ある日、自分は宝生家の一人娘のお嬢様の側近執事を引き継ぐことになった。
お嬢様の名前は宝生麗子様。
自分は『与えられた業務をこなすだけ。』…と、そう思っていた。
聞いたところによると
どうも、お嬢様は刑事をしているらしい。
宝生家の…いわゆる箱入り娘である一人娘を、刑事という危険を伴う仕事に就くことをよく許したと思う。
「頼んだよ。影山くん。」
「はい。」
渡された蝶ネクタイを自分の首につけ、尊敬していた自分の上司に頭を下げた。
仕事に行っているお嬢様のあとを追い、警察署に向かう。
お嬢様には内緒で見守るのも執事の役目だ。
「宝生くんなら、事件の捜査に行ったよ。」
「そうですか。ありがとうございます。」
宝生グループの力を持ってすれば、場所を教えてもらうことなど造作もない。
そして、リムジンを走らせお嬢様が関わっている事件の現場付近まで到着した。
少し離れたところから見守る。
自分よりもまだ若いお嬢様が、スーツを着こなし真剣な表情で聞き込みをしていた。
「お嬢さん。次は向こうの聞き込みにいこう。」
白いスーツを着ているのは多分、お嬢様の上司。
「はい。…でも、『お嬢さん』は止めて下さい…」
お嬢様は複雑な顔をしながらも、白いスーツの上司について行った。
「公園だ!」
お嬢様の上司は大声でそう言うと、両手を勢いよく広げた。
「はぁ…」
お嬢様は小さくため息をついたように思われた。
「それで…警部。何故、公園なんですか?」
「おや?分からないのかい?それなら僕が教えてあげよう。」
白いスーツの上司は得意げに説明を始めた。
「宝生くん。それはだね…「あの…目撃情報の身長が145〜155センチだったから、『犯人は子供だ!』なんてそんな馬鹿げたことをおっしゃるつもりじゃないですよね?」
その場の時間が一瞬だけ止まり、白いスーツの上司は目をぱちくりさせた。
「そんなはずないだろう。いくらなんでも子供だなんて思わない。」
「そうですよね。身長が小さい大人もいますし、子供=公園なんて…
そんな安易な考えを警部がするとは思いません。
それにいまどきの子供は公園にはあまり行きませんし、来るとしても幼稚園くらいの小さな子供〜小学校低学年。
その中で145〜155センチなんて言ったら大き過ぎますからね。」
「そうだとも。僕も君と同意見だ。最初からそう思っていたさ。
よし、休憩も済んだことだ。聞き込みの続きをしよう。」
白いスーツの上司は何食わぬ顔で公園をあとにしようとする。
「おじさん、僕のバドミントンの羽が木の上に乗っかっちゃったんだ…とってくれないかな?」
小さな男の子が母親と共にやって来た。
「君、僕は『おじさん』じゃない。『お兄さん』だ!勘違いしないでくれよ。」
そんなこと…と思ったが、お嬢様はいつものことのように無視している。
「警部。市民を助けるのは警察の仕事です。早くとってあげて下さい。」
「宝生くん。知っているかい?このスーツはだね、特注で作ってもらった一点物なんだよ。
木に登ったりしてこの白いスーツに汚れでもついてしまったらどうするんだい?」
「登りたくないんですね?」
「いや、汚れるのが心配なだけだ。」
白いスーツを理由にはしているが、この人を観察していて思ったことがある。
足は速そうだが、運動神経がいいとは思えない。
きっと…
登れないのだろう。
「宝生くん。君なら若いから登れるだろう?」
さっきまでおじさん扱いを怒っていた人が、自分は『若くないから』とでも言っているかのような口ぶりで話す。
「私ですか?…分かりましたよ。取ります、登りますよ!」
お嬢様はスーツのジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖を捲る。
キビキビした身のこなしで木に足をかけると、そのままバドミントンの羽がある方へと登って行った。
木が揺れる度に、冷や汗が出そうになる。
いつでも助けにいけるように準備をしながらお嬢様を見つめた。
「宝生くん。あと少し上だよ。」
白いスーツの上司は下からお嬢様を見上げ、指示を出す。
「取れたっ!」
お嬢様は羽を掴むとサッと下へ降りた。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
「ありがとうございます。」
親と一緒に頭を下げた男の子に、お嬢様は優しい笑みを浮かべた。
「どうぞ。」
視線を男の子に合わせて低く屈み、羽を渡す。
その行動からは、優しさが滲み出ている。
親子と別れたあと、空は暗くなっていた。
「宝生くん、こんな時間だ。聞き込みは、また明日にしよう。」
白いスーツの上司はそう言うと、愛車のジャガーを指差した。
「乗っていくかい?」
「結構です。」
きっぱりと断られてしまった上司は「そうか、じゃあまた明日。」と言ってジャガーで家へと帰って行った。
そろそろお嬢様もご帰宅の時間。
一度、警察署に戻って荷物を取ってくるだろう。
そう想定して、リムジンを警察署の近くまで走らせた。
十五分程リムジンの中で待ったあと、お嬢様の姿が見えた。
お嬢様の近くまで車を寄せ、外へ出ようとすると『コツン』と何かが車体に当たった。
リムジンから降り、車体についたキズを確かめる。
ほんのかすり傷だ。
「ごめんなさい…修理代はいくらかしら?」
うしろからお嬢様の声がする。
「せいぜい…七、八十万でございます。お嬢様。」
するとお嬢様は安心したように「あなたが新しい執事?」と尋ねてきた。
「はい。影山と申します。」
そう言って、お嬢様に深くお辞儀をする。
「宜しくね。」
そう言ったお嬢様は、わたしに優しい笑みを向けた。
そして、その時思った。
この笑顔は本物だと。
純粋で清らかな心の持ち主だからこそ、こんな笑顔ができるのだと。
わたくしは…
―そんな貴女に仕えたい。
END
2011/11/08