呪術廻戦 | ナノ

二重螺旋



情事後特有のにおいと、閉め切っていたせいで篭りに篭った熱気を逃がそうとして、名前が玄関横の台所で建付けの悪い窓と格闘している時の事だ。半裸の女が気怠そうに奥の部屋から出て来た。

先刻まで、伏黒甚爾と女は発情期の猫みたいに絡み合ってたいたのに、女が名前に向けた声は幾分か警戒の色が強く棘を含んでいる。

「誰、アンタ」

甚爾が突然部屋を訪ねて来た女と情事に耽っている間、名前は風呂場の扉を閉めて、事が終わるまで息を潜め、何も聞こえないふりをしてやり過ごした。別に苦はなかった。父親と継母の時もそうしていたからだ。

「お気になさらず。あ、風呂場はあちらですよ」

以前の部屋と同じ間取りなので、勝手知ったる名前が言う。

「知ってるわよ。ここ、アタシの部屋」
「え?ここ甚爾さんの部屋じゃないんだ」
「あの人、世の中の信用ゼロだから部屋借りられないのよ。だからアタシが借りてあげたの」

名前はとんでもない勘違いをしていた事に気付いた。自分が助けを求めた男は、ただろくでなしなだけでは飽き足らず、ヒモであるという事実が判明した。女が借りた部屋に転がり込んでいる男の元に転がり込むとは、つくづく運が無いと名前は思う。

「で、アンタは甚爾の何なの?まさか、」

女はそこで言葉を切ると、目を見開いて名前をまじまじと見つめた。

「ちょっと甚爾、子連れなんて聞いてないんだけど」

女はわあわあ喚きながら踵を返して奥の部屋に戻っていった。名前は膝と肩ががくりと沈み込むのを感じた。修羅場の予感を覚えたのも束の間、浮気を疑われるどころか甚爾の子供だと勘違いされる始末。

奥の部屋で、女が一方的に甚爾を詰っている声が台所の名前にまで聞こえていた。甚爾は、それを宥め賺している。

「子連れなら初めから付き合わなかったのに」
「ん〜?言ってなかったっけ」
「聞いてないわよ」
「今言ったって事で。なあ、気晴らしにどっか行くか?」
「それも、アタシのお金ででしょ?冗談じゃない。話をそらさないで。あの子連れて出て行ってよ」

台所には西陽が差し込み、古びた空間に陰影を落としていた。
名前は、女と甚爾の遣り取りを何処か遠くに聞きながら、古いステンレス製の流し台に凭れて座り込んでいた。肩を竦めて俯きながら、聴覚を鈍らせる事に意識を集中させる。そうすると、頭が薄ぼんやりとして来て、会話が雑音に変化する。雑音を締め出せば、後は自分だけの世界が訪れる。名前は、父と継母が言い争ってばかり居た以前の生活を乗り切る為に、そうやって心の居場所を作り、拠り所にしていた。

「おい、起きろ」

甚爾が名前の肩を揺すって居た。いつの間にか眠っていたらしい。白河夜船の心持ちで顔を上げて辺りをぼんやりと見回すと、西陽も遂には陰り外は薄暗くなっていた。

「ったく、これだから餓鬼はめんどくせぇ」

盛大な溜息を吐く甚爾を、名前が何処か諦念の篭った酷く傷付いた瞳で見上げる。名前は、自分について周りの大人が争う事に心底うんざりしていたし、顰めもせずに耳に飛び込んで来る言葉に傷付いていた。今回も、甚爾と女の間に不和が生じたのは名前が原因なのだ。胃が焼け付く様な焦燥と、惨めさの鬩ぎ合いの果てに何時も残るのは自暴自棄の感情だけ。

「私が欲しいのは、愛か死よ」

唐突に言葉が零れ落ちて来た。ついでに涙も。

「これだから、餓鬼はよ。経験が浅い癖に感受性が強くて困る」

そう言って、甚爾は名前を肩に担ぎ上げた。突然の出来事に名前からは潰れた蛙の様な声が漏れる。

「もっと色気のある声出せねぇのかよ」
「突然担ぎ上げられ時に出す色気なんて分かる訳ないじゃない」
「お、威勢良くなって来たな」

そのまま奥まで運ばれて、粗雑に降ろされた。そこで違和感を覚える。部屋が奇妙に片付いている、と言うより荷物が殆ど残っていない。

「女の人は?」
「お前が寝てる間に荷物まとめて出てった」
「どういう事?」
「別れ話されたから、部屋にだけ住める様に上手く丸め込んで話付けた」
「でも、名義とか」
「細かい事ァどうでも良いだろーが。俺を誰だと思ってんだよ」
「いや、知りません」

涙の跡が残る名前の虹彩には、不敵な笑みを湛えた甚爾が映し出されている。その姿は、それはもう鮮烈に名前の網膜に刻み付けられていた。

「私のせいで彼女に逃げられたのに怒ってないの?」

名前は、勇気が挫ける前に当たり前の疑問を甚爾に投げ付けてみる。

「俺は今までこれで飯食って来てんだよ。また探せば良いだけだろ。それまでせめて飯と掃除位は頼むぜ」

甚爾の言葉を聞いて、名前は困った表情をした。怒らない所か、目の前の男は名前に居場所を与えようとしている。こういう時、どんな顔をすれば良いのか名前には分からなかった。嬉しい時には笑うのだと、そんな事すら教わらなければ分からないものである。

「例え餓鬼でも、俺と居る女がシケたツラしてんのは見てらんねーな」

孤独な少女は甚爾の言葉を受けて、とても不器用に微笑んでみせた。


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