Unexperienced


仕事も終わりに近づいた夕方、書き終えた書類を持って団長室へ向かって歩いていると、曲がり角の向こうから声がした。

「兵長って、酔ったらどうなるのかな?」
「そう言えば、見た事無いよね……」
「あんたは誰も見た事無いでしょ?」
「そう言えば……」
「誰よりも先に酔い潰れるんだから、見られる訳無いじゃない」

今夜は、全体での親睦会がある。浮かれた兵士達の会話……ただそれだけなのだが、「酔ったらどうなるのか」その言葉が頭に残った。

そういやぁ……俺も知らねぇな。

それもその筈だ。そもそも、俺は酔い潰れるまで飲んだ事がねぇ。それはもう習慣であり、身を守るという事に於いては、必要な事だ。

地下街(あんな所)で酔い潰れた日にゃ、命が幾つあっても足りねぇ……

そんな事を考えながら歩いていると、団長室の前でミケに会った。

「書類か?」
「ああ、楽しく飲みたいからな、仕事を残しておく訳にも行かないだろう?」

ドアを開けようとすると、俺の匂いを嗅いでいる。

「んな毎回嗅いで、何が楽しいんだ……」

いい加減、鬱陶しいを通り越してるんだがな……

「健康そうだな」
「あ? 何だそりゃ……」
「体調で、体臭も変わるんだぞ」
「だから何だ?」
「良かったな、体調が悪けりゃ酒も旨く無いだろう?」

まぁそうかと中へ入った俺達は、エルヴィンに書類を渡した。

「そろそろ来るかと思ってさ、コーヒー淹れたんだ、飲む?」

こんな時間に珍しいじゃねぇかとハンジを見れば、「書類を持って来たに決まってるじゃないか」と笑っている。

「飲み会(こんな時)だからだろう?」
「だって、出さないと飲ませないって言われちゃね……」

そりゃ当たり前だろうが……

「毎回、ここぞとばかりに飲みやがって……少しは考えろ」
「しっ、知らないなぁ……だったらリヴァイも酔っ払っちゃえば良いのに。そしたらさ、面倒に思う事も無いじゃん?」
「それも違うと……思うがな」
「リヴァイの酔った姿は、見た事が無いな」

エルヴィンの言葉に、他の二人も俺を見た。その目はどれも、『どうなるんだ?』と言っているとわかるが、俺も知らねぇもんは答え様もねぇ。

「もしかして、酔った事が無いとか?」
「酔わねぇ訳じゃねぇが、てめぇみてぇに正体無くした事はねぇ」
「そうなんだ……勿体無いなぁ」
「命の方が勿体ねぇだろうが……」

そこで、ああそうかと皆が頷いた。

「よし! じゃあ今夜はリヴァイが酔うまで飲んで貰おうよ!」
「どうなるかわからねぇぞ?」
「そうだな、それなら言い出したハンジには、責任を持ってリヴァイを見ていて貰おう」
「うえぇ?」
「決まりだな」

後々の為にも、知っておくのも悪くないだろうと、今夜は好きに飲めと言われた。




親睦会は皆が酒を注ぎに来るが、普段なら少しずつで止めさせるのを、普通に注いで貰って飲んでいた。

「もう、結構飲んでない? まだ酔わないのぉ?」
「いつもなら、そろそろ控えるかと思う辺りだが……」
「そうなんだ……」
「これでも、普段よりは飲んでいる筈だぞ」

早いところ酔わせて、自分が飲みたいのだろうというのはわかるが、どこまで飲めば酔うのかなど、俺にもわからねぇ。

「リヴァイ……?」
「あ、あぁ、何か言ったか?」

ぼんやりと一点を見ていると、回って来たかと訊かれたが、何となく感覚が鈍くなっている気がすると答えた。
そのまま、ぼんやりとまたそこを見ていると、何故か腹が立ってきた。

「ナマエは何で来ねぇんだ?」
「へ? あの娘いつも来ないじゃん」
「連れて来い」
「もしかして、酔った?」
「酔ってねぇ」

早くしろと言えば、渋々ハンジはナマエの元へと歩いて行った。




「い、今何と仰いました……?」
「ん? だから、リヴァイが呼んでるから、来て……って」
「何で私が……」

さっきから、兵長がこっちを見ている気がしていたけれど、間違っても自分を見てる訳は無いと、気付かない振りをしていたのだけど……何かまずかったのかな。

「理由はわからないけど、とにかく連れて来いと言われたんだ。一緒に来てくれる?」
「はい……」

訳がわからない。叱られる様な事をした覚えは……多分無いと思う。でも、上官の呼び出しを、わざわざ来て頂いたのに断れる筈も無い。

兵長が見てる……?

蛇に睨まれた蛙というのは、きっとこんな気持ちなのかも知れない。逃げられるものなら逃げたいのに、分隊長について歩く事しか出来なかった。

「リヴァイ、連れて来たよ?」
「あぁ、お前はもう良い、他で飲んでろ。ナマエは……此処に座れ」

隣に座れと言われて戸惑っていると、手を掴まれて引っ張られた勢いで、兵長の膝に座ってしまった。

「そこで良いなら構わねぇが……」

慌てて立とうとしているのに、兵長の腕ががっちりとお腹に回った。

「ち、違います、お、下ろしてください!」
「……嫌だ」

……え?

ギョッとした顔の分隊長を見て、今のは聞き間違いじゃなく、兵長が言ったのだと思ったけれど……何が何だかわからない。

「た、助けて下さい……」

泣きそうになりながらも、分隊長の方に手を伸ばした私は、少し前に屈むと……兵長が片方の手で肩を掴む様にして引き戻された。

「逃げるな」

周りの皆も、唖然として見ている。分隊長は驚いたまま固まっちゃってるし、私は足も浮いていて踏ん張れず……まるで縫いぐるみを抱っこするみたいに、背中に頬擦りされている。

何で私が? どうしてこんな事に……?

頭の中がぐるぐるして、訳がわからないまま、気が遠くなりそうになった。

「リヴァイ、ナマエちゃんをどうするのさ……」
「……やっと捕まえたんだ」

近寄った分隊長に、兵長は小さな声で返事をした。

「皆が見てるから……ね」
「嫌だ、離さない」

更にぎゅっと……抱き締めるというよりは、捕まえている様な感じで締め付けられ、恥ずかしいも怖いも何処かへ行ってしまった……

「く、くるし……」

流石……人類最強……なんて思ってる場合じゃない……かも……

「ほ、ほら、ナマエちゃんも苦しいって……」
「……何処にも行かないか?」
「い……かな……です」

やっとの事で答えると、腕は緩んだけれど離すつもりは無いみたいで、そのまま背中に頬をつけている。
少しずつ頭が落ち着いて来たけれど、どうして良いかわからない。ハンジ分隊長も説得を続けているけれど、兵長は「嫌だ」「離さない」と答えるだけで、埒が明かない。

「リヴァイ、此処では皆の目がある。部屋でゆっくりしてはどうだ?」

聞き覚えのある、落ち着いた声がそう言うと、兵長は「帰る……」そう言った。

え? 帰るってまさか……

立ち上がると、ひょいと担がれた私の前には、困った顔の団長と分隊長が居た。

「ごめんね、面倒見てやって」
「どうやら、酔っている様だな……」

体の揺れと共に、二人が遠くなって行き、皆の好奇の目が私を見ている。

ど、どうなっちゃうの……? 誰か、助けてくれないの……?

「兵長……降ろして下さい」

担がれて会場から出ると、兵長のお部屋に向かっているのはわかるのだけど、ずっとお尻を撫でられている。

これは、そういう事をしたいのかと思いながらも、どうして私なのかという疑問しか浮かばない。

「逃げない……か?」
「に、逃げませんから……」

逃げたりしたら……どんな怖い事になるのだろうと、それはしないと必死に訴えた。

「わかった。なら……」

ゆっくりと私を降ろすと、兵長は下を向いてスッと私の方に手を出した。
多分そうなのだろうと手を掴むと、そのまま手を引いて歩いて行く。

これが、デートとかなら良いのに……

兵長の考えている事など、さっぱりわからない。足取りも確りしていて、酔っているというのも俄には信じ難い。

黙って部屋に入った兵長は、そのまま私を寝室に引っ張って行って、ベッドにポイッと投げた。

……え? まさか、やっぱり、そういう事ですか?

お持ち帰り? 何かよくわからない基準で選ばれてしまったとか? 次々と脱がされて、下着も下だけになってしまうと、兵長も脱ぎ始めた。これは本格的にまずいとわかっているのに、兵長はがっちりと私を捕まえている。

「兵長、あの……」
「逃げるな……」
「せ、説明を」
「俺と寝ろ」

あ……ああ……そうですか……

兵長に憧れていたけれど、まさかこんな事になるとは思わなかった。

誰でも良いというのは、本当だったんだ。噂の真相をこんな形で知るとは……と、頭の中は他人行儀なくせに、胸は凄くドキドキしている。でも……そっと寝かされてしまえば、抵抗しても無駄だろうと、とても悲しくなった。

兵長……

パンツ姿の兵長が、覆い被さって来るのかと思ったら、片手でぺいっと退かされた。

……へっ?

兵長は横向きになった私の後ろに横になると、抱え込んだ。ご丁寧に毛布まで掛けてくれて、これはどうしたら良いのだろうと焦っていると、聞こえてきたのは寝息だった。

寝るって……そのままの意味だったんだ……

恥ずかしくなって抜け出そうとすると、更にきつくなった。これは無理だと諦めて、ただただじっとしていた。




……温かい、これは何だろう?

柔らかくて温かいものを、暫くさわっていると、「ん……」と、小さく声が聞こえた。

……こりゃ、ヤバイんじゃねぇか?

恐る恐る記憶を辿りながら、下着も確かめたが……どうやらヤっちまった訳じゃ無さそうだとホッとしたが、徐々に記憶が鮮明になり、どうしたもんかと焦った。

だが、下着一枚のナマエを抱いて寝ていたのだと思うと、緊張よりも怒張するのは男の性か……

「オイ……起きてくれ……」

だが、勝手な事をして嫌われるのは本意じゃねぇ。連れて来ちまったのは、ナマエに惚れているからだ。しかし、俺はナマエとまともに話した事も無かった。

「すまねぇ……」
「あ……朝ですか?」
「いや、まだ夜中だが……」

寝惚けてるのか、ナマエは目を擦りながら、「まだ眠いですよ」とまた寝ようとした。が、ガバッと起き上がった。

「す、すみません!」
「いや、大丈夫か?」

いきなり起き上がったナマエに頭突きを食らったが、そんなのは大した事はねぇ。

「その……あれだ」
「……?」
「連れて来ちまって、悪かったな」
「それは……でも、どうしてですか?」

すっかり酔いが醒めちまった俺に、それを言えと……? だが、言うしかねぇ。

「好き……だからだ」
「え? だ、だって私お話しした事も無くて、そんな……」
「あぁ、だから……話してみたいと思って呼んで貰った筈なんだが……」

どこでからそうなったのかよくわからねぇと話せば、ナマエは困った様に笑った。
嫌だ、離さないと……まるでガキの我儘みてぇだったと言われ、あれは本心かと訊かれて頷いた。

「私も、兵長とお話をしてみたかったんですが、恥ずかしいし、何を話して良いかわからなくて……」
「あぁ、こんな風にしても、何を言ったら良いかわからねぇ」

そっと手を伸ばして毛布を手繰り寄せ、膝で立ってナマエに掛けた。

「あ、あの……」
「み、見なくて良い! いや、見るな……」

惚れた女のそんな格好を見ていたら、収まる筈もねぇ。これでもかと主張しているのは、どうにもならねぇよ。

「私を見て、そうなってるんですか?」
「……そうだが」

連れて来られて怖かったが、少し期待もしたのだと言って、恥じらう姿に煽られた俺は、ナマエに口付けて言葉にならねぇものを伝えた。




「リヴァイは酔うと……子供みたいに素直になっちゃうんだね……」

翌日、困った顔で笑ってそう言ったハンジは、あの後会場は大変な騒ぎになったのだと言っていた。

「どうにもならなくてさ、リヴァイとナマエちゃんは付き合ってるんだって言っちゃったんだけどさ……」
「問題ない」
「そうか、良かったね」

それが心配だったんだと、ハンジは走って逃げて行った。




結果としては、暴れたりしなかった事にホッとしたが……「私の居ない所で、酔わないで下さいね」と言われた俺は、それ以来酒に酔う事は無かった。

だが……

「お前が俺を酔わせてくれ」

そう言って俺は、ナマエの甘さと熱に酔わされている。

End



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