「ねえ、天使さん。君はどうやって空を飛んでいるの?」

少年が問うと少女は八重歯を剥き出して叫んだ。

「せやから、あたしは天使やなくて魔女ったい!」

少女の言う通り、少女の出で立ちは言い伝えや文献で見るような魔女の姿に酷似していた。
箒に跨ぎ、黒いワンピースを身に纏い、空に浮かぶ姿は魔女そのものだ。
あえて言うのならば、このご時世に魔女という存在そのものが在るという事と魔女の供である筈の猫が居ないという事がおかしいという事だろうか。

「空を飛んでいるのってどんな感じ?良いなぁ。僕も君みたいに空を飛んでみたい」

「さっきから何回も言うとるけん。あたしは天使やなくて魔女とよ!」

窓際に頬杖をついて、頬をついている手とは別の手を少女へと伸ばすが、少女は少年と距離を取っているので、少年の伸ばした手が魔女に触れる事は叶わなかった。

「いいや。君は天使さ。だって、僕の目の前に舞い降りて来てくれたじゃないか」

真剣な表情で喋る少年に少女は頭を抱えた。
ああ、一体どう言えば目の前に居るこの少年は納得をするのか。
困った少女は自分を見つめる少年の紅い瞳を覗き込んだ。


初めてこの少年に会ったのは一月前のこと。
初めての独り立ちという事で浮足立っていた少女は、自分の住家を見付ける事よりも空を散歩する事を楽しんでいた。
生まれ育った場所が場所だったせいか野宿を厭わない少女は、住家が見付からなかった場合は森でしばらく過ごせば良いと単純に考えていた。
今思えば、その考えこそが間違っていたのだ。

その日は嵐が酷く、台風が少女の近くまで接近していた。
本来、魔女は様々な事に長けていて、知識も常人のそれとは桁違いだ。
何より魔力を持っているからこそ、魔女と呼ばれる彼女達は空を飛ぶことや動物と会話する事が出来る。
その力により少女は天気が崩れ始めている事を知った。
山の天気は気分屋で、ころころと気象を変えてしまう。
いくら五感が鋭い自分でも、ころころと変わる天気模様を捉らえきる事は出来ない。
嵐がくる事を教えてくれた烏に礼を言って安全な場所へと避難しようと方向転換をした時、凄い勢いで何かが少女にぶつかってきた。

「な、何ね!?」

器用にその何かを受け止めて、少女がそれを覗き込むと、それは酷く焦った声音で少女に訴えた。

『その出で立ち。古来から伝わる魔女様とお見受け致します。その様なお方にこの様なお願い事をするのは真に申し訳ないのですが、どうかこの私めの願いをお聞き下さい!』

白い体を震わせて、必死に頼み込む鳩に人の好い少女は二つ返事で頷くと、鳩の話を聞く為に耳を傾けた。

鳩曰く。

群れをなして空を渡る最中に仲間が一匹逸れてしまい、嵐がやってくるこの森に入ってしまったらしい。
他の仲間達は仕方ない、放って置けと首を振るのだが、どうしても自分には諦める事が出来ない。
唯一無二の親友を見捨てる事など出来ないと言って、引き止める仲間を振り払い、単身、嵐がやってくるこの森に入っていった。
入っていき、親友を探しているのは良かったものの、どれだけ飛び回って親友を探しても、親友の手がかりすらも見付からない。
半泣きになりそうだった鳩の耳に風の噂が飛んできた。

この森に、魔女がきた。
まだ年の幼い少女だったよ。
お供の猫がいなかった。
それは、見習いなんじゃない?
見習いならこんな所までくるもんか。
なら余程、力のある魔女なんだろう。
きっと、そうだ。
サポート役である筈の猫を連れていないなんて、凄い力の持ち主なんだ。

わぁわぁ、こしょこしょと吹き抜けていった風を間抜けな表情で見送って、藁にも縋る思いで鳩は噂の魔女を探し始めた。


「ー…つまり、あんたの逸れとう仲間ば探して、あんたんとこ連れてくれば良かやね?」

『お願いします。ああ、この御礼はどのように「礼なんか要らん!困ってる鳩ば助けんのは当たり前ったい!」

感激して礼を述べる鳩を遮り、にかっと笑うと魔女は空高く飛び上がり、勢いをつけて森の中へと入って行った。



嵐がやってくる。
その避ける事の出来ない現実に怯え、白い体躯を震わせながら小柄な鳩は空を見上げた。
逸れてしまった仲間達はどこに行ったのだろう。
もう、すでに新たな大陸へと渡って行ったのだろうか。
せめて、親友にだけでもお別れを言いたかった。
もう一度、自分の名前を呼んで欲しかった。
悲しくて項垂れていると、綺麗なソプラノが自分を呼んだ気がした。
自分の名を知っているのは仲間だけだ。
きっと、この声は空耳なのだ。

「いい加減無視ばするのを止めるったい!」

耳元で叫ばれ、鳩は驚いて顔を上げた。

『ま、魔女…!?』

「何ね。失礼な奴ったい。まぁ、良か。あたしはあんたの友達に頼まれて、あんたば探しにきたとよ」

魔女の存在にも驚いたが、魔女の言葉にさらに驚愕し、鳩は嘴を開けて魔女を見上げる。

「ほら。はよせんと嵐がやってきてしまうったい」

おいでと言って両手を広げる魔女の腕の中に飛び込むと鳩は小さく、探してくれてありがとうと言った。
気にするこつなかよと笑う魔女の暖かな温もりにあやされて、鳩は眠りについた。


無事に鳩を親友の元に届けると、少女は踵を返して森の中を低空中で疾走した。
確か、この道を真っ直ぐ行った所に大きな木の根があった筈。
あそこなら人一人、余裕で入る筈だ。
一晩くらいなら大丈夫だろう。
そう検討をつけて、少女は目的の場所を目指して飛び続けた。

「…なして、こん道ば真っ直ぐ行くだけやのに、見付からんのやろか…?」

どこかで道を間違えたのだろうか。
途方に暮れた少女は上空を見上げ、何かを決意した様な鋭い目つきになると急上昇して森を見据えた。
何かがおかしい。
随分森の中を飛び回ったが、どこにもおかしな所は無かった。
そう。自分の真下にある木の周辺以外は。
少女は目を閉じて、全神経の意識を集中した。

「ー…あそこったい」

「…っ!?」

違和感を感じた場所目掛けて急降下した少女は突然の突風に襲われ、バランスを崩した。
しまった。
集中が途切れ、魔力の調整が乱れてしまった。
少女は覚悟を決めて、強く瞼を閉じた。
一度、魔力のコントロールを誤ると持ち直すのには時間がかかる。
この距離で、魔力の調整を行うには時間がない。
ー…このまま、地面に突っ込む前に呪文ば唱えて、衝撃ばなくさんと!
少女が口を開き、呪文を唱える。
白い光が少女を包んだ。
箒の下降速度は止まる事なく、真下の大木へと向かっていく。
少女と大木が衝突し、少女が箒から落ち、地面へと落下していく。

ー…!

ふいに聞こえた声を最後に少女の意識は途切れた。





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