それはある時代、ある国の物語。


その国は貧しかった。
王による政治は上級階級の貴族だけが懐を肥やすような差別的な社会を生み出した。
下級層と呼ばれる一般市民は毎日の生活の中、生きるのに精一杯だった。
何とか食いつないでいく為に彼等は必死に働く。
どれだけ必死に働いたとしても得られるのは一握りの銀貨、もしくは銅貨。
家族を養う為に。
生きていく為に。
今日も市場は活性に満ちている。



がやがやと市場は喧騒に満たされて、そのむせ返るようなヒトゴミの中を少年は疾走していた。
王が行った悪政の為に民は荒れ、町は荒れ果て、無法地帯が増えるばかり。
家族から引き離され、あるいは失い、残された子供は身寄りのない者同士で肩を寄せ合い、独りで生きる者も少なくはなかった。
少年もその一人だった。
力もなく、働く事も叶わぬ子供は盗みを行う事で生を繋いでいた。
少年は風の様に走った。
醜く太った大人には追い付けない。
疾風と化した少年を捕まえる事は出来ないのだ。
大人を煙に撒いて少年は立ち止まった。
視界に広がるのは紅い夕焼け。
少年の瞳と同じー…紅。
紅い瞳を歪ませて少年は唇を引き結んだ。
沸き上がる感情は捩じ伏せる。
押さえ付けて蓋をする。
今はただ、空腹の訴えを満たすのが全てだ。
自分に纏わり付く何かを振り切る様に少年は駆け出した。

「ー…いつまで、独りで盗みを続けるつもりなんだよ」

ある日の事、どこの店の商品を盗もうかと吟味している少年の背中に声が掛けられた。
振り返るとそこには身寄りのない子供同士で集まっている集団の中の一人が居た。
小さな体の金髪の少年は仁王立ちをして自分を見上げている。

「…また、君か。何の用だい?」

暇じゃないんだ。
さっさと仲間の所に帰れ。
暗にそう言うと金髪の少年は憐れみの瞳を向けた。

「…分かってると思うけど、何度でも言うよ。俺達の所に来いよ」

「しつこいって自覚があるなら諦めてよ。僕は君達と馴れ合いたい訳じゃない」

眉を顰めて言い放つ少年に対して溜息をつくと金髪の少年は踵を返した。

「お前を仲間にする事をリーダーが望むから…諦める事は出来ないんだ。また、来るよ」

返事も聞かずに少年はヒトゴミの中に紛れ込んでいった。
少年の小さな体はもう、どこにも見当たらない。

『ー…いつまで、独りで盗みを続けるつもりなんだよ』

「生きる為に盗みが必要なくなるまでいつまでもだよ」

今はもう居ない少年に答えを呟く。
悪政によって荒れ果てたこの国が回復するまで、生きる為に盗みを続ける少年の心は穢れる事なく清らかなままに罪を重ねる事を選択する。
天国も地獄もこの場所よりマシならば喜んで行こう。
いつかの日にそう断言した少年に対して先程の少年が呟いた台詞をふと思い出した。

「人は皆平等だなんてどこのペテン師が言った台詞なんだか。…この世界はこんなにも不平等なのに、な」




それから数日。
少年はパンを盗んで疾走していた。
途中で落とす事のないようにしっかりと抱え込んで走る。
途中、少年の速度が緩められた。
いつもはない筈の行列が出来ている。
何故だ?
行列を注意深く観察した少年は息を呑んだ。
立ち尽くす少年の視線の先には美しい少女が藍色の瞳を潤ませて俯きながら歩いていた。
眦に涙を浮かべるのは少女だけでなく、前後に並ぶ少女も同じ様に涙を浮かべていた。
縄で繋がれた手首を見るにおそらく売られたのだろう。
遠い町から町へと転々と渡り歩いたに違いない。
少女達が巷の金持ちといわれる屋敷へと連れていかれたのをこっそりと後を付けて見届けた少年は踵を返して走り出した。
沸き上がる衝動をそのままに疾風と化して走り続ける。
抑えていた蓋を取り払い、捩じ伏せていた感情を解放する。
少年は叫んだ。
言葉にならない想いをそのままに、がむしゃらに叫び続けた。
金持ちが少女を買う。
それの意味する事を想像した少年はふつふつと煮えたぎる憎しみを吐き捨てる為に絶叫した。

『人は皆平等だなんてどこのペテン師が言った台詞なんだか。…この世界はこんなにも不平等なのに、な』

ああ、そうだとも。
この世界は不平等だ。
平等だと言うのならば何故、神は僕等を愛してくれないのか。
何故、僕等に力を、彼女には思想を与えてくれないのか。




少年はひたすらにじっと夕暮れになる時を待った。
目的はただ一つ。
武器商から剣を盗む事。
今まで生きる為に何でもやってきた。
生きる為に何でも盗んできた。
自分の足で走って逃げ延びてきた。
生き延びてきたんだ。
故に、剣を盗む事何て少年には造作もない事。
夕暮れになり、人の気配が消え、隙を見付けた瞬間に剣を盗んだ。
初めて手にする剣は人の命を吸い取る凶器として相応しい程に重い。
この重さが人の命を背負う事に対する責任の重さなのか。
分からずに少年はその重さを持ち上げる事は叶わずに引きずりながら、あの全てを諦めたかの様な諦観と悲観と絶望感に溢れ、思想を失った藍色の瞳の少女が居る屋敷へと走る。
剣を引きずり疾走する少年の姿は決して疾風と呼べる物ではなく。
風と呼ぶには悲しすぎて。
嗚呼、この光景を人は皮肉と呼ぶのだろうか。
懸命に走る少年は屋敷へと続くカルマの坂を登って行った。




夜の闇と共に現れた少年は屋敷へと侵入して憎悪と哀しみと怒りと絶望を一緒くたに煮え滾らせた感情を鈍く光る鉛色の剣に込めて、凶刃を振るった。
屋敷を警備していた警備員、召し使い、使用人全てを斬り付ける。
自分の進路を邪魔する者は全て排除する。
醜く太り、丸く肥えた汚れたこの屋敷の主の命を奪い、辿り着いた先には少年が渇望して止まない少女が窓の縁に腰掛けて悠然と微笑んでいた。
ああ、良かった。
無事だった。
紅く濡れた剣を引きずりながら、少年は少女へと歩み寄る。
そして、違和感。
少女の眼前に立ち、彼女を見下ろして気付く。
絶望。少年の紅い瞳が凍り付く。
ー…間に合わなかった!
渇いていた眼が潤み、幾年も流していなかった涙が流れる。
少女の頬が汚れるのも構わずに血で汚れた両手を彼女の頬へと添えて歪んだ笑顔を向ける。

「ー…ごめんね。間に合わなかった。君を助けてあげられなかった」

泣き笑いで微笑む少年に魂が壊れている少女はきょとりと目を丸くし、ふわりと微笑んだ。
もう、戻らない。
壊される前の少女には戻る事は出来ない。
ごめん、と少女に口づけて少年は少女の胸元に紅い華を咲かせた。
少女の血で濡れた剣を眺めて少年は次々と涙を零す。
後から後から溢れ出る涙は返り血で汚れた少年の顔を洗い流す。
今までずっと泣く事すら忘れていた。
生きる為に必死で。
生を繋ぐ為に邪魔な感情は置き去りにしていた。
思い出すのは今まであった事。
父と母と自分の三人暮らしで、愛に満たされていた家族との生活。
貧困ではあったけれど、両親が居るならそれで良かった。
けれど、両親はあっけなく病という名の死神に連れていかれた。
それからは盗みで生を繋いで、生きていく途中で自分を頻りに勧誘する少年に出会った。
追い払っていたけれど。
そして、少女に出会った。
置き去りにしていた感情を思い出させた少女。
だけれど、少女はいない。
自分が少女の命を奪った。
走馬灯が駆け抜ける。
空腹により腹が鳴る。
生きている。
自分は生きているのだ。
嫌になる程、自覚させられて。
また、涙を流す。
痛い。
イタイ。
悲鳴を上げるのは身体か心か。
痛みを感じながら少年は愛しそうに少女の血で濡れた剣の切っ先を自分の心臓へと向ける。
少女と同じ紅い華が自分の胸に咲く事を思い描きながら、少年は最期の一言を呟く。

「待ってて。僕も今すぐ君の傍にいく」

幸せそうに微笑んだ少年は少女を守る様に少女の隣で息絶えた。




お話はこれで終わり。
これはとある時代、とある国のー…物語。
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