第九十七話 滴るもの


夜は明ける。早朝、木ノ葉隠れに朝日が差す。
誰もがまだ夢の中に落ちているであろう時間だが、新しく火影に就いた綱手に昨晩からこき使われている神月イズモとはがねコテツは、あくびを噛み殺しながら里を出回っていた。

「ふわぁ......もう朝の四時だぜ?五代目も忘れてきた書類くらい、自分で取ってきてほしいぜ」

手に持つ資料は山積みだ。気怠さや睡魔と必死に戦いつつ、二人はアカデミーの周辺の道を歩いている。コテツが零した当然の不平にイズモは苦笑いし、それから何かを思い出したように「そういや」と口にした。

「昨日の晩、なんか聴こえてこなかったか?歌......みたいな」
「歌?......ああ、お前も聴こえてたってことはオレの夢じゃなかったんだな。あの、なんか途中で途切れてたヤツだろ?ったくまいったぜ、あんなの聴いたら余計眠たくなるのなんの............ん?」

やれやれと首に振ったコテツはそこで、不意に目に入ったものに足を止めていた。その視線は、アカデミーの校舎裏に作られているベンチの上にあった。イズモが「どうした」と声をかけるが、それに返事をする前にコテツはベンチに近づく。

そこに寝ていたのは、桜色の髪の少女だった。

「おい起きろ!こんなとこで寝てっと、風邪引くぞ!」
「......う......ん」

コテツが呆れたように声をかけると、眠っていた少女は小さく身じろぎする。薄らと開いた瞳に陽光が入り、少女は肌に朝の冷気を感じた。その途端だった。

「サスケくん!!」

少女は唐突に叫び、飛び上がっていたのだ。
その場でぎょっとしているコテツとイズモなどは一切目に入っていなかった。

数秒後、少女の目から溢れ出したのは涙。
少女、サクラの脳内に、最後に聴こえた彼の、らしくもないお礼の言葉が響いていた。



銀色が風に靡く。小鳥たちがはばたき、少女の頭や肩に足を下ろす。そのカナの前には、演習場にぽつりと佇む慰霊碑があった。

第三演習場。
紛れもなく、第七班の始まりとなった場所。その中にある慰霊碑の前で腰を下ろし、カナは悠々と鳥たちが旋回する大空を見上げていた。

「......母様、父様。みんなも......久しぶり」

ぽつりと口にする。目前の慰霊碑に向けて、微笑みかける。
慰霊碑に刻まれている数々の英雄たちの名前。その中に紛れて確かに載っているのは、"風羽"という一族名。かつて三代目がそうしてくれた事は、カナの心の大きな救いとなり、カナは今でも慰霊碑に足を通わせていた。

「あのね......少し話が長くなるかもしれないけど、聞いてくれる?」

鳥たちの喉元を撫でながら、まるでそこに本当に家族がいるかのように、話しかける。

「私ね......たくさん、たくさん、仲間ができたんだ。もう何回も聞いて知ってるだろうけど、サスケや、ナルト、サクラ、カカシ先生、他にも......」

同期から先生、先輩から知人まで...。一つずつ名前を言っていこうとすると、頭がこんがらがってしまうほど多すぎる。木ノ葉という大きな家に住まう"家族"。これほどたくさんの仲間が、この里を作っている。

「みんな...みんな、とっても優しい人たちなんだ。この里にとったらイレギュラーなはずの私を、みんなは笑って受けいれてくれた。母様や父様たちがいなくなって涙でいっぱいだった私は、いつの間にか笑顔でいっぱいになってた......。みんな、こんな私のことを、"仲間"って......呼んでくれたんだ」

真っ先に抱きしめてくれた三代目。いつも乱雑にカナの髪を乱すアスマや、慕ってくれる木ノ葉丸。アカデミー時代、よく優しく褒めてくれたイルカ。共に学び、競い合った同期の仲間たち。
忍の心得を誰よりも教えてくれたカカシ。太陽よりも明るく笑いかけてくれたナルト。女の子らしい話や相談もし合ったサクラ。

そしてーーーいつしか隣にいることが当たり前となっていた、サスケ。

「小さな頃の私の"世界"は、一族のみんなだった。でも今は......今の私の"世界"は、里の仲間、みんなの笑顔。......私にとったら、全てがあって、やっと一つの形になる......。だから、私、強くなろうって。強くなって、一つも欠けさせてやるもんかって、ずっとそう思ってきた。私は私の"世界"が大好きだから、そんなの絶対、欠けさせたくなかったの」

三代目の笑顔が脳裏に焼けるように映って、カナはぎゅっと目を瞑った。


「......だから。だからね、私」


小さく呟き、そっと顔を上げたカナは慰霊碑を見つめた。ちょうどカナの肩の上に乗っていた鳥が羽撃き、青空の向こう側へと消えていった。

その後ろ姿と重なる、幼なじみの姿があった。

いつの日からか、いつでも一緒にいた。不器用な微笑みを何度も見て、カナはそのたび微笑んだ。伸ばされた手を何度も掴んで、そのたび温かい気持ちになった。

大切な人。

きっともう、離れていってしまった───大切な人。


「(.......サスケ、私は.........)」



いつも通り無気力な表情をしてこの場に来たシカマルは、突然 綱手から告げられた事実に目を見開いていた。

ーーーうちはサスケが里を抜けた。

「ぬ、抜けた!?どうして!」と珍しく狼狽したシカマルが尋ねると、綱手は「あの大蛇丸に誘われちゃってるからだよ!」と迫力満点に。シカマルの脳内にあまり多くはない情報が流れた。

「ちょ、ちょ、ちょい待って下さいよ!何であんなヤバいヤツに、サスケが誘われなきゃいけないんスか!?」
「そんな理由はどうでもいい。とにかく時間が惜しいんだ。これから中忍としての初任務をやってもらう」

事が事だけに全然ワケ分からないままだが、シカマルはとにもかくにも冷静さを取り戻そうとした。とにかく必要な情報だけを脳の中央に寄せて頭をフル回転させる。

「......サスケを、連れ戻すだけっスか?」
「ああ。......ただし、この任務は急を要する上に、厄介なことになるかもしれなくてな......大蛇丸の手の者がサスケを手引きしている可能性が高い」

まさに最悪のパターンだとシカマルは内心舌打ちする。里に潜入するほどの実力者となると、一介の下忍レベルではないことは確かだ。

「だったらこの任務、四人小隊の人員構成は上忍と中忍だけにして下さいよ」
「それは出来ないんだよ」
「何で!」
「分かってるだろう。今ほとんどの上忍たちは、必要最低限の人数だけ残してみんな任務で里外に出てる。一任務に一小隊を出すのすら今は厳しい状況なんだ」
「そ、そりゃあ......分かるっスけど......!」
「これより三十分以内に、お前が優秀だと思う下忍を集めるだけ集めて里を出ろ!!」

綱手の表情を目にしてから、溜め息を押し殺して、シカマルは姿を翻した。これ以上の問答はただの時間の無駄だということはシカマルにもよく分かった。

「めんどくせーけど......知ってるヤツのことだけにほっとけねーしな。ま、なるようになるっスよ」

シカマルは肩を竦めて笑い、それから扉を出て行こうとした。だがその足が出て行く前に、引き止める声。

「一人、私の推薦したいヤツがいるんだが...。ナルトを連れて行け」
「え...ナルト!?なんでアイツ、」
「いいから連れて行け。私がアイツを買ってるんだ」

まさかと思った同期の名前にシカマルは声をあげるが、綱手はシカマルの意見はどうあれ一蹴した。かなり自信ありげである。

「(......第七班か)」

シカマルは向き直って頭を掻いた。
確かにナルトはこの事態に真っ先に食いついてくる人物だろう。そしてサクラはこの事態を綱手に報告した人物だという。ならばいの一番にサスケを説得しようとして......できなかったか。

「(......なら)」

シカマルは気乗りしない思いのまま、口にした。

「あの......風羽カナって、コイツも第七班の一員なんスけど。アイツはこのこと、知ってるんスか?」

シカマルの何気ない質問に、綱手はぴくりと眉を動かした。「風羽カナ、ねぇ」と呟いて机上に両手を組んだ綱手。

「その子のことは知っている。といっても、会ったわけじゃなく、自来也に聞かされただけなんだが...」
「......自来也?アナタと同じ、三忍の?」
「ああ。風羽カナが里に来てから、短期間ではあれども関わったことがあるらしくてな......その子の性格、過去、人間関係を詳しく聞かされた」

シカマルは目を瞬く思いだった。綱手から何気なく与えられる言葉はシカマルにとって初耳なことだらけである。だがこの状況、シカマルはとにもかくにも必要な情報だけを得ようとした。
「それで?」とシカマルがもう一度問うと、思い返すようにしていた綱手は上目でシカマルを捉えた。

「その話に聞くと、その子もまた、大蛇丸に狙われているらしい」
「なっ、カナも!?」

シカマルは驚愕に目を見開いてから、やっと話の全貌を理解した。
カナが例の三忍に狙われる理由までは分からずとも、つまりカナもこの任務に連れて行った場合、サスケと同時にカナも奪われる可能性が出る、ということだ。

「分かったようだな。大蛇丸に誘われている上に、うちはサスケと幼なじみでもあると聞く......最悪の結果はなるべく避けたい」
「......そッスね。......アイツはかなり戦力になるんスけど」
「そう言ったってしょうがないだろう。いいから早くいけ。時間をかなりロスしている。あと二十分以内だ」

シカマルはそれ以上何も言うことなく部屋を出た。大急ぎで火影邸を後にし、知っている連中の家を目指す。

連れていけない以上は、なるべくアイツを悲しませる結果にゃしたくないと、シカマルは密かに思った。



昼夜関係無く薄暗いその空間で小さな蝋燭の火が揺れている。木霊する音は激しい息切れとぴちょん、ぴちょんと滴る水音ばかり。

ーー暗闇を好む大蛇丸は、しかし現在は不気味な眼光も力無く、ぜえぜえと肩を上下させ、血の滲む両腕を抱え込んでいた。
白かったはずの布団は血色に濡れている。だがそれは決して大蛇丸一人の血の量ではない。ベッドの横で硬直しているそれは、確かに人であったはずのものだった。

その時、ギギィと音をたてて扉が開いた。大蛇丸の目がギロリと睨む先に現れたのは、北波。

「おーおー......また殺してんな、アンタ」
「......北波......目障りよ。死にたくなければさっさとここから消えなさい......」
「なめんなよ。包帯だらけのアンタだぜ?そこに転がってるヤツみたいにゃ、簡単に殺られねえよ」

皮肉気に言う北波を大蛇丸は忌々しそうに見た。だが北波は蚊ほども気にせず、フンと鼻で笑ってから許可もなく部屋に立ち入る。
北波が目指したのは、不気味なものが様々置かれている棚だった。妙な色の液体が入ったビーカー、串刺しになっている白蛇、綺麗な状態の頭蓋骨。だが目当てのもの以外には目もくれず、ひょいとそれだけを掴みとり、笑って大蛇丸を見下ろした。
北波が手にしたのは、傷一つない指輪だった。

「もらってくぜ......コレ。知ってるだろうが、コイツこそがオレの目的だったからな」
「......フフ......いいわ。それは私のところに忍び込んで、今まで気付かれなかった褒美にくれてやるわよ」
「へえ、そりゃ意外だ。アンタは自分の得にならねえことは何一つしねえくせに。......それとも、まだオレを利用しようってか」
「ええそうよ。指輪はもうどうでもいい......どうせ私には用済みなものだわ。けれど、カナちゃんは別よ」

その名前が出た途端、北波の顔が急に無表情へと変わる。今度 口角を上げたのは大蛇丸のほうだ。北波は苛立たし気に大蛇丸を睨み、手の中の指輪を強く握りしめた。

「......そんなにアイツを実験台にしてえのか」
「実験台......まあ そんなところね。"神鳥"の力は膨大なのよ。私の体に転移させ......その力を奪い取る」

チッと舌打ちする北波。今の状態の大蛇丸などは恐れるところがない、が、北波が自身の目的の為に狙うカナは、指輪とは違う。仮に北波が今から大蛇丸の目を無視してカナを奪うとしても、一夕一朝の問題ではない。
そして北波は知っている、既に音の四人衆が動きだし、"次の器"を運んでいることを。
そうなれば。

「アナタはまず私に勝てないわよ」

大蛇丸が思考を読んだかのように言う。北波は大蛇丸を睨んでから扉に向かった。

「(大蛇丸がうちはの肉体を奪うことに成功すれば、その力は未知数だ......そんな賭けに、オレは出れない)」

憎々し気に思った北波。

「(......オレの目的が、叶うまで......!)」

目を強く瞑って唱えた北波は、歯ぎしりをし、部屋を出ようとした。だが、その前に届いた大蛇丸の声。

「カナちゃんに手を出すことはゆるさない......彼女はこちら側に来るべき子よ」
「......どうだかな。アイツが何を選ぶのかなんて、アンタには分かんねェだろ。アイツはあの里が気にいってんだぜ」
「だからこそ......」

大蛇丸は北波に告げた。たった今まで乱していた息は今はなく、実に面白そうに。
それは聞いた北波は一瞬 目を見開いたあと、もう一度舌打ちして今度こそ部屋を出ていった。扉が乱暴に閉められる。舌なめずりした大蛇丸は、子供ねと、小さく呟いた。



木ノ葉隠れの大門前。その場にじっと佇んでいたサクラは、何十分もそこで門外の風景を見つめていた。

ーーーサクラはもう何人もの仲間を見送った後だった。
引き止めたかったサスケ、"一生のお願い"を誓ったナルト、いつもの温かい手でサクラを撫でてから彼らを追いかけたカカシ。
今も涙を堪えるのに精一杯なサクラの瞳に、その全員の背中が焼き付いていた。

いつからこうなってしまったのか、サクラにはわからなかった。ただ確かなのは、昨日の時点では既に手遅れだったということだけ。昨日には既に全てが狂っていたのだーーーサスケの復讐に取り憑かれた心、それに真っ先に気付いていたのは恐らく。


「(多分、カナだけ......!)」


唱えたサクラは、ぎゅっと両手を組んでいた。

そうしてから、すぐだった。
自分を呼ぶ声がその耳に届き、サクラはハッとして振り返っていた。

「サクラ?」

ーーー今まさに考えていた、カナ。

サクラの瞳に映ったカナは、いつもと何ら変わらないように見えた。それこそ、昨日のほうがよっぽどおかしかったほどに。

「カナ......!」
「うん?」

通りを歩いてきたカナはサクラの前に立ち、首を傾げていた。そして微かながらに浮かんでいる、微笑み。
それを見たからか、サクラの中の感情は決壊し、何度目か知れない悲鳴を上げたーーー涙が零れ落ちた。

「っカナ......!」
「サ、サクラ?」
「サスケくんが......サスケくんが、里を抜けたの......!!」
「......!」
「それで、ナルトとカカシ先生が追いかけて...!私、もう、みんなを見送ることしかできなくて!!」

止めどなく溢れる涙が頬を濡らしていく。既にこれでもかというほど流したはずが、溢れる想いは枯れないというのか。

だが、必死でそれを拭うサクラが違和感を覚えたのは、そう遅くはなかった。潤む瞳を腕で擦ったサクラが、今一度確かに見たのはーーー沈痛な笑みを零す、カナの顔だったのだ。

「(え......)」

サクラは呆然とする。
カナはすっとサクラを通り過ぎて行った。振り返ったサクラが見たものは、大門を出る間際で立ち止まった、カナの背中。

「......多分。私は、分かってた」

それは確かにカナの声。しっかり聞き取ったサクラは、しかし、その言葉の意味をすぐに理解できなかった。「な、なに......どういう、意味?」と確認するように問いかける。
すると、カナは少しだけ振り返って、その憂いを帯びた笑みをサクラに見せていた。


「知ってたんだ............サスケがもう、この里から、離れてしまったこと」


サクラは暫く何も言えなかった。ただ信じられなかった。仲間を失うことに対して、人一倍敏感なはずのカナが、そうして落ち着いている事が。
サクラは自身の中にもたげる不安を信じたくなかった。

「な......何で......?」
「......」
「何で......知ってたっていうのなら、何ですぐ追いかけようとしなかったの......!?」
「......ごめん、サクラ」
「違う!!!私が聞きたいのはアンタの謝罪なんかじゃない!理由を聞いてるのよ、ねえ、どうして!?」



ザアアア____



風が吹き、二人の髪を揺らす。突発的に上がったサクラの体温が冷やされていく。
サクラを見ていたカナは、相も変わらず状況に似合わない小さな笑みを浮かべながら、また前を向いていた。再び、サクラの目が捉えるのは、カナの背中だけになった。

「ごめん......だから、今から私は、動く」
「!」
「絶対に。絶対に、サスケと無事に、帰ってくるから。約束する」

サクラの心情は嘘のように静かになっていった。
だが、同時にずきりと痛んだ胸を、サクラはぎゅっと押さえ付けた。

「(なに......?)」

その原因は自分でもわからなかった。そして、サクラはある一点に目を落としていた。

カナのすぐ下の地面。舗装されたそこが、不意に何かで滲んでいた。
だが、それが何か、サクラが理解する前に。

聞こえてきたカナの声は、今までのどれよりも凛とした言葉だった。


「行ってきます」


一瞬で、カナはその場から消えていた。
後に残ったのは風。柔らかく、温かい、カナがいつも使っていた風。
それが、尚更サクラの心に曇り空をかける。

「カナ......?」

呟いたサクラの声は、風に消えた。


 
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