〜苛立ちの生まれる理由は?〜 「いつまで……掛かるんだ!」 「す、すみません、あと少しで……」 「いちいち返事すんのに手を止めるな」 「は、はいっ、すみません……」 ……ったく、何だってコイツはこんなにトロいんだ? 嫌でも目につく程、やる事為す事みんな他の者よりも遅い、トロい、スロモーションかと言いたくなる。 「あ、あれ? 足りな……」 「…………」 「……ヒッ!」 「そこに落ちてるのは、何だ!!」 「あああ、ありがとうございます……」 蹴らねぇでやってるだけ、有り難く思え…… 「あ、兵長、この書類ですが……」 「あ?」 「お、お忙しそうですね、またにします!」 どうやら、今の俺は最高に不機嫌なツラなんだろうよ? 他の奴は遠巻きに見ているか、今の奴みてぇに逃げやがる。 「出来……ました……」 まるで狼の前に差し出された羊よろしく、ナマエはガタガタと震えながらも、それでも引きつった顔で書類を俺に渡そうとしているが…… 「オイ、そりゃ俺にじゃねぇだろうが! さっさと行って来い!」 「ま、間違えましたぁ! 行って来ます!」 書類の整理だけで、三時間……他の奴なら一時間もあれば終わる仕事だ。 ったく、何でこんなに腹が立つのか。 「誰か……紅茶を淹れてくれ……」 ソファーにドサッと倒れ込む様に座ると、思った以上の疲労感にまた、腹が立った。 俺の、教え方が悪いのだろうか? 「遅くなってすみません」 ハンジ分隊長に書類を差し出すと、「早かったね」と笑ってくれた。 「で、でも……兵長を怒らせてばかりで……」 我慢していたのに、ポロポロと涙が床に落ちて、出来損ないな自分みたいに歪なシミを作った。 「少し、休んでいきなよ」 「でも……また遅いって叱られます」 兵長はきっと、苛々しながら戻るのを待っている気がすると伝えると、モブリットさんがお茶を出してくれて、座る様に言われた。 「分隊長から兵長へ行く書類があります。分隊長、すぐに書いて下さいね」 「ああ! 悪いねナマエちゃん、まだ書けてないから少し待っててね」 お二人は、私のために用事を作って下さった気がした。 上官に気を遣って貰うなんて……やっぱり私は…… 「気にしちゃ、駄目だよ。本当に出来ない相手にやらせる程、リヴァイは馬鹿じゃないからね」 「そ、そんな……」 ここ一ヶ月、怒鳴られなかったのは休暇の時くらいで、それでも、何故かばったり会ってしまったら、私服の事まで注意をされた。 「訓練兵団ではさ、結構上位の方だったんだよね……」 「そ、それは……」 「うん、訓練と実践は全く違う。でもさ、ナマエちゃんは出来ないんじゃないから、落ち着いてやってごらんよ」 モブリットさんが淹れてくれたハーブティーは、とても良い香りがして、ハンジ分隊長の言葉は、もう辞めてしまおうかと思っていた私に、希望をくれた。 此処を出ても、私に行く所は無い。 「只今戻りました!」 「何処まで遣いに行ってたんだ?」 呆れて物も言えねぇ…… 「あの、ハンジ分隊長からこれを預かって来ました。出来るまで待てと仰られて……」 「……そうか、なら、少し休め」 文句を言っちまったが、ナマエのせいじゃねぇなら、悪かったと素直に思った俺は、紅茶を淹れてやった。 「飲んだら、皆と一緒に厩舎の掃除に行け」 「はい、い、頂きます」 チラッと俺を見たが、見ればサッと目を逸らした。その仕草にまで苛つく俺は、どれだけコイツが嫌いなんだろうかと思った。 翌日は訓練で、ここでもまた、俺はナマエに向かって怒鳴っていた。 「訓練で出来てた事まで出来ねぇとは、どういう事だ!」 「すみません!」 他の奴も見てやらねぇと……そう思う焦りか、これでもかと罵声を浴びせ、終いには、ナマエの声は殆ど聞こえなくなっていた。 「兵長、少しナマエにきつ過ぎませんか?」 「あぁ……」 んなこたぁ、俺が一番わかってんだ。 だが、今まではそれで良かったかも知れねぇが、次は生き残れるかわかったもんじゃねぇだろうが……死んじまったらどうするんだよ。 だが、実際ここまで言われる筋合いはナマエにもねぇだろう。ビクつきながらも言ってくるくらいだ、相当……酷かったのだろう。 「後は、お前に任せる。悪いが頭を冷やしてくる」 そう言って、俺はナマエの方を見たが、慌てて目を逸らすのを見て、今度は胸が痛んだ。 俺は、どうしてここまでナマエを目の敵にするのか、全くわからなかった。 立体機動で木から本部の壁に打ち込んで、一足飛びに屋上へと上がった。 「俺は……どうしちまったんだ……」 装備を外し、屋上に寝転がって目を閉じた。 いつから、そうなった……? 思い返しても、俺のところへ来た、ほぼ最初からそうだった。 何故、あんな風にしか言えねぇんだ? 口を開けば、きつい言葉ばかりだ。更にどんどん何かに追い立てられる様に、次から次からナマエに言葉を浴びせちまう。 だが、不思議な事に、眠るとナマエを失いそうになる夢ばかりを見ていた。 自分の中で何が起きているのか、それすらもわからねぇ。嫌な奴やどうにもならねぇ奴にまで、構う俺じゃねぇ筈だ。 なら、何だというんだ……本当にナマエが何も出来ねぇと思ってる訳でもねぇ…… 矛盾ばかりが、考えれば考える程膨らんでいき、俺は寝不足も手伝ってか……いつしか眠りに落ちていた。 「駄目だ……行くな! 行くんじゃねぇ!」 兵長が、何処にも居ない。昼間の事を謝らないと……そう思って私は探していた。 途中で会ったモブリットさんが、本部にアンカー刺して屋上へ向かったのを見たと教えてくれた。 けれども、それからかなり時間が経っているからとも言われたけれど、他には誰も見ていないと言うので、行ってみる事にした。 屋上へ出るドアを開けると、兵長が倒れていた。でも、近寄って見ると寝ている様だった。 呼んで「起きて下さい」と声を掛けると、兵長は叫んだ。 そしてゆっくりと目を開けると、私を見て手を伸ばして来た。 「やっと……届いたのか……」 覗き込む様に見下ろしていた私に、両手が絡み、引き寄せられた。一瞬の事に私は何が起きたのかわかるまでに、少し時間が掛かった。 誰かと、間違えて……? 確りと……でも、とても優しく腕の中に抱えられている。 「ナマエ……俺から離れるな……」 え? 私……? 何故……そう思った時、兵長の腕がずり落ちた。見ればまた、眠っているけれど、さっきよりも穏やかな顔に見える。 「兵長、起きて下さい。風邪をひきます……」 体を起こして、今度は軽く揺さぶってみた。 何度目だろう、ナマエが巨人に掴まれた奴を助けようと跳ぶと、横から現れた巨人に掴まれちまう。わかっているのに、毎度叫ぶしか出来ねぇ。 「駄目だ……行くな! 行くんじゃねぇ!」 「兵長?」 「やっと……届いたのか」 目の前に、ナマエの姿があった。 傍に居なきゃ、守ってやれねぇ…… 「ナマエ……俺から離れるな……」 腕の中に収め、もう離すもんかと思った。だが、揺すられる感覚に目を開けると、腕の中にナマエは居なかった。 「離れるなと……」 体を起こし、再びナマエを引き寄せようとして、此処は壁外じゃない事に気付いた。 ハッとして腕を戻し、目の前のナマエを見た。 あれは、夢……か? 夕陽の色が濃くなっている、此処は……屋上だ。徐々に現状を把握していく俺だったが、何故ナマエが居るのかは理解出来なかった。 「兵長、すみませんでした」 穏やかに俺を見ていたナマエの顔が、思い出したかの様に歪んで、俯いた。 「何を……」 お前が謝る事がある? 「出来ない私が悪いのに、兵長が頭を冷やして来ると言っていたと聞いて……」 「違う……」 「えっ?」 「俺が間違っている、それはわかっていた」 だが、何故あんな風にしかできねぇのかが、わからなかったと話すと、ナマエは困った顔で……それでも、笑って見せた。 正直に言えば、辞めようと思ったのだと。けれども、「本当に出来ない奴に何を言っても無駄だ」と、「そんな奴には言うだけ無駄だ」そう、俺が言っていたのを思い出したのだと話してくれた。 「すまなかった……」 「よ、良くなる様に、叱ってくれていたのですよね」 「違う……」 「……」 「俺は、お前の気を引きたかったんだ」 何かあっても、俺に聞きには来ねぇ。だが、注意したら俺を見た。叱っても、俺を見た。 「だが、何故そうしたのかすら、俺にはわからなかった。姿を見ても苛つき、叱れば叱る程に苛つきは増した」 「そこまで、嫌われていたのですか……」 ガックリと肩を落としたナマエに、胸が痛む。 「それも、違う……嫌いな奴も俺は相手になどしねぇだろう。気を引きたかったというのは……」 「あの、それは……」 「ちょっと、良い……か?」 「兵長?!」 俺はナマエを抱き締めた。 胸が驚く程騒がしくなり、もっと強く、もっと……そんな想いが沸き上がる。 「逆、だったんだ。叱りたかった訳じゃねぇ……」 「さっきと同じ……」 「……?」 寝ている時も、こうしたと言ってナマエが凭れ掛かった。 「嫌じゃねぇのか? 皆の前であんな風にしか出来なかった、俺が憎くは無いのか?」 「すごく、安心した気持ちになります」 抱え込む様に、俺はナマエを抱き締め直した。 その背後で、ドアが閉まった事など……知る由もない。 「良かったですね」 「ああ、そうだね。あのまま成長してくれなかったら、ヤバかったかもね……」 ナマエに言ったは良いけれど、見つかったのか心配になった私は、分隊長に話すと、一緒に見に行こうという話になった。 「リヴァイのアレは、やっぱり……幼児の愛情表現だったんだね」 暴れたり、わざと物を壊してみたり……と、悪い事や嫌がる事をして気を引く。まぁ、子供のあれは叱られる事で自分の方を向かせるという、無意識の構ってというサインなのだと分隊長は言った。 「私は、好きな娘をいじめたくなる心理だと思ったのですが……」 「うん、それも勿論混ざってたと思うけど、それは自覚があっての話だからね。リヴァイの場合は無自覚だから、余計に分かりにくかったんだと思うよ」 階段を降りながら、分隊長は振り返った。 「上手く行くと良いですね……」 「まあ、思春期くらいまでは成長したみたいだから、大丈夫だと思うよ?」 それはそれで、ナマエが大変そうな……そんな気がした。 あの日以来、俺はナマエに怒鳴る事は無くなった。暫くして、付き合う様にもなった。 だが…… 「ナマエ、どこへ行く……?」 「ち、ちょっと……そこまで……」 「……? 俺も行く」 「来ないで下さい」 「嫌だ」 「と……」 「と?」 「トイレにまで……ついて来ないで!」 俺は、ナマエのストーカーになった。 「ナマエ……俺から離れるな……」 End [ *前 ]|[ 次# ] [ request ]|[ main ]|[ TOP ] |