お前になら任せられる


「鬱陶しいな……」

書類を書きながら、フッと目線を上げた俺は、思わずそう呟いた。

「ご……ごめんなさい……」

俺の前に紅茶を置いたナマエが、急に泣き出した。

「っオイ、何で……」

急いで立ち上がった俺は、ナマエを慌てて抱き締めた。
俺の秘書で、恋人になったばかりのナマエは……すぐにこうして泣いてしまう。

「今度は……どうしたんだ」
「私……見て鬱陶しいって……」
「俺が……お前にそんな事を言う訳が無いだろう?」
「でも……」
「あぁ、今のは俺が悪かった。前髪を見ていたんだ……お前じゃねぇよ」

よしよし……と、以前ハンジが新兵にしていた様にしてやると、そろりと顔を上げた。

「……ごめんなさい」
「謝る事はねぇよ、タイミングも悪かったな」

ナマエは人よりも劣等感が強い。もっと自信を持っても良いとは思うのだが……そこも含めて可愛いと思うのは惚れた弱味か。かく言う俺も、こうして慰める事すら、人真似でしか出来ねぇダメな奴ではあるのだが。

「髪……伸びてますね」
「あぁ、そういやぁ暫く切って無かったな……」
「夜、私が切りましょうか?」
「あ?」
「い、いえ……あの、やっぱりいいです……」

珍しく……自分からそういう積極的な発言をした事に驚いただけで、嫌な訳じゃねぇ……俺は本当にこういう事が下手だ。

「ナマエ、違う、嫌なんじゃねぇ……驚いただけだ。切ってくれるか?」
「はい、こ、これだけは得意なんです」

恥ずかしそうに笑うのを見て、俺は堪らずにキスをした。

「お、お仕事中です……」
「誰も見てねぇ……お前が可愛いのが悪い」
「すみません……」
「……誉めてるんだがな?」
「……?」

きょとんとした顔で小首を傾げる仕草に、押し倒されたいか? と、言いたくなるのを我慢して、紅茶を持ってソファーに移動した。

「お前も持って来い。休憩しよう……な?」
「はい」

少し離れてちょこんと座る、それすら可愛くて仕方がない。これが自然に膝の上になんて座られた日にゃ……仕事になんかならねぇだろうと笑っちまう。

「私の家は、散髪屋だったんですよ」

過去形……?

「そうか、それで得意なのか?」
「はい、父の真似して……近所の小さい子の髪を切ったりしていたので、訓練兵の時は、同期や後輩の髪も切ってました」
「それは……期待できるな」

ナマエになら、きっと任せられるだろう……

散髪屋は、行った事が無い。
ハサミやナイフを持った奴に……そんな事はねぇとは思っても、背中を向ける事など出来なかった。

「お前になら……頼めそうだ」
「……?」

だから、それはやめろって……

2度目の"押し倒したい"を誤魔化す様に、俺はナマエの頭をポンポンと叩いた。




「お邪魔します……」
「あぁ、待ってたぞ」

少し大きな荷物を持ったナマエが部屋に来て……俺は凄く疑問に思った。

「何を……そんなに持って来たんだ?」
「え?」

髪を切るなら、ハサミとナイフの1本もあれば足りるだろうと思っていた俺は……他にどんな道具が要るのかと悩んだ。もうひとつ、櫛くらいは浮かんだが……

「ハサミですが……」

そう言いながら巻かれた布を開くと、ホルダーのついた布に、何本ものハサミや櫛、髭剃り用のナイフの様な物が納められていて、俺は言葉も出ずに見惚れていた。
ピカピカに磨きあげられて、曇りもない。使い込まれているのに、雑に扱われていない……手入れの行き届いた道具は美しい。

「凄いな……全部お前が手入れしてるのか?」
「はい、私の宝物です」

自信に満ちた満面の笑みは……普段の可愛さとは違って……とても綺麗だった。
初めて見たその顔に……また、見惚れてしまった。

「リヴァイさん……?」
「あ、あぁ……」
「髪……洗いますか?」
「お前が洗ってくれるのか?」

一緒に風呂に……などと、一気に妄想が先走りしている俺をよそに、ナマエが洗面所に椅子を持ち込んだ。
タオルを何枚か用意しろと言われて持って行くと、置いてある椅子に座れと言われた。

なるほど、頭だけ洗うのか……と、少々……いや、かなり期待しちまった俺は勝手に恥ずかしくなっていた。

後ろに頭を倒していく……が、袖を捲ったナマエの柔らかい腕が頭を抱える様にしているからか、自力で耐えろと言われたら辛い体勢だが、苦ではない。

器用に濡らしていくのだが……ちょっと待て、これを他の奴にもやっているというのか?
目の前には……小柄で細い身体には不似合いな、豊満な胸がある。抱え込んで、後頭部を洗おうとすると……あぁ、やっぱり……その胸に顔を押し付けられた。

これは……ある種の拷問だろう?

未だそういう関係にはなっていない。我慢の日々である……

「ナマエ……」

モゴモゴとしか動かない口で呼べば、嫌ですか? やめますか? と、慌てているが、そうじゃねぇ。

「いつもこんな事してやるのか?」
「いえ、此処はお湯が使えるので思い付いただけで、他はみんなお風呂上がりに頼まれるんです」
「そ、そうか……悪かったな、続けてくれ」
「はい」

そうか、俺だけ……か……

特別扱いをしているつもりなど無いのだろうが、それも嬉しかったが……何よりこの、胸による顔マッサージの様な拷問が俺だけであるなら黙っていよう。
下手に騒げば、走って逃げてしまうだろう光景は容易に想像がつく。

今までよりも濃厚なナマエの匂いと感触に、俺は気を逸らすので精一杯だ。

「ゆっくり起き上がって下さい」

一度拭いて、また違うタオルを髪に巻いてくれた。

「さっぱりしましたか?」
「あぁ、洗ってもらうのは悪くねぇな」

洗ってあげるのは初めてだったと微笑んだ。だが、上手いもんだと思った。
指が撫でていく感覚や、強過ぎず弱過ぎない力加減が心地好かった。

「他の奴にはやってやるなよ……」
「はい、リヴァイさんだけにします」

理由はわかってないだろうが、それでいい……と、俺も目を細めた。

どうせなら、上半身裸でやってくれるってのもいいな……

艶のある、サラリとした大きな布を敷いて、真ん中に椅子を置き、座れと言われた。同じ布を今度は外套を前後反対にした様に着けられた。

「これは……?」
「服や床を汚さない為ですが、ご存知無かったですか?」
「俺は……自分でしか切ったことがねぇから……」
「そうですか……リヴァイさんは器用なんですね」

観点が違うようだが、まぁ、仕方がないか……俺みたいな奴はそうそう居ねぇだろうからな。

「始めますね……全体的に少し短くする感じで良いですか?」
「あぁ、襟足はかなり短くて構わねぇ」
「はい」

幾つもあるハサミの中から、迷いもなくひとつを取り出し、ゆっくりと俺の後ろに回る……ゴクリと喉が鳴り、嫌な汗が掌に浮かんだが、俺は細く長く息を吐いて目を閉じた。

「も、もしかして……緊張してます……か?」
「あ、あぁ……」
「すみません……何かお話していれば良かったですね」
「気を遣わせてすまねぇな……」

金属同士が擦れる音に、一瞬、全身の毛が逆立った。だが、珍しくたくさん話してくれているナマエの声と、リズミカルな金属音はゆっくりと俺の緊張を解いてくれた。

たかが、髪を切るだけ……だが、場所によってなのか、何本もハサミを持ち替えるのを……何となく見ていた。産毛まで丁寧に剃って貰うのは、何故かとても恥ずかしかった。

「はい、お終いです!」

掛けてあった布をそっと外し、襟回りを拭いて……足元の布を折り返す。テキパキと片付けていく様子を見ていて、まるで、プロの仕事だな……と、感心した。

「ありがとう、店が開けそうだな……」
「跡を継ぎたかったですから……」

ナマエは……フッと消え入りそうな笑い方をした。

「すまねぇ……何か悪い事言ったか?」

咄嗟に抱き締め、背中を撫でた。

「私の家は……シガンシナにあったんです……」
「っ、そうか……」

ぎゅっと抱き寄せたが、それ以上どうしてやれば良いのか……俺にはわからなかった。

「ナマエ……これからずっと、俺の髪はお前が切ってくれるか?」
「は、はい……」
「俺は……散髪屋が怖くて行けなかったんだ……」
「そうだったんですね……じゃぁ……」
「大丈夫だ、お前なら怖くねぇ」

その日は、初めてナマエが俺の部屋に泊まった。とはいっても、抱き締めて眠っただけだが……穏やかな眠りについた。




数日後、今度はナマエが髪を切ろうかと言い出したのだが、自分のは切れないと言ったので、俺が切ってやると言えば、笑って頷いた。

「本当にいいのか?」
「はい、嬉しいです」

他の奴には触らせたくないという、単なる独占欲だったのだが、まさかそれでいいと言うとは思ってもいなかった。
だが、切ってみたいと思ったのも嘘じゃねぇ……

ナマエの頭を洗ってやる……と、俺も真似てやってみたが……上手く出来たかわからねぇ。それでも、ナマエは笑ってくれていた。

「どれを使うんだ?」

本来、道具なんて物は……大事であればある程、人になど触らせないものだが、ナマエは使い方を教えながら俺に持たせた。

「ど、どうだ……?」
「わぁ、やっぱりリヴァイさんは器用なんですね……お店に行ったみたいです!」
「それは……誉めすぎだ」

思わず背中を向けた俺に、ナマエが抱き着いた。

「どうした……?」
「なんか……もっと一緒に居たくて……」

振り返って顔を見たかったが、背中にだから言えるのだろう……と、俺は腹にある手を握った。

「帰してやらねぇぞ……?」
「はい……」
「……っ、わかってんのか?」
「はい、頭だけじゃなくて……もっと……触ってほし……」

……限界だ!

ナマエが言い終わる前に、俺は抱き上げて寝室へ入った。

しがみついたまま、ベッドに降ろそうとしても離れないナマエを抱いたまま座り……キスをした。




「なぁ、ナマエ……俺も散髪屋になれると思うか?」
「リヴァイさんなら、なれると思います」
「そうか……いつか、兵士じゃなくなったら……シガンシナで店を開こう……」
「……?!」

二人で……一緒に……

End



[ *前 ]|[ 次# ]

[ request ]|[ main ]|[ TOP ]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -