※大した事はないですが事後表現注意
暗闇の中、最低限の衣服を身に付けたアルヴィンがベッドから浮かしかけた腰を留めたのは、小さな手が袖を摘む感触だった。
一瞬息を詰め、しかし何事もなかったかのように普段の飄々とした顔でアルヴィンは後ろを振り返る。
つい先程まで(主にアルヴィンが)飽きる事なく一晩中行われていた情事の名残が色濃く残る、とろんと弛緩した瑠璃の瞳が一対、袖を掴んでいる手の根元で揺れていた。
「まだ寝てろよ、チハヤ」
「………」
「どうした?どっか痛いのか?」
言っても、手を握っても、チハヤの瞳は動かずにアルヴィンの顔をじっと見つめている。
「どこに、行くんですか」
疲労と眠気で掠れた声。
しかし、袖を掴む手の力は体格に合わず強い。
「どこにも行かないよ」
言って、アルヴィンの手はやんわりとチハヤの手を袖から外し、横たわる頭を優しく撫でた。
とろとろと眠気に負け意識を落としそうになる彼女の顔にくつくつと喉を鳴らせば、不満気に眉をひそめぐりぐりと小さな頭が手のひらに押し付けられる。
「本当に、どこにも行かないですか」
「信用ないな…行かないよ」
だからもう寝てな、と苦笑するアルヴィンをよそに、チハヤは気だるげにむっくりと身を起こした。
肩から被っていた掛け布団が落ち、所々に鬱血の痕の残る素肌がさらさらと零れる黒髪の隙間から晒されるが、暗闇だからと気にしていないのか彼女はそのままで再びアルヴィンの袖を摘む。
闇に紛れる事なく浮かぶ深い瑠璃の瞳は、先程から変わらずアルヴィンを捉えて離さない。
「…アルヴィンさん」
「………何?」
無言のまま、チハヤは視線だけで何かを訴える。
その意味を理解したのかしていないのか、アルヴィンは再び喉の奥で笑うと彼女の唇に吸い付いた。
舌を絡め歯列をなぞり、ぴくりと小さく跳ねた剥き出しの肩が骨張った手に掴まれシーツの上に倒される。
ほんのりと残る2人分の熱の余韻に、口の端でほくそ笑んで。
「まだ足りない?」
「…そういう、意味じゃ、」
「俺はいいけど?もう一戦」
じゃれるような、拒否前提の冗談めかした声音でアルヴィンはチハヤの鎖骨をなぞるように舌を這わせる。
が、下に沈む身体は力を抜いたまま、逆に胸板を辿り首に回された腕に眉をひそめた。
「…チハヤ?」
「…いいですよ」
「………は?」
思いもしない返答に目を見開き唖然とするアルヴィンの下で、チハヤの腕が首から背中へ滑り、握った手がシャツの薄い布地に稜線を描く。
普段のコート越しに、もしくは素肌で直に感じる感触とは違うそれにぞくりとしつつも、彼は黙って彼女の頭を撫で言葉の続きを促した。
「…しても、いいですから…」
その先を奪うように、開きかけた唇が唐突に塞がれる。
「言うな」と言わんばかりに、触れるだけですぐに離れたそれにチハヤは呆然と眼前でゆるゆると瞬く紅の瞳を見つめた。
「女の子がそういう事、簡単に言うもんじゃないだろ?」
「………」
「そんなに信じられない?俺の事」
傷付くなあ、と、自嘲混じりの声に眉根を寄せ、細い指先がしっかりと筋肉の付いた背中を緩く掻く。
ひくりと息を飲み震えた身体を引き寄せ、きゅうとしがみ付くチハヤにアルヴィンは今度こそ唖然となった。
「おたく…どうしたんだよ」
「………」
駄々をこねるように縋りつく事なぞ、今までなかった事だった。
時折言葉を選び、言い切れずに吐き出された吐息だけが、熱くアルヴィンの鎖骨を湿らせる。
あやすように漆黒の髪を梳けば、泣きそうに深海を宿した瞳が微かに揺らいだ。
「…チハヤ」
「……はい」
「信じてくれよ」
低く囁き、アルヴィンの唇が静かにチハヤの瞼に落ちる。
おそるおそるといった様子で見上げる瞳にしっかりと目線を合わせ、もう一度信じろと言葉を落とせば、漸く強く握られていた手のひらがアルヴィンのシャツを解放した。
ありがとな、と、もう一度額に小さく口付けて、アルヴィンは身を起こしてベッドから立ち上がった。
「…アルヴィンさん」
再度の呼び止めに、音もなく振り返った紅がシーツに包まった少女を映し出す。
「…どこにも、行かないんですよね」
数秒、その言葉を反芻するように目を瞑り、彼の顔は再び少女から背けられた。
「かわいい子猫ちゃんにそんなに引き止められちゃったら、どこにも行けねえよ」
いつも通りの、軽い口調で軽口を叩き、身支度を整えたアルヴィンの足音は空が白み始め薄闇となった部屋を出て行く。
その音が聞こえなくなってから、シーツの隙間から覗く小さな手がぽすりと力なく枕を叩いた。
「…アルヴィンさんの、ばか」
呟いて、チハヤはそのまま意識を落としていった。
――夢の中でも、彼女の手は何かをずっと握ったままで。
夢の結末はいつだって喪失
アルヴィンが仲間の前から姿を消したのは、その日の出来事だった。
end
――――――――――
実はサイト1周年記念にと9月くらいから書いていたもの。今更ですね、知ってます。
聡い夢主とそれを分かっててあえて何も言わないし嘘を吐くアルヴィン。
たまには執着する夢主もどうかなーと思ったんですが撃沈。
最後の1文が書きたかった為の話だったなんてまさかそんな
お題元:群青三メートル手前(喪失十五題)
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