ふわりと、朝特有の湿り気を帯びた空気の匂いが鼻腔を通る。

昨日は窓を開けたまま出てしまったんだったか。

ユルゲンスと商売を始めてから1年程、未だにこうして無用心な部分が出てしまうのは、1つの所に留まらない根なし草の生活が長すぎたせいだろう。
新居も手に入れた事だし直したいが、生憎そうした所で泥棒に盗られる物なぞこの家にはない。財産は自分で持っておく主義だからだ。
…今までに入った泥棒や強盗がいたとしたら、さぞかし残念な情報だっただろう。

そんな事をつらつらと思いつつもアルヴィンは扉から自室へ足を踏み入れ――そこでふと、違和感に片眉を上げた。
自分の物ではない、しかし見覚えのある小さな鞄が1つ、殺風景な部屋の中心を堂々と牛耳るテーブルの上にちょこんと鎮座している。
数秒それを見つめた後、アルヴィンは小さく息を吐くと前髪をくしゃりと握った。

――強盗じゃなくても、俺はそのうちあの子に殺されるんじゃないか。

急激に早鐘を打つ心臓を宥めるように胸に手を当て、滲む汗を払い足早に薄暗い室内を進む。
目当ての寝室の扉を開け顔を覗かせれば、案の定こんもりと盛り上がった布団がベッドの上でアルヴィンを待ち受けていた。
緩む口元を隠す事なく身を屈め、布団を捲った先で寝息を立てている黒髪の少女に顔を寄せる。

「チハヤ」

彼女の名を呼ぶ声が妙に熱っぽいのを自覚して、アルヴィンは苦笑を顔に滲ませた。
――帰って来てるだけで喜びすぎだろ。

色々な事を経て一緒に暮らしてはいるものの、エレンピオスの(主に食)文化に興味津々の彼女はアルヴィンと同じく各地を飛び回っていて、十数日に一度こうしてふらりと帰って来る。
その度に、アルヴィンは今のようになってしまうわけで。

「チハヤ」
「ん…」

もう一度、耳元で吐息混じりに囁けば、チハヤは小さく声を漏らし薄く目を開く。
深い瑠璃の瞳は眼前の緩みきった顔を映すと同じようにふにゃりと緩み、細い腕がアルヴィンの首へと回された。
くい、と、小さく引っ張る力に盛大に甘えチハヤの上に倒れ込み、覆い被さって頬を擦り寄せる。

「おかえり、チハヤ」
「…ただいま」

唇を重ね、舌をねじ込んでも拒まれなくなったのは、1年での大きな進歩と言えるだろう。久方ぶりに触れた口内の温度と味に、どろどろと感覚が融けていく。
アルヴィンは遠慮がちに差し出された彼女の舌にすかさず吸い付き、柔く甘く歯を立てた。

「!…っ、はぁ、」

小さく漏れた熱を含んだ声に、耳から電流のようなものが身体の髄を駆け抜けじんわりと腰が反応する。
自分でも出した声の甘さに気付いたのか気まずそうに目を反らし舌を引くチハヤの後頭部を逃がすまいと抱え、アルヴィンはさらに体重を掛けて小柄な身体を押さえ付け密着した。

「久しぶりで、感じた?」
「…何言ってるんですか…」
「おたくがかわいい声出すからだよ」

恨めしげに眉を寄せて彼のシャツの胸元を強く握るチハヤにアルヴィンは喉を鳴らして笑い、馬乗りになったまま彼女をまじまじと見下ろした。

「…おたく、痩せた?」
「はあ?」

突然の言葉にチハヤは間の抜けた声を上げて訝しげにアルヴィンを見る。

「別に変わりないですけど」
「んー…そっか」
「…何でですか?」
「いや、チハヤちゃんってこんなにちっちゃかったかなって」

頬をつねろうと伸びた手を手首を掴んで阻止し、アルヴィンは再び#bk_チハヤ_1#の頬に自分のそれを擦り付けた。
横目でちらりと彼を伺い、チハヤは眉をひそめて顔を背ける。

「?…どうした?」
「…何で髭生やしたんですか」
「ん?気分」
「痛いんですけど」
「あ?あー…ごめんな、そこまで考えてなかった」
「………」
「悪かったって」

もう一度と顔を近付けたアルヴィンに、チハヤはふいと身体ごと逸らしてシーツの上に転がった。
怒るなよ、と、あやすような声音と手つきでアルヴィンはチハヤの髪を梳いて言う。
旅をしていた頃と違い、肩より上まで短くしてしまった彼女の漆黒の髪。
慣れない感触と会えなかった時間が相まって、彼女が(実際の距離でなく)遠くへ行ってしまったような、知らない人間になってしまったような感覚がアルヴィンを包む。

彼女はこんなに小さかっただろうか。
こんなに細かっただろうか。
こんなに暖かかっただろうか。
こんなに、熱に濡れた瞳で自分を見上げてきただろうか。


顔は逸らしたまま目だけで見上げてくるチハヤに苦笑を溢し、アルヴィンは彼女の首筋に唇を押し当てた。
いつもと同じ場所を吸い上げて鬱血の跡を残せば充足感に背筋が粟立ち、思わず身震いする。

「ちょっと…早いですよ…」
「ん…悪い、我慢出来ない」

煽ったのはおたくだし、と、首筋への愛撫を止めないアルヴィンに眉尻を下げ息を吐き、チハヤは彼の胸板を軽く押して訴えた。

「仕事帰りでしょう?朝ご飯作りますから」
「チハヤが食べたい」
「はあ、もう…」

変わりませんね。
呆れた口調でそう溢し、チハヤはシーツの上に背中を沈める。
満足気に笑いながら服に掛かる手を留め、頬をそっと両手で包み込んで、

「言うの忘れてたので、1つだけ」
「ん?」
「おかえりなさい、アルヴィンさん」
「………。ただいま、チハヤ」

久方ぶりの挨拶を交わし、緩やかな朝の日射しをカーテンの隙間から浴びながら、2つの影が静かに重なった。


morning glory
(とある朝の光景)

end
――――――――――
2設定でつぶやき用にちまちま書いてたら短編サイズになりました。やまなしおちなしいみなし。
夢主も2に合わせて色々考えてはいるんですがまだまだ発売前という事で小出しに。とりあえず最低限これだけはという部分だけ出してみた感じで。
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