雨は嫌いだ。
朝から湿気で髪のセットもままならない。外に出ればお気に入りのコートは濡れるし、跳ねた泥水でブーツも汚れる。百害あって一利なし、とはこの事ではないかとも思う。
まさに今も、大雨で荒れに荒れた海によって船に乗れず、海停の宿屋でさてどうしようと朝から暇な1日を無理矢理押し付けられているところだった。
「あ、アルヴィン、チハヤ知らない?」
その言葉に振り向いたアルヴィンは、声を掛けたジュードを怪訝そうに見下ろした。
「見てないけど、どうかしたのか?」
「うん…これからレイアと勉強会するから誘おうと思って」
「ふーん…」
「朝ご飯の後から見てないんだけど、アルヴィンは見てない?」
「見てないよ。役に立てなくて悪いね」
心底面白くなさそうに鼻を鳴らし座っていたバーカウンターに肘をつくアルヴィンに首を傾げ、ジュードはこめかみに指を当てる。
普段は賑わっているはずの海停の出店は雨で出ていないから、彼女が外にでる理由は見付からない。
そもそもこの雨の中――風も雷も酷い今は特に――外に出ようとはしないだろう。
だとしたらいるのは宿屋の中、ミラ達のいる女性部屋にはいなかったから、残る可能性は、
「…厨房かなあ…」
長々と呟いた後に「ありがとうアルヴィン」と言い残して去る少年の背中をひらひらと手を振り見送って、アルヴィンは窓の外を一瞥する。
強い雨、強い風、近くで重低音を響かせる雷。
窓辺ではエリーゼとティポが「雷、すごいです…」「落ちたらシンジャウねー」などと何とも呑気な会話をしている。
「さて、と…」
こきりと首を鳴らし椅子から立ち上がり、彼は表情を変えないまま歩き出した。
ジュードには言わなかったが、チハヤの居場所に1つ、心当たりがある。
向かうのは宿の一番奥の部屋。そこはジュードやローエンがいる男性部屋ではなく、ミラ達が使っている女性部屋でもなかった。
『チハヤ』
『何ですか』
『部屋、もう1つ取ったから』
『………』
『皆が寝たら、おいで』
そのような会話をしたのが昨日の事。
渋る彼女を半ば無理矢理連れ込んで一晩中付き合わせた事に怒って閉じこもっているのか、はたまた自惚れた考えをすれば2人きりになりたいのか。どちらにしろ彼女はそこにいる。
優越感に浮わついた足取りでアルヴィンは扉を開き部屋に入る。案の定そこには、
「………あれ?」
誰もいなかった。
「おかしいな…」
てっきりここにいると思っていた分、外れた時の虚しさは増していく。
がしがしと頭を掻き、やっぱり厨房だったのかねえ、と、アルヴィンはベッドに寝転がった。
昼寝でもしようかと目を瞑るも、窓の外から激しい風と雷の音が邪魔をする。
――つくづく、雨は嫌いだ。
ふてくされた気分でむっくりと起き上がり、チハヤがいるならと厨房に向かおうとしたその時、視界の隅に何かがちらついた。
「………?」
宿に備え付けられたクローゼット。閉じられた左右の扉から、見覚えのある赤い布らしき物がはみ出している。
まさかと思い、アルヴィンはクローゼットの扉に両手を掛けてそっと開いた。
「………」
「…おたく…何してんの」
こちら側、扉の方に背を向けて、チハヤがクローゼットの中で膝を立てて座り縮こまっていた。
それほど奥行きのない造りだが、小柄な彼女だから出来る事なのだろう。
――どうやって内側から扉を閉めたのかは、今は敢えて聞かない事にする。
「チハヤ?」
「………」
名前を呼んでも、一切反応を見せない。ただただ彼女はそれが義務だと言わんばかりにクローゼットの中で石のように動かなかった。
おい、と、アルヴィンが語気を強めても、その目線はチハヤ自身の足元、何もない木の床に向いている。
その反応に、あっさりと沸点を迎え沸き立つ感情。アルヴィンは屈み込んでクローゼットの中の薄い肩を勢いよく引っ掴んだ。
「………っ!?」
「う、おっ」
あまりにも過剰に跳ねた身体に、掴んだ本人の方が驚く。
深海を思わせる瞳を見開いてアルヴィンの方を振り返ったチハヤは、一瞬の後にほっとしたような表情で顔の横に頭を抱えるように当てていた両手を少しだけ離した。
「…耳、塞いでたのか?」
「あ…はい…もし呼ばれてたならすみません…」
そう言うチハヤの声が微かに震えているのを耳聡く拾い、アルヴィンは片眉を上げて首を傾げる。
「どうかしたのか?」
「………」
聞いても、チハヤはばつが悪そうに目を泳がせるばかり。その両手が再び両耳に伸びて蓋をする。
ここで察したアルヴィンはははあ、とわざとらしく笑った。
「おたく、さては雷が怖いんだな?」
「…違います」
「だってこんな時にクローゼットの中で耳塞いでるって、雷しかないだろ」
「全然そんな事ないですたまたまクローゼットの中に入りたい気分だっ――」
だった、というチハヤの声は、途中で掻き消された。
大量のフラッシュをたいたように窓の外がこれでもかという程光り、間髪入れずに生木を裂くような轟音。ついでに、
「きゃーっ!!!」
普段の抑揚のない落ち着いたトーンからはかけ離れた、チハヤの甲高い悲鳴がアルヴィンの耳に入った。
同時にばふりと胸元に重みがかかり、アルヴィンは屈んでいた状態から床に尻餅をつく。
「おいおい…まじかよ…」
厚手の茶色いコートの背中を握り締め、艶のある黒髪が白いシャツに埋まって、チハヤはアルヴィンに抱き付いたまま離れなくなった。
ふるふると未だに小さく震えている身体に苦笑を落としつつ、アルヴィンは指をチハヤの髪に絡めて弄ぶ。
「雷、怖くないんじゃなかったのか?」
「………こ、怖い…」
「そうそう、最初からそう言ってればいいんだよ」
観念したのか素直に言う声にくくっと喉を震わせ笑い、すっかりしおらしくなった胸中の恋人の背中に手を回して抱き返す。
ひくりと一度反応した後、コートに回った小さな五指の力が強まり、柔らかい頬が胸元に擦り寄ってくる。
「しっかし意外だな、チハヤちゃんにも怖いものがあるとは」
「…悪いですか」
「いや、かわいいよ」
これってもしかして、俺の役得?と、言葉と共につむじに落ちる唇の熱にチハヤは身動ぎし、しかし拒む事はせずにもそもそとコートの中に潜り込んだ。
「おやおや、素直な上に甘えてくるとはね」
「………今日は、特別です」
「くくく、そうかい」
耳を塞ぐように腕を頭に回して抱き直し、背中を丸めて上半身全てで包んでやるようにすれば、漸く安心したように力を抜いて身体を預けてくる。
頭をもたげる欲を抑えようとアルヴィンが窓の外にちらりと目をやれば、びしばしとガラスを叩く雨音と、立て続けに炸裂する稲光、それに雷鳴。
雨は嫌いだ。
朝から湿気で髪のセットもままならない。外に出ればお気に入りのコートは濡れるし、跳ねた泥水でブーツも汚れる。百害あって一利なし、とはこの事ではないかとも思う。
しかし、腕の中にこの熱を、髪から淡く香る匂いを、シャツを握る小さな手を、収めておけるのなら、
永遠このまま
それでも、いいかもしれない。
せっかくだし襲ってやろうかと考えたアルヴィンの心中を察し咎めるように、外で一際激しく雷が鳴った。
end
――――――――――
雨の日ぐだぐだ。長い割にオチがぱっとしなくて実にすみません…
夢主はあんまり苦手なものはない設定なんですが悲鳴上げて怖がるくらい嫌いなものもあってもいいんじゃないのと思って書きました。
あとクローゼットに入る夢主が書きたかっただけ。
…何てひどい理由で出来た話なんでしょう…
タイトル元:Largo
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