執務室のドアを開け、ナマエを呼んで自室へ行こうと思っていたのだが、ナマエは待ちくたびれたのか、ソファーに横になって寝ていた。 机に食事を置き、薄暗くなった部屋に明かりを灯す。揺らぐ炎に溜め息をつけばさらに揺らいで、俺の影も揺らぐ。自分よりも大きく写る影を見ると、胸の痞(つか)えが重さを増した気がした。 眠るナマエの前にしゃがみ、顔を覗き込む。愛しいと思う気持ちを込めて、さらりとした指通りの良い髪と、柔らかい頬を撫でる。 「お前は……いつから屈んで歩く様になったんだ……? それは、俺のせいなのか?」 触れている指先が震える。 穏やかな寝顔に、俺も目を閉じて問う…… 「お前は俺と居て……幸せか?」 「幸せです」 ナマエの声に驚いて目を開ければ、真っ直ぐに俺を見ていた。 「貴方は、私と居て幸せですか?」 「あぁ……幸せだ」 起き上がり、座ったナマエが俺の頭を抱え込む様に抱き締めた。 「昼間、中庭の横に居ましたよね?」 「……何故、それを……」 「匂いがしたんです」 「俺は……」 「はい?」 「俺は…………臭うのか……?」 バッと体を離して、臭いを確認しようと嗅いでみたが……わからねぇ。 「そ、そうじゃなくて、愛用の石鹸や香水とか、そういった匂いです。兵長は石鹸の匂い……いつも、いい匂いがします」 にっこりと笑うナマエにホッとしたが、聞いていたのがバレていたんだと思うと、気まずい。 バツの悪そうな顔をしていたのだろうか……ナマエは少し悲しそうな顔をして俯いた。 「兵長は、自分よりも背が高い女は嫌じゃないですか?」 小さな……弱々しい声が胸に刺さる。 「ナマエは、自分よりも背が低い男と歩くのは恥ずかしいか?」 大きく目を見開いて首を横に降る…… 「そんなこと……思った事もない!」 「同じだ。俺もそんなことは気にした事も無かった。だが、昼間の会話で気付いたんだ……」 「な、何を?」 「いつも見ていたお前は、背筋を伸ばして胸を張って歩いていたのに、俺の横を歩くお前は……屈む様に猫背で歩いている……と……」 それ以上は言葉に詰まって出なかった。自然とナマエから視線は床へと落ちていった。 ソファーから降りて、ペタンと床に座ったナマエが下から覗き込む。 「それは、誤解です」 「俺への気遣いか?」 「それも違います……」 「……」 力無く、俺も床に腰を落とした。 「私は、少し耳が悪いんです。欠陥品だと言われたこともあって、言えなくて……」 何と言っていいかわからない俺は、黙って頭を撫でるしかなかった。 「普通に並んで歩くと、たまに上手く聞き取れない事があるから、聞き取りやすい様にしていただけなんです」 「……そうか」 「……すみません」 ナマエは悲しそうな顔をして笑った。 俺は胡座をかいた上にナマエを乗せて横向きに抱え、自分に寄り掛からせた。 「こうすれば、大きさは関係ない。それに……」 耳に掛かる髪を後ろへ避けて、耳を撫でる。 「誰だって、知られたくない事や言いにくい事はある。俺は特に……叩けば埃の出る身体だからな……」 俺は……ナマエから目を逸らした。 「お前が謝る事など何もない。この際だ、不安に思う事や知りたい事があれば……言ってくれないか?」 「兵長……?」 不安そうに見上げるナマエを大丈夫だと抱き寄せた。 「兵長には……色んな噂があります。本当なのかな? って……思うのもあって、それが本当だからとか、嘘だからどうとかじゃなくて、でも、気になってしまうことがあります……」 「そうだろうな……」 「だ、だからって、本当でも……それでも私は兵長が好きです」 ぎゅっと抱きついてきたナマエをそっと離して目を見る。 「噂は……殆どが事実だ……」 「……」 「お前は地下へ行ったことがあるか?」 ナマエはふるふると首を横に振った。 「争いになれば、殺るか殺られるか……そんな場所だ。当然、俺も……」 「それはわかってます。大丈夫です。……へ……兵長は……あの……」 「……なんだ?」 「毎日違う女の人と……その……、今も……」 もじもじと口ごもりながらもナマエが発した言葉に拍子抜けしたが、俺なら間違いなく問い詰めるだろうと思った。 「気になるか?」 「あ、当たり前じゃないですか!」 「……それは嘘だ。俺が自分からそういう事をしたいと思ったのは、お前だけだ。そりゃ、過去に無かった訳じゃ無いが……」 「私……だけ?」 「あぁ、ナマエ、お前だけだ」 俺は嘘は言わねぇと笑えば、ナマエも恥ずかしそうに笑った。 「他には……無いか?」 「……他は特に……」 「なら、俺もひとつ……」 「は、はい!」 場には不似合いな元気な返事に驚いたが、真剣な顔に嬉しくなった。 「いつまで俺はお前の上官なんだ?」 「……えっ?」 「名前で呼んではくれないのか?」 「そ、それは……もうちょっとだけ待ってください」 真っ赤になりながら「それはまだ恥ずかしい」と慌てる姿が可愛い。 また、何かあったら悩む前に話そうと約束をした。 すっかり冷めてしまった食事を済ませてから自室に戻り、いつもよりも美味しくナマエも味わって……一緒に眠った。 翌日、いつもの様に……隣には猫背なナマエが居るが、気にならなかった。 「もう少し声を大きくすればいいのか?」 「このままがいいです」 変な奴だと言った俺に、ナマエはふわりと笑って…… 「内緒話をしてるみたいで……リヴァイを独り占めできるから、これがいいんです」 不意討ちを喰らった……。 一瞬、動揺したのに気付いたナマエが顔を逸らした。そうか、それならばと俺も仕返しをする。 「今夜は寝かさねぇぞ……足腰立たねぇくらい目一杯愛してやるからな」 「……えっ?……」 通路の真ん中で、周りには行き交う兵士たち……そのまま立ち止まったナマエを振り返る様にキスをして「置いていくぞ」と歩き出せば、慌てて追ってくる。 不快に思っていた周りの視線にすら、不思議と口角が上がる。 話せて良かったと……素直に思った。 今夜が、楽しみだ。 End [ *前 ]|[ 次# ] [ main ]|[ TOP ] |