第八十八話 遠い、背


「......、ん」

銀の髪が風に靡き、柔らかな糸はカナの鼻をくすぐった。茶色の瞳がうっすらと姿を現す。

「(...ここは?)」

眼球に映った一面の緑に、カナは惚ける頭を懸命に呼び覚ました。
森の中ーー鬱蒼と生えている茂み。木々の間から入る温かな日差し。カナの耳に森のざわめきが響く。自然の音は言うまでもなくカナが好きな音色の一つだが、

「(...木ノ葉じゃない)」

カナは確かに木ノ葉の町中を歩いていたはずだった。

「......どこからが、夢?」

カナはぽつりと呟いた。カナは、自身の頬を涙が伝った感覚を覚えていた。

遠い過去の夢をカナは見ていた。カナにとって、それは久方ぶりの夢。だがそれ以前にも、カナは今でも信じられない人物を見たのだ。ーーあの時、イタチを見たのは、夢か否か?

覚醒したカナの頭はすぐに答を出した。カナは乾いた喉を鳴らす。
あれは、現実だった。あの時の心臓の鼓動をカナははっきりと覚えている。今も、カナは次第に速まっていく脈を感じた。

「お兄ちゃん......」

よたり、とカナは立ち上がる。地面を踏みしめ、鼻に広がる草花の匂いが沸き上がった。

不思議と複雑な考えはカナの中に生まれなかった。何故イタチが自分を、とか、どうしてこんなところへ、とか、一体どこへ、とか。
ただ、カナはこの地が、昔の優しいイタチと繋がっているような気がしていた。柔らかな風から日だまりから何まで、カナ、そしてサスケもイタチに対して感じていたもののはずだ。

そうしてカナは何かに惹き付けられるように顔を上げていた。さわり、とカナの髪が風に流れるーー邪魔をする前髪を、白い手が抑えた。

カナの目が見つけたのはまさに、過去のカナの幼なじみーーイタチ。
カナが凭れて寝ていた大木の、その天辺に近い枝の上で寝ている姿。それを認めて、カナはぐっと拳を固めていた。


「イタチ、お兄ちゃん......」


カナの脳裏に数々の思い出が過っていく。幾度もカナの頭を撫で、カナをおぶり、優しく微笑み、弟であるサスケと同様にカナに接してくれたイタチ。無論、サスケが憎むほどのことを犯したイタチも知っているけれど、それでもカナは昔を想うと、割り切れないままなのだ。
イタチのことを今でも、大切な、兄のような人だと。
カナが知っているイタチは、己の欲望を理由に大罪を犯すような人物ではないから。

ぐっと膝を折り曲げ、カナは跳躍していた。カナが降り立ったのは、イタチのいる枝の上だった。
この一瞬で二人の距離は唐突に縮まった、しかし、イタチはぴくりとも動かなかった。それが狸寝入りなのか真に疲れているからなのかカナには判断つかない。カナは臆することなく、イタチのすぐ側にしゃがみこんでいた。

カナはただただイタチを見つめるだけだった。無防備なその姿に何をする気でもなかった。
ぺたんと座り込んだカナは、両手を膝の上で握りしめ、必死に溢れそうな"何か"を耐えていた。



自来也、ナルト、そしてサスケを背負ったガイは今もイタチらを追って水上を走っていた。自来也もナルトも表情をきゅっと締めているが、ガイだけは別の理由で顔を強ばらせている。サスケが腕と肋骨の骨折を負っていると知って、負担をかけないよう必死になっている故である。

そのサスケを頭の隅で気にしながらも、しかし同時にナルトは全速力で走っていた。

「速すぎるかのォ、ナルト」
「全然平気!」

前方を走る自来也がそんな気遣いをしてもなんのその。明らかに強がりだが、自来也はそんな弟子に最早何も言わず、フンと笑うだけ。どうせナルトが億が一 弱音を吐いたところで三人が休憩する暇など一切無いのである。

だが、それにも関わらず、自来也は唐突に足を止めていた。反応できなかったナルトが勢い余ってその赤い背中にぶつかる。いってェ〜っと鼻を抑えるナルトにも自来也は振り向かない。注意深く辺りを伺い、すっとその場でしゃがんでいた。

「どうかしましたか?自来也様」
「......う〜む。どうやらヤツら、ここで水上移動をやめたらしい。急にチャクラが消えとる」
「え!?そ、そんじゃあどうすんだってばよ!?」

だがぎょっとしたナルトの頭は瞬時に自来也の手に揺すぶられていた。自来也は呆れ顔である。「誰もどこに行ったか分からんなんて言っとらんだろうが」と言い、そしてすっと河原を指差した。

「ヤツらはそこから上がってった。恐らくは消耗した体力を回復させるため、どこかで休憩でもしてるんだろうのォ」
「さっさとそれを言えってばよこのエロ仙人!!」

頭に血が上っているナルトだ。鉄砲玉少年は、師の指示を煽る前に真っ先にその河原へ向かって行った。
ものすごい勢いで遠ざかっていくその小さな背中に、自来也は一つ大きな溜め息を零す。反対に、頼もしそうにそれを見ているのがガイ。「ワシらもさっさと行くぞ」との自来也の声にガイも返事をし、二人は一気にナルトに追いつき走り出した。

先頭を走るナルトは、先ほど以上に真剣なもの。

「(待ってろよ、カナちゃん...!)」

心の中で仲間を想い、ナルトは歯を噛み締めた。
ーー手を出させてなるものかと。温かくて、優しい、まるで"姉"のようにまで感じてしまう少女に。



カナは、そうっとイタチの顔に手を伸ばしていた。
細い指が滑るようにその頬を撫でる。過去幼いカナを安心させた温もりが、今のカナの肌にも伝わった。

「......あの夜。私も泣いてたけど......お兄ちゃんも、泣いてたよね......?」

小さく、だが、響き返る。カナの頭を流れる、夢の中で見た、現実。
イタチの体温に触れたその手を、カナはゆっくり自身の額に当てた。懐かしい温度を思い出すように。カナは眉根を寄せていく。震える声で、また呟く。

「でも......やっぱりまだ、わからないんだ......。お兄ちゃんがどんな痛みを抱いて、あんなことをしたのか......私には、全然」

カナは今もイタチを想っている。サスケがどれほどイタチを憎もうと、サスケの前で口に出さずとも、それは変わらない。
だが、カナがどれだけ強い想いを抱こうとも、カナが二人を仲裁する事は叶わない。サスケの想いは既に他人がどうにかできるものではないのだから。それができるのは、本人たちのみであるということを、カナは悟っていた。

「......私は......全てを壊さない為に。これからも、サスケと一緒にいるよ......」

静かに息をたてているイタチを目に、カナはそっと紡ぐ。今にも感情を漏らしそうな情けない顔を抑えようとすれば、カナの顔は自然と俯いていた。
しかし、再びイタチに目を向けた顔には確かな決意も。

ーー木ノ葉に帰らないと。

イタチの目的をカナが知るすべはない。現在のイタチの事をカナは何も分かっていない。しかしカナの中の第六感が、ここを今すぐ離れるべきだと叫んでいた。名残惜しくとも、イタチが起きる前に。

カナはおもむろに立ち上がった。その瞳はまだイタチを見続けている。

カナがイタチを想う時、いつも脳裏に浮かぶのはあの夜の事ではない。平和な時を共に過ごしていた事。イタチと、サスケと、カナと。笑い合い、競い合い、遊んで、走り回って、カナとサスケはいつでもイタチを目指していた。

「あのね、お兄ちゃん」

カナは姿を翻して、青空を仰いだ。

「サスケは、きっと今でも昔のお兄ちゃんを求めてるんだよ。昔のお兄ちゃんが大好きだったからこそ、あの夜のお兄ちゃんを否定して、復讐にとりつかれてる......私はそう思うの。......どうしたらいいのか、やっぱり私にはわからないけど......でも、私は......きっとサスケも。昔のお兄ちゃんに、帰ってきてほしいだけなんだよ......」


それだけ、なんだよ。


ーーそうしてカナは、逃げるように地上へ下り、振り返りもせずに走り出していた。自分の居場所も木ノ葉への道も分からないと知りつつ、この場から早く逃れようとするように。
昔の幼なじみに泣いて縋り付く醜い姿を晒す前に、足にチャクラを込めて、カナは精一杯走った。

僅かに開いた黒い瞳が、柔らかく銀色を見つめていたことなんて、知るはずも無く。




走る。走って、走って、走り続ける。ただただ前だけを向いて、木の根につまづいてよろけても、すぐに踏ん張り視線を強くして。
短くなった髪を身軽だと感じた。だが、短髪は昔を連想する。イタチがいた頃の思い出。三代目に引き取られて数年経った頃の記憶。
必死に頭から追いやろうとしても、それはカナに絡み付く。頭に再びあの夜が過っていった。



過去でも、カナは走っていた。電灯も家の明かりもなく、月光だけが照らす道のりを、そこら中に倒れている亡骸を視界に入れないようにしながら、一直線にうちは家を目指していた。時間が経つ度に不安が小さな心を襲っている。サスケと共に行けば良かったという後悔も。
だが、遠い遠いと感じていた目的地は、確実に近づいていた。

「...は、ぁ、ハア.......ッ」

うちは家の前に辿り着いた頃には、また息が上がっていた。だが、今度こそゆっくり息を整える余裕はない。見慣れた家の扉を睨み、震える手で引き戸に手をかけた。

だが、開ける前に背後を振り向いていた。そこには月に照らされた、うちはの家紋が並ぶ塀ーーその中の一つだけ、真ん中が裂けている。カナは胸にざわりと這い寄るものを感じた。
ーーああしたのは、確かイタチだった。

「(......何考えてるの、私)」

すぐさま頭を振る。視線を戻して、ようやくそろそろと戸を引いた。待ち受けていたのはただ、暗闇の廊下。
ここを出る前に見たミコトの笑顔は、ない。

「ミコトさん...フガクさん...?お兄ちゃん、サスケ......」

怖々とこの家に住む者の名を挙げてみたが、予想通り、返事は一切なかった。じわりと手の平に汗が滲む。意を決して戸を全て開けきって、怖々と中に進んだ。あまりにも静かで、逆にしん...と聴こえてきそうなほど静寂が滞っている。
カナはごくりと唾を呑み込んだ。

「(気配が...)」

だがその想いを振り切り、サンダルを放り出して廊下を走り出した。
うちは家は広い。部屋はいくつもいくつもある。それらを手当たり次第に開けていって、そのたび背筋が冷えるのを感じた。

「(気配が、どこにも...!)」

ーーミコトやフガクはどこかへ避難したのだろうか?イタチは敵襲を察知してどこかで戦っているのか?サスケは違う所に向かったのか?
カナは焦る足を止められない。一つ一つ部屋を確認して、一つ一つ可能性を潰している。

しかし、それはいつしか最後の部屋となった。

うちは家の最奥にある部屋。だだっ広く、カナもよくイタチやサスケと共に遊んだ場所ーー。ここでなかったらうちは家の人間は誰一人としてこの家にいない事となる。

どくり。何故か一層高鳴った心臓に、気付かないフリをした。

ゆっくりと戸を押した。重い戸は一息では開かず、だがそれでも窓から月明かりが入り込んでいるのが見えた。だがほぼ真っ暗で、何もーーー
.........何も?

「(......あ、し......?)」

暗闇に慣れてきた目に見えたのはーーーヒトの、脚だった。
一層背中に嫌なものを感じ、手の力が弱まっていく。重々しい音をたて、また扉は閉まっていく。

「(......今、の、は?)」

ーーしかし、カナはすぐに眼力を強くした。自分を戒め、一気に扉を弾き開けた。
今見たものを、気のせいだと、思いたかった。

血溜まりの中にミコトとフガクが倒れているだなんて、信じたくなかった。
ーーーだがそれは、現実だった。

目を見開くカナ。全身の力が一気に抜けたように、すとんと脚の力が抜けていた。吐息に混じった声はか細い。

「ミコトさん...フガクさん...?...ミコトさん!!フガクさん!!」

その場で叫んだ声は、虚しくその場に響き渡る。答えるものは誰もいない。カナだけの空間があった。
ミコトとフガクは既に、あの世に落ちている。もう此処には、無い。

笑う顔。笑う顔__カナを迎え入れてくれた、優しい笑顔が消えていく__

「(な.......っ泣く、な...!)」

目を強く瞑り、拳を強く握った。震える足に鞭を打ち、必死に力を振り絞った。

「( 泣くな...泣くな...)」

既に学んでいる。絶望は、何も生まないことを。


「泣くな!!!」


ーーその声と同時にカナは扉を開け、元の道を引き返した。
真実を知らなければならない。風羽の時は、カナは結局何も知らぬまま、ただ事実が過ぎていったのだ。同じ事を繰り返したくない...ここで全てを失うわけにはいかない。真実を知ったところで自分には何も出来ない事も分かる。だが、だからといって静止は許されない。

「サスケ......お兄ちゃん!!」

暗い廊下を辿り、カナは裸足で玄関を飛び出していた。石ころでどれだけ足が傷ついても気にするわけもなかった。先ほど以上に必死に走り続けた。未だ行方がわからない、大切な幼なじみたちの姿を捜して。




「(...そして、二人はその先にいた...)」ーーー現在のカナは森の中を駆けながら思い返す。強く下唇を噛み締めて。



全速で走っていたカナは唐突に足を止めたーーそれはその光景を目にしたからだった。

サスケがイタチの前に、イタチがサスケの前に立っている。
しかしそれはカナから見ても異様な雰囲気だった。

「(...なに...?)」

肩で息をし、困惑に目を丸めるカナ。この状況下でサスケがイタチに助けを求めている様に見えない。イタチがサスケに激励の言葉をかけているようにも見えない。カナの位置からサスケの顔は見えないが、イタチはその瞳に宿る写輪眼でサスケを見つめていた。

その瞬間、サスケの目の前でイタチが消える。サスケがそれを追いかけていく。ーーカナは何かが背中を這うのに気がついた。

「ま...待って!」

叫んだカナも追うように走り出したが、サスケもイタチも振り返りはしない。
そのうち、カナの目の中で、サスケが地面に刺さっていたクナイを抜き、それをイタチに放っていた。

「サスケ!!?」

ーー何をしているの。
カナの視界では、全ては見えなかった。ただ、そのクナイがイタチの額当てを落とした事は分かった。
追って来るカナも知らず、兄弟は高台から飛び降りる。勢いづいたカナは柵から乗り出す形になって見下ろした。
そこには、落とした額当てを再び結ぶイタチと、肩口を抑えその場にへたり込んでいるサスケ。


そして、カナの目に映ったのは。
月に照らされ光る、イタチの目から零れ落ちた涙だった。


カナがその光景に息を飲んだ途端、サスケが倒れ込んだ。

「サ...サスケ!?」

いてもたってもいられず、カナは潔く飛び降り、サスケに駆け寄っていた。「サスケ...!」とそう呼びかけても返事はない。だが、肩の怪我はただの軽いものだ。

安堵の息を漏らすと共に、カナはゆっくりイタチを見上げていた。
イタチは初めからカナに気付いていただろう。だがカナを振り向きもしなかった上、その時も、カナに顔を向けはしなかった。

「ど......どういうことなの?イタチお兄ちゃん......」

カナの口から震える声が漏れる。サスケの体温を求めるように、その体を抱き寄せていた。

「どうして......サスケはお兄ちゃんに、クナイなんて...。ねえ、ねえ......なんで?お兄ちゃんは、みんなをこんなにした誰かと、戦ってたんじゃないの......?」

冷たい風が吹く。沈黙が痛い。カナは熱い瞼を無視しようとした。
ーーこれほど、イタチの背を遠く感じた事はあっただろうか?
これまでもカナにとっては、底が見えないほど強いイタチを、遠い存在に見たことはあった。いつになったら到達するのかと悔しがった事もあった。だが、明らかにそれは今のカナの胸に渦巻く感情とは違う。

つぅ、と。未だ何も知らないはずのカナの頬に涙が流れ落ちていた。
そうしてイタチから与えられた"解答"に、カナは愕然とした。


「戦う...?そんなはずないだろう。うちはを殺したのは......このオレ自身なのだから」


あまりにも冷徹な答えだった。振り向かないイタチは、ただ淡々と。ーーイタチが、この殺戮を。何人も、何十人も。
「......うそ」と、無意識にカナは漏らす。酷く弱い言葉は、イタチには届かなかっただろう。

「うそ......嘘だよ!!」

そう叫ぶが、カナはイタチがふざけてこのような事を言う人じゃないと知っている。
案の定、イタチは「...嘘じゃない。真実だ」と静かに答えていた。

「言っただろう。大事な用がある、と」
「そ......それがこれ......!?みんなを、ミコトさんを、フガクさんを......殺すことが!?」
「......ああ。そうだ」

ぼろり。カナの目から更に大粒の涙が零れた。

「うそだ......うそだよ......!」
「......」
「どうして......?どうして、どうしてこんなこと......!」
「......己の器を量るため。...そして、この矮小な一族に失望した為だ」
「うつわ...?わいしょう...しつぼう...?」
「......」
「わからない...そんなの、全然わからないよ!どういうこと、どういう、意味なの!?」

「......お前には分からないさ」

だが、イタチは答えなかった。カナにイタチから無理矢理聞き出すすべはなかった。ーー気付いた時には、イタチは幼いカナの視界から消え、カナは振り向く間もなく背に手刀を感じ、意識を失っていた。

目が醒めた時には、既に何もかもが終わっていた。カナは結局 "本当の真実"に辿り着けないままだった。

「(私は、昔も今も分かってない。お兄ちゃんが何を考えてあんなことをしたのか......ああ言ってたのに、どうして泣いてたのか)」

"優しいお兄ちゃん"。それが、作られていたものだとはカナには思えない。改めて実力の差を見せつけられたあの気絶する一瞬、微かに見えた気のする、イタチの頬を涙が伝った痕。

もし何か理由があってああしたんだとしたら、お兄ちゃんは今、どれだけ心を痛めてるんだろう?

雑念はペースを崩す。息を荒げたカナは一度 足を止め、休息をとるため近くの木に凭れ掛かった。息をする度、喉が痛み、カナは顔を歪める。見上げた青はその目に痛い。

「泣くな......ってね」

あの時の自分の声を、カナははっきりと覚えている。今にも感情を吐き出してしまいそうな今のカナを、かろうじてその台詞が支えていた。

「(......行かなきゃ。早く、帰らなきゃ)」

唱えたカナは再び足に力を込めた。銀の髪が風に靡く。カナの頭に、傍にいるべき大切な人が映る。
ーーサスケ、と心中で呟いたカナは、

しかし、突如聴こえた酷く残酷な声に行く手を阻まれた。


「どこへ行くおつもりですか?」
「!?」


反射的に振り返ったカナは、視界に捉えた"その"容貌に息を呑んだ。
カナの身の丈程もある大刀を抱えた、そこらの大男など比べ物にならないほどの巨漢。男の口から覗く鋭利な歯、その口は愉しそうに歪んで。

「(ーーー逃げなきゃ!!)」

誰だと聞くこともないままカナは走り出していた。カナの本能が叫んでいた、ただ、逃げろと。
イタチと同じ黒の衣を身につけたこの男に敵うわけがないと、カナは一瞬で悟った。
だが、そのカナの横に男はすぐ並んでいた。

「逃げないで下さいませんかねェ。アナタを殺すわけにはいかないんですから」
「!? どういうことですか......!」

カナは必死で走っているが、男は余裕綽々だ。その青い肌の手が大刀に手をかけるのを目にカナは体を固める。異様にも、大刀自身が生物のように蠢いているのだ。

「教えてあげましょうか。私の大刀"鮫肌"は、強いチャクラが大好きなんですよ」
「...!」
「ついでに......気付いてます?アナタの放っているチャクラ、もうアナタ自身のチャクラだけじゃない。"神鳥"のチャクラ...混ざってますよ」

カナは全力で隣の男から逃がれようとしたが、それは刻一刻と無駄な努力に近づいている。スピードもパワーも経験も、圧倒的に勝っているのは無論男のほうだ。カナが逃げられる要素など一欠片も有りはしないーー。

青い手に引き抜かれた鮫肌の包帯がほどかれていく。隠れていた大刀の本来の姿が露になっていく。その矛先が向いた瞬間カナは後方に跳んだが、男が遅れをとるはずもない。

今にも振り下ろされようとする鮫肌に、カナは両手で防ぐ行為しかできなかった。


「伏せろカナ!!」


聞き覚えがある声。カナは瞬時にそれに従い、地に転がっていた。

すると、カナの頭上をクナイが通っていくーー真っ直ぐに放たれた忍具は、男が反応する前に鮫肌の包帯を刺し、木に張り付けていた。ビンと包帯が張り大刀はそれ以上動かない。
クナイを目に忌々しげに舌打ちした大男は、カナと同時にクナイが飛んできた方向を捉えた。

「そいつに手を出させるわけにゃあいかんのォ、鬼鮫......」
「大丈夫か、カナちゃん!」

そこには、クナイを放った構えのままの自来也と、サスケを背負うガイ、すぐさまカナに向かい走り出したナルト。
驚いていたカナの手を取った途端、ナルトはまた元いた位置に引き返す。瞬きする間にカナは安全な場所へ移された。しかし、ゼェハァと肩で息をしているナルトの隣で、カナは未だ自分の置かれた状況を掴めていない。
戸惑う瞳はゆっくりと周囲の人間を確かめていた。ナルトを、自来也を、ガイをーーそしてサスケを。
サスケは今、生気の薄い顔でガイに背負われている。

「サスケ...!?」
「落ち着け、カナ。リアクションは後だ。今は前に集中しろ」

カナを追って来た男、鬼鮫のほうを顎で指すガイ。鬼鮫はそこで再び構えている。睨む先は自来也。クナイは地面に落とされていた。

「これはこれは。また三忍のアナタにお会いするとは」
「なにをトボケたことを言っとる。カナを連れさっておいてそれはないだろうのォ...。また会うことを承知の行動じゃなかったのか?」
「さて......どうですか、ね!!」

自来也のほうへと狙いをつける鬼鮫。鮫肌は勢い良く天を仰ぎ、自来也に向かっていた。距離がそれほどあるわけでもない。どんどん迫ってくる鬼鮫を目に、ナルトらに「下がってろ」と言う自来也。
ガイは現在身動きできず、ナルトも力量の差を先刻承知済みであるからその指示に素直に従う......が、カナは未だに状況把握ができていない。
しかし、カナはナルトの手に再び引かれ、ナルトの背後に誘われていた。

鬼鮫をただ、待つのみ。

ーーーだが、鬼鮫が目的まで到達することはなかった。その距離約五メートルといったところだろうか。
鬼鮫は、"その声"に従わざるを得なかったのだ。


「やめろ、鬼鮫」


青年の、冷静で沈むような声色。
鬼鮫に制止をかけたのは、他でもない、鬼鮫の背後に唐突に現れたイタチだった。

「......イタチさん」

だが、振り返った鬼鮫にイタチは視線を合わせない。イタチが真っ直ぐ見るのは確かに、目を見開いているカナだった。

「久しぶりだな。カナ」

似たようなセリフをついさっきも聞いたナルトの顔は、瞬時に驚愕と当惑に染まった。

「久しぶり...?カナちゃん、アイツ知ってんのか!?」

だが、カナが今、それに応える余裕はなかった。自来也もガイも無言を貫いて見守っている。拳に力を込めるカナの視線は、ただイタチに注がれていた。

「運良くお前を見つけたから連れてきたんだが......どうやら気を抜いてしまったようだ」
「......お兄ちゃん。どうして私を、こんなところに...?お兄ちゃんも、"神鳥"を狙ってるの...?」

否定してもらいたかった。だが、カナのその想いは叶わぬ願いだ。静かに肯定の意を返したイタチの声に動揺は一つもないーー。
服の裾を握り俯いたカナの、その頭に慰めるように手を置いたのは自来也だ。ギラつく双眸をイタチと鬼鮫に向ける。

「...で?どうするつもりかのォ、お前らは...。また戦うか?それともここは退くか?後者のほうが、ワシらにとってもお前らにとっても良い選択だと思うが」

静まる場の中、鬼鮫がもう一度 イタチを振り返る。先ほどは勢いで仕掛けたが、鬼鮫も今の状況の微妙さを判っている。勝つか負けるか、あまりにも危険な賭けといったところだ。
イタチはやはり鬼鮫を見返すことはなく、しかし無言で姿を翻していた。答は明瞭だ。察した鬼鮫は再び鮫肌を背中に下げた。

「(退くか......助かった、というところだの)」

自来也は密かに思う。自来也の実力はイタチを凌駕していておかしくないが、自来也の傍には今、護らなければならない者がいる。自来也は横目でナルトを、そしてカナを見た。

口を真一文字で閉じているカナの目は、イタチを真っ直ぐ映している。それは明らかに敵を見る目ではない。カナの瞳の中で、今のイタチの背は遠い。それは、いつか感じたものと同じ。

「......お兄ちゃん。私、ずっと信じてるから...。お兄ちゃんのこと......これまでもこれからも、今も......信じてる、から」


風が吹く。その一瞬で、イタチと鬼鮫は消えた。

揺れたカナの銀色を、自来也の手が優しく撫でる。また熱くなった目の奥を、カナは必死に閉じ込めていた。


 
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