ずっと、ずっと願ってた。
もしも、この体が自由に動けるのならば。
願いが叶うのならば。
そしたら、僕はー…。




温かい温もりを感じて、エメラルドはゆっくりと意識を覚醒させていった。
揺り篭の中であやされている様な安心感はもう一度夢の中へと潜り込んでしまいたくなる衝動にさせる。
この手は誰の手だっただろうか?
ああ、そうだ。
この手は良く知ってる。
この手はー…。

ゼペット爺さんだ。

オレを作ってくれた人の手だ。
オレにとっての産みの親。
木からオレの体を一つ一つ丁寧に作ってくれた事、覚えてる。
そうして完成したオレに名前をくれたんだ。
ペットの猫と魚には不評だったけど、オレにとっては大切なピノキオという名前を。
今日もゼペット爺さんはオレの布制の頬を撫でて、優しい顔で微笑んでくれた。

「おやすみ。ピノキオ」

そうして背中を向けるゼペット爺さんの横顔から哀愁が漂っていて、オレは血の通わない心臓が締め付けられて、痛みを感じない筈の胸が痛くて、どうしようもなく、切なくなった。
キリキリと締め付けられる胸のままに願う。
もしも、もしも願いが叶うなら。
オレはー…。
刹那。
一筋の光がキラリと夜空に輝いて流れた。




ゆらり。ゆらり。
まどろむのは揺り篭で揺らされているから。
ゆらり。ゆらり。
揺り篭の音は夢の世界への入口。
異世界への入口。
さあ、繋がった。
こちらへおいで。




目覚めるとそこは見知らぬ森の中。
眠たい目を木の指で擦る。
小さく欠伸をかいてもう一度夢の中へ。
誘われる筈が。

「寝るなーっ」

耳元で叫ばれて覚醒。
現実の世界へ。

「だぁれ?」

上擦った声で聞けば自分の膝の上で踏ん反り返るバッタが居る。
お洒落に洋服を着て、帽子を被るなんてバッタのくせに生意気だ。
生意気と思われているとも知らず、バッタは馴れ馴れしくもエメラルドの名前を呼ぶ。

「君がピノキオだね!さぁ、ピノキオ!女神様の元へ案内しよう!」

強引に連れて行かれた先は湖畔だった。

「貴方がピノキオですね…?」

湖畔に佇んでいたのはこの世のものとは思えない程の美貌を持つ美女で、透き通る様な透明な柔らかい声で名前を確かめられた。

「あんたが女神様?」

カタンと首を傾げて聞けば、エメラルドの肩に乗っていたバッタが青ざめて悲鳴を上げた。

「ピノキオ!女神様に向かって何たる無礼を!改めなさい!」

耳元で喚くバッタが五月蝿くて動かない筈の眉毛を潜める。
エメラルドの肩でぴょんぴょんと飛び跳ねるバッタを制して女神は微笑んだ。

「構いませんよ。さぁ、ピノキオ。貴方の願いを言いなさい」

「願い?」

「流れ星に願う程の貴方の強い想いを星は聴き入れました。さぁ、願うのです。貴方の望みを星は叶えてくれるでしょうー…」

望みが叶う?
エメラルドは瞠目した。
脳裏を過ぎるのはゼペット爺さんの寂しそうな横顔。
諦観を知っている眼差し。
哀愁が漂う背中。
もしも、もしも本当に願いが叶うなら。
オレはー…。
声が震えた。
期待に満ちた眼差しを女神に向けて歓喜に打ち震える体を抱きしめて、拳を握ってエメラルドは言った。

「僕は人間になりたいっ!!ゼペット爺さんの息子として人間になって、ゼペット爺さんと暮らしたいんだ…!」

瞬間。
眩いばかりの光がエメラルドを包んだ。
眩し過ぎて瞼を開く事が出来ない。

「もう、大丈夫ですよ。目を開けてご覧なさい」

短い時間だったと思う。
女神に促され、そっと瞼を開けた。

「ー?」

視界が開く。
景色は何も変わらない。
ゆっくりと視線を下に向けて、驚愕した。

「……!!?」

無かった。
自分の木製の手足が。
代わりにそこにあったのは木と布で出来た四肢では無く、瑞瑞しく張りのある柔らかい人間の肌だった。
恐る恐る触れてみる。
慣れ親しんだ木製の角張った感触は感じられない。
ゼペット爺さんの様に暖かくて、けれど彼の皺だらけの様な肌とは正反対な柔らかい肌の感触がそこにはあった。
足から腹部へ、腹部から腕へ、そして最後に顔へと一つ一つ確かめる様に触れていく。
顔の輪郭をなぞった時、一部だけ、エメラルドのよく知る人間のものとは違うものに触れた。
不思議に思い、掴んでみる。
それは細長く、柔らかくて温かかった。
湖に近寄り、水面に浮かぶ自分の顔を覗いてみると、そこにはエメラルドが見た事のない人間の子供が居た。
首を傾げれば水面に映る子供も不思議そうに首を傾げた。
そしてその子供に触れようと手を伸ばした瞬間、気付いた。
水面に映る子供が自分である事に。
そして、自分が不思議に思っていたものが前へと伸びた長い鼻である事に驚いた。

「…!?」

「よく、お聞きなさい。ピノキオ。貴方のその長い鼻には秘密があるのですよ」

驚愕するエメラルドの背中に女神は柔らかな声音で微笑んだ。

「星の力で確かに貴方は人間の子供になりました。…けれど、その身体は未完成なのです。貴方には人間の心というものがありません。何が善で悪なのか、判断する為の良識というものが欠如している状態です」

身体が未完成?人間の心が無い?何を言っているのだろうか。
理解不能の言葉を並べる女神を見上げると彼女はエメラルドの頭を撫でた。

「貴方はこれから人間になる為に沢山の事を学ばなければなりません。そして、その中で良識を身につけて下さい」

「良識を身につけるっとどうやってさ?」

「その為にジニーが居るのです」

エメラルドが眉を潜めると女神は先程のバッタ(ジニーという名前らしい)を一瞥した。

「彼はピノキオに世の中の常識を教えてくれます。何が善で悪か、判断する術を考えさせてくれるでしょう。いわば、彼は貴方が良識を身につける間までの良心なのです」

「良心?」

「そうだよ。ピノキオ。君が良識を身につけた時、それは君が良心ー…人間の心を持ったという証になるんだ」

ジニーはえへんと背を反らしてから両手を広げて説明した。

「それからもう一つ。貴方も不思議に思っていた事でしょう。貴方のその長い鼻」

白魚の様な白く綺麗な指を一本立てて、女神はそのすらりとした人差し指をエメラルドの鼻へと向けた。

「その鼻が貴方の人間としての未完成な部分を表しています。その鼻は貴方が嘘を吐く度に少しずつ伸びていくのです」

「嘘って?」

「本当の事と正反対の事を言う事です。ちなみに、嘘を吐いた事を認めて本当の事を言うと長く伸びた鼻は縮み、元の大きさに戻ります。そしていつの日か、貴方が良心を手に入れた時に貴方の鼻は人間の子供と同じ様になるでしょう」

悠然と女神は微笑むと優しく緩慢な手つきでエメラルドの背中を押した。

「さぁ、戻りなさい。夢の世界でも異世界でもない、現実の世界へとー…」

ふわり、と身体が宙を舞う。
ゆらり、ゆらりと揺り篭の様に身体が揺れて、急激に眠気が襲ってくる。
徐々に瞼が下りてきて霞む視界の中、女神の口元が動いた。

頑張って下さい。見守っています。

そう読み取れたのを境にエメラルドの意識は途切れた。


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