甘ったるくも香ばしくもあるコーヒーの匂いが、意識に靄をかけるようで。いつもは好んで入るその場所が、今は知らない場所のように感じられる。
ゆらゆらと揺れているのはコーヒーの水面か、それとも自分の心か。


「…何を考えてるんですか」

夕方、帰りの学生やら会社員やらでごった返すカフェの隅、目立たないカウンター席の端2つに並んで座るのは、言葉を発した制服姿の少女とスーツをだらしなく着崩した長身の男。

「何をって、今言った通りなんだけど」

コーヒーを一口含みテーブルに広げたプリントを眺めつつ、男は眼鏡の下から夕日の色に染まった少女の横顔を見つめる。
伏せられた長い睫毛から鼻先、顎にかけてのラインを視線でなぞり、少女らしい桜色のふっくらとした唇で止まる。
その唇が言葉を選ぶようにゆっくりと開き、吐息と共に小さく話し始めた。

「そうじゃなくて、先生は学校の先生で、私は生徒ですよね」
「うん、知ってる」
「あり得ないでしょう、そんな事」
「俺はあり得ると思うんだけど?」

テーブルに肘を突いて身を乗り出し、口の端を不敵に吊り上げ男はプリントを少女へ渡す。
「進路希望調査用紙」と書かれたそのプリントには「大学」の欄にチェックが入り、その下に小さく、しかし丁寧な文字で大学の名前が並んでいた。

「おたくなら余裕だろうし、問題ないんじゃない?」
「そうですか」
「もっとレベル上げてもいいと思うけど」
「…考えておきます」
「それはどっちの意味で?」

僅かに、本当にほんの少しだけ椅子の上で尻をずらし距離を詰め、男は少女に問い掛ける。
目の前で忙しなく動くコップの中の湯気とプリントを見るふりをしつつ、少女は口の中を緩く噛んだ。

――レベルの高い学校に行かせてやるから。そういう事なのだろうか。

いくら考えを巡らせても答えはおろか被害妄想に近いものしか出て来ず、落ち着こうとコップを掴み中の緑色の液体に口を付ける。
ほろ苦い抹茶と濃厚なミルクの味を舌の上で楽しんでいると、ぱしりとプリントの端を指で弾かれた。

「先生が当ててんだから、ちゃんと答えなさい」
「……進路の意味で、です」
「ありゃ、つまんない反応だな」

肩を竦め、男は少女の前にあるフォークを取り、皿の上のミルクレープを一口分刻んで――支払いは男がしたので少女は何も言わずそれを見ていた――口に運ぶ。
もぐもぐと咀嚼に口を動かし、さらに尻をずらして少女の肩に自分のそれを寄せ。口元に手を添え男は小さな耳にそっと囁きかける。

「じゃあ、進路じゃない方の答えを聞きたいんだけど」
「…無理です」
「即答かよ。…どうして?」
「あり得ないからですよ、さっきも言いましたけど」
「だから、どうしてあり得ないんだよ」
「それは…常識から言ってその、先生と生徒って、おかしいし…周りにばれたらまず、」

言葉を途中で切り、少女は目線をプリントから下へ移した。
左手でコップを握り、腿の上に置いていた右の手首を骨張った手が掴んでいる。
2人分の背中に隠れ周りからは見えないその状態を唖然と見つめ、目線をそこから上げれば、夕日の光を反射するレンズの下から紅の瞳が射抜くような眼差しを向けていた。
口元から笑みを消し、握った手を離さないまま男はゆっくりと口を開く。

「俺は、そんな事を聞いてんじゃねえ」
「………」
「…怖い?」

こくりと微かに頷いた少女に目元を緩め、男の手は小さな手のひらをそっと包み込む。
ぴくりと跳ねた肩に軽く寄りかかり、再びミルクレープを刻んでフォークに刺し、少女の口元に差し出した。

「じゃあさ…オトモダチから始めない?」

じわりじわりと、包んだ手が熱を持ち汗ばむのに苦笑して、男は俯いた少女を伺う。
長い黒髪に隠れ表情は見えないが、手の温度と同様にその顔にも熱が上り朱に染まっているのだろう。
――覗いてみたいが、そうしたらヘソを曲げて断られかねないので止めておく事にする。
気長に待とうと握った手を引き寄せ自分の腿の上に置いた時、ふと反対側の手に重さがかかる。
フォークを持った右手。その先端には一口分に切ったクレープ。そのクレープの代わりに今は小さな唇が乗っていて。


彼の差し出したものを彼女は受け取った。そういう事で。


くくっと喉で笑い、男はフォークを銜えたまま微動だにしない少女を見ながら、握った手の指先に自分の指先を絡める。


「なあ、俺の事、好き?」

小声で囁いた言葉に声は返らず、ただ細い指先が戸惑い混じりに絡み返してきただけだった。



差し出されたその手には、一片の打算もなく


(ただ、君と居たいと)


end
――――――――――
学パロ。高2〜高3夢主と二者面談と称してカフェで生徒をたらしこむアルヴィン先生。学園コスチュームのアルヴィンがナイスな残念さでついつい書きましたごめんなさい。
「怖い?」というのはそういう関係になるのが怖い?という事で。何となく好きなのは分かってるけど踏み込めなくて先生の言葉に何か裏があるんじゃないかと疑心暗鬼に陥る夢主に、同じく不安だけどアルヴィン先生が頑張って踏み込んでみた感じ。

…ダブルヘタレ…

お題元:rewrite(君で変わっていく10のお題・君を見つける10のお題)
次へ/戻る
BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -