第九十四話 0.1cm


「オイラ、これだけ近くで砂嵐見たの初めてだぜ、うん」
「あァそうかよ」

森の中でも一際高い木の上。至極どうでも良さそうに、サソリはデイダラに返事をしてやった。
二人の視界には吹き荒れる嵐。ある程度距離はあるが風が強く、デイダラは襲ってきた砂から腕で顔を庇っている。しかし、サソリは何にも動じず、ただじっと砂漠の暴風を見ていた。
サソリが感じているのは嵐の奥から感じる"特殊なチャクラ"。ーーここで獲物を逃すなど。

「おい、デイダラ」
「うん?なんだ、旦那」
「そこにヒルコが転がってるのは知ってるな」

サソリは指だけで下の傀儡・ヒルコの残骸を指す_そして、「ああ...?」と曖昧にデイダラが返事した途端、サソリは足元を蹴っていた。

「それアジトに運んどけ。あとはオレがやってやる」
「ハァ!?お、おいサソリの旦那、アンタあれに突っ込んでくのか!?」

デイダラが喚くも、サソリは聞く耳も持たないまま。その姿はあっという間に砂嵐の中に入っていった。呆然とそれを見送ったデイダラは既に他に成すすべなく、地に転がっているヒルコを再三見て、溜め息をつくのであった。



ーーーこんな時にふと頭に思い浮かんだのが、彼の事だった。
冷静沈着を装ってその実優しい彼が今もきっと苦しんでいるのだと思うと胸に痛くて、ここ数日早く会いたいと思っていた事を思い出す。昔からいつも、一緒だった。孤独を感じていた心を救ってくれたのが彼だった。一緒にいて心から楽しくて、落ち着くのが彼だった。

「(大切だから)」

そう思う。だから早く会いたいし、早く救いたい。一緒に......一緒に、いたい。
一緒に、いてほしい。


『_い、お_ろ』
『さ_さと_きやが_ってい___だろ』
『殺__て_か』

『問答無用で連れてくぞ』


「__ッ!?」


がばっ。
急に起き上がった銀色は、しかし「痛っ...」と途端に左腕を抑えていた。そうして僅かに顔を上げ、カナはようやく何よりも反応しなければならないものに気づき、口を噤む。

"目の前の人物"との顔と顔の距離、僅か二センチ現在。

道理で右腕が動かしづらい。腕を掴まれ引っ張られ、カナとその人物の体の距離もそうはない。

「(え......っと)」

しかしながらカナの頭の中は異性の相手との距離よりも、この相手への疑惑だけに支配されていた。

「......誰、ですか?」

赤色の髪が特徴的なこの青年サソリは、そんな間の抜けたカナに逆にペースを崩されていた。他意たっぷりだった体勢をやめ、カナの腕も放す。

「つまんねェヤツだな、お前」
「え?」
「オレが誰だ、か?さっき戦ってた相手も忘れたのか」
「......?」

きょとんとするカナ。そうしてふっと脳内を過ったつい数時間前の出来事。

「!!」

カナはハッとしてその場から飛び退いた。
やっと状況を把握する。砂嵐はまだやんでいないのだ。ただ二人はこの荒れ狂う嵐の中、ひっそりと佇む小さな洞窟に避難しているだけなのである。そう......二人。紫珀はもちろん、デイダラもいない。

「あなた、あの傀儡の...!」

しかしカナは身構えたところで、体中を襲う痛みに耐えきれなかった。呆気なく膝をつき、ただ眼光だけでサソリに対峙する。一方で、サソリはといえば動かず呆れたようにカナを見ていた。

「止めとけ。戦闘でかなりダメージを受けている上に、この砂嵐に当てられてんだ。大体こんなところでおっぱじめてどうする。この洞穴が崩れるだけだぜ」
「う......」

悔しいが正論である。カナはサソリを警戒しつつ、元の場所に戻り座った。そうして訪れる沈黙の中、両足を両腕で抱きしめるカナの米神に冷や汗が伝った。そうっとサソリを見たカナの頭には疑問符だらけだ。落ち着いた物言いといい物腰といいてっきりもっと年上だと思っていた...というのもあるが、何より。

「......どうして、砂嵐に巻き込まれたんですか?」
「別に巻き込まれたわけじゃねえ。自分から進んで入った」
「......どうして?」
「風羽カナ、テメェを逃がすわけにはいかねェからな」

そう言ってぎらりと光るサソリの瞳に、カナは戦闘時と同じ冷たさを背に感じた。相手を圧迫するような威圧感は間違いなくヒルコから醸し出ていたものと同じである。「(逃げられない)」とカナは身にしみて思った。相手が一人になっても簡単な相手でない事は確かだ。おまけにサソリは砂嵐の中までカナを追ってきたという。「(逃がしてくれるわけがない)」と、半ば絶望的な気分がカナを襲った。そうっと洞窟の外の轟々と唸る砂嵐を見つめる。

術を発動する間もくれないだろう。紫珀の助けは有り得ない。

ずきりと再び痛んだ左腕を、カナはきゅっと押さえ込んだ。その時だった。

ヴン__

カナは不思議な感覚に包まれ、ぎょっとして正面を向いた。見ると、サソリが遠くから手をかざし、そこから出る淡い薄緑のチャクラがカナの左腕を覆っているのである。カナはすぐさま身構えて動こうとしたが、その前に「じっとしてろ」と言われ、何故だか身動きがとれなくなっていた。

「心配すんな。治してやってるだけだ」
「......え?」

更にぎょっとするカナである。しかし、驚いて視線をまた左腕に戻せば、確かに傷の痛みが徐々にひいていた。止血までされ、もうあまり酷い状態にも見えない。オマケにそこかしこの傷も治り始め、カナは目を丸めているしかなかった。
すると全てを終えたサソリが喉の奥を鳴らして可笑しそうに笑う。「ずいぶん間抜けな顔だな」と言われ、カナはやっとその顔をサソリに向けた。

「な、何のつもりですか?」
「礼儀がなってねェな。治療してやったんだ、まずは感謝の言葉だろうが」
「......ありがとう、ございます」
「フン。ま、いいとしてやる」
「は、はあ......」

カナは間抜けた声を出してまた左腕を摩った。もう痛みはすっかり消えている。
サソリはもう興味なさそうに外の砂嵐に目を向けているが、カナはまだ引き下がるわけにはいかない。「あの」とカナは勇気を出してもう一度声をかけた。

「どうして治してくれたんですか?」

するとサソリはカナを一瞥した後、ひっそりと自身の手を見つめた。
その瞳には自身に対する疑念も少量混じるが、それは相手に見せることなく塞ぐ。サソリにとってカナはとるにたらない相手のはずだ。

「......気まぐれだ」
「気まぐれ?」
「ああ。医療忍者としてのオレのな」

「医療忍者......」とサソリの言葉を繰り返すカナ。サソリはフンと笑うと、「普段は毒専門だがな」と返した。カナはこくりと唾を呑み込んだ。サソリを、常に戦いに身を置いている人なのだろう、と思う。

「(毒専門の......犯罪者。こんな、私とそう年齢の変わらない人が)」

サソリの実年齢を知らないがゆえに、カナはひたすらに疑問だった。きっとこの人にも、里の仲間と歩む未来が横たわっていただろうのに、と。

「...どうしてあなたは、犯罪者の道を進んだんですか?」

そう問うカナの脳内には様々な顔があった。サソリだけではない、デイダラも、イタチも......北波も。
全員の答がそこにあるわけないと知りつつ、カナは堪えきれなかった。暁に入った彼らは、何を思って光ある道を選ばなかったのか?
ーーサソリはカナを一瞥し、すぐには答を啓示しなかった。口を開いた時には、逆に、問い。

「"犯罪者"、"罪人"、"無法者"。お前らはそういう言葉で、何の疑いもなくオレらのような者を指す。だが、じゃあお前はこの世界でのその定義を何だか知ってるか?」
「...え?」

それはカナが予想もしていなかった言葉だった。サソリの視線がまた洞穴の外へと移動する。

「お前ら五大国に住む奴らはオレたちをさも当然のようにそう呼んでやがる。それぞれの"犯罪者"によって理由は異なるが、この世界では大半が"殺し"でな」
「......あなたも、それで」
「オレは...フン、まあそうか」

目線を地に落とし、サソリは鼻で笑う。厳密に言えばサソリの場合"ただの"殺しではないのだが、そこまでカナに教える必要もサソリにはない。戸惑いながらも真っ直ぐな光を放つカナに、サソリも目を合わせた。

「一般的に見たらそりゃァ"殺し"は"悪事"なんだろう。罪もない人を何故ってな。馬鹿みたいにそう言うヤツがいやがる。だがじゃあ、そういうヤツらは、一体何なんだ?」
「......」
「忍は少なからず"殺し"をする職業だ。オレたちとの違いは、ただ任務についてるかついてないかだけの違いだろ」

カナは反論できない。カナ自身は未だ"殺し"を犯した事はないが、そうしてきただろう者たちのことはよく知っている。今もどこかで誰かが殺し殺され、しかしそれは"任"であるがゆえに罪に問われることはない。
何が正しい?ーーその答は誰にもわからない。
カナが大蛇丸や北波に復讐を思い立てないのは、そうすることの意味はないと知っていると同時に、風羽の多くの者たちもまた、"忍"だったからだ。サソリが言うように"殺し"が罪だと言うのなら、忍世界に生きる者たちのほとんどが、"罪人"だ。

「オレは思ってる。同じ"殺し"のくせに、任務についてりゃあそれが"正義"だと思っているヤツは...オレたち"犯罪者"と呼ばれる奴ら以上に、タチの悪い奴らだってな」

そう言うサソリの声は過剰な程に静かだった。カナはじっとサソリを見つめる。カナがサソリの全てを知る理由はない。だが、カナの目にも、その作り物のサソリの瞳に不可思議な感情が見えていた。

「(それでも、彼らが"罪人"じゃない、なんて事にはならない......けど......)」

密かに思ったカナは、震えた手を抑えて、ぽつりと言った。

「名前......」
「は?」
「あなたの、名前。教えて下さい」
「.......」
「私は五大国に仕えてる忍だから、同意はしかねるけど......あなたの言ったことの意味は分かる。でも、名前もないんじゃ私はあなたを"犯罪者"の枠組に入れておくことしかできない。だから、あなたの名前、教えてくれませんか」

じゃないと、私の中であなたは"暁"という犯罪組織の一員でしかなくなってしまうから。
そう言ったカナを前に、サソリは言葉に詰まっていた。「(何なんだ、コイツ)」と率直な感想が心底から湧き出て、サソリは言葉をうまく選べない。サソリは別段 カナに同意して欲しくて話していたわけでもないし、それは恐らく、減らず口もいいところのはずだった。だというのに。

「......教えるわけにはいかねェ」
「......そうですか」
「お前がこっちに..."暁"に堕ちるってんなら、話は別だがな」

サソリは鼻で笑って動揺を隠す。だが、対してカナは初めて即答していた。

「それだけは無理です」

サソリが怪訝に思う程その口調はきっぱりしていた。カナの目の奥で回るのはどうしても譲れない者たち。ずっと共に走ってきた仲間。迎え入れてくれた隠れ里。カナの世界。

「離れたくない......壊したくない。木ノ葉が、木ノ葉での日々が、私の一番だから」
「......オレらのところに来ても同じモノを見つけられるかもしれねェぜ」
「そうかもしれません。でも、それは決して同じではありえない。私の大事なモノは、ずっとあそこにある。それだけは変わらないんです......例えどんなことがあっても」

そうして、カナは初めてこの場で微笑みを見せた。それはサソリへのものではなく、自身の居場所を思い出してのこと。
それを見てか、サソリは自分でも気付かぬ間に視線を外す。その内に渦巻く感情は苛立ちに似ていた。だが単純なそれでない事も確かだった。"この女は思い通りにいかない"。ーーそれへの不満だったのかもしれない。
サソリは何故か可笑しくなり、くつくつと笑った。するとカナはサソリを不思議そうな顔で見た。

「お前、"風使い"だったな。それを忘れてたおかげで、オレのヒルコがバラバラにされたんだが」
「......謝りませんよ。それが何か?」
「この砂嵐の暴風があとどれくらいでやむのかは分からねェのか?」

カナは突然の質問に首を傾げたが、とりあえず洞窟の外に目をやり、自身の特異な能力を使った。

「...規模は確実に小さくなってるし、風の音もかなり弱まってます。...それが?」

数秒と経たないうちにカナが答を出せば、サソリはニィと笑った。

「賭け、しねェか」
「......賭け?」

立ち上がるサソリ。カナまでそう遠くもない距離を、サソリはゆっくりと詰め寄り始める。
サソリの言動の意味が掴みとれないカナは、冷や汗を流して身を引いた。すぐにでも退避できるようにこっそりと体勢を整える。カナの目の中で笑むサソリの表情は、まるで獲物を見つけた獣。

「......どういうことですか?」
「あと二分以内にこの砂嵐がやめば、お前を逃がしてやる。追うこともしねェ」

カナは思わずまじまじと相手を見てしまった。

「ほ......本気で?」
「こんなくだらねえウソつくかよ。だが、止まらなければ......」

更に歩を進めるサソリ。身構えるカナだが、サソリに殺気はない。
だからこそ余計に次の行動が読めない。今にも逃げたい気分でいっぱいだが、そうする前に、既にサソリはカナの目の前にいた。座っているカナに目線を合わせるようにしゃがみ、整った顔で笑うーーー

「止まらなければ......オレがお前を逃がすことは絶対にねェ。プラス」
「.....?」
「口づける」


「........................はい?」


緊迫した空気が急に抜けた。
カナは目を瞬いて間近のサソリの顔を見る。大体カナの性格を理解し始めたのか、サソリは余裕の笑みを絶やさない。心拍数はカナのほうが断然上である。だが、理解はできない。
......この人は、正気か?

「じょ、冗談」
「じゃあねえな」
「な、なんでいきなりそんな」
「きまぐれだ。一分経過」

サソリの手がカナに伸び、銀色を掴む。

「痛っ......」

引っ張られる痛さから逃れるためにカナは顔を自ら前にする羽目になるが、そうなると二人の顔の距離は一層近くなった。

「(ちょっ)」

カナの中で沸き起こる焦燥は恥じらいでこそないが、それでもこの状況に戸惑いは隠せない。
砂嵐の音だけがカナとサソリの耳に響き、サソリは笑んで、カナは顔を引きつらせて。

「三十秒」

淡々とサソリの口から吐かれるタイムリミット。
カナはこの状況を打破するすべを思いつかないし、冷静に判断する頭が今はない。ただサソリが小声で刻む刻限を聞いているのみ。


「残り、十秒」


ーーーサソリから最後と思われる言葉が告げられた時。
こんな時にふと頭に思い浮かんだのが、彼の事だった。昔からいつも一緒だった。孤独を感じていた心を救ってくれたのが彼だった。一緒にいて心から楽しくて、落ち着くのが彼だった。

カナは気付く。
無意識に思い返していたヒトは、幼なじみだったということに。


 
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