第九十五話 始まり



カナは、自室のベッドで大の字に寝転がっていた。

ーー"暁"二人からの襲撃から三日。木ノ葉に帰還してから一日半。
現在 ちょうど正午を過ぎた時刻。そよそよと穏やかな風がカーテンを揺らし、柔らかな陽光が部屋に差していた。


そう、幸運にも、カナはサソリの手から逃れることができたのである。


珍しくも焦っていたからか、カナもその時の様子をはっきりと覚えているわけではない。確かなのは制限時間内に風の音が消え、目を丸めているカナの前でサソリが舌打ちをし、尚かつカナの額にデコピンを喰らわせたことだけだ。

『しょうがねェから今回は見逃してやるが、次会ったらこうはいかねェぜ。感謝するんだな』

サソリはそう言って一瞬で消えていた。カナが何かを言う間もなく。デコピンだけは理不尽だったが、本当だったら捕われたところだったので、正直 かなり有り難かったのは言うまでもない。

再び紫珀を口寄せして数十時間で木ノ葉に辿り着き、真っ先にご意見番に報告しにいった。任務内容はもちろん、"暁"のこともだ。とはいえカナにできることは、二人の容姿と能力、知り得た細かな情報を告げることだけだった。

「(......もしあの赤髪さんの話もしたら、ご意見番方はどんな顔をなさっただろう)」

そう思って、苦笑した。ーー砂嵐の中であった出来事だけは言わなかった。


小さな溜め息を零し、両腕を天井へと伸ばす。
思い返したのは、任務報告が終わり次第すぐさま向かったあの病室の白さ。ーーサスケはまだ、目を覚ましていなかった。そして自然と見つけたのは、二本の水仙。

明らかに同じ日のものではなかった。きっとサクラが毎日来ているのだろう、と悟った。毎日、毎日、サスケの身に何があったのか全然知らずとも......その心を思うと、カナは自然と唇を噛んでいた。

「......気晴らしに、散歩しよう」

独り言を零し、起き上がる。いつも以上によく睡眠を摂り、サソリの医療忍術のおかげもあってか、怪我ももう大した事はない。

すると、不意にカナの目についたのは、机の上に飾られた二つの写真立てだった。
一つはもう随分前からそこにある、カナと両親の幼き日のもの。そしてもう一つはーーー第七班の集合写真。

青空の映った、とても穏やかな色の写真。


「......戻れる.....のかな」


小さな呟き。
カナはその二つを眩しそうに見つめてから、玄関へと向かい、自宅から出て行った。
ーー先ほどまで確かに差していた日の光が、徐々に陰に侵食されていく。



昨日は疲労困憊して里の様子をゆっくり見る事もできなかったので、今日は比較的のんびりと歩きながら、周囲を見渡していた。
木ノ葉は着実に元の様子を取り戻しているようだった。

先代の火影たちが作ってきた、木ノ葉隠れ。カナは不意に振り返り、顏岩を拝んだ。三代目の顔にあった亀裂はもうほぼ目立たない。凛々しい四人の火影が木ノ葉を見守っている。これまでも今も、これからも。

「カナじゃねェか。何やってんだ?」
「!」

不意に聴こえた声に、カナは振り向いた。

「...シカマル」

一つに束ねた髪がチャームポイントの面倒くさがり少年である。
その上、シカマルの背後には彼の父親であるシカクも。ほお、と口元を上げたシカクは、シカマルよりも先にカナへと近づき、ぽんとカナの頭に手をのせていた。

「カナちゃんか。随分大きくなったな」
「お久しぶりです、シカクさん」

アカデミー時代の頃に何度か互いに会った事がある身である。カナも何ら不思議がらずシカクの手を受け、微笑んだ。......だが、父親のその手を払う息子有り。

「何だァシカマル」
「......何でもねえよ」

不審そうに見てくる父を息子は曖昧な一言で突っぱねた。
その様子をカナも不思議そうに見ていたのだが、そこでようやくシカマルの容貌の変化に気づき、目を瞬いた。

「シカマル、そのベスト」

何を隠そう、シカマルが着用しているのは、木ノ葉の中忍上忍だけが受け取る木ノ葉ベストなのである。

「......おぉ」
「"おぉ"じゃなくて......もしかして、昇格したの?」

しかしシカマルは僅かに頬を赤らめ、だんまりを決め込んでいるのみ。その様子が煮え切らず、カナがシカクに視線を移せば、父親はニッと笑っていた。
アカデミー時代、誰よりやる気のなかったシカマルが真っ先に昇格。驚愕から冷めたカナは思わず笑ってしまった。

「そっか。おめでとう、シカマル。すごく似合ってる」
「......おぉ」
「ったく、このガキは。フツーに褒められて照れてんのか?」
「照れてねェよ馬鹿オヤジ!」

同じ事しか言わない、のではなく、言えないシカマルにシカクが無理矢理肩を組み、しかしそれを振り払うシカマル。カナは仲のいい親子を前にまだ笑っていた。

「逃げんなって」
「アンタが余計なこと言うからだろ!」

シカクから逃げるように離れたシカマルは、そうして密かにカナを見やっていた。

「(......雲)」

ーーーカナの笑顔を見る時思う、その感想はいつでも変わらない。
シカマルは僅かに俯き、頬をこすった。クスクス笑っているカナの、風に揺れる銀色を見ながら。長かった髪は短くなっているが、その輝きは変わっていない。

「......髪」
「え?」
「髪、また伸ばせよ。短いのもいいけどよ、お前には長いのが似合うぜ」

少々ぶっきらぼうに。だがウソはついていないその視線を受けて、一度きょとんとしたカナもさすがに照れてしまった。

「うん。......ありがと、シカマル」

そしてまた笑う。
その笑顔がシカマルの顔の熱を上げる事になった、と気付くほどの敏感さはカナにはなかったが。

「じゃ、あな」

ただ逃げるようにして通り過ぎて行くシカマルを、カナは「うん?」と首を傾げて振り返るしかない。
......二人の様子をじっと見ていたシカクだけがプッと笑った。

「本当にガキだな」
「うっせえぞオヤジ!とっとと行くぜ、オレはアスマに集合かけられてんだ!」

「あいよ、っと」とシカクはまだ笑いながら、同じくカナを通り過ぎていく。

「じゃあなカナちゃん」
「あ、はい。シカマルも、またね」
「おォ......あ」

だがシカマルは思い出したように立ち止まった。

「そういや、ナルトが帰ってきてたぜ。ツナデとかいう人と」
「!!」
「カナ見たら言っといてくれって言われてよ。ちゃんと伝えたからな」

その瞬間、カナの胸から溢れる想い。今度はカナのほうが唐突だ。

「ありがと、シカマル!」

それだけ言ったカナの足は早く、途端に奈良親子の視界から消えた。
しかし、暫くカナが消えた方向を見つめ続けるシカマルに、シカクは頬をぽりぽりと掻いていた。

「シカマルよぉ。女ってのは口うるさくてワガママで苦手だったんじゃねェのか?」
「......アイツだけは例外なんだよ。めんどくせーけど」

父の意外にもシカマルは反論せず、ただ今暫く、ずっと同じ方向を見つめていた。



白の病室。二人。サスケと、サクラ。
ついさっき医療のスペシャリスト・綱手の手によって目を覚ましたサスケは、いつも以上に口数が少ない。サクラはそんなサスケが寝ているベッドのそばにじっと座っていた。......どことなく、気まずく感じながら。

「あの、サスケくん......何があったの?」
「......」
「......起きたばかりだし、まだしんどいわよね。寝とく?」
「......」

定期的に声をかけてもサスケの反応は一切ない。サクラは気を落とし、そっと俯いた。何も知らないサクラは問いただしたい気持ちでいっぱいだったが、このサスケの前ではそれもできない。暗い気分でいっぱいのサクラに、先ほどからずっと脳内を離れない声が、また甦った。


『カナ......?』


あの声は確かにサスケのものだった。サスケが目を開けた時、サクラが思わず抱きついてしまった時だった。サスケはか細い声で、確かにそう言った。サクラの胸が痛んだのは当然のことだった。

「(こんな時にまで、私......)」

サクラは自嘲する。サスケの中でカナは、それほど大きな存在なのだ。

「(二人はずっとお互いを支え合ってきたんだもの......そんなの、当たり前の事よね......)」


コンコン___


その時不意に聴こえた音にサクラはハッとし、顔を上げた。

「はい」
「あ......サクラ?」
「......カナ。...入ってきなさいよ」

それはつい今までサクラが考えていた人物の声。サクラは目の端で確かに反応したサスケを捉え、再び胸が痛んだが、できるだけ動揺を押し殺した。がらりとドアを開ける控えめな音。
振り返ったサクラは、僅かに緊張した面持ちのカナに、少し無理した笑顔を向けた。

「いつ任務から帰ってきたの?いきなりいなくなってびっくりしたんだから」
「つい昨日......私も急に呼び出されてそのまま行っちゃったから。ごめんね」
「何言ってんの、別に謝らなくていいわよ。......その紙袋は?」

カナがその間、一切サスケに顔を向けなかったことに気付いた者は、果たして。
ただカナはサクラに受け答えし、手に持つ袋を指差された事で、中身を見せていた。数個の真っ赤に熟れたリンゴである。

「わ、おいしそう。私が切るわ」

サクラの手に、カナは躊躇なく紙袋を渡した。だがそれによってサクラがカナの様子に気付く。
カナの手は、震えていた。

「......カナ?どうか、した?」
「ど......どうもしないよ。リンゴ、お願いね」

しかし、逃げるようにカナはサクラの元を離れていた。その目は迷うように右往左往する。
だが、ーーその時ちょうど顔を上げたサスケの瞳と、カナの視線が交わった。

「(......サスケ......)」

幼なじみを呼ぶ声は、実際の声にはならなかった。サスケの瞳は酷く暗い。それが、カナの瞳には、昔うちはが殺された後の暗闇以上に見えた。

「あの......大丈夫?もう起きても、」
「お前は」
「!」
「お前はアイツに、何もされなかったのか」

リンゴの皮をむきながら、サクラは二人の様子を伺っていた。会話内容はサクラには全くわからない。だが首を突っ込む勇気も持てないサクラは、ただ二人を見つめていた。
起きてから初めて会話らしい会話をするサスケ。それに対するカナの顔は、サクラの目から見ても酷く強ばっていて、そしてサスケから目を背けていた。

「なにも......眠らされて、連れて行かれただけ。お兄ちゃんは、私を見逃してくれた」
「......見逃したんじゃない。所詮オレもお前も、アイツの器を量るのには適してなかったってことだろ」

カナはそれに応えない。窓に近寄ったカナは、ぼそりと、「空気、入れ替えよっか」とだけ言って窓を開けた。サスケもサクラもそれには応えなかった。

滞る沈黙。
サクラの中で沸き上がるのは不安。カナの中に沈殿しているのは確信。ーーサスケの中を蔓延するのは、苛立ち。

黒の瞳はじっと銀色を見つめていた。だがカナが振り向くことはない。カナの様子がおかしい事はサスケにも分かる。

「(何なんだ......)」

サスケが見据える先に浮かんだのは、兄であり憎しみを向ける先であるイタチだった。

イタチが目的としていたのはサスケではなかった。"神人"、"神鳥"を飼っているカナ。だが、それだけではなかった。それだけならばサスケの苛立ちもまだ低かっただろうに、何故かナルトまでもがイタチの目的だったのだ。

「(何なんだ......!)」

そこにどんな理由があろうと、サスケには許せなかった。"復讐者"であるサスケを差し置き他の誰かのほうが前方に立っていることは見過ごせなかった。それがあるいはただの嫉妬心であったとしても、サスケに、この感情を捨てることは不可能だった。
ナルトは、思いも寄らぬスピードで、どんどん強くなっている。

「サスケ、サクラちゃん。入るってばよ?」

その声が聴こえた瞬間もサスケの耳に強く響き、漆黒の瞳はじろりとドアを睨んでいた。

ガラガラとドアを開けた先にはナルトが突っ立っていた。
そうしたナルトはまず第一に銀色が目につき、「カナちゃん?」と首を傾げる。振り返ったカナは小さく笑う。「シカマルから聞いたから。ありがと」と言うカナにナルトはニカッと笑った。

それだけのことが、更にサスケの感情を高ぶらせる。

サクラと談笑するナルトはサスケの異変に気付きもしない。カナも黙ってまた視線を元に戻すのみ。何よりも、サスケはその空間で、自分の胸に噴き上がる苛立ちの音を聞いていた。

「うん、うまくむけた。食べやすいように切って、と」

ナルトとの会話の合間にサクラは呟き、つまようじでリンゴを刺す。そして「はい、サスケ君、リンゴ!」といつもと変わらない笑顔でそれを渡そうとする。
ーーーしかし、それに対してのサスケの行動は、誰にとっても予期せぬ行動だった。


ガシャン__!!


「!?」

サクラが差し出したリンゴを、サスケの手が皿ごとはね除けたのだ。

「お、おい!?なにやってんだってばよサスケ!」

その破片がぶつかりぎょっとするナルト。目を見開いたまま硬直するサクラ。カナは振り向き、下唇を噛む、サスケは暗い瞳で俯いていた。

「サスケくん......?」

サクラが小さく零す。だが顔を上げたサスケが見る先は、ただただナルトだった。

「なっ...なんだよ。そんな、睨むことねーだろ!」

カナがびくりと体を揺らすが、誰かがそれに気付く事はない。カナ自身もサクラも、ただサスケとナルトを見ていた。漂う空気が異常な事は誰にでも判る。サクラは怯えたように二人のチームメイトを見やっていた。
サスケの低い声が響く。

「おい、ナルト」
「な、なんだってばよ」
「オレと今から、戦え」

ナルトは怪訝な顔で「はぁ!?」と喚いた。

「綱手のばーちゃんに治療してもらったばっかだってのに、何言ってんだ...」
「いいから、戦え!!」

だがサスケは本気も本気だった。途端にサスケの瞳に宿ったのは写輪眼だったのである。ーー敵意のこもった目。仲間に向けるそれとは全く違う。
ナルトも息を呑む。サクラは口を挟めない。
カナはやはりだんまりを決め込み、ただそっと自身の首筋に手をあてていた。

ーー大蛇丸の、刻印に。

「オレを助けたつもりか。五代目かなんか知らねェが、余計なことさせやがって」
「なんだと......!」

サスケの口から次々と出てくる言葉に、ナルトにまで怒りが沸く。サスケはそれを機とばかりにベッドから下り、ナルトに向かい合って写輪眼で睨みつけた。ナルトももう、サスケの体を気にすることはない。

「オレと戦いたいと言ってただろ。今から戦ってやるって言ってんだよ。それとも、怖じ気づいたか」
「...フン。ちょうどいいってばよ......オレもお前と戦りたいと思ってたとこだ」

「ふ、二人ともやめよ......ね」と今にもお互いを殴り合いそうな空気の中でサクラは言ってみるが、効果がないことは明らかだった。
サクラは遂にカナに助けを求めようとするが、カナは今や、拳を握って俯いているだけだった。

「ついてこい」

サスケがナルトに言った一言を機に、互いをライバル視する二人は病室から出て行った。ぱしゃりと踏みつぶされたリンゴをサクラは暫く黙って見つめていた。

カナはやはり動かなかった。

仲間を誰より大切にするカナが、あの空気の中で一言も口出ししなかったのは、誰から見てもおかしな事だった。サクラはそっとカナを見上げる。カナの顔にかかっている陰が酷く重たいことは、サクラにも見て取れた。

「......カナ。サスケ君とナルト、追いかけよう?」

それでも、サクラはカナのほうへ手を差し出す。微かな希望に縋る想いで。
だが、サクラの耳に聴こえたのはただ小さな声。

「ごめん......サクラ」

それは拒絶の言葉だった。サクラはきゅっと伸ばした手を握る。カナが何に謝っているのかは恐らく誰にもわからない。サクラには訊くのも憚られた。

「......いつも、一人で抱え込んでるのね」

踵を返すサクラ。その言葉に反応したカナはゆっくりと顔をあげた。
赤の服に、鮮やかな桜色の髪。
その後ろ姿へとカナは何か言いそうになったが、結局擦れた息しか出ない。カナはサクラの震える声を聞いているだけだった。

「知ってるわよ......アンタが強がりで、何でも自分でしようとする性格だってことくらい。けど、けど仲間なんだから......!アンタの傷の痛みもちょっとは分かってるつもりなんだから、少しくらい、頼ってくれたっていいじゃない......バカカナ!!」

そうして、サクラは足早に病室から出て行った。ナルトとサスケを追ったのだろう事はカナにも分かった。

「(私の......痛み?)」

カカシが話した事などは一切知らないカナは、ただ胸の奥に渦巻いた違和感に密かに気付いただけだった。深く考えずに、両手を組んで握りしめる。

「(サクラ......違うよ。私は今、目を背けてただけだった)」


ーーサクラは、"現在(いま)"を壊さないために走り出したというのに。


「(ごめん......サクラ)」

カナはまた心中で繰り返す。サクラが出て行ってから数秒か、数分か。
カナはようやく動きだし、病室のドアを乱暴に開けたかと思うと全速で走り出した。
不思議なほど迷う事なく、カナは真っ直ぐ病院の屋上を目指していた。

「(私、怯えてるだけだった。私にできることだって、きっとまだあるのに、ひたすら地面を眺めてるだけだった)」

ーー分かりかけているからこそ、できることもあるというのに。

長い階段をひたすら上り続けていくカナ。その手に滲む汗を無視し、止まる事なく。
サクラが見ている希望を、カナも手繰り寄せたい。ーーーカナが希望を見れる最後まで。


 
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