呪術廻戦 | ナノ

夢寐



依存は愛に似ている
愛は呪いに似ている
呪いは執着に似ている
執着は愛よりも重い

刺青の刻まれた
その腕に抱かれて壊れて行きたい



名前は二度と自力では起き上がれない様な気がしていた。全身の筋が弛緩してして、酷い倦怠感に襲われている。手足が脱力していて、瞼も上手く開けられない。どうやら自分がだらりと横たえられているらしい事だけは明瞭としない頭でも理解出来た。

夢寐と現を行き戻りしていると、ふと嫌な気配がする。誰かに視られている様な。未だ意識は覚醒しきっていない。

瞼の裏に人影を見た様な気がした。向こうがこちらを視ているのかもしれない。輪郭の曖昧な幽き影はただ揺らめいているばかりである。背骨にそぞろな悪寒が走る。この夢は何だか――嫌だ。

意識が緩慢と覚醒して行く。室内は高灯台の薄ぼんやりとした灯りに満たされていた。それでも尚暗い。小刻みに震える指先を僅かに彷徨わせると、何かに触れた。最後まで怠惰を決め込んでいた瞼を押し上げると、格天井が映る。

いつも通りの情景に安堵しかけて、名前は異変に気付いた。下腹部の鈍い痛み、身体の隅々まで行き渡った倦怠感――そして、触れた指先の人物。

「随分と深く眠っていたな。手解きのつもりだったが」

触れた指先を辿れば、姿の良い偉丈夫が自分を見下していた。手解き、と言われた行為の情景が蘇る。名前は比較対象を持たないものの、宿儺の談に拠る所の手解きが、通常のそれとは大きく異なるであろう事は容易に想像出来た。故に羞恥も一入である。食い破られる程に交わって、それが男に取ってごく初歩的な戯れだと告げられれば脈が乱れた。

不意に名前は自らが清められている事に気付いた。むしろ、以前より手入れが行き届いている気もする。綢繆の果てに白濁の粘液を浴びて、ひとりでに清められる事はないだろうから誰かが世話を焼いた筈である。ともすると、という名前の思考は刹那に打ち消された。おとがいに手を添えて四つの眼で見下ろす男は神懸けてそんな事はしないだろう。男はその様な些事に自ら手を下す気質では無い。ひと目見た時から、この男が紛う方なき君臨者である事は容易に知れた。

「宿儺様が寛容を示されるのは稀覯な事です」

神鏡を運び込みながら従者が名前に語りかける。自らを清めたのは従者だろうと名前は見当を付けた。厄介な羞恥が再び込み上げて来たものの、既に痴態を演じた後で取り繕える貞淑も無いだろうと平静を装って従者の声に耳を傾けた。

「あなたに覚悟がお有りですか」

従者の真意が汲めずに居ると「宿儺様の無為無聊を晴らすお覚悟は?」と問われる。名前はままならぬ身体を起こして、懐かしむ様な哀しむ様な目をした。

「未だ起こって居ない事が、現実と違わぬ形で私の生得領域に構築されます。私が未来見をした瞬間に未来は観測され決定されます。必要ならば遡って過去も改変される。勿論、不確定要素は多く、必ずしも未来見通りになるとは限りませんが、歴史は私の未来見にそぐうように動き出しますし、多少の齟齬は修正の力が働きます」
「代償は?」
「私の命ひとつでは不足です。私は未来見の後、代償に千年間の無聊の循環に入ります。私がその循環から外れた時、凡ての事象が動き出します」
「宿儺様の為にそれを行うと言うのですか」

従者の声の振動は真剣さを帯びて名前の真意を解き明かそうとする。名前の申し出は、訝しむには打ってつけである。存在を秘匿されていた未来見の巫女が、突然現れて両面宿儺に下り何の見返りもなく未来見をして無聊に堕ちるなど癲狂の囈言と一蹴されかねない。それは名前自身も承知していた。

「先も述べた様に私はまっとうな女では有りません。驕慢を胸に抱えた巫女にどんな神性があると言うのですか」

この館は差し詰め豪奢な座敷牢の如し。あの夜、事が恙無く運んでいたら、今頃名前は屋敷の者が用意した顔も知らぬ男の肌に縋り付いていた事だろう。そして、顔も知らぬ民草の為に多大なる犠牲を払い未来見をして神託を下す――そんなことの為に箱入りで生かされたのかと、多いに厭世の性質を身に着けた女になった。あの夜、初めて目にした民草の女は死に方も選べないと哭いていた。生贄に捧げられて無残に死ぬのを恐れていた。名前はこれ幸いとばかりに身代わりを引き受けた。勿論それは名前の親切心が発露した訳ではなかった。憐れに思ったのである。しかし同じ様に娘も名前を憐れに思った。そして名前は両面宿儺程の悪鬼羅刹ならば森羅万象を司る巫女をも容易に殺してくれるかもしれないと思ったのである。名前は悪あがきをしてみたくなった。

「でも、あなたは――」

名前は控えめに宿儺の方に視線を向けた。

あれは正に謁見。その御姿の畏ろしさにあてられたとしか言い様がなかった。立ち居振る舞いから佇まいまで、己の及ぶ所はひとつとして無く、安易に殺してもらおうという思考が愚かに思えた。

宿儺が突然名前の手首を引っ張り上げたものだから、そのまま腕の中に飛び込むかたちになった。強引だが粗雑さが無いのは以外だった。

「御託は良い、裏梅」
「御意」
「こいつの出自や主義主張など心底如何でも良い。――が、座興を許すと言っているんだ」

俺を何時まで待たせるつもりだ?

耳朶に吹き込まれて名前は浮かれ猫の如く身悶えた。名前は宿儺の腕を離れて、裏梅が恭しく掲げた薄衣を頭に戴き、運び込まれた鏡の前に座す。

掌印を結び唱える。

──天神の御祖教へ詔りして曰く、

  若し痛む処有らば、茲の十宝を令て、

  一二三四五六七八九十と謂ひて、

  布留部、由良由良止布瑠部──

名前は長く伸ばされた艶めいた髪を根本から断ち、絹糸で括って鏡の前に供えた。それを依代に未来見を行う。

「千年後の世に、あなたはまたその御技を振るい鏖殺を為されるでしょう」

名前が告げれば、宿儺が唇を引き揚げて邪悪に嗤う。それが何を意味するのか確認する必要は無かった。

「心に有り。さあ、俺の為に懈怠と無聊に堕ちろ」

繭に包まれて千年間廻るのも悪くないかもしれない。例えそれが無聊だとしても。

「千年後に、またな」

そこで名前の意識は闇に堕ちて行った。


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