その日、俺はいつもと違う自分に驚いた。 何だ……? 先ず、時間を見て驚いた。 普段よりも4時間も長く寝ていたのだ。すぐに支度しねぇと、朝飯を食い損ねる。 次に、ベッドから降りようとして、よろけた。 床が柔らかい気がする……と、爪先で数回蹴ってみたが、感覚も鈍い。 だが、柔らかくは無かった様だ。 寝過ぎでボケてやがるのか? まぁ、気にする程の事でも無いかと着替えていたが、服が肌に当たるのも不快だった。 それでも、特に問題は無いと部屋を出て食堂へ向かった。 「兵長、おはようございます。テーブルにお持ちしますので、お待ちください」 「あぁ、すまねぇな……」 昼ほど人が集中しないが、今日はやけに騒がしい…… 「お待たせしました」 「いや、待ってねぇよ……」 「……?」 「早かった……って事だ」 「はい、それでは私は…………へ、兵長?」 「何だ……?」 困っているナマエを見ると、俺の左手はナマエの手首を掴んでいる。 左手にそんな指示を出した覚えは……ねぇぞ? 右手はスープを飲もうとスプーンを持っている。用が済んだのを、引き留める理由は無い。 「すまねぇ……」 「いえ、どうかなさいましたか?」 「いや、何ともねぇ……が」 掴んでいた左手を開き、ナマエの手を解放してやったが、今度は服を掴んでいる。 「何が起きているんだ?」 「さ、さあ……私には」 今度は、開こうとしても言う事を聞かねぇ…… 「取れませんね……」 指を開こうとしたが、確りと掴んだままだ。どうにもならねぇと諦め、ナマエは隣に座って「食べちゃいましょう」と笑った。 自由な右手でスープは飲んだが、パンが千切れない。そのままかじるしかねぇかと思っていると、「やりましょうか?」と手を出されたので渡した。 「食わせろ」 「えっ?」 一口大にしたパンを差し出したナマエに、俺はそう言った。だが、そんなつもりはねぇ…… 「はい……あの、どうぞ……?」 俺は口の前に出されたパンを食べた。そして、あろう事か……次を寄越せといった風に、ナマエに向かって口を開けた。 何故だ……? だが、そんな疑問も知らねぇと、目の前に出されたパンに食い付く。 片手は服を握ったままで、反対ではスプーンを持ち、ナマエにパンを食わせて貰っている…… 「リヴァイ……何やってんの?」 目だけをハンジに向けるが、てめぇで理解出来ねぇもん、説明のしようもねぇ。 「俺が知りてぇ……」 取り敢えず返事はしたが、俺はまたナマエに向かって口を開けた。 「兵長……パンはおしまいです。もう無いです……」 「あ?」 間抜け面だけで無く、間抜けな声まで出した俺は、まるでハンジの奇行を見る様な兵士達の目に気付いた。 だから、俺は何をやっているんだ? だが、パンが無くなったからなのか、何なのか、俺は酷く苛ついた。 これ以上変な事が起こる前に一旦部屋に戻ろうと思い、立ち上がったが……やはり、服は掴んだままだ。 「リヴァイ、どこへ……?」 「一旦、部屋に戻る」 空いていた右手はナマエを担ぎ上げ、食堂を出て歩き出した。 やはり、俺はどうかしている…… 「俺は……ナマエが好きなだけだ……」 別に何がしたいって訳でもねぇ。 段々と重くなる体に更に苛つきながらも、自室に着いた俺はナマエごとベッドに転がった。 「兵長、大丈夫ですか?」 「……?」 ぼやける視界にナマエが居る…… 「ああっ!」 「ど……した?」 「兵長……凄い熱があります……!」 これは大変だ! ……と、慌てたナマエが医者だ氷だと騒いだが、立ち上がろうとしているのを、掴んだ服を引き寄せた動きに邪魔され、俺の上に倒れて来た。 「騒ぐな……」 「で、でも……」 「俺は……眠い……」 抱き締めた感触が心地好くて、俺は急激な眠気に襲われた。無理矢理どこかへ意識を引っ張られる様な感覚に逆らえず、そのまま落ちた。 眠いと言った兵長は、そのまま浅い呼吸に変わった。 何で……こんな……? 食堂での兵長も、今も……まるで子供みたいに甘えている様にも思える。熱を出しているからおかしい……というのもあると思うけれど、さっき兵長は独り言の様に私が好きだと呟いた。 私も……兵長が好きなんです。 緩んだ腕からそっと抜け出したけれど、相変わらず左手は私の服を掴んでいた。これじゃ身動きが出来ない……と、上着を脱いで抜け出した。 「あ、ハンジ分隊長!」 「リヴァイから解放されたのか、良かったね……でも、何だったの? アレ」 「そ、それがですね、どうやら熱のせいで変だったみたいで……」 「え? リヴァイが熱出したの?」 「はい、測ってないですが、かなり高いかと……」 最初は笑っていた分隊長も、医者を連れて行かなきゃと言って走り出した。 私はお役御免かと思いきや、分隊長に引っ張られて連れて来られた。 「これは……」 「な、何か大変な病気とか……?」 「風疹、三日ばしかとも言うか」 「え……」 「ああ、兵長はもう30過ぎてるか、この歳で掛かるのは珍しいだろうな……子供の頃にやらなかったんだろう」 思わず、分隊長と顔を見合わせて笑ってしまった。 「私やったかわからないや……ナマエは?」 「私は、親が3日どころか10日掛かったって文句言ってたので……多分やってます」 「発疹も出ない事があるんだ。熱も僅かで、親や本人ですら気付かない事もある。大概はやってるもんなんだがな」 医者も微笑んでいたけれど、そっと見せてくれた耳の後ろにポツポツと、小さな赤い発疹があった。 後で薬を取りに来る様にと言って、医者は戻って行った。残された私と分隊長は、取り敢えず様子を見ようと話していたのだけれど、「看病してやって」と、私の肩を叩いて団長の所へ行ってしまった。 何となく……気まずい…… 気付かなかった振りをすればいいだけだと、そう思っても、確かめたい気持ちや、聞き間違いだったら……そう思う部分がぐるぐると回っていた。 寝てる間にお薬……貰って来ないと。 バタバタと、足音が近付いた。その主はまあ、想像がつく。ノックもせずに扉が開き、執務机の反対側に手をついて……鼻息も荒く話し出す。 「エルヴィン! 大変なんだ!」 「ハンジ……今日は何だ?」 「聞いてよ、面白かったんだから!」 朝から食堂でリヴァイが見せた奇行を聞かされた。おかしな事があるもんだと……笑って終わりかと思ったのだが…… 「でね、熱があって……三日ばしかなんだってさ!」 ゲラゲラと笑いながら、机をバンバン叩いているが……笑い事では無いような? 「ハンジ、リヴァイは高熱を出しているという事か?」 「うん、今はまだ寝てると思うけど」 「確か……熱も出した事が無いと聞いている。誰か付いていた方がいいかも知れないな」 熱が出でいる事に気付かずに、普段通り食堂まで行ったのだと考えると……危険だ。 「あ、それなら大丈夫。ナマエ置いて来たから」 「そうか、だが、様子は見に行ってやらないとな……」 「そうだね、ちょっと心配だなぁ」 取り敢えず、急ぎの書類を片付けるから待っていろと言って、書類を書いていたが、ハンジの話の様子を思い浮かべてしまい、2枚も書き損じた。 リヴァイの奇行……見たかった。 ……此所は、何処だ? 俺は引っ張られて落ちた。だが、上も下もわからねぇ様な、変な所に浮いていた。 手にも足にも、動かしても何も当たらない。 気持ち悪ぃ…… 『なに焦ってやがる……』 笑いながら声がしたが、姿は無い。 「誰だ、何処に居やがる」 周りは真っ白で、広いのか狭いのかすらわからねぇ…… 『楽しかっただろう?』 「何が……」 『大好きなナマエを独り占め出来ただろうが』 何故知ってやがる……コイツは何だ? 『俺はお前さ』 「……?」 『見てらんねぇから、手ぇ貸してやったんだが、寝ちまっちゃ意味がねぇ……』 「んなもん俺に言われても知らねぇ」 『まぁ、暫くそこで見てるんだな』 クッと笑った声は遠退いた。 一体、何の事かもわからねぇ……アイツは俺なのか? フッとまた何処かへ引っ張られて行く感覚に目を閉じた。 治まったところで目を開けると、目の前には心配そうに俺を見ているナマエが見えた。 だが、体が全く動かないどころか、声すら発する事が出来ねぇ…… 「兵長……目が覚めましたか?」 「ナマエ……居て……くれたのか?」 「はい、お薬も貰ってありますから、飲んでくださいね」 「い……くのか?」 「仕事に行かないと……」 「嫌だ、此処に居てくれ」 ……ちょっと待て、これは何だ? 俺は喋ってねぇ…… 「でも……」 「なぁ……体が辛いんだ、傍に居てくれよ……」 「ま、また後で来ますから」 「俺なんかより……仕事が大事だよな、悪かったな……」 オイ……俺はそんな事…… 『言わねぇ……か? 言えねぇ……の間違いだろうが』 頭に声が響く…… あぁ、そうだ。俺には言えねぇ……だが、思ったまんまの言葉だった。 「そんな、兵長……私は……」 その時、寝室のドアをノックする音がナマエの言葉を遮った。 「ヤッホー! おっ、リヴァイ起きてるじゃないか。気分はどうだい?」 「てめぇのせいで……最悪だ」 「思ったより平気そうだな、リヴァイ」 「んな訳ねぇだろうが、体が思う様に動かねぇ……」 体が……? そこで漸く、俺は体が勝手に動いた理由を理解した。 今は完全に乗っ取られた形だが、あの時既に乗っ取られかけていたのか。 『正解だ! まぁ、入れ替わったってとこだな。お前はこれからはずっと、そこから見てるだけさ……今までの俺みたいにな』 ってことは……コイツは全部知ってる訳か…… 「なぁ、エルヴィン。俺が動ける様になるまで……ナマエの仕事は無しにしてくれねぇか?」 「えっ? だ、団長……いくらなんでも、そんな訳には行かないですよね?」 「いや、こんな時くらいは……多少の我儘もいいと思うぞ」 「リヴァイはナマエがいいんだ?」 困った顔のナマエに対して、エルヴィンもハンジもニヤニヤと笑っている。絶対にバレただろうと……俺は恥ずかしくて顔を背けたかった。 「リヴァイの回復にも効きそうだからな……ナマエ、治るまでは看病が仕事だと思ってくれないか?」 「そ、それは……」 「業務命令だよね〜、エルヴィン」 「ああ、そういう事だ」 「んじゃ、邪魔者はさっさと退散しよっかね。後は宜しくね〜」 病人を前にして、えらく楽しそうだなと思ったが、二人きりにされるなど、これはこれで気まずい。だが、アイツはそうじゃねぇみたいだ。 「ナマエ、嫌……だったか……?」 「そ、そんな事は……」 「無理してるなら、今追えば間に合うだろう……他の奴に……」 そこで体が反転した。ナマエに背中を向け、ナマエの言葉を待っている様だ。 「嫌じゃ……無いです。でも……」 「でも……?」 「い、いえ……何でも無いです。看病頑張ります」 「ナマエ……」 苦しそうな声で呼びながら……体を起こそうとしている。 「兵長……大丈夫ですか?」 慌てて支えようと抱き抱えたナマエを、逆に抱き締めた様だ。 っオイ、何を…… 『お前にはわかってる筈だが?』 やめろ…… 『今言わなくていつ言えるんだ?』 目の前には、真っ赤になったナマエの耳が見えている。 「ナマエ、俺は……」 やめてくれ、それは俺が…… そう思った瞬間、感覚が一気に全て戻った。 「兵長?」 「っ、お、俺はお前が好きだ!」 思った以上に力が入らず、重たい体を支えきれなくなり、力を抜いてナマエを抱き締めたまま後ろへ倒れた。 『やりゃぁ出来るじゃねぇか』 お前は一体…… 頭の中に響く声は、俺の"素直な心"だと言った。ずっと……弾き出されたまま俺を見ていたのだ、とも。 「私も……兵長が好きです」 「ありがとう……」 素直に出た言葉は、ナマエになのか、アイツにだったのかわからねぇが……胸がとても温かくなった。 そのまま暫く抱き締めていたが、「薬を……」そう言ったナマエを離してやった。 だが、また……手は服を掴んでいた。 「も、もう……何処にも行きませんから……」 困った様に笑うナマエを見ると、パタリと腕が落ちた。 『後は勝手にやってくれ』 そう言ったきり、もう、その声は聞こえなかった。 それから、ナマエの看病のお陰か、3日で完治した俺は、大人になってから掛かったと……幹部連中からは散々からかわれたが、 病気も悪くないと思った。 隣にはナマエが居てくれる。 俺は……もう一人の俺に感謝した。 End [ *前 ]|[ 次# ] [ request ]|[ main ]|[ TOP ] |