第九十六話 重なる...



「やめてよ───!!」

サクラの悲痛な声が空高く響き渡った。それは、ちょうど長い階段を走り終えたカナの耳にも届いていた。

カナの瞳に映ったその場の光景。
ナルトの手中のチャクラの渦と、サスケの手に迸る雷とーーー二人の目に宿るは、互いに譲れない想い。そうして、一人の少女が駆けて行く。必死な願いを言葉に変えて。


「サクラ!!」


カナは間髪いれずに走り出す。冷静な判断力は今この場にいる誰にも無かった。
このままだと一番危ういのは無論サクラで、ようやくチームメイトの姿にナルトとサスケが気付いたとはいえ、それは止められるものではない。風がカナを先導し、せめて被害を最小にしようとしていた。

ーーーが。

サスケとナルト、二人の手首をいとも容易く掴む手があった。

「うわぁッ!!」
「なッ!?」

それが誰か確認する間もなく二人は投げ出され、病院の給水タンクにぶつかる。ドガと音をたて、二人の術によってタンクは貫かれ、盛大な水音が溢れた。

「病院の上で何やってんの?喧嘩にしちゃ ちょいやりすぎでしょーよ、キミたち」

現れたのはまさしく第七班の担当上忍、カカシだった。
そしてサクラが驚いて投げ出された二人を振り返った時、カナがサクラを抱きしめていた。

「カナっ?」

サクラが反射的に名を呼んでも、カナは顔を上げなかった。
その二人の頭を、カカシは順に撫でていた......だが、カカシが厳しい目を向ける先は、カナでもサクラでもない。

二つあるタンクにそれぞれぶつかったナルト、サスケ。ナルトがぶつかったそれには小さな穴だけが空いていて、そこから僅かな水が漏れ出している。サスケはその様子を確認した後、自分が突き破ったタンクを見つめた。捻ったような大穴から、滝のように轟々と溢れ出ている水。

「へっ...」

サスケは口元を上げていた。

「ナルトを殺す気だったのか?サスケ」

するとサスケの下に落ちてきた声。カカシがタンクの上に座っていた。「なに優越感なんかに浸ってる」と心なしか低いその声の主をサスケは睨みあげる。

「さっきの千鳥。同じ里の仲間に向ける大きさじゃなかったな......なんでこんな子供じみたマネを」
「......フン」

だがサスケはまともに応える気はないようだった。
隣のタンクの前で息切れをしていたナルトは、そうしたサスケにゆらりと目を向けている。いつになく苦渋で歪んだ空色の瞳も、もうこの決闘が普通の意味以上のものだと気付いたようだ。憤りを含めた当惑がナルトを支配していた。

誰もがサスケに疑惑の瞳を向けていた。ただーーサクラの胸を借りているカナ以外は。
サスケはその、ただ一人に一度目を向けてから、軽く地を蹴ってフェンスの向こう側へ降りて行った。

「......サスケくん.....」

見えなくなった仲間へ静かに呟いたサクラ。その瞳に映るはずの青空は気のせいか霞んでいる。そこでようやくカナが顔を上げ、「ごめん...サクラ」と何度目か知れない言葉を零していた。
ううん、とサクラは言おうとした。ーーーだが、サクラはこの瞬間、心に縛り付けていた鎖が一気に外れるような感覚に陥っていた。

サクラの瞳から流れだした涙。必死に抑えようとしてもそうしきれず、漏れ出した嗚咽。

「......サクラ、」

そのサクラを目の前にして、カナは強く歯を噛んでいた。感情の矛先をどこへ向ければいいか分からないからこそ、そうするしかなかった。
カナはもう一度サクラを抱きしめる。カナの目には涙こそないが、自身で自分の顔に滲み出ている表情を自覚していた。

「(まだ......泣いちゃだめだ)」

カナは自分を戒めていた。カナの瞳には哀愁以上に、決意が溢れていた。

「(まだ......まだ、きっと、大丈夫なはずだから......)」

カナが密かに胸中で呟いた時、カナとサクラ、二人の頭を温かい手が撫でた。カナが顔をあげれば、目尻を下げた微笑を零しているカカシが。サクラも潤む目を擦りながらカカシを見上げる。

「だいじょーぶ。また昔みたいになれるさ」
「カカシ先生......」
「それと......カナ」
「!」
「一人で何でも抱え込もうとするな。お前自身にそんなつもりはないんだろうけど、もう少しオレたちを頼れ。......な」

ぽん、ぽん。
カカシはカナの頭を撫で、困ったように微笑んでから、一瞬にして消えていた。その口調はまるで病室内での一連の出来事すらも知っているようだったが、そんなはずはない。

「(カナ...)」

サクラはそっとカナから離れ、仲間であり友人であるカナの顔を見る。つまり、察しの良いカカシから見ても、カナの様子がおかしいことは明らかだったということだ。
だが、それでもカナは無言で、カカシの言葉を呑み込むようにぎゅっと強く目を閉じているだけだった。

「サクラちゃん......」

不意に聴こえた声に、サクラが思わずカナから意識を外した時、カナはその数秒で消えていた。
振り返った時サクラが感じたのは、温かく柔らかい、しかしどこか弱々しい風だった。



風に揺れて、葉が踊る。大木の枝の上にサスケは座っていた。
じっと思い返すはイタチとの邂逅、だが同時に、そこにはナルトの顔も浮かび上がっていた。

どうしようもない感情が、サスケの脳裏を占領していた。

その時、ハッと気がついた先には滑らかなカーブを描いている手裏剣があった。反応する前にその手裏剣に絡んでいたワイヤーがピンと張り、サスケの体を幹に縛り付けていた。

「何のマネだ」
「こうでもしないとお前、逃げちゃうでしょ。大人しく説教聞くタイプじゃないからね、お前は」

現れたのはカカシ。ぎりぎり、とワイヤーが鳴る。サスケは無理矢理にでも抜け出そうと試みるが、上忍相手にそれが敵うはずがない。チッと舌打ちするサスケ、その首元の呪印を見ながら、カカシは言った。

「サスケ............復讐なんてやめとけ」
「なんだと......!」

今まで以上に眉を寄せ、憎々しそうに、カカシがイタチにでもなったかのように睨むサスケ。だがカカシは泰然とした態度でサスケを見下ろすだけだった。

「ま!こんな仕事柄、お前のようなヤツは腐るほど見てきたが......復讐を口にしたヤツの末路は、ロクなもんじゃない。悲惨なもんだ......今よりもっと自分を傷つけ、苦しむことになるだけだ。たとえ復讐に成功したとしても......残るのは、虚しさだけだ」
「黙れ!!アンタに何が分かる!知ったふうなことを、オレの前で言ってんじゃねェよ!!」

今まで以上に感情を露にしたサスケがカカシに吠える。「落ち着け」とカカシは宥めるように言うが、サスケは今までにないほど悪辣な表情をする。

「何なら今から、アンタの一番大事な人間を殺してやろうか!今アンタが言ったことがどれほどズレてるか、実感できるぜ...!」

カカシは沈黙した。教え子を見るその目には憂慮が滲んでいる。カカシの瞳の中で、サスケはギラついた眼光を見せているが、そのくせサスケは分かっているのだ。こんな問答が無駄だということぐらい。

「ま、そうしてもらっても結構だがな。生憎オレには、一人もそんなヤツはいないんだよ」

カカシから出た言葉は単なる皮肉じゃなかった。

「もう......みんな殺されてる」

笑ってーーカカシはそう言った。
サスケは目を見開く。カカシの言葉の重みを知り、復讐に滲んでいた顔が幼さを取り戻した。サスケは知らず知らずの内に俯いて、顔に影を落とす。

「オレもお前より長く生きてる......時代も悪かった。失う苦しみは、嫌ってほど知ってるよ。オレもお前もラッキーなほうじゃない。そりゃあ確かだ。でも、最悪でもない......オレにもお前にも、もう大切な仲間が見つかっただろ」

サスケの目に思い浮かぶ。どこまでも真っ直ぐに突っ走っていく少年と、花のような笑顔を浮かべる少女。仲が良いと言えるほどサスケは素直ではなかったが、それでもサスケが居心地の良さを感じていたのは確かだった。
ーーーそれから。

「それに、お前にはいるはずだ。仲間という言葉だけでは言い切れない、ずっとそばにいてくれたあの子が」

銀色の、柔らかく温かい、サスケがずっと共に歩んできた少女が目に浮かび、サスケは目を強く瞑った。復讐に取り憑かれてまともに動けなかった、あの頃のサスケを救ったのは、紛れもなく、彼女だった。

大切な人、大切な者たち。三人の屈託の無い笑顔は、確かにサスケの心を包んでいた。

「失ってるからこそ分かる。千鳥は、お前に大切な者ができたからこそ与えた力だ。その力は、仲間に向けるものでも復讐に使うものでもない......何のために使う力か、お前なら分かっているはずだ」

ぷつりとワイヤーが切れ、解放されるサスケ。しかしサスケは無言でただカカシの声を聞いていた。

「オレの言ってることがズレてるかどうか。よく考えろ」

そうして、カカシはその場から消えた。

サスケは踞る。決闘の時のナルトの、身を挺して止めようとしたサクラの、あの表情。
そして、カナのあの、異常に暗かった瞳の色。

サスケの頭に、それらがずっと焼き付いていた。



木ノ葉の里を跳び回る影。銀色は重い足取りで目的も無く。里でいつものように暮らしている住人たちは誰もそれに気付かない。
カナは彼らを目の端々で捉え、目を細め、微笑を零す。宛もなく彷徨うカナは、一つどころに留まることを知らず、自身の記憶を思い出すままにしていた。

第七班での、思い出を。

サバイバル演習。波の国任務。
一緒に過ごす時間が長くなるほど、笑い合う時間が長くなった。笑い合えば笑い合うほど、お互いを大切に思えるようになった。仲がいいとはとても言えないスタートを切った、いつもどことなくまとまらなかった、それでも、それでも。

ただのDランク任務もそうだった。時に猫探し、時に川掃除、時に犬の散歩、あまりに忍らしくない任務にナルトたちが不平を零すことにまで、結局、笑い合っていた。

そして、そんな平凡な日々に落ちている幸せを拾うことが、カナは何より好きだった。

サクラと共に作った弁当でピクニックを計画したことも、全員でカカシの素顔を覗こうとしたことも、何度もナルトとサスケの喧嘩を止めに入ったことも、全員で夕日や満天の星空を見たことも、カナは全て覚えている。つまらない任務だって、仲間と笑い飛ばしながらであったら、カナはただただ楽しかった。

ーーそれらが狂い始めたのは、中忍試験。

だけど、それにカナが気付けたのは、つい最近ーーーイタチとの邂逅、あの時に初めて。
何かが狂ってしまったのだと、感じた。


「(もっと......もっと早く、気付いてれば......何かが違った?)」


火影邸。
その屋上からひとっ飛びしたカナは、木ノ葉で最も高い丘へと上がる。
草花を咲かせた見慣れた風景を見ながら、カナは足を進める。それは、数十メートル先にあった。カナが目指した場所は、木ノ葉の象徴ともいえる絶壁、顏岩の頂上だった。



その襲撃はサスケの予期しなかったものだった。カカシに諭された場所で、満月が昇るまでじっとしていたサスケは、唐突に感じた気配にハッと夜空を見上げた。
月光を遮る、四つの影。咄嗟に立ち上がったサスケは目の前に降り立った四人の忍を睨む。その額当てと腰の帯にはサスケもよく見覚えがあった。

「何者だ......お前ら」

「音の四人衆、東門の鬼童丸」
「同じく西門の左近」
「同じく南門の次郎坊」
「同じく北門の多由也」

四人は躊躇なく名乗る。そしてその先からサスケへ飛び出していた。
優秀な下忍であるサスケはそれでもあっさりと四人全員を吹っ飛ばすが、それらは全て変わり身とされた丸太だった。それに気付いたサスケは、低い声で唸る。

「オレは今機嫌が悪いんだ。これ以上やるってんなら、手加減しねーぜ」
「......弱ェくせにピーコラ言ってんじゃねェぞ。ほら、来いよ。アバラボッキボキでドレミファソラシド奏でてやっから!」


元より四対一は限りなく不利だったーーーしかし、恐らく一対一でも、サスケは敵わなかったかもしれない。抵抗は十分、サスケの実力は本物だ、だが、最後には。

煙が消えたその場に現れたのは、倒れ伏した左近の姿ではなく、左近に片足を捕らえられて宙づりにされている、サスケの姿だった。

「こんなヤツが何で欲しいのかねぇ、大蛇丸様も。これじゃ君麻呂か北波のほうが良かったぜ」
「フン、馬鹿が。北波のヤローはスパイだっただろうが。良いもなにもアイツは大蛇丸様の敵でしかねェ」
「あー、そうだったなァ、そういや」

横から口を出してきた多由也に左近は軽く返す。サスケは聞いたことがある名前に反応する余裕もない。

「まァ......こんなクズみてぇな里にいても、お前は今のまま、並の人間止まりってこった。強くはなれねェ。仲間とぬくぬく忍者ごっこじゃ、お前は腐る一方だぜ」

左近に鼻で笑われ、サスケの脳裏にすっと過っていく"仲間"たちの顔。今までサスケが完全に闇に落ちるのを留めていたもの。何かが崩れ落ちていく音が聴こえていた。

「ウチらと一緒に来い。そうすれば、大蛇丸様が力をくれる」
「無理矢理連れて行っては意味がないそうだ。お前が決めるんだ」
「ったく大蛇丸様もめんどくせェことを......オイどうすんだよ!来るのか、来ねェのか!!こんなに弱ェヤツ、あんまりグズりゃあ殺っちまいたくなるぜ!」

ーー呪印が赤黒く光る。サスケの苛立ちが再び沸々と沸き起こり始める。黒の刻印が既に半身を覆い尽くし、瞳には写輪眼が宿った。

「殺ってみろ...!」

低く唸ったサスケ。その頭に、いつしかカカシが忠告した言葉など塵ほども残っていない。

「てめー......呪印を」

しかしそれさえも、この四人の前では意味を為さなかった。呪印状態のサスケを、左近は一歩も動く事なく吹っ飛ばしていたのである。
頭を強く強打し、サスケは朦朧とする頭のまま左近を見上げた。その左近にも呪印らしきものが体に散っていた。

「呪印で力を得た代わりに大蛇丸様に縛られている、ウチらにはもはや自由など無い。何かを得るには、何かを捨てなければならない。───お前の目的はなんだ?この生温い里で"仲間"と傷を舐め合って......そして忘れるのか」

"うちはイタチのことを"。

反射的にサスケは強く拳を握る。サスケの胸に幼き日から沈殿している暗色。憎悪ーー殺意ーー復讐。

「この里はお前にとって枷にしかならない。下らねェ繋がりもプチンとすりゃいいんだよ。そうすりゃお前は、もっと素晴らしい力を得ることができる」

復讐を可能にする、力。


「目的を忘れるな!」


左近が怒鳴った。同時に、音の四人衆は飛び立ち、いつしか幾枚の木の葉に変わっていた。

戦闘後にしては、サスケの心は、恐ろしいほどに落ち着いていた。

伸ばしたサスケの手に、一枚の木の葉が、舞い落ちた時だった。



ーーーサスケの耳に届いた、どこか遠くからの声は、確かにサスケがよく知るものだった。



"夜空 羽根が舞う..."


それは、歌。
この満月の夜に静かに、だがどこまでも響き渡る、歌。
サスケはそれをよく知っていた。声も詩も、全て知っていた。


"しろいふくろう 弧を描き..."

"独りぽっちはさみしいと...空を切って 朝にした"


他の誰でもない、たった一人のあの少女の歌だと、サスケは知っていた。


"空は青く...雲は泳ぎ"

"風がふいて 聴こえた......私を 呼ぶ声"


ーーー三代目の顏岩の上で歌う少女は、ところどころに淡い光が灯る木ノ葉を見渡していた。
少女自身、"彼"がどこにいるのかなんて知るはずがない。けど、だからこそ歌う。得意の風に、歌を乗せてーーー。


"羽根が舞う...青空を" 

"夕暮れに...並んで笑いあう"

"ゆっくり暗くなっていく...それでも もうさみしくはない" 


重なり合う、二人の表情。
少女はただただ歌を紡いで、木の葉を見つめるサスケは次第にその手に力を込めていく。

そして。

ぽたりと顏岩に涙が落ちたのが先か、木の葉が手の平に潰されたのが先か。確かなのはーーー



『  ありがとう また逢おう、と  』



重なった、声。


ーーー歌はそこで途切れていた。
中途半端に声を響かせたカナは、そうしてゆっくりと口を閉じ、歯を噛み締めていた。

何の確信があるわけでもない。何を実際に見たわけでもない。
けれど。

サスケの心はもう、後戻りできないところまで行ってしまったのだと、悟ってしまっていた。


 
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