、その六人は一旦 地上に下りてからバラバラに行動を始める。カカシから五メートル程 離れたところで、カカシを中心とした円を描きながら走っていた。
「せー、の!!」
そのかけ声を出したのはどのカナだったか。ただ、とにかくその一言で"カナ"たちはカカシに突っ込んできた。一人で攻撃を受け止められるのなら、一気に立ち向かい、どこに本命がいるのかを惑わせたらいい、との考えなのだろう。
「(......左目を使えば一発なんだけどね)」
ふっと笑ったカカシ。あと五秒ほどで、分身のほうの嘘の攻撃とオリジナルの本物の攻撃が一斉に繰り出される。しかしカカシは至って冷静沈着で、四秒までは一切動かなかった。
しかし、残り一秒になると同時に、素早く印を結束させる。オリジナルのカナはハッと目を見開いた。
「風遁 風繭」
「えっ......!?」
残り、0秒。
ゴウ___!
ついさっきカナがやってみせた術が、カカシの手によって再生されたのだ。
それはむしろカナよりも大きな球状の風で、それに当たった全てのカナの分身が消える。オリジナルのカナだけは、風繭に直撃する前に後方へ跳んでいた。
「ど、どうして......その技」
驚きに思わずへたりこんでしまったカナ。その術は風羽のオリジナル技だから、カカシが知っているはずないのに。
対するカカシはというと、組んでいた印を外し、再び本を読み出す。
「どうしてって。別に単純なことだよ。オレにはお前以上の目があるからね」
「......目?」
「そう。一度見せてもらった術は、自分の持っていない性質じゃない限り、簡単に使わせてもらうことができる。ま!もうちょっと印を隠して術を発動しないとな」
ぐうの音も出ない。はい、と項垂れた。
直後、ジリジリジリジリジリ...!!となんともかしましい音がどこからか響き渡った。目覚まし時計の音だ。
それを機に、「さてと」とカカシは話をはぐらかした。
「残念。タイムリミットだな。考え方も戦い方も、中々のものだったよ」
「......はぁ」
なんとも微妙な言い回しをするカカシに、カナは気のない返事をする。カカシは苦笑していたが、なにやら突然重い溜め息をついた。だがそうして歩き出す前に、カナが「カカシ先生」と呼んで引き止める。カカシは顔だけ振り向いた。
「上忍相手に下忍が敵うわけがない。だから、スズを取り合うってことは本当の目的じゃない......で、当たっていますか?」
にこり、と笑ってやはり答えないカカシ。カナはそれに消沈したが、そのカナには、また別の質問が返っていた。
「オレもいっこ質問していい?カナ」
それに何の気もなく頷いたカナは、若干後悔することになる。
「オレと戦闘に入る前......なんかしようとしてたみたいだけど、あれ、なに?」
「! あ、あれは......」
「風が吹いてたでしょ。お前、印なんて組んでなかったのに」
「......」
カナの額に滲んだ冷や汗に気付いたのかもしれない。二人の間に落ちた数秒の沈黙の後、「ま!言いたくないならいいよ」と話題を打ち切ったのはカカシのほうだった。
歩き始めたカカシの背に、カナが至極申し訳なさそうに謝罪を口にするが、返ってきたのはひらひらと振られた右手だけだった。
■
「カナちゃん、カナちゃん」
「なに?」
「縄......縄ほどいてくれってばよ......!」
「だって、お弁当食べようとしたんでしょ?」
寸分狂っていないカナの見解に、今の今まで嘆願していたナルトは、言葉を詰まらす他なかった。クスクスと笑うカナはどことなく楽しそうでもある。「うぅ......」と項垂れるナルトが縛り付けられている丸太には、その弁当が乗っているのだが、いくら腹が減っていても手が動かないので、余計 腹が減るというものである。
そんなやり取りから数分しないうちに、またカナの口から声が漏れる。
「サスケ、サクラ」
演習場の木々の奥から見えた人影、サスケとサクラ。
サクラは無傷なようだが、サスケはなにやら泥だらけである。「大丈夫?」とカナが聞くと、サスケは何故かムスッとした顔で「平気だ」と答えた。それから不機嫌そうに歩いていく。
明らかになにかあったんだろうとカナは苦笑してから、今度はサクラに視線を移す。
「サクラは大丈夫だった?」
「え?」
「気絶してたでしょ?かなり顔色悪かったけど」
カナがそう口を出すと、サクラはあからさまに顔を引き攣らせた。
血まみれになり、足があり得ない方向に曲がっていて、右手の腕がスッパリ切られていて、クナイや手裏剣があちこちに刺さっていたサスケ......の幻覚をサクラが見ていただなんて知らないカナは、本気で心配そうに平気?と問う。
「あ......ああ、うん、大丈夫、平気よ......あはは」
「本当に?」
「ほ、ホントよ!ホント!」
そんな問答を繰り返し行っている女子二人を遠目で見ているのはサスケ。正確にはカナの姿を見たサスケは、一人溜め息をついていた。
カナの体にある傷といえば、ナルトを助けに行った時についたかすり傷ぐらいなものだ。
「(ったく、あんなドベのために)」
「......なんだよ」
無意識にナルトを睨んでいたサスケ。睨まれているナルトはその視線に気づき、口を尖らせて言う。
「......」
「こっち見んなっバーカ!!」
「んだと?このウスラトンカチが」
ナルトの罵倒にサスケも負けじと言い返す。それ以前に縄で縛られているナルトは負け同然なのだが。そんないつまでも続きそうな罵倒合戦に終止符を打ったのは、お互いの腹の虫だった。
ぎゅるるるるるるる......。
あまりにも間抜けな音に、二人ともぴたりと止まる。いいかげん馬鹿らしくなってきたのか、ハァと溜め息をついた両者。ナルトはそっぽを向き、サスケはその場に座り込んだ......時だった。
ボフン、と突然 丸太のそばに煙が現れ、そこにいたのはカカシ。
「おーおー、腹の虫が鳴っとるね、キミたち」
珍しく本をもっていない。腕組みをしながら現れたカカシはそこにいる下忍候補たちを一瞥する。
「...ところで、この演習についてだが」
「......」
「ま!お前らはアカデミーに戻る必要もないな」
その言葉に変わりなく驚く四人。
喜びで声すら出ないナルトと、ポカンとしつつも頬を染めるサクラと、リアクションは少なくとも「フン」と口元に笑みを浮かべるサスケ。そして、呆然とするカナ。
「じゃあさ!じゃあさ!ってことは、四人とも!」
ナルトは歓喜で足をばたつかせている。サクラとサスケもどことなく嬉しそうだ。
だが、カナは酷く混乱していた。先ほどの茂みの中で、カカシに質問を投げた時のあの表情、あれは単純に力量で合否を決めるという意味ではなかったはずだ。
カナたちはまだなにもしていない。なのに。
「正確に言うと、三人」
下忍たちに更なる爆弾をカカシは投げた。瞬時に四人とも静まる。
「カナ以外」
「え......」
「ナルト、サスケ、サクラ。お前らは、忍者をやめろ!」