目がさめた。いつもとちがう、あったかくてふかふかした感触がふしぎで、周りを見回す。
壁が4つ。上には何もない狭い場所。そうか、わたしはにんげんに連れてこられたんだった。
たぶん返事はないけれど、一応おかあさんを呼んでみた。やっぱり返事はない。

「お、起きたか?チハヤ」

びっくりした。昨日の赤い目のひとがにゅっと顔を出したから。
何か言う前に、目の前に昨日と同じ食べ物が置かれた。とたんにおなかが鳴る。
ありがとう、と言ってから食べ始めると、頭の上に手が置かれてゆっくりと撫でられる。

「挨拶してから食べるなんて礼儀正しいなあ。礼には及ばないぜ?うちの猫なんだからな」

何をいってるのか分からないけど、じゃまだから手をどけてほしいなあ。


・・・・・


それから少しひにちがすぎた。

わたしは毎日おいしいごはんをたくさん食べて、あったかくてふかふかな場所でたくさん眠って、少しずつ少しずつ元気になっていった。

その間に分かったことがふたつある。わたしの名前とあかい目のひとの名前。

まず、わたしの名前。どうやらわたしは「チハヤ」と名前を付けられたらしい。あのひとがわたしを見るとき、頭を撫でるとき、ごはんをくれるとき、必ずそう言うから。

それから、「アルヴィン」。あかい目のひとの名前。
彼がそう言っていたわけじゃないけれど、この何日かでここに来たひとたちがみんなそう言っていた。きっとこれが彼の名前。
わたしをたすけてくれて、名前をくれたひとの名前。


おかあさんを探すのはやめた。ここにいればおなかをすかせることもないし、何よりわたしは名前をもらったからだ。
わたしはチハヤ。ただの猫じゃない、ただの猫からチハヤになったのだ。わたしだけのとくべつな名前。
そんなすてきな名前をくれたアルヴィンに、何かお礼がしたかったから、わたしはおかあさんを諦めてアルヴィンのそばにいることにした。


「ただいま、チハヤ」

帰ってくると、アルヴィンは真っ先にわたしがいる場所を覗いてくれる。わたしがまだ完全に元気になったわけじゃないから。だから今日も、最初に眠ったふかふかの場所でずっと眠っていた。
おかえりなさい、と声をかけると、おおきな手が頭を撫でる。この手は、あったかくて好き。前にわたしをつかんだひとみたいな手は嫌い。

アルヴィンが自分のごはんを用意して、それからわたしの前にごはんを持ってきてくれて、アルヴィンの足の近くでいっしょにごはんを食べる。今日もおいしい。
食べた後はそのままアルヴィンが寝てしまう日もあるし、遊んでくれる日もある。今日は彼がいつも眠っているふかふかの場所に座って、四角くてぺらぺらした何かをずっと見ていた。すごく長い時間、ずっと。気になったからアルヴィンの足下に寄ってみる。

それ、なあに?と聞いてみても、「遊ぶのはまた今度な」と、ちぐはぐな言葉を返された。
(ちなみに、この何日かでにんげんの言葉は少しだけわかるようになった。まだわからない言葉のほうが多いけれど)
それでも何回か聞いていたら、わかったわかったとアルヴィンの手がわたしを持ち上げた。足の上に乗せられて、頭を撫でられる。

遊んでほしいんじゃないのに。にんげんとおはなしするのってむずかしい。わたしにもアルヴィンと同じ言葉がはなせたらなあ。

「…お前、逃げないなあ」

小さな小さな声で、アルヴィンが言った。ニゲナイって、何だろう?

「そりゃあ、俺が連れて来なかったらどうなるか分からなかったけどさ、無理矢理連れて来られて、嫌だっただろ?」

意味は半分近く分からなかったけれど、「嫌だっただろ」は分かった。ここに来てから、「嫌だった」なんてことは一度もない(水に浸けられたことは除いて)。
だから「そんなことないよ」という意味をこめて、アルヴィンの手に鼻をくっつける。

「…かわいいなあ、お前」

頭にあった手が首を撫で背中を撫でる。きもちいい。
だけど肉球を触られるのは嫌い。ぺしっと叩くと、ごめんごめんと言いながらわたしの前足を彼の肩にひっかけるみたいにして抱っこされた。

「サンキュな、チハヤ」

お前がいてくれてよかったよ。
わたしの鼻に鼻をくっつけてそう言うアルヴィンの顔は、なぜかくしゃくしゃだった。

「サンキュ」は、たしか「ありがとう」とおなじだったはずだ。
だったらわたしは、もしにんげんだったなら、あの日の彼みたいにこう返したい。


「れいにはおよばないよ」


伝わるかなあと思ってちょっと言ってみたけれど、アルヴィンは「はいはい遊ぼうな」と、やっぱりちぐはぐな言葉を返してくるだけだった。また通じなかったなあ。

そのあとは、遊びながら何回もアルヴィンはわたしの名前を呼んでくれた。
大切な大切なこの名前。たくさん呼んでもらえて、今日はしあわせだった。


『わたし、なまえをもらう』


to be continued…
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