ふらり、白く細い脚が宙に漂い、踵を重心にふらふらと彷徨う。時折下へ落ちて革張りのソファがぱたりと音を立てる。
手(足)持ちぶさたにぱたくたと脚を遊ばせながら、チハヤはうつ伏せにソファに寝そべってGHSの画面に見入り、ぽちりぽちりとぎこちなく片手の人差し指だけでボタンを操作していた。
そろそろメールの返信に30分もかかる状態からは卒業できると思っていたが、あれじゃあ当分先になりそうだな。
その様子をちらちらと視界の隅に映しながら、アルヴィンは明日の取引に使う資料に目を通していた。リーゼ・マクシア側からぜひエレンピオスにアピールしてほしいと渡された、果物自体だけでなくそれを育てた栽培地の事まで詳細に書かれたものだ。
一度温くなったコーヒーを啜り、アルヴィンの目は資料のポイントだけを拾い上げ脳に落とし込む。
自然栽培、無農薬、日照時間を増やす為の立地、他のブランドより高い糖度、果汁の利用法、色つや、甘みを生かす料理の例、今の時期が最も「星」、そう最も星、
……星?
思考に横入りしてきた声に首を傾いでアルヴィンがふと横を見ると、さっきまでだらだらとソファで弛緩しきっていたチハヤの身体が、すぐ傍に迫っていた。
ぱちぱちと瑠璃の相貌が瞬き、彼女にしては嬉々とした表情で桜色の唇が開かれる。
「アルヴィンさん、星を見に行きましょう」
・・・・・
「こりゃまあ、すげえ」
感嘆の声を漏らすアルヴィンが立っているのは、荒野の中心だった。
普段は剥き出しの地面の上にぽつぽつと小さく草が生えているだけの街道には、人が歩いて作った獣道沿いに出店屋台が並び、甘味やら軽食やらを出している。子供向けにおもちゃや遊戯の類を出している店もあり、わいわいがやがやと老若男女関わらず賑わう眺めにその商魂を見習うべきかとアルヴィンは息を吐いた。
「よくこんなに集まったな。広告出してたわけじゃないのに」
「1か月前から色々準備とかで少しずつ口コミが広がってたみたいです」
先程家でぐだぐだとしていたチハヤの目に偶然留まったのは、誰でも自由に情報が書き込める電子上の掲示板だった。
「来月の今日、流星群が接近するらしい」という書き込みから始まり、どこで見られるのか、街道を整備して見物会場にしてみないか、魔物の対処はどうする、討伐依頼を出して周囲に寄って来られないようにすればいいんじゃないか、折角だし何か美味いものでも食べたいんだが、屋台とか出せないか交渉できる奴はいないか、その他諸々諸々、滅多に見られない自然現象を前にリーゼ・マクシア、エレンピオス問わず数々の意見が活発に飛び交った結果、こうしてちょっとした祭りに発展したのだという。
「集まる方も集まる方だけど、店出してる奴らもすげえな…」
「そうですね」
「んじゃ、とりあえず始まる前に場所取りしなきゃな……、」
出店にも興味を惹かれはしたが、本来の目的を果たさねばと歩みかけたアルヴィンのジャケットの裾を、つんと小さく引く感触。
まあそうだよな、そりゃそうだよな。これ見てそう反応しないおたくなんて、おたくじゃないよな。
思いつつアルヴィンが目線を下げれば、案の定おずおずと遠慮がちに、しかし期待を十分に含んで見上げてくる瑠璃の双眸。
くいくいと裾が再び引かれ、アルヴィンはふっと笑うと優しくその頭を撫でた。
「好きなの、何でも買ってやるよ」
・・・・・
暗さを増した深い深い群青の空に、細く白く線が描かれる。
どよめきの後に歓喜に変わる幾多の声に包まれる地の上で、空の線は空気に触れて蒸発する水のように、すっと現れては消え、消えては現れ、やがてその間隔は縮まっていき、途切れなく注がれる星の雨となった。
「すげえな。本当に降ってきそうだ」
「………そうですね」
出店で(アルヴィンが)買った夜食を並んでもそもそと口に運びながら、2人は頭を持ち上げ流れる星を見つめる。
感嘆に小さく吐息を漏らした音が聞こえ、アルヴィンはやっぱり女の子はこういうの好きだよな、と、一心に空を見上げるチハヤを見遣った。
――その最中でも、彼女の手と口は夜食の後の更にデザートと称するロールケーキを食す事を忘れていなかったが。
「でも珍しいなよな、おたくがこんなイベント事に進んで行きたいって言うなんて」
「そうですか?」
「『人混みは疲れるから嫌いです』って、よく言ってるだろ」
少し彼女の声音を真似てアルヴィンがわざとらしく言えばいつものようにむっとした表情が見上げてきていて、しかしその口元にバーニッシュの形をした人形焼きを差し出せばすぐにその顔は緩み、小さく開いた口がアルヴィンの手からまだ暖かいそれを受け取る。
――ここまで懐かせるのに、苦労したよな。
「で、人混みが嫌いなチハヤちゃんが、どうしてこんな騒ぎの中に?」
「………」
口を咀嚼に動かしながら三角座りをした膝に顔を埋めるチハヤの髪を誤魔化すなと撫ぜれば、するすると絡まる事なく溢れる黒絲の隙間から、今の空に似た深い色が覗く。
あらゆる魔を祓うとされる瑠璃色の対輝石は静かにアルヴィンを映し出し、決断や決意をする時は常に傍で導いてくれていた。
ただ導くだけでなく、困難や試練も呼ぶとされるが、それも必要不可欠ななものであり、彼に必要なものをいち早く察して先回りしたもので。それがなければ今自分はこうして彼女の横にいないだろうとちらりと思う。
何度、この少女の瞳に救われてきただろうか。
何か、自分はこの少女に返す事ができただろうか。
「…アルヴィンさん」
「何だ?チハヤ」
ぽそぽそとアルヴィンを見る事なく小さく口を動かし、しかし口火を切ったにも関わらずチハヤは迷っているように目線を泳がせる。
膝を抱えるその手のひらが緊張か焦りか強く握られるのを捉え、慌てなくていいと促せば微かに目元が緩んだ。
「…アルヴィンさんと、見に来たかったんです」
鋭い刃物で切れ込みを入れるように、細く静かに紡がれ始めた言葉に、アルヴィンは彼女に身を寄せて耳を澄ませる。
――聞き逃したら、恐らくこの先絶対に聞けない類の言葉だろう。
「本当は、こういう人混みも、沢山の知らないひとも、……嫌いです」
「…ああ」
彼女が他人に対して築いている壁。
その起因となった出来事をアルヴィンに話し、受け入れてもらった今もその壁は厚さも硬さも変わらない。
それが彼女らしいといえばらしいし、その壁の向こう側に通された数少ない人間の1人なのだと思えば悪い気はしないので、変わらなくても良いとアルヴィンは思っている。
否、むしろ変わらない方が好都合と言うべきか…
――閑話休題。
「今までなら、こんなイベントなんて、『面倒』とか『嫌い』とかで、済ませられたんですけど」
「………」
「この話を聞いて、すぐに『見たい』って、……『アルヴィンさんと見たい』……って、思ったんです」
「……うん」
その言葉に胸が温かく濡らされるような気がして、アルヴィンはチハヤの頭を撫でていた手を滑らせて耳を指先で擽る。
身じろぎする動きに合わせて触れる冷たい金属――アルヴィンが付けてほしいと願った、彼女の瞳と同色のピアスに、より一層こそばゆい思いが込み上げた。
「私がそんな風に思えるようになったのは、ジュードとか、ミラとか、みんなのおかげでもあるんですけど」
「『一番は俺』だって?」
彼女の言葉を奪いそう続ければ、一瞬見開かれた双眸はむっとした形になりかけて、しかし途中でふにゃりと歪むと首ごと俯けてアルヴィンから隠れるように膝に顔を埋める。
指に触れる耳朶がじわじわと熱を帯びるのを感じて笑えば、半身が寄せられ脇腹に小さな頭がぐりぐりと押し付けられた。
「悪い悪い。で、続きは?」
「………」
否定されなかった事に内心胸を掻き毟りたい衝動に駆られつつ、アルヴィンはチハヤに再び先を促す。
徐々に少なくなってゆく流星に、もうお開きにするかと散らばり始めた人々のざわめきが比例して大きくなってゆく中、もう喋ってはくれないかと諦めかけたアルヴィンの耳に、微かに息を飲む音が入ってきた。
「私は、星を見たいと、……あなたと見たいと思った時に、確かに、あなたがいるから……見たいと思えるんだって、思いました」
「………」
「初めてだったんです。……誰かと何かを共有したいって、そう思ったのは」
「…チハヤ」
徐々に徐々に大きくなる喧騒にかき消されそうな声を聞き逃すまいと、アルヴィンは半分抱き締めるような状態で限界まで身を寄せ、チハヤの口元に耳を寄せる。
一言一句たりとも、取り落としたりしない。
「…これから先も、そういう経験をしたいんです」
「……そういう経験?」
「………。誰かと、何かを一緒に見たいって」
「『誰かと』『一緒に』?」
低く呟くアルヴィンの声を拾い、チハヤは首を振ると漸く顎を上げて首を後ろへと回す。
気恥ずかしさ、高揚、その他諸々で熱を帯び潤んだ夜闇の色の瞳が、同じように緩み燻る紅の瞳と目線を絡ませて。
「いえ、……あなたと、もっと沢山、色々なものを…見たいんです」
「……チハヤ」
もう一言、と後ろから更に密着してねだる声の熱に、目眩のような感覚を覚えつつ、寄せられた耳にむけて小さく唇が開かれる。
「あなたと、……一緒に、いたいな、…って」
願うように祈るように、小さく吐き出された言葉に、低い声が同じように小さく耳元に声を注ぐ。
「心配しなくても、ずっと経験させてやるよ」
同じものを見て、聞いて、触れて。
捉え方は違えど、同じ時に感じた事は同じ経験となって、擦り合わせていくうちに「思い出」となり。
願わくば、その思い出を懐かしく語れる時が来るまで、こうして寄り添っていられるよう――
When You Wish Upon A Star
最後に流れた星の光に誘われるように、群青の空を背景に唇が重なった。
end
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ぐだぐだしすぎて着地点を見失ってしまいました。煮詰めすぎた…
2013.7~
2013.12.16 加筆修正
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