第五話 あの日の約束


深夜。夜空には満天の星が輝いている。平和な木ノ葉の里で、夜は最も静かな時だ。朝のように鳥たちのさえずりもなく、昼のように人々の会話もない。ただ微かに虫の音が聴こえるだけ。

長い銀色の髪は、穏やかに漂う風に乗って流れる。自宅の屋根の上に座っているカナのそばには、1羽の白いフクロウ。
ホウ、と鳴く彼に微笑んで、すっと人差し指で当てもなく向こうのほうを指すと、フクロウはまた一鳴きして飛び去っていった。

カナはふっと立ち上がって、軽やかな足取りで屋根を伝って行った。
こんな夜中でもなぜこんなに目が冴えているのか、カナは十分自覚している。

全ては明日のせいだ。


『卒業生28名中、下忍と認められるのは9名、または10名!残りは再びアカデミーへ戻される。この演習は脱落率66%以上の、超難関テストだ!』


それが、昼間、カカシがカナたちに告げた言葉だった。
あの時の衝撃は言うまでもない。

「(いや、確かに、確かにね、やけに簡単なテストだなあ、とは思ったけど)」

言い訳するように何度も頭の中で唱えた言葉だ。
でも、やった忍者だ、と思っていたのに、いや実はまだだったんです、と言われるのは、なんとも拍子抜け……というより、恨みがましい気持ちになるものじゃないか。

カナの足が、タン、タン、と屋根を伝っていく。
行く先は決まっていた。そして、その窓がまだ灯りで滲んでいることを期待していた。こんな夜中に、カナが割と平然と向かえる先は、ひとつしかない。

「(やっぱり)」

その窓が明るい。
顔を綻ばせたカナは、遠慮なくその窓から顔を覗かせた。

見慣れた幼馴染が、ベッドの上で座禅を組んでいる。そのストイックな姿はいつもと変わらない。
が、不意に現れた気配に気づいたのだろう、ちらっと目を開いて、カナがいる窓のほうを見て、少し面食らった顔をした。そして少し笑って、立ち上がって窓に近づいてくる。
ガラリ。

「こんばんは」
「なんか用があるわけでもねえだろ」
「その通りです」

二人して笑うこの空気はいつも通りだが、時間帯も時間帯だからか、いつもよりも少し楽しい気がする。

「何してたの?」
「別に。どんな試験だが知らねえが、色々作戦を考えるのは無駄にはならねえだろ」
「さすがだなあ……明日早いのに」
「一晩寝ないくらいどうってことねえよ。……入るか?」

サスケが少し窓から離れて、カナが入る余地を作ってくれようとする。だが、さすがに窓からお邪魔するほどの無礼は持ち合わせていない。ううん、と首を振って、カナは少し考える素振りを見せた。逆に窓から離れる。

「夜風、気持ちいいよ。サスケもどう?」
「……靴履いてくる」
「あはは、うん。待ってるね」

目の前でもう一度窓が閉められ、少し照れ臭そうにしているサスケに笑って、カナは再び軽く跳躍した。サスケの家の屋根に飛び乗る。言わずとも、気配を出していれば、サスケも上がってくるだろう。

そこに腰を下ろして、改めて空を見上げた。本当に綺麗な星空だ。
肌に感じる夜の冷気。ちょうど涼しいくらいの空気がすぅっと過ぎて行く。

「風邪ひくぞ」

その声と共に、ばさりとカナの頭上に温もりが振ってきた。毛布だ。

「ありがとう。優しいね」
「いや、別に普通だろ……明日風邪ひいたらどうすんだよ」
「明日……そうだね。うん」
「……なんだよ」

後ろに立っていたサスケは訝しがりながら、カナの隣に腰をかける。ううん、とカナが首を振ると、サスケも同じように空を見上げた。

暫しの静寂。

お互いの心音が分かりそうなほど、静かな時間。
けれどその静寂は二人にとって気まずいわけでもない。長い間共にいた間柄だ、遠慮をしているというわけでもない。ただそれが二人の距離だった。

「......大丈夫かな、明日」

カナの声で時が動き出す。サスケはカナのほうをゆっくりと見やる。

「なにが」
「いや、だから……受かるかなあ……って」
「……そんなことで眠れなかったのか」
「そんなことって。そりゃ、サスケは不安になることないかもしれないけど。首席だもんね」
「お前だって次席だろ」
「それは……そういうことじゃなくて」

奇しくもワンツートップだ。だが、カナは天才肌というわけではない。アカデミーでの成績は正解があるから何とかなったものだ。
サスケとは違う。それを、カナは理解しているからこその、不安だった。

「普通は、不安になるよ」
「……」
「……サスケに置いていかれたくないな。せっかく、同じ班になれたのに」

カナは目線を下げる。その顔には月明かりの加減だけでない影があった。

「一緒に、前に進みたい……」

カナの切実な声がぽつりと響く。
そこに恥じらいや他意がないことは、サスケも知っている。

自分たちはずっと───共に、前に進み、歩むことを、目指してきた。
思い出す記憶はもう懐かしいが、ひとときも忘れたことがない記憶だった。


 
このオレを殺したくば、恨め、憎め......!

幾度も幾度も脳裏に甦ってくる、今となっては憎くなってしまった声。それを思い出す度に強く拳を握り、手のひらに爪痕を残す。

独特の家紋を背に背負い、左肩には小さな傷を負っている。その頃、サスケは、まるで怨念だけに取り憑かれているような闇をその瞳に灯していた。その目に少年らしい光は感じられず、ただ復讐に駆り立てられていた。

ーーー兄さんを......イタチを、この手で必ず......!!

先日、病室を抜け出して再び一族の家々を見てから、頭にはこれしかなかった。
脳裏に返る憎い声と、それに対する恨み。サスケはそこから動くことができず、寝食すらまともにできていない状態だった。病室のベッドに座り込みながら、ただ一つ怨念に取り憑かれるだけだった。


『サスケ!!』


そうしてある日急に聴こえた声にも、サスケがすぐ反応することは無かった。
ドアを勢いよく開け入ってきた少女は、走ってきたのか息切れをしている。その音だけが白い室内に響き渡る。だがサスケはまだ顔を上げない。

『サスケ......?』

不安そうな、泣きそうな顔。やっとサスケは少女の存在に気付く。その不安に歪んだ顔は、よく知る馴染みのもので、サスケはようやく反応を示した。

『カナ......』

短く少女の名を呼ぶ。視線が交じる。サスケは全く動じもしなかったが、その目に映るカナの表情は大きく揺れた。
その心が分からないサスケは、カナの顔を見ることしかできない。カナと話す時にいつも見せる、少々の照れの交じった笑みを見せることはなかった、否、できなかった。
カナの瞳には涙が溜まっていた。

『なに、泣いてんだよ』

零すサスケ。相変わらず変わらないサスケの目は泣く少女を映す。
カナは大きな泣き声を出すこともなかったが、大粒の涙はその肌を絶えることなく伝っていた。カナ自身は必死にそれを止めようと、懸命に目元を拭う。赤く腫れ上がっていく目。

サスケが見るカナは、涙を止めようとしながら、小さく口を開いていた。

『大丈夫だよ……サスケ、大丈夫だから……』
『……?』
『私が、いるから......!ずっと、そばに、いるから......!!』

何事にも反応しなかったサスケが、その時 急に大きく目を見開いていた。
一族も家族も、慕っていた兄も失くして、まだ幼いサスケはただ、"孤独"に怯えていたのだ。憎しみよりも何よりも、まずそれが何よりも大きかったから。

『ほんと、か......?』

サスケは、小さく呟いた。サスケの黒の瞳は徐々に潤んでいた。

『どこにも、行かないか』

今にもこぼれ落ちそうな涙を止めながら、サスケは必死に言い、

『行かないよ......ずっと、ずっと......!』

そして未だ涙をこぼしながら、それでもカナは笑みを作った。泣きながらのその笑みは、サスケの心に大きく響いた。まだ、全てを失ったわけでは無かったのだ。いつでも一緒にいたカナがまだいたから。
そうしてサスケの瞳には、やっと光が戻っていった。


『一緒に、生きよう』 


幼い、泣きながらの笑顔が、重なっていた。
 

 
サスケはゆっくりと目を開く。相変わらずな夜空が視界に広がる。サスケは逡巡するように口を開き、ようやく声を出した。

「らしくもねえ。いつもどおり、能天気な顔で笑ってろよ」
「......能天気って、もう。人が不安がってるのに」
「必要ねえだろって言ってんだよ。一緒にいるんだろ」

苦笑するように返したカナは、そこで目を瞬いた。視線の先でサスケは目を合わせようとせず、むしろ逸らすように。

「別に……お前だけが思ってるわけでもねえよ。オレだって、ちゃんと覚えてる」

あの時間のことを、あれからわざわざ話題に持ち出したことはない。だけれど、ちゃんと二人とも、心に大事にしまってある。

「オレは必ず明日、忍になる。お前も…………なれ」
「……あはは、なんでそこ、カタコト?」
「仕方ねえだろ……試験内容も知らねえんだ。オレがサポートできるかどうかも知らねえ」

少し気恥ずかしそうに反論するサスケに、カナはますます笑った。だが、不器用なりのサスケの気遣い方には気づいていて、心がほんのりと温かくなっているのを感じる。
自分だけが思っているわけじゃない。なんて、力強い言葉だろう。

「サポートなんてしてもらわなくて大丈夫です」
「お前な……」
「ちゃんと、自分の力で、サスケの隣に立つ」

自信を持って言うことができるようになった。カナのふわりとした笑顔を見て、サスケも小さく笑みを溢した。

「ありがとう、サスケ。きっと一緒に下忍になろう」
「......当たり前だ」

この瞬間の二人の思いは同じだった。


 
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