今思えばそれは本当に、本当に偶然だった。


その日、たまたまハ・ミルに続く街道が倒木によって塞がっていた。撤去には暫くかかると眉を下げて申し訳なさそうに言った男の顔を、チハヤは今でも鮮明に覚えている。
別の道を探そうにも、今いる場所からハ・ミルに行くには倒木を越えなければならないし、ハ・ミル以外に行く事の出来る場所もない。一度イラート海停に戻り船に乗ってイル・ファンに引き返そうかという考えは、脳裏に浮かんだパレンジのつやのある果実に阻まれてあっけなく霧散した。今を逃せば、次の旬はずっと先になる。
この場で撤去が終わるまで待つという選択もあったが、チハヤは踵を返して今しがた来た道を引き返した。

この旅を始めてからどれくらい経っただろうかと、歩を進めながらチハヤはぼんやりと考える。
故郷のカン・バルクを出たのが、記憶が正しければ3年前の事だった。
その当時はただただ目的を果たそうと必死だったが、今になるとその目的も霞んでしまっている気がする。
――目的じゃなくて、口実だったのかもしれない。
借り物の魔導書を返さないといけないから。貸してくれたそのひとがいなくなってしまったから。その後を追いかけて行かないと。探し出してきちんと持ち主の元に返してあげないと。
そういって飛び出してから3年、リーゼ・マクシアの街々を何周しただろうか。
もはや目的は目的でなくなり、ただ「旅の目的は?」と聞かれた時に「人を探していて」と答える際にしか使わなくなってしまっていた。

自分が進んでいるこの旅路に、意味はあるのだろうか。
今まで歩いて来た道に、意味はあったのだろうか。
ここでハ・ミルには行かずに、船に乗ってラコルム海停まで行き、カン・バルクの両親のところに帰ってみようか。
しかし、そうしたところで何をすればいいのだろうか。
友達もなく一人でいる事の多かった自分。そのまま家を飛び出して、他人と関わる事を避けて旅を続け、気付けば大人の一歩手前という状態に来てしまった。

「私、何やってるんだろう…」

水面に反射する夕日の光と遠くからこちらに向かってくる船を眺めながら、チハヤは海停の船着き場を海に沿ってぶらぶらと歩く。
海停の市場は夕方の最後の客入れの時間だからか、野太い男の声や細く高い女の客引きの声が混じり、活気と熱気に満ちている。チハヤはこの喧騒が嫌いだった。
街道が通れるようになるまで食事を取って休憩をしようと、チハヤは船着き場を離れ中央の広場を通過して喧騒の中に向かっていく。途中でラ・シュガルの兵士がチハヤを追い越し広場の中央に向かい、掲示板に何かを貼り付けていった。
おそらく手配書か何かであろう、紙に描かれた似顔絵を一瞥し内心で「(変な顔)」と呟いた時、「ああ、どうしましょう…」という、困ったような声がチハヤの耳に入った。

「………」

落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回す女性。どう見ても困っているその様子に周りの他の人間は気付いていないのか、はたまた無視を決め込んでいるのか、誰も彼女に見向きもせずにそれぞれ動いている。
――チハヤを除いて。

「…どうかしましたか」

放った自分の言葉に、数秒遅れてチハヤは驚愕した。
いつもの自分なら、ここで周りと同じように女性を無視して市場に向かっている。それがどうして、声を掛けたのか。自分でも分かりかねていた。
声を掛けなければよかったという後悔と何故声を掛けてしまったのかという戸惑いで、チハヤはその場から動かずに目の前の女性を凝視する。

「え?あ…あなた、旅の人?」
「そうですが」
「もしかして…戦いに自信があったりしない…?」
「それなりには」
「………」

自分からどうしたのかと声を掛けてきたにしては気遣いのないそっけない返答に戸惑っているのか、女性はチハヤを値踏みするように見つめながらぶつぶつと何かを小声で呟いている。

「こんな小さい子…でも、旅をしてるのならそれなりに…」
「魔物か何かの討伐ですか」
「ええ…この海停の西にある湖に、見かけない魔物が棲みついていて…湖はこのあたりの貴重な水源だから困っているの」
「報酬は頂けるんですか」
「ええ。きちんと退治してくれたら、現金でお支払いするわ」
「分かりました。私が引き受けます」
「でも…あなたおいくつ?こんな小さな子、一人だけだと心配だわ…」
「私は18歳で、それなりに戦いも経験しているので大丈夫です。何なら今からお見せしましょうか」

明らかに声の調子を怒りのそれに変え、魔導書を手に持ちながら言うチハヤに怯んだのか、女性が小声と引き攣った笑いと共に「じゃあ…」と言いかけたその時、チハヤの背後から声と足音が3人分、近づいて来た。


「よ。依頼があるんだろ?俺たちにやらせてくれないか」
「あら、あなた傭兵?ちょうどよかった」
「…私が先に請けていたはずでは?」


・・・・・


「そんな事もあったなあ」
「依頼を横取りされるかと思いました」
「結局は一緒に請けて一緒に退治できたんだから問題ないだろ?報酬も山分けで」

それから1年が経ち、チハヤとアルヴィンはイラート海停の船着き場を海に沿ってぶらぶらと歩いていた。
市場の熱気も活気も変わらず、変わったといえば市場の商品が果実や魚介中心のものから、エレンピオスからの輸入品もちらほらと混じるようになってきた事だろうか。
ぼんやりと海を見ながら歩くチハヤに「落っこちるなよ」と苦笑を溢し、アルヴィンは少し前を歩く彼女の手を取って隣に引き寄せる。
ちらりと上目に瑠璃色の瞳が彼を映し、すぐに目線は外されて再び彼を挟んで向こう側に広がる海に向けられた。

「あの時、私、変だったんです」
「ん?」
「来た道を引き返したり、知らない人に声を掛けたり…いつもならしないような事を、していて」
「ああ」
「うまく言えないんですけど、その…」
「おたくはもう少し人に気持ちを伝える練習をしような」

ほら頑張れ、と、促すアルヴィンにこくりと首を垂れ、時折言葉を選んで開きかけた唇を閉じながら、チハヤはとつとつと言葉を紡いでいく。

「私があの日、その『いつもならしないような事』をしていなかったら、たぶん…ジュードにもミラにも、…あなたにも、出会う事はなかったと思うんです」
「…そうだな」
「だから、私の何かが、…こういう考え、あまり現実的じゃなくて好きではないんですけど…」
「もうちょいだろ、頑張れ」
「………」

海から凪いだ風が、アルヴィンのスカーフの下をすり抜けてチハヤの短い髪を揺らす。
早く伸びないだろうかとアルヴィンがその髪を一房摘むと、チハヤは深く俯いてアルヴィンの腕にしがみつく。
埋められた顔と押し付けられた柔らかい感触にうっかり足を海に踏み外しそうになったとき、蚊の鳴くような声でようやっと彼女の言葉が放られた。

「皆と出会うために、私の何かが、…そうさせていたんじゃないか、って………」
「………」
「………」
「………」
「な、何か言ってください…」

心底恥ずかしそうに頬を染めて唇を噛み締めるチハヤに、アルヴィンは指先で頬をこりこりと掻いて空を仰いだ。

「そこは、『俺に出会うために』って言ってほしいんだけどな」
「はい?」
「いんや、何でも。チハヤちゃんもそういうロマンチックな事言えるんだなって」
「!!…もう、言わなきゃよかったです」
「いやいや、人間なんてそんなものだよ」

自分でもびっくりするような事をする時なんて、大体そんな結果が待ってるんだって。

そう言って腕にしがみついたままのチハヤを胸に抱き寄せ、アルヴィンは喉で笑う。
はっとしてもがこうとする彼女の身体を回して海の方へ向かせて後ろから抱き直すと、渋々といった様子で、しかしほんの少し預けられた体重が心地いい。

「おたくがそうしてくれたおかげで、俺もこうしていられるんだしなあ」
「…そうですね」
「またこういう時に素直じゃないんだよなあ…まったく」
「………すみません」
「冗談だって」

流れた数秒の沈黙の後、2人の目線の先、水平線から船が一隻現れた。
それに既視感を覚えつつ、チハヤは肩から回されたアルヴィンの手にそっと自分の手を乗せる。

「…あの時は、こういう事になるなんて、ちっとも思ってませんでした」
「そうだなあ…俺も何となくおたくを誘ったようなもんだし」
「そうなんですか」
「その結果が今なんだから、万々歳じゃね?」
「何となくで、こうなるものなんですね」
「言ったろ?そういうもんだって」

得意気に片目を瞑って言い、アルヴィンは顎の下にあるチハヤのつむじに唇を落とす。
一瞬硬直し、すかさず腹に飛んできた肘鉄に顔を歪めながら、それでも腕は解かずに更に彼女の耳元に口を寄せた。

「俺は、チハヤに出会えてよかったよ」

唐突に囁かれた言葉に戸惑いチハヤは彼の顔を見ようとするが、それは身体に強く回された腕に阻まれ叶わない。
諦めたように息を吐き、彼の腕に頬を擦り寄せて。強まった拘束に合わせるように、チハヤは目を閉じ口を開いた。


「私もです、アルヴィンさん」


end
――――――――――
今更2人の出会いのきっかけになった場面のお話。
ちょっぴり夢主の背景を公開予定の過去編兼キャラエピに備えて小出しにしてみました。いつもより夢主の内面に寄ってみた感じで。

お題元:穏(モノカキさんへ20の台詞)
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