第十八話 独り言


「なんであのガキを置いてきた」
「すみません。ですがあの時、怪しまれずに再不斬さんを連れて帰るには、彼女を置いてくる必要があったので」
「......まあいい、次だ」
「次、大丈夫ですか?」
「あァ......次なら、写輪眼を見切れる」

霧が晴れた森の中、不気味な男の笑い声が響いた。



「ん......」

薄ぼんやりする視界が少しずつ開いていく。そうして目の前に広がったのは天井だった。木々でも霧でもなく、普通の天井。
布団の温もりに包まれていることに気づき、あれ何してたんだっけ、とカナは思い返そうとした。そうしながら布団から出ようと上体を起こすが、ずきりと鳩尾が痛んで思わず体をかがめる。ついでに覚醒した気がする───そうだ、あの少年に殴られたんだった。
カナは唇を噛む。まさに油断大敵というものだ。

けれど不思議と今も、あの少年に対する敵意を覚えない。彼が纏っていた雰囲気のせいだろうか。


「あら、起きたの?」

突然聴こえた声に、カナはびくっと震えてから顔を上げた。人の良さそうな笑みがカナを見下ろしていた。

「えっと......あなたは?」
「カナちゃん、だったかしら?初めまして、タズナの娘のツナミよ」

すると、女性・ツナミはニッと快活な性格を滲ませた笑顔を見せる。それは確かにタズナに似たところを感じさせた。カナは「は、初めまして」と肩の力を抜いた後、失礼にならないかと物怖じしながらも、続けざまに質問した。

「あの、すみませんがここは?それに、ほかのみんなは......」
「ここは私たちの家よ。カナちゃんのお友達のことなら......私よりもお父さんに訊いたほうがいいわ。ちょっと待っててね」

そう言うとツナミは足音をたてて襖を出て行く。カナはそれを目で追い、彼女の足音が聴こえなくなった頃に息をついた。
ツナミの言葉から推測するに、カナを除く第七班は今この付近にはいない。それだけで、随分長く眠り込んでしまっていたことは伺える。初の長期任務でこれだ......とカナは自嘲してしまうのを否めなかった。

「おう、嬢ちゃん。起きたようじゃな」
「タズナさん。すみません、今更ですが、お邪魔してます」

「本当に超今更じゃな」とタズナは愉快そうに笑いながら入ってくる。カナとしては笑えないのだが。

「あの、それで、皆はどこに?」

タズナはカナの不安そうな目を受けて、何故か数秒止まった。その後 溜め息を一つつき、カナの座る布団の横にどっしりと胡座をかく。「話せば長くなるんじゃが......」とタズナは始めにそう言って、カナに事の流れを説明した。

再不斬との決着の形のこと。その後 全員でタズナの家に来たこと。カカシの"再不斬はまだ生きているかもしれない"という推理のこと。よって今現在、カナ以外の下忍達は修行をしていること。
その中に出てきた"お面の少年"という言葉に、カナはすぐさまあの得体の知れない少年を思い浮かべた。十中八九、彼のことだろう。

「(あの少年は、霧隠れの追い忍、もしくは、再不斬の仲間......?)」

できれば追い忍であってほしい。あんな雰囲気を纏った少年と戦いたくない。再不斬の仲間であったとしても、 根っからの悪者ならあんな空気を発せるはずがないのだから。

「あの、タズナさん」

カナはタズナの話が終わったのを確認してから言った。なんじゃとタズナから返事が返り、カナは続ける。

「再不斬と戦っていた時、私がどうして気絶をしたのか、知っていますか?」

それはもっともなカナの疑問だったのだが、タズナはうっと詰まっていた。
タズナの口からはすぐに言葉が出ない。忍とは縁のなかった一般人であるタズナにも、カカシと再不斬のやりとりのあの重要性だけは感じとれていた。そのため余計にタズナは口にしづらい。

タズナは迷った結果、カナの疑問の残る瞳にこう答えていた。

「再不斬に殴られて......それだけじゃったよ」
「......やっぱりそうなんですか。ごめんなさい、私ってばほんっとうに足手まといに」
「なあに気にすることはない」

タズナは笑ってカナを撫でた。嘘をついたことへの罪悪感がタズナを襲っていたが、他に選択肢がなかったのである。
それよりも、「じゃあ、私も行かなきゃ」と早速 修行のことを考え始めているカナに、タズナは気をとられる。「もう行くのか?」とタズナが訊けば、「私ばっかり休むわけにはいきませんよ」とカナは微笑む。

「みんなは先に修行に入ってるんです。私も早く追いつかなきゃいけないし」
「......ううむ。嬢ちゃんはどうも忍者っていう感じが超せんからのう、嬢ちゃんが修行をするって言ってもピンとこんわい」
「えっ。しょ、正真正銘忍者ですよ......?」
「わはは、わかっとる」

落ち込む様子を見せるカナにタズナは笑う。「修行は森でしとるようじゃぞ」と教えてやると、カナも気を取り直して「ありがとうございます」と答えた。

それからタズナに軽く挨拶をし襖を出て、カナは一直線に玄関へと向かった。
それから小さく「行ってきます」と呟いたのだが、ひょこりと奥の部屋から顔を出したツナミが「行ってらっしゃい」と返してくれたもので、カナははにかんでいた。

「はいっ行ってきます!」

三代目と離れて暮らすようになって以来の言葉に、カナの心はゆっくりと温まっていった。



そういうわけで、カナはタズナの家の前へと出たのだが、一歩二歩と進んだところでカナは自分にブレーキをかけた。
森の中という説明は受けたものの、森なんて広すぎてどこかなど分からないだろうし、まず森って一体どこなんだ。
カナは早速行き詰まっていた。今までだったらなんとなくで進んでいたかもしれないが、最近、自分が極度の方向音痴だとやっと気づいたためである。

里内部で知っているところなら平気だ。だが全てを知っているわけではない。これまでの任務で何度迷ってきたことか。ここ波の国でももちろん例外ではないだろう、というよりもっと酷いことに絶対なる、と自嘲するしかないわけである。

「(けど......うーん、とりあえず)」

カナは自分に差す日光に目をやって数秒、とりあえず森っぽいところへ行ってみようと、再び 歩を進めてみることにした。


そして辿り着いた先で、カナはまた逡巡してしまう。
一応木々に囲まれた土地には踏み込むことができた。だがここからが問題だ。一言森と言われてもそのどこかがわからない。きっとタズナも知らなかっただろうが。

「とりあえず、鳥たちに案内をお願いして......。......!」

その時、ふと近くに自分以外の気配があることに気がついた。

カナの瞳の光が別のものへと変わる。ホルスターに手を伸ばしクナイを構える。あの少年の時のように油断して気絶させられる、なんてことにはならないよう細心の注意を払う。

気配が近づいてきている。
カナ自身を狙っているのかあるいはただの一般人なのか。もうすぐ視界に入りそうな接近ぶりにカナは一点に神経を集中した。......が。


「あれ、お前さっきの......」

見えた人影に、カナは自分が馬鹿らしくなってしまった。現れたのはまだ小さな男の子だったのだ。深く被っている帽子で、表情はあまり見て取れないが、声からして驚いている。
再び自分の間抜けっぷりに溜め息をついたカナは、子供を怖がらせる前にとクナイをしまい、少年に話しかけていた。

「こんにちは。私を知ってるの?」

しかし少年は答えず。代わりに彼は今歩いてきた方向に体を向け、カナを横目で見た。

「......お前、あの金髪たちの仲間だろ?こっち」
「金髪......ナルトのこと?」

カナはまた質問するが、少年はうんともすんとも言わず、ただ元来た道を歩いて行く。きっとそれが肯定の意だろう、そう思ってカナも少年の後をついていくことにした。

「......」
「......」

しかし、数分の沈黙。
子供のくせに何も喋ろうとしない。カナはなんとはなしに困り、自分から少年に話しかけてみる。

「私はカナ。キミの名前は?」
「......イナリ」
「イナリくん、だね。タズナさんたちを知ってるの?」
「タズナは僕のじいちゃんだよ。お前、うちで寝てただろ?」

なるほど血縁者か。そう思えば、ツナミともどことなく似ている感じがする、とカナは思う。しかし、だけど、とカナは心の中で続けていた。

「(......無表情な子だな)」

それが素直な感想だった。
このイナリという少年、帽子を深く被っていて目元は分かりにくいが、口元くらいなら見える。それが、子供らしい表情はカケラも見当たらない。それはただ単にカナを信用していないからなのか、それとも......。

「あの金髪たちにも言ったけど」
「......何を?」
「ガトー達に刃向かって勝てるわけがないよ。死なないうちに帰ったら?」

表情と同じく、子供らしくない言葉に、カナは暫く何も言えなかった。イナリは正面を向いて歩いているだけだ。
カナは一瞬で考える。波の国で暮らしてきたこの少年は、ガトー達の圧倒的な力を見せつけられてきたのかもしれない。それこそ、絶対に誰も敵わないと思わせられるほどに。

「イナリくんは......」
「......」
「イナリくんは、さ。希望とか......信じないの?」

イナリは相変わらず、カナの顔を見ようともせずに歩いているだけだった。

「ほら、もしかしたら私たちがあっという間にガトーたちを倒しちゃうんじゃないか、とか。私たち、これでも木ノ葉って忍里の忍者なの。......まだ下忍だけど。でも、私たちの中に、ヒーローってのがいるかもしれないよ?」

無責任な言葉かとも思ったが、カナは思わず言ってしまう。すると、イナリは初めて反応を見せていた。ぴたりと立ち止まり、カナを睨みつける、という反応を。
帽子に隠れていたイナリの瞳がカナに見える。子供にしては暗すぎる目が、そして声が「信じない」という返答を返した。

「希望とか、奇跡とか、あるわけない。ヒーローとか、いるわけないんだよ」

イナリはそれからまたすぐに歩を進め始めた。カナも一緒に止まっていたが、イナリが歩き出したのに合わせる。
カナは後ろからイナリの背を眺めた。何かを過去に背負っているのだろう、ということは漠然と感じ取れた。ガトーの力を身近に感じたことがあったのかもしれない。イナリの絶望した顔は、それほど緊迫したもので溢れていた。

「......」

カナは暫く無言でいたが、不意にまた口を開く。

「私はね、信じてるな......私の話、聞いてくれる?」
「......聞きたくない」
「そう?じゃあこれは独り言」

自分でも随分子供っぽいやり方だとは思ったが、それでも小さく笑って続けた。

「私が忍者学校に通っていた頃ね。クラスメートに、すっごく内気な女の子がいたの」

イナリは振り向こうともしない。カナもイナリを見ることなく、木々を見上げながらなので、見ようによっては本当に独り言のようだ。
カナが思い浮かべるのはアカデミー時代、仲が良かった日向ヒナタの姿だった。

「その子はとっても優しくて、とっても強いんだけど。その頃、自分に自信がなくってね。何でもすぐ諦めちゃう子......だったんだ」

おどおどしているヒナタは、実力は十分にあるのに、自分の意思をはっきりと口にしようとしなかった。それを見て、カナは幾度も励まそうとした。だがうまくいくものでもなかった───カナは懐かしい記憶を思い起こし、続ける。

「そんな時だった。一人の少年がこう、大声で言ったの......"オレはいずれ火影になる男だ!"ってね」

言うまでもない。カナの頭に次に浮かんだのは金髪碧眼の少年、ナルト。

「だけどその少年は女の子とは正反対。強気で、積極的だけど、代わりに成績はクラスの中で一番悪い子で......だからかな、本当に真っ直ぐなのに、みんなに笑われてた」

ナルトは昔から全然変わっていない。思ったことはすぐに口走って、その度 誰かに笑われ、時には教師達に怒られた。実力も伴わないまま大きなことを言えば、皆の笑い者の対象になってしまうのは当然だ。
けれど、ナルトは決してめげなかった。諦めようとしなかった。

「......けどね。みんなが笑う中で、純粋に少年に惹かれたのが、その女の子だったんだ」

あの時から、ヒナタは陰に隠れてこっそりとナルトを見るようになった。今はともかく、あの時は興味以外のものは一切なかっただろう。ヒナタはただ気になっていたのだ。ナルトは一体どんな人なのか、何故あんなにも真っ直ぐでいれるのか。

「良くない成績にもめげず、火影になるために一心に修行してる少年をいつも見てて......それで、いつか私に言ったの。"私も変われるかな"って」

鳥が空で鳴いている。木々の間から差し込む日差しがちょうど、カナをちらりと見たイナリの顔を照らした。イナリの瞳の中でカナは遠くを見ているようながらも、笑っていた。

「それまで、ずっと心の中だけに自分をとどめていた彼女が、その少年のおかげで変わることができた。これって、すごいことだと思う。......イナリくんの思ってた、強い強い"ヒーロー"じゃないかもしれないけど......人を変える力をもつ、これも"ヒーロー"じゃないかな」
「......」
「ヒーローはいるよ。絶対に。私が保障する」

カナはそこで長い語りを終え、ようやくイナリの顔を見た。カナの濁りのない瞳は綺麗にイナリを写し取っていた。
一方でイナリはその瞳に映る自分を見てしまい、まるでカナが自分を透き通して見ているようで、なんとなく恥じらって目をそらす。その後「独り言じゃなかったのかよ」と呟きながら、イナリもまた過去を思い起こすように、その目を伏せていた。

それからはどちらもなにも言わなかった。口を閉じて歩き続けた。イナリが考え事をしている様子に、カナは口を挟もうとは思わなかった。

次にようやく言葉を発したのは、見覚えのある影を目に捉えたときだ。

「あ。あれ、みんなかな?」

イナリもやっとハッとして顔を上げる。到着していたことに気づかなかったのか、随分驚いた様子だ。カナはそんなイナリにくすりと笑い、かがんでイナリの目の高さに自分を合わせた。

「連れてきてくれてありがとね、イナリくん。......あ、それに独り言に付き合ってくれて」
「......べつに」

イナリは素っ気なく答え、カナの顔から目を背けるように一歩下がっていた。それからイナリはカナを一切見ず、無言で姿を翻し、また小さな歩幅で帰っていっていた。

カナはその姿を見えなくなるまで見続けていた。イナリの小さな背中にはやはり何かが重くのしかかっているように見える。「キミもきっと変われるよ」とカナはひっそりと呟いた。

何故なら、今ここには、ナルトがいる。
カナは微かな希望をのせて、小さく笑った。


 
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