目の前に立つ……その女は、殺気も綺麗に隠してふわりと笑って間合いを詰めた。 俺は何年この時を待ち望み、焦がれたのだろうか……と、ゆっくりゆっくりと警戒を解き、構えた腕を下ろし、眼を閉じた。 やがて来るであろう衝撃に備えるよりも、受け入れる事に全ての神経を集中していった…… 俺は地下街で育ち、仲間というものも持たずにひとりで生きていた。 誰にも何にも期待せず、期待されず……向けられるのは敵意と殺意ばかりだった。 その日も、争う声にそちらを向けば、珍しくもない光景が目に入った。 関わるのは御免だ…… ナイフを持った数人の争い……誰が仲間で誰が敵かもわからねぇ。巻き込まれたらたまんねぇ、と……目を逸らして足を速めた瞬間、俺は吹っ飛ばされて来た男とぶつかった。 チッ……厄介事は御免だと…… 咄嗟に受け止めちまったそいつは、胸に深くナイフを差し込まれていて、既に息は無かった。 仲間だと思われたのか、俺と知ってか、襲い掛かられた俺は、胸のナイフを引き抜いて応戦したのだが、少女の悲鳴と共に、奴等は逃げて行きやがった。 抱えたままだった男と、逆手に握ったナイフを見て、少女は俺を睨んだ。 俺じゃねぇ…… 弁解しようと思えば出来た筈だが、俺はどちらも地面に落とすと走り出した。 「人殺し!」 背中に投げられた言葉と視線を感じながら、振り返る事もせずに走った。 何故、逃げたのだろうか。 少女ひとりくらい、一瞬で片付けられた筈だ。だが、そうしなかったのは何故かと考えたが、答えは出無かった。 数日後、俺の事を嗅ぎ回っているガキが居ると、酒場のオヤジが言っていた。そいつの名前はナマエだと言ったが、俺は知らねぇと答えた。 あの時のガキだろうな。 思い出すのは、まっすぐに射抜く瞳……そして、殺意と憎悪。 死んじまった男は、きっと身内だったんだろうが、俺の知ったこっちゃねぇ。 だが、それからは時々、人混みの隙間を縫って……路地裏の何処からか……俺に向けられる強い視線を感じる様になった。 ナマエ……なのか? ある時、俺は酒場で他の客が話しているのをたまたま聞いちまった。 俺が抱えていた男は、ナマエの唯一の肉親である兄だったのだと。 俺は用も無く彷徨くのは好きじゃ無かったが、時折ふらりと出歩く様になった。 厄介事に出くわした、あの場所の近くへと足は向く。一体何をしているのだろうかと思うが、それはすぐに答えがわかった。 決して近寄らない視線と気配……それに気付いた俺は、不思議な心地好さを覚えた。 無事、生きている…… 俺は気付いている素振りも見せず、がら空きの背中を向ける。 殺りたきゃ殺れ…… だが、気配は動かない。ゆっくりと歩き出すが、追う気配も無い。 俺は何事も無かったかの様にまた、来た道を戻った。 自分の住処に戻った俺は、よくわからなかった己の行動を思い返した。 確かめたかったのか…… 突き刺さる視線と感じる気配……唯一の肉親である兄を失ったナマエが、無事に生きている事を確かめるためだったのだ。 それから数年……あの日以来、俺はナマエを目で見る事は無かったが、生きている事は知っている。 いつ、その時は来るのかと心待ちにしているが、相変わらず気配は近寄らなかった。 だが、そんな日常にある日突然終わりが来た。俺は兵士に取り押さえられ、夢も潰(つい)えたかと思ったが、その兵士は憲兵では無く調査兵だと言った。 「一緒に来てもらおう。逆らうならば、命の保証は無い」 別に命が惜しいとは思わなかった。だが、俺は今死ぬ訳にはいかないと思った。 調査兵団で、兵士として生きる道を選んだ。 まだだ、まだ、私じゃ倒せない…… 兄を殺した男を、この手で殺すのだと誓った時から、私は兄の仲間に頼んで訓練をしていた。力がものを言うこの世界で生き残り、とても強いと聞いた男を倒すためには……今の私では無理だとわかっていた。 でも、私からお兄ちゃんを奪った事は赦さない。 広い様で狭い地下街で、その男を時折見掛ける。私はその度に思い出し、いつか必ずと睨んでいた。 けれども、ある日突然見掛けなくなった。 死んだのかしら……? いくら強いといっても、集団で襲われたら勝ち目は無いのかも知れない。来る日も来る日も……訓練を続けながら男を探した。けれども……見つからなかった。 でも、どこかできっと生きている。 私は諦め切れなかった。その時、私は14歳になっていた。 もっと鍛えたいなら、兵士になればいい……兄の仲間の一人が、私にそう言った。 「今みたいに食い物に困る事もねぇし、戦い方も教えてくれる」 自分達じゃ教えるといっても、限度があるとも言われた。 もっと強くならなければ……それしか頭に無かった私は、訓練兵に志願した。 兵士になり、俺は人では無く巨人と戦った。毎回大勢の犠牲を出す中でも、俺は生き残った。 別に拘束されていた訳じゃねぇ……あれから何度か地下街へと足を運んだが、ナマエの視線を感じる事は無かった。 だが、きっと何処かで生きている。 漠然とそう思いながら、気付けば俺は肩書きを付けられ、人類最強等と呼ばれる様になっていた。 そんなもんになりたくて、生き残った訳じゃねぇよ…… 俺を殺せるのは…… そこで思考を止められた。 ドアをノックする音と同時に開くドア、飛び込んできたハンジに溜め息を吐きながらも、俺は目線をくれてやった。 「リヴァイ、明日の予定聞いた?」 「今日はずっと此処に居た……」 「なら、聞いてないよね?」 「あぁ、そんな騒ぐ事か?」 まぁ、コイツのそれは標準装備なんだろうが…… 「明日は、訓練兵団の視察だってさ!」 「……それが、どうした?」 「私とリヴァイで行くんだってさ」 「俺が……?」 あからさまに嫌な顔をした俺を無視して、ハンジは続けた。 「今期は優秀なんだってさ! どんな子が居るか見たく無いの?」 「興味ねぇ、それに、その優秀な奴等は憲兵になっちまうんだろう? 見に行ったってしょうがねぇだろうが……」 そう言ったところで、業務命令だ……俺に拒否権が無い事くらいは理解している。 珍しく困った顔をしたハンジに、俺は明日の時間を訊いた。 「久し振りだなぁ……」 「……」 「取り敢えずは……訓練中だろうから、そっちへ行けばいいみたいだよ」 「あぁ……」 俺は、気が進まなかった。だが、コレも仕事だ、と……ハンジの後について訓練場の方へと向かった。 自分から兵士になりたいなんて思う奴の気が知れねぇ…… 聞いた話によれば、訓練でも命を落とす奴がいる。一人前になる前に……どれだけ減るかわかっている筈だが、それでも兵士になろうとするなんてのは……と、そこまで考えて、俺も人の事は言えねぇと思った。 「おっ、やってるねぇ」 対人格闘の訓練中だが…… 「これは……準備運動か?」 「リヴァイ……これでも訓練、本人達は大真面目だよ」 教官に挨拶して来ると言って、ハンジが離れ……俺はまた訓練兵を見ていた。 これで優秀なのか……? 中には数名、動きのいい者が居たが、それでも片手……いや、片足で倒せる程度だろうか。 ハンジと教官が俺の方へ向かって歩いて来るのを、俺はぼんやりと見ていたのだが…… 「……っ、?!」 今のは……! 一瞬だけ、視線が俺を貫いた。探していた……あの感覚と気配を感じた。 ナマエ……? 俺は慌てて手元の資料を捲った。渡されはしたが、興味もねぇと……見る事すらしなかったそれを捲っていく。 ……あった。 上位の者の中に、ナマエの名前がある。そうか、地下を探しても居ねぇ訳だな。 「調査兵団のリヴァイ兵士長とハンジ分隊長だ」 紹介され、敬礼する訓練兵を端から順に見ていったが、どれがナマエかはわからなかった。ガキの頃1度だけ見た……その姿と同じ訳も無く、思い出そうとすればする程、その姿も曖昧になった。 だが、俺は姿を知りたい訳じゃねぇ……どんな経緯や思惑で訓練兵になったのかはわからねぇが、食い物に困る事も……抗争に巻き込まれて死ぬ事もねぇ状態に安堵した。 まだ、諦めてはねぇみたいだしな…… 久しく会っていなかった愛しい者に会った様な……不思議な高揚感に俺は、僅かに口角を上げた。 「リヴァイ、見本を見せてやれってさ」 「あ?」 自分の世界とやらに入っていた俺は、いきなり引き戻されて少々不機嫌だった。だが、俺がどの程度動けるのかを、ナマエに見せておきたいとも思った。 「始めようか」 よく見ておくように……と、教官が訓練兵を輪の様に座らせた中心に、俺とハンジが居た。 「あぁ、いつでもいいぞ」 先ずは……と、ハンジの攻撃をすべて躱(かわ)す。避け方の基本と見本になるだろう。 覚えろ……俺はこの手の攻撃は効かねぇ 攻守交替して、攻めた。手で、足で……集中させずに足技で決める。 なぁ、見てるか? 敵である筈のナマエの前で、惜し気もなく手の内を明かしていく事に、俺の胸は熱くなった。 「そこまで!」 教官のその声で止めた足は、ハンジのこめかみの少し手前で止まっていた。もし、振り抜いていれば、気絶程度で済んだかわからねぇ…… ハッとした俺は、心地好さと高揚感に酔い、危うく本気になるところだったと焦った。 「あいたた……」 見れば、ハンジはかなり疲弊していた。 「すまねぇ……」 「いや、これでもかなり手加減してるよね……」 「あぁ、本気になっちまったら……てめぇの命はねぇよ」 「……だろうね、それは勘弁して欲しいわ」 「それはしねぇ……」 その後は、立体起動の見本とやらをやらされた。だが、そのまま訓練が終わるまで、1度もあの視線が俺を貫く事は無かった。 「私達、調査兵団は君達が来てくれるのを待っている」 満面の笑みで両手を広げ、ハンジの演説が終わると、一斉に敬礼をした。本当に……その意味を深く理解しているのかと思うくらいに、清々しい顔をしている者が多かった。 「帰ろうか」 「あぁ、もういいのか?」 「特に指示は無いから、いいんじゃないかな」 その時、また、俺は背中に受けたその視線に……嬉しいとさえ思いながら、振り向く事もせずに歩いた。 「リヴァイ……?」 「あぁ、戻ろう……」 ハンジは嫌々来た筈の俺が、それ程機嫌が悪くない事に不思議そうな顔をしたが、適度に体を動かしたからだと言えば、疑いの目を向けながらも「機嫌が悪いよりはいいか」と、それ以上は何も訊かなかった。 [ *前 ]|[ 次# ] [ main ]|[ TOP ] |