また……届かなかった。 手を伸ばしたけれど、叫んだけれど、失われていくのを俺は止められない、守れない。 目覚め、己の手を見ても、掴めなかったものは何も残っちゃいねぇ。虚しく握り締めた拳は、何度となく壁を叩いた。だが、失ったものは戻らねぇ。 重くなっていく背中を……それに見合う力を……と、日々、訓練で紛らわせるかの様に没頭するが、それでもまだ足りねぇのは何故なんだろうか? 支度を済ませ、食堂に向かうが、いつもの席には……誰も居ない。 『後は頼みます……』 そんな言葉が聞きてぇ訳じゃねぇ…… 俺の座った場所の周りには、思い出せる顔がある。何度も入れ替わり、皆居なくなった。だが、俺は……此処に居る。 何故、俺は此処に居るんだろう? 俺だけ、此処に居るんだろう? 「リヴァイ……」 いつの間にか、目の前の席に座っていたハンジにすら、気付かなかった。 「何だ?」 「辛かったら、言っても良いんだよ?」 辛い……? 「俺は別に……」 「そんな顔して、私が来たのも気付かないで、普通だって言えるの?」 だが、言ってどうなる事でもねぇだろう? フッと笑ったハンジが立ち上がり、俺の袖を掴んで引っ張った。 「行くよ!」 一体何処に連れて行かれるのかと思えば、装備を着けろと言われ、普段ならば従うとは思えねぇが、俺は黙って装備を着けると外へ出た。 馬に乗り、壁の近くへ行くと、ハンジがその辺の木に馬を繋いだ。 「ほら、降りた降りた! んで、登るよ」 壁を指差したのを見て馬を降りると、今度は競争だと言ってアンカーを飛ばした。 何故か、負けるものかと俺も打ち込み、跳んだ。 吹き下ろす風に逆らい、風を切り、壁上に跳び上がったのは、俺の方が早かった。 壁の中も外も……見慣れた。此処に来て何の意味があるのか? 背後に降り立ったハンジに首だけで振り返れば、空を見ていた。 「呆けててもさ、その立体機動の腕は、皆が欲しくても手に入れられないものなんだよね」 だから、何だ? 俺には、何が言いたいのかわからなかった。 それよりも、業務をサボり装備や馬を無断で使った事の方が気掛かりだった。 「ねえ、リヴァイ……貴方が本当に手に入れたかったもの、掴みたかったものは何?」 「俺は……」 上手く言葉に出来ずに俯き、拳を握った。 信頼、愛情、俺に向けられる暖かな情…… 「私はね、空を掴みたかったんだ。此処に立てば、届くと信じていたんだ。でも、届かなかった」 「……そうか」 私が知る中で、一番大きなものだと……ハンジは続けた。 「大地の様に壁で区切られる事も無く、誰の手も届かない、誰のものにもならない空は魅力的だと思わないかい?」 「そう……だな。俺は信頼が欲しかったのかも知れねぇ……俺を頼って欲しかったのかも知れねぇ」 だが、皆は俺に助けを求めなかった。 「俺は……そんな対象にはならねぇんだろうな」 困った顔をしたハンジは、仰向けに寝転がった。そして、ゆっくりと両腕を広げて目を閉じた。 「私は今、空とリヴァイを抱き締めている」 「……?」 「私の視界にあるのは、空とリヴァイだけ。触れられなくても、手は届かなくても……気持ちは届く。そうは思わないかい?」 優しい顔をしたハンジがそう言うと、俺も何故かそんな気がした。柔らかく包まれている様な、不思議な感覚が胸に溢れた。 「空の向こうには、皆が居る……私はそう思ってる。いつか、私もそこへ行く時に、空は掴めると……信じてるんだ」 「空の……向こうか」 俺も空を見上げた。 何かを思って空を見た事など無かった。そもそも、地下に空はねぇ。だが、今俺は……空に一番近い場所に居る。 「なぁ、ハンジ……アイツ等は……」 俺を信頼してくれていたのだろうか…… 言葉には、ならなかった。 「答えは、あそこにあるさ」 ハンジが真っ直ぐに指を差した空は、明るく、優しく、暖かな光を放つ。 誰にも届かねぇ、だが、誰にでも降り注ぐ光……それは、俺にも降り注ぐ。 『兵長……』 聞き慣れた声が耳を掠めた。 何だ……? 『まだ、来ないで下さいよ』 お前は…… 『でも、待ってます』 幾つもの声が耳を撫でていく、優しく響く声は、胸の奥にまで届く。 聞こえた声は、空に姿を映して消えていく。 『後は頼みます……』 笑ってそう言った。 待て、消えるな……と、空に手を伸ばした俺に、皆は言った。 『信じています』 あぁ、そうか…… 重かった背中が軽くなり、伸ばした指先に温かいものが触れた気がした。 待っていてくれるか? 俺がそこへ行く時まで…… 俺を見守っていて……くれるか? 陽気に笑う声を耳に残し、姿は見えなくなった。だが、俺は……伸ばしたままの手で光を掴んだ。 見えないものだが、俺は掴んでいた。 最初から諦めていた俺には、重荷にしかならなかった言葉も、掴んでいたのに見えなかったものも、今ならわかる。 思い、想い、受け入れて受け止める。 皆が……じゃねぇ。 俺が……だった。 「なぁ、ハンジ、俺の背中に翼はあるか?」 「とびきり大きな……立派な翼があるよ」 満面の笑みで言ったのを見て、俺は、帰るぞ……と、顔を背けた。 「ありがとう」 聞こえたか、聞こえなかったかはわからねぇが、俺はハンジにそう言って走り出し、壁から跳んだ。 いつか……空の向こうへ飛び立つその日まで…… 俺は、翼と誇りを背負って……生きる。 End [ *前 ]|[ 次# ] [ request ]|[ main ]|[ TOP ] |