おいで、と、伸べた手を、小一時間彼女は見つめたまま動かない。

時折じりじりと足の裏だけでにじり寄ったかと思えば、またじりじりと後退を繰り返す。しかし目線は常に伸ばしたままの自分の手のひらに当てられていて、腕は痛いのに頬は綻んでしまう。
腕が痛いから早くどっちか決めてくれと呆れ混じりに言うと、ようやく手のひらにちょこんと、犬が「お手」をするように、小さな五指が乗せられた。
それも指先に指先が触れるか触れないかの乗せ方で、彼女らしいととうとう吹き出してしまう。
吹き出した声に一瞬目を見開いて、お馴染みの恨めしげな視線が上目遣いにちくちくと。隙をついて指先を握り手を引けば、油断していた身体は簡単に胸にぶつかった。


背中を丸め屈み込んで、伸ばしたままで悲鳴を上げていた左腕はぶらぶらさせながら、右腕だけでも彼女を抱えるのには充分で。ああ腕が疲れたとわざとらしく言葉を落としてこめかみに頬を擦り寄せる。腕を回した小さな背中は硬直したまま動かない。
いい加減慣れてくれよとこぼすと、どうすればいいのか分からないと、何とも初々しい答えが小さく返る。こういう事になると、いつもの物言いや態度はどうやらなりをひそめるらしい。

今この段階で彼女に何かしようというつもりはないのだが、いかんせん彼女は経験不足で、ちらりと耳にした程度の知識を総動員した結果、何かをされると思って硬直しているらしい(と、レイアからこっそり聞いた)。そんなに信頼ないのかと苦笑を滲ませ、下の黒髪に顔を埋める。

本当にただ、彼女に寄りかかってほしいだけなのだ。硬直を解いて力を抜いて、あわよくば自分の背に手を回してほしい。
――それが出来る相手なのだと、彼女に思ってほしいのだ。

好きだ、と、小さく小さく囁くと深海の相貌はきゅっと閉じられ、愛用のスカーフに埋められ顔は隠されてしまう。
――彼女の手は固く握られたまま、背中ではなく胸板に押し付けられていて。

腕を痛める事なく彼女を抱き締められるのは大分先になるだろうと息を吐き、そっと首を倒して天井を仰いだ。





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2013.3.4


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