ー…下らない。必要ない。
こんな世界なんて。

「成功した暁には報酬はたっぷりと弾もう」

冷めた声で去っていく小太りの中年の背中を少年は感情のない瞳で見つめた。

「…この世界にはあんな人間しか居ないのか」

否。
そうではない事も知っているけれど。
でも。

「ボクはもう、疲れた」

少年は抑揚のない声音で呟いた。

「これで、終わらす」

看板を破壊し、少年は自分が居た布で作られた館に火を付けた。
強い意思を宿した瞳で少年は前を見据えると歩き出した。

父さん、ママ、ごめんね。

そう言い残して。




ー…助けて下さい!あの人を。
お願いします。
切羽詰まった若い女性の声が藁にも縋る思いで少年にしがみつく。
頭を垂れて震えるその手が憐れに思えた。
了承した時の女性の瞳は輝いていてその期待に胸が潰れそうになった。
次は、あいつを陥れろ。出来るな?
自慢なのだろうその髭を撫で付け、中年太りの男は少年の肩に手を置いた。
その手を払い退け、二度と来るなと激怒してしまいたい気持ちを抑え、少年は頷く。
少年を満足そうに見下ろして男はステッキを手にゆったりと歩き去った。
誰も居なくなったその館では少年が一人、呆然と立っていた。
虚ろな目で何処かをぼんやりと見つめる。
雫が一滴、床に落ちた。
ぽつり、ぽつりと一定の間隔を開けて濡れる床を眺めて少年はぼんやりと思う。
雨だ。
疲れているのだろう少年はその雫が自分の涙である事に気付いていなかった。
暫くの間立ちすくんでいた少年はやがて顔を上げると館から出て行った。
外は既に暗く、きらきらと星が瞬いていた。
月が真上に昇っている。
満月だ。
ざわり。
曇り空な訳でもないのに満月に雲がかかり、明かりを遮った。
ざわり、ざわり。
凪いでいた風が動き出す。
ビュウ。
一迅の風が吹き抜けた。
ぼこっ。
唐突に地面が盛り上がり、黒い手が這い出てきた。
人間の指と見てくれが全く同じのその手は土を掻きむしり、五本の指をバタバタと動かした。
ぼこり、ぼこり、ぼこり、ぼこり。
地面から無数の手が生まれる。
ぼこぼこぼこぼこっ。
人体構造を無視した手から手が生み出され、秒刻みで増殖していく。
異常とも言えるその光景を無感動に見つめて少年は手を横に薙ぎ払った。
空を切った少年の手の数秒後に風が生み出され、鎌鼬となって黒い手を切り刻む。
ギギャアアアアア!!
断末魔とぶつりという肉がちぎれる音が交互に旋律を奏でた。
血液ではない黒い液体が辺りに飛び散る。
びちゃ。
液体を踏み付けて少年は睥睨とした様子で異形を見据えた。
きりがない。
舌打ちをして少年は片手を掲げた。

「ー…」

口を開こうとした瞬間。
キイィィインと甲高い音と共にドオォォオン!と凄まじい衝突音が少年の鼓膜を叩いた。
もくもくと白い煙が上がる。
否。
煙の様に見えた白いそれは硬質的で地面に突き刺さっていた。
ふわりと花弁が綻ぶようにその硬さは徐々に和らぎ、白く小さな光が上空に浮かんだ。
ー…蛍?
呆然と空を見上げて首を傾げる。
そこで少年は初めて異質だったこの空間が元に戻っていた事に気付いた。
雷のように落ちてきたこれか、白く光る蛍のおかげかは分からないが自分はどうやら救われたらしい。
黒い手は強い光に消され、姿を現す気配は見られなかった。
蛍が舞う中、視線を巡らす。
いつの間に花になったのだろう。
その花は白い光を纏い、クッションの様にふかふかで柔らかそうな印象を受けた。
ふわり、と蛍ー…否。光が舞い降りてきた。
その光を受け止め、上空を見上げる。

「ー…!」

白い光を纏った少女が降ってきた。




眠りから目覚めた少年はのろのろと首を動かし、周囲を確認した。
筆もパレットも絵の具も自分の物だ。
アトリエと化しているこの部屋はまごうことなき自分の部屋。
冷や汗を拭って少年は呟いた。

「夢か…」

夢には種類と意味がある。
一つは過去夢。
過去にあった事を夢に見る場合は何かを訴えられるか、訴えている場合がある。
焦燥や不安、哀しみ。
ー…忘れられた記憶。
種類も内容も様々だ。
そしてもう一つは予知夢。
これから先の未来に起こりうる事象を夢を通して伝えるものである。
それの意味する所は将来の道を示す光になるだろう。
それが本人にとって良いか悪いかは別として。
どちらにせよ過去夢と予知夢には共通点がある。
それは夢を見る人間に伝えたい事があるという事。
“夢”そのものが“メッセージ”なのである。
夢の概念を頭に思い浮かべた少年は口元を歪めた。

「…まだ、染み付いてるんだな」

生まれてからこの森に来るまでに培ってきた知識と技術。
それらを拭い去る事は出来ないのだろうか。
苦笑にも皮肉な笑みにも見える表情で少年は呟いた。

「どうやら夢見が悪かったようだね」

ついと声のした方に視線を向ける。
いつの間にそこに居たのだろうか。
窓に腰掛け、頬杖をつくショートヘアの女性が風船ガムを膨らませて少年を見ていた。

「…カガリさん」

息をついて女性の名前を呼ぶと、その女性ー…カガリはすぅと目を細めた。

「随分歓迎されてないもんだね」

「そんな事ないですよ」

微笑して否定するとカガリは口の端を上げた。

「まぁ、あたしがあんたと初めて会った時よりかは幾分マシな顔付きにはなったな。それに免じて許してやろう」

尊大かつ偉そうな口調に少年は何も言えずにカガリを見つめた。
恩がある故に反論も出来ない。
大方そんなとこだろうと適当に見当付けたカガリはそんな少年の心中など知った事かと言った体で口を開いた。

「今日は嵐がやってくるだろう。今日一日は気をつけて過ごしな。…これを“警告”と取るか“忠告”と取るかはあんた次第だが…ま、精々頑張るんだな」

「…それは予言ですか?」

「さぁね。そこまで答えるつもりはない。…ただ、あたしは面白ければそれで良いだけさ」

パチンと膨らませていたガムを割ってカガリは窓から飛び降りた。



「随分とあのガキを気にかけるんだナ」

背後から聞こえてきた声に視線を向けて振り返らずにカガリは応えた。

「何の用だい?ホカゲ」

「俺は伝えに来ただけさ。今回もあの時と同様に俺達は何もしない。…それで良いんだロ?」

隣に並んだホカゲを見上げてカガリはにやりと笑った。

「上等だ。これで面白いもんが見れる」

「…俺はお前があのガキにそこまでする意味が分からン」

「意味なんてないさ。あたしはあたしが楽しければそれで良いだけ」

ひらひらと手を振るカガリを納得のいかない表情でしばらく見詰めたホカゲはカガリがこの質問に答える気がないという事を悟ったのだろう。
大きな溜息を吐くとガシガシと頭を掻いて「あー、そーか。分かったヨ!」と自分を納得させるように声を荒げた。
口笛を吹いて呼び寄せた鳥に捕まり、空へと飛んで行くホカゲを面白そうに眺めてカガリは呟いた。

「あいつも面白いね…」

あたしを飽きさせないという意味ではこいつに勝てる者はいないかもしれない。
くちゃくちゃと噛んでいたガムを膨らませ、意図的に風船ガムを割るとカガリは森の奥へと消えて行った。




カガリが居なくなった窓辺を呆然と見詰めて少年は溜息を吐いた。
一体どういうつもりで訪れたのだろうか。
時たま思い出した様にふらりと現れるあの女性は意味深な事を言い残しては消えていく。
その真意を探ろうとすれば躱される。
数年前に路頭に迷って行き先のない自分を拾って、この森に連れて来てくれたのはカガリだ。
恩人でもある彼女に強く出る事も出来ない少年は軽く首を振ると立ち上がって着替え始めた。
あまり深く考えても仕方がない。
来たるべき時が来れば、それは自然と起こるのだ。
カガリの残した言葉が予言ならばそれに抗う術はないのだから。




眉間に皺を寄せて少年は自分が描いた絵を睨んだ。
描かれているのは風景画だ。
小川に花びらが一枚浮かんでいるどこにでもあるような自然。
何が気に入らないのか少年は先程から違う、美しくないと呟いていた。
どうして自然そのものが描けないのか。
その時その場所にあった確かな自然をありのままの姿で描きたいのに。
絵に描いて永遠のものとして閉じ込めてしまいたいのに。
そうしたらその瞬間だけは確かにあったのだと信じられるから。
掠れないで確かな記憶として鮮明に残るから。

「スランプだ…」

溜息を吐いて筆を下ろすと少年はベッドに身を投げ出した。
こういう時は無理に描かずに何もしないのが一番良い。

「そういえばカガリさんが嵐がくるって言ってたっけ…」

そろそろ結界を張り直すべきかもしれない。

少年はベッドから身を起こすと下の部屋へと足を運んだ。
普段は使わない研究室に入ると少年はナナシの草、モモンの花びら、カイスの種を取り出して扉の近くに立て掛けてある杖を持ち出した。
一度外に出て家の周りを杖でなぞりながらぐるぐると回る。
二回、三回と回ってから家の中へと入ると全ての部屋を周りながらナナシの草とモモンの花びら、カイスの種を撒いていく。
家の中心ー…自分の部屋に戻ると少年は残った草と花で円を作った。
円の中心に種を撒き、最後に杖を落とす。
小さく呪文を唱えるとカッと紅い光が少年の家を包んだ。

「…ふぅ。こんなもんかな」

紅い光が消えるまでその光を眺めて少年はベッドに横になった。

久しぶりに結界を張って疲れた。
自分の意識が沈んでいくのを自覚しながら少年は眠りについた。




下らないと思った。
こんな欲望にまみれた世界は。
道具として扱われ、使われる運命なんて要らない。
そんな運命はこちらから願い下げだ。
捨ててやる。
そう決心して、逃げ出した。
やっと解放されたと思ったのに。
どうして影は纏わり付くのか。
白と黒と灰色しかないこの色彩で彩られた世界は酷く醜く、自分の目に焼き付けられて。
ああ、世界はどうしてこんなにもつまらない。


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