ぱちん。
少女と青年以外誰も居ない、草原ばかりが広がる野原で高音質な音が響いた。
「…謝らないわよ」
静寂を破ったのは少女の方であった。
眦を吊り上げて自分より背の高い青年を睨みつける。
少女に叩かれた頬は赤く張れていて、どれだけ少女が強く青年を叩いたのかが分かった。
そして少女の手が赤くなっているところをみると、少女の手も青年を叩いて痛みを負ったのだとそう理解出来る。
「僕は」
「待って」
青年が口を開いて言葉を紡ぐのを制して、少女は青年にそこに座れと促した。
青年が少女に従って座ったのを確認すると少女は青年の隣に腰を下ろす。
「私、チェレンとベルと母さんと村の皆が居る世界しか知らなかったのよ」
ぽつりと少女は語り出した。
「アララギ博士からポケモンを贈られて、初めてパートナーを手にしたわ。カノコタウンからあまり出る事がなかったから、外の世界はこんなにも違うんだって思った」
高く結ばれたポニーテールを揺らし、少女は昔を懐かしむ様に目を細めた。
「ツタージャと初めて旅に出て、初めてポケモンバトルをして…全てが初めてだらけだったわ」
初めての勝利。
初めての敗北。
試行錯誤をしてジムリーダーからバッヂを得た時の喜び。
旅をして知った様々な人とポケモンとの出会い、別れ、その出会いと別れの数だけの絆。
そうして抱いたー…夢。
「私が旅に出れたのは旅を勧めてくれた母さんとポケモンを贈ってくれたアララギ博士と、三人で旅に出ようって言ってくれたベルとチェレンのおかげ」
真っ直ぐ前を見つめて凛とした声で少女は言った。
「私が旅を続けてこれたのは傍に居て支えてくれたジャローダと夢のおかげ」
モンスターボールから出てきたジャローダを優しく見つめて少女はジャローダの頭を撫でた。
その光景を微笑ましく思い、青年は嬉しそうに微笑む。
カノコタウンから旅に出て、苦楽を共にし、壁を乗り越えて築き上げてきた信頼関係。
そこに確かにある絆を眩しく思って、あの時あの場所で挑んだ戦いに負けて良かったと思う。
もしも勝利していたなら、今ここに当たり前のようにある光景すら見る事は叶わなかっただろうから。
昔あった事に思いを馳せて青年はある事に気付いた。
それは先程少女が言った言葉。
『旅を続けてこれたのは傍に居て支えてくれたジャローダと夢のおかげ』
「…夢?」
いつか自分が彼女に問うた時に彼女は「夢なんてない」と答えた。
その返答を聞いて激怒して彼女を叱咤してしまったけど。
今現在ここに居る彼女の瞳には、あの時にはなかった夢の輝きが煌めいている。
…そうか。
夢をみつけたのか。
心底ほっとして息をついた。
去り際に自分が言った言葉通りに彼女は自分だけの夢をみつけたらしい。
良かった。
じわじわと祝福したい気持ちが腹の底から沸き上がってくる。
おめでとう、と祝福してどんな夢を持ったのか聞いてみよう。
青年が少女に聞こうとした瞬間に少女の真っ直ぐで強い眼差しが青年を射ぬいた。
「そうよ。私、夢が出来たの」
少女の視線に射ぬかれた青年はその強さに驚いた。
そして少女は間髪入れずに喋り出す。
「あの時、プラズマ団の…ゲーテの演説を聞いて、否定も肯定も出来なかったわ」
当時の事を思い出したのか少女は俯いた。
睫に被ってある帽子のつばの陰が覆って陰影を落とす。
「私はポケモンと一緒に居たい。大好きだからずっと一緒に居たいと思った。でも、それがツタージャにとって本当の幸せとは限らないし、自分の気持ちがエゴである事も分かってた」
俯く少女の表情は背の高さ故に少女を見下ろす形になる青年には窺い知れない。
青年も目を細めて当時を思い出した。
最初に目に止まったのは彼女ではなく、彼女の腰にあるモンスターボールだった。
ゲーテの演説を聞いてカタカタと体を揺らしながら憤慨して、悲しんで、自分のトレーナーと共にありたいと望み、主張するその声に興味を持った。
だから声をかけてそのポケモンと会話をした。
話せば話す程そのポケモンの言う事は不可解で。
そのトレーナーのポケモンに関わっていくうちにそのトレーナー自身に興味を持った。
これ程手持ちのポケモンに慕われているトレーナーとはどのような人間なのだろうかと。
そしてジムを挑戦し終えた彼女を待ち伏せて、彼女とはどういう人間なのかを質問した。
彼女のポケモンに。
カノコタウンで生まれ育った事。
チェレンとベルという幼なじみが居る事。
家族は父親と母親が居る事。
どんな考えを持ち、どんな事で喜び、笑い、何に哀しみ、泣くのか。
知れば知る程、ただの人間からポケモン達に慕われる価値のある人間だと思った。
「そして、初めて…出逢った」
誰に、とは言わずに少女は伏せていた睫を揺らして顔を上げた。
「最初は良く解らない事を早口で言うし、意味が解らなかった。けれど旅をしている途中に何度も再会して、その度にポケモンバトルをして触れ合って…分かった事があったの」
少女はふつりと黙った。
青年はただ静かに少女の言葉の続きを待っている。
「ー…その人のポケモンに対する想い。その勁い想いだけは本物だって思った」
青年は静かに、静かに少女の言葉に耳を傾ける。
傾けて、瞳を閉じた。
今でも、ポケモンに対する想いは変わらない。
大切で大好きだというその気持ちだけは。
「さっき、夢が出来たって言ったよね?」
突然話題が変わった事に驚きつつも青年は頷く。
「私は最初、夢なんて持ってなかった。夢をみつける事が出来たのはこれまで出逢った人達や、旅で得た経験やかけがえのないパートナー達が居たから」
うん、と優しく青年は頷いて続きを促す。
「けれど、夢をみつけようと思ったのは…」
ふつりと少女が言葉を切って黙ったのを不思議に思って青年は首を傾げる。
どうかしたのだろうか。
心配して少女の顔を覗き込もうとした刹那。
少女は真っ直ぐに青年を見上げて勁い意思を宿した瞳で凛とした声音で青年に言った。
「ー…貴方が夢をみつけろって言ったからよ」
覚えていたのか。
青年は驚愕して目を見張った。
自分が言った言葉など、とうに忘れているだろうと思ったのに。
「でも、私の夢はまだ叶ってない」
「どうして?」
彼女なら絶対に夢を叶える筈なのに。
そんなに叶うのが難しい夢なのだろうか。
首を傾げて問えば、少女は口元を歪めて歪な表情を作った。
「…夢をみつけろって言った張本人が私の夢が叶う所を見届けないから」
「見届けてくれなきゃ本当の意味で私の夢は叶わない」
少女は青年へと手を伸ばし、青年の頬を包んだ。
あまりにも突然で、思いもしなかった言葉と行動に青年は絶句した。
「…お帰り。N。ずっと待ってたよ。今度はNが私のやりたい事を、夢を叶える瞬間を見届けてね」
くしゃりと青年のエメラルド色の長い髪を梳いて少女は青年を離した。
「…ただいま。トウコ」
ありがとう。
待っててくれて。
震える声を、目の奥から溢れ出てしまいそうになる涙を隠して、Nはトウコを抱きしめた。
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ゲームに滾って書いた。
Nトウ素敵。