最終章 瞳の見る先


雨が降り続ける。

雨音の中、サスケはじっと腕の中の存在を見つめていた。


「......お前を連れてくわけにはいかねえんだ......。......今まで、ありがとう」


ぽつりと呟いたサスケは、その頭をカナのそれに寄せる。
復讐のためには、全てのつながりを捨て去らなければならない。サスケはもう重い決意をしたのだから。

イタチという憎い存在と対になっているカナ。
そのカナを連れて行ってしまったならば、きっとオレは、心の拠り所を作ってしまう。

ゆっくりと森のほうへ進み、比較的 誰でも発見しやすいだろう樹の根元へ、腕の中の存在をそっと寝かせた。火照った顔で浅い呼吸を繰り返しているカナをその目に、ぐっと歯を食いしばる。
本当は連れて行きたい、でも。

雫が滴るカナの銀色を撫で、サスケは後ろに下がった。


ーーしかし、その矢先だった。


「お優しいこったな、うちはのガキ」


突如 耳に届いた声。
サスケはゆらりと振り向いた。
そこに立っていたのは、カナと似た風貌と雰囲気を持つ青年。





ーー少しずつ雨が小降りになっていく。
されど、打ち付ける雨の強さが弱ろうとも、カカシの中でもたげる焦燥は大きくなるばかりだった。
忍犬パックンが先を走り、カカシがそれに付いて行く。その脳裏にいつまでも響き続ける教え子たちの声。ナルト、サクラ、サスケ、そして。

カナのあの時の声なき言葉が頭に響き、カカシは眉根を寄せた。
"終末の谷"はもう、すぐそこだった。

河原に足を踏み入れた時、カカシは予想していた結果を前に、小さく呟いた。


「遅かったか............」


終末の谷に倒れ込んでいたのは、ナルト、ただ一人。

精も根も尽き果てたナルトが、独り、雨に打ち付けられていた。

その横には、置き忘れられた一つの額当て。引っ掻かれたような傷が雨に濡れている。カカシはゆっくりと近寄り、それを追いかけたパックンがその額当てを確認した。

「......サスケのだ」

黙って聞いていたカカシは、静かに瞼を落とした。胸から溢れ出る想いは、カカシがいつか親友を失くしてしまった時と同じものだった。仲間を失ってしまった痛み。そして、自責の念。
サスケの額当てを手にしたカカシは、それを暫く見つめて、それからおもむろに重い口を開いた。

「.......パックン」
「なんだ」
「カナの額当てはないか」

振り絞ったような声を出すカカシを一瞥してから、パックンは頭を横に振った。

「そうか......」

半分は悲嘆、そしてもう半分は希望が一瞬見えてーーーしかし、それはあっという間に闇に消え去ったのだった。
カカシの頭に流れる言葉は、はっきりとした、別れを告げるものであったから。


───サヨナラ。私の望みは、一族を殺した人に復讐することだから。


カカシ班はこの日、分裂した。



うちはサスケと風羽カナ。重い過去を背負っている二人が里から消えてから、一晩が暮れた。

はたけカカシ、奈良シカマル、ロック・リーは軽傷。うずまきナルト、犬塚キバは重傷。秋道チョウジ、日向ネジは重体。医療班が手を尽くした結果、誰もが回復の兆しを見せ始めている。
しかし、それぞれの心の傷跡は一向に消えそうもない。


「そうか......うちはサスケも風羽カナも」
「......すみません。オレが間に合っておけば......カナに至っては、完全にオレの不手際でした」
「いや、気にするな。それは私も同じだ」

カカシの目の下に隈を見つけた綱手はすっと瞼を落とす。休養を与えてもそれが効果を為すとは綱手も思っていなかった。

「しかし......うちはサスケは分かる。だが、風羽カナは何で自ら里を抜けた?私が自来也から聞いた限りだと、そんなことをするような子ではないと思ったんだが......」

綱手の問いかけを耳に、カカシは暫く俯いていた。
写輪眼の正確に全てを見切る能力を、カカシはこれほど疎んだ事はなかった。カナが過ぎ去って行く間際の唇の動きが思い返される。

「カナは......"一族を殺した者への復讐"が目的だと......そう言いました」

カカシの苦渋の上での発言は、綱手に驚きよりも確信をもたらした。机の上で両手を組み、「そうか」と一つ溜め息をつく。綱手が綱手なりに一晩考えて出した結果と一致する。同じく三忍である自来也の情報ほど綱手が頼っているものはない。

「自来也の情報では、どうやら大蛇丸が風羽を全滅させたのには、協力者がいたらしい」
「! なんですって......」
「大蛇丸は興味を持てばすぐにでも行動する。そこを利用したヤツが、アイツに情報を提供したんだろうと......」
「......つまり、カナが大蛇丸のところへ行ったのは、大蛇丸へ復讐する為ではなく......」
「その協力者を殺す力を手に入れるため......かもしれん」

カカシは何も知らなかった。だが、カナはいつの間にか色々なことを知ってしまっていたのか。
カカシは項垂れ、強く拳を握った。何も知らなかった自分に、反吐が出そうだった。





簡易なベッドに眠る少女を、漆黒の瞳はただ見つめていた。
銀色の少女は、小刻みに呼吸をしながら、全く起きる様子を見せないまま。
少年はただ見つめていた。

後悔ばかりが、滲む瞳で。




『お優しいこったな、うちはのガキ』

その男は、そう言ってサスケを嘲笑していた。その顔を思い出すのはサスケには難しくない事だった。中忍試験であのカナの怒りに触れた青年。『てめェは...』とサスケは睨みつける。

『よう。久しぶりだな』
『......何の用だ』

眠っているカナを背後に、サスケは低い声で唸った。
普段滅多に怒りもしないあのカナが、自我を忘れてまで攻撃をしていたこの男。結局あの時何があったのか、サスケは詳しいことまでは知らない。だがそれは警戒心を緩める理由にはならない。

『......またカナに何かするつもりか』

その名を出した瞬間、サスケは北波の目が暗く歪んだのを捉えた。

『ソイツをどうするつもりだ。この雨の中、放ってくのか』
『......見聞きしてたんなら、分かってるはずだ。オレはコイツを連れて行く気はない』

サスケは警戒しながら淡々と吐き出す。自分の中に渦巻く欲望を感じていようと、もう決めたのだ。だが、サスケのその言動を嘲笑うかのように北波は言った。

『お前を欲しがったあの野郎は、ソイツのことも狙ってる。それを知らねえみてえだな』
『......!!』
『"呪印"はそういう意味だろうが。案外鈍いんだな?......まあ、お前がどうしてもソイツを置いてくって言うなら、オレは構わねえがな』
『......何者だ、お前......大蛇丸の手の者じゃないのか』

北波の不自然な言葉に、サスケは眉根を寄せた。今の北波は音隠れの額当てをしていない、だが、北波は間違いなく大蛇丸側の忍として中忍試験に現れたはずだ。それならば今の発言はどういう意味か。
ぐるぐると回る思考に乱されているサスケを、北波はたった数秒で打ち破った。

『コレ。......"アイツら"に接触したなら、何か分かんだろ』
『な......!』

それは、一文字だけ漢字が描かれた指輪。
見覚えがある。
先日会ったイタチがその指に着けていたものと同じ。
つまり、北波は。

『分かるか?オレは大蛇丸側じゃねえ......そいつを置いてったら、"暁"として、そいつを殺すぜ』




ーーー選択肢などなかった。

自分の目的のために、連れてくるわけにはいかなかった。
いや、何よりもーーーカナを闇の中に引きずり込みたくなどなかった。

それなのに。

今も目の前で眠りに落ちている、銀色の少女を目に、クソ、とサスケは吐き捨てた。
それは誰にも聴こえることのない、自責の呟きだった。



「そっか......みんな無事だったんだな......」

ぽつり、と呟いたのはナルトだった。良かった、と吐息と共に吐き出したのもナルトだった。
だが、表情はそれでも暗かった。疲労から目を覚ました時に襲ってきた事実に、ナルトは未だ押しつぶされそうだった。

任務失敗。そして、カナの里抜け。

第七班は一夜のうちに、ナルトとサクラの二人だけとなったという。
傷心が抑えきれないのは当然だろうと、ナルトのベッドの脇に腰掛けているシカマルは、思った。

サスケだけではない。カナもいつの間にか、この里から消えていた。

その事実を知った時に脳天を突き抜けた衝撃は恐らく誰しも同じだろう。そうして誰しもが信じられない。
カナに至っては任務についていたわけでもなかった。綱手は懸念してわざわざ選択肢から外した。にも関わらず、もうカナは、この里にいない?

「(......ほんと、ふざけんなって話だ......)」

密かに拳を握りしめて、だがそれでも、シカマルは口を開いた。

「......カナのことは聞いたか」

するとナルトは少し顔をあげ、無理につくったような笑顔で「ああ」と頷いた。

「正直......信じらんねえ。信じたくもねえ」

うわ言みたいにそう言うナルトに、シカマルも「ああ」と頷いた。きっとそれは誰しもの想いだと、シカマルは思う。アカデミー時代も一際目立ってたあの二人が、煙のように一瞬にして消えてしまったなど。

「......オレさ」と不意に呟いた包帯だらけのナルトを、シカマルは何も言わずに見やる。

「里抜けの理由までは知らねえけど......きっとカナちゃんは、サスケといるんだろな、って思う。そう考えんのが一番自然だからよ。......けど」
「......?」
「オレってば、アイツに、戦ってる時聞いたんだ。カナちゃんをどうするつもりだって。そしたらアイツ......まるで他人事みたいに言ってさ。"何のことだ"って」

シカマルには、ナルトの言わんとしていることが分かる気がした。
ナルトは不安なのだ。もしサスケが本当に、カナのことを最早どうとも思ってないのであれば、あの忍としては優しすぎる少女を、誰が支えるというのだろう?

シカマルは言うべき言葉が見つからなかった。その間にも、ちくしょう、とナルトは吐いた。

ナルトを襲う仲間を失った苦しみ。息苦しいほどぽっかりと穴の空いた胸。ナルトはつながりを失いたくなかった。その為に必死で戦った。桜色の髪の少女と誓った約束を守るために、何より、"友達"のために。
なのに結局サスケは取り戻せず、おまけに、カナまで。

「サスケも......カナちゃんも、行っちまって......サクラちゃんに、なんて言やあいいんだ......」


ーーーその声が、ドアを隔てたその少女の耳に届いていたことなど、ナルトはまるで知らなかった。

少女、サクラの手が取っ手からずるりと落ちる。
脳内に木霊するチームメイトの声をサクラはただただ信じられなかった。

『ありがとう』、『いってきます』。二人の声が、甦ってくる。


「......見舞いか?サクラ」

不意に聴こえた声に顔を上げた。そこにいたのは五代目火影。
綱手はそっと桜色の髪を撫でてから、サクラの代わりに、そのドアを開けていた。

ナルトとシカマルはそれでようやく気づき、目を見開いていた。

「かなりの深手を負ったと聞いていたが......そのわりに元気そうだな」

綱手は苦笑しながら言うが、その後ろでサクラはその場に佇むばかりだった。「ナルト...」とその声で呟く。目に見えて傷ついている表情。その姿を目に、ナルトの胸もズキリと痛んでいた。

「ごめん......サクラちゃん」

サクラも全てを知ってしまった。それに気付いたナルトが最初に言えたのは、それだけだった。後悔が波のように押し寄せる。
だがーーーサクラは無理矢理笑っていた。

「なんで、アンタが謝るのよ。アンタのことだからまた無茶したんでしょ!まったく、ミイラ男みたいじゃない」

無理矢理笑って、視線から逃れるように病室の窓に向かう。強がっているだけだということはすぐ分かる。ナルトはその後ろ姿を目で追いかけた。

「ごめん、オレってば、」
「......ほら、今日はいい天気なんだから、窓を開けて...」

綱手とシカマルは何も口を出せず、目を伏せるしかない。サクラがナルトから目を背けていることは明らかだった。だからこそ、今度こそナルトは強く言い切った。

「サクラちゃん!オレ、約束は絶対守るってばよ。一生の約束だって、言ったからな、オレってば!」
「...!」
「それに、カナちゃんのことも......今ここで決めた!カナちゃんも、サスケと一緒に連れ戻す!そんでまたみんなで一緒に、」
「......いいのよナルト、もう」

サクラはそれでも動かなかった。そのくせ、頭からは二人の顔が離れない。
当たり前だ。四人はチームだった。最初から最後までまとまらなかったけれど、何度も共に笑い合った仲間同士だった。大切だった。手放したくなかった。それを、どうして諦められるのか。
それを、ナルトは分かっていた。

「いつも言ってたからな......オレ」

いつでも前を向いて、自分の道を諦めない少年は、励ますようにニッと笑っていた。


「真っ直ぐ自分の言葉は曲げねえ。それがオレの忍道だからよ!!」


シカマルと綱手は、そのナルトの言葉に口元を上げていた。だが一方で、サクラが感じたのは、ズキリと胸に響いた痛みだった。

包帯に巻かれて見るからに満身創痍のナルト。戦ったんだろう。最後まで手を伸ばしたのだろう。それは結局届かなかったけれど、こんなになってまで、ナルトはまだ笑っている。

「(私は、泣きついただけ......アンタに頼って、すがりついただけ)」

サスケも、今度はカナまでいなくなってしまった。サクラに行ってきますと言ったその口で、ただいまと笑うことなく、風のように消えてしまった。カナが何を思い里を抜けたのかは、サクラだけでなく、ナルトも知らないはずだった。
それなのに、ナルトはそれさえも、全て自分の手で、救おうとしているのだ。


「(ナルト......カナ。サスケ君......!!)」


ーーーサクラはゆっくりと歩き出していた。
全員の視線が集まる中で、ゆっくりとドアに向かい、それから振り返る。

「ごめん、ナルト......少し待たせることになっちゃうけど」

その声は、ナルトが惚れた少女の声そのもの。


「今度は、私も一緒に!」


ーーー木ノ葉に残った少年少女の瞳は、どこまでも希望ある未来へ向けられていた。



ーー少女は、ふっと、前触れもなく目を覚ましていた。

見えた天井の色に違和感を覚えた後に、すぐに全てを思い出し、納得した。少しだるい体をゆっくりと起こせば、その目で誰もいない無人の丸椅子を見つける。それから部屋を見渡し、もう一度、見覚えのない空間だということを確認した。

だが、瞼を落とした少女は、すぐに気を取り直して唇を真一文字に締めた。
ゆっくりとベッドから這い出て、はだしで床に立つ。殺風景な部屋の中、窓辺に行こうとして、数秒停止した。

少女の目が捉えたのは、腰に縛り付けた額当てだった。
それを見つめた少女は、すっと目を細めてから、その結いをほどいていた。

窓から差し込む陽光に煌めいたそれを、そっとベッドの上に置く。

ひたひたと窓辺に歩き、その窓を開け放つと、風が入り込んで少女の銀色がなびく。
少女の火照った体を、風がゆっくりと冷やしていった。


「(これが......私の道)」


唱えた少女の想いを知る者はいない。皮肉なほどの晴天を見上げたその顔には、確かな決意が浮かんでいた。


「(後悔なんてない。私は、私の、目的を)」


ーーー里を抜けた少年少女の瞳は、重い決意に縛られていた。


 
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