「人の心って、難しいなあ」
ふと、思い出したようにアルヴィンがそう言ったのは、深みを増した、虫や草木の音もしない夜の事だった。
「何ですか、いきなり」
「いや、どんだけ付き合いが長くても、分からないものは分からないなって」
「そういうものなんじゃないんですか、人の心なんて」
言ってぺらりと本のページを捲るチハヤの身体を後ろから抱き締めた状態で、肩から毛布を被って2人で包まり、ぬくぬくとした温度に目を緩めながらアルヴィンは彼女のつむじに顎を乗せる。
「そういうものだって、分かっちゃいるけどさ、」
「…けど?」
「目の前にいる人の気持ちが分かればいいのにって、時々そう思っちまうんだよ」
「…それが、知りたくない事でも、ですか?」
ちらりとアルヴィンを伺う瞳は、表情(いろ)を変える事無く淡々と問う。
何とも言えない表情を浮かべ、アルヴィンはチハヤが持っている本を指で指した。
学生が自ら命を絶ったらしい事件。同級生達は涙を流すが、1人の生徒はそれまで彼に何の関心もなかった癖に、死んだ途端に悲しい雰囲気を装って泣くのかと憤り、しかしそんな事を思う自分は異常なのかと疑問を抱く、そんな内容の小説だった。
「それだって、その子の気持ちが読み取れるから感情移入できるし、面白いんだろ?」
「本と現実を一緒にしてどうするんですか…」
「例えの話だよ。…まあ、俺が言いたいのはそういう事じゃないんだけど」
「…?」
首を傾げたチハヤを尻目に、アルヴィンは胸板を彼女の背中に押し付けてぐっと密着する。
黒髪の隙間から覗く首筋にわざと音を立てて吸い付き、白い肌を舌で撫で上げて。
「なあ、今、何て思った?」
「…何、言って、」
「ほら、そうやっておたくが言ってくれないから、…知りたいって、分かりたいって、思うんだよ」
自分が知りたいのは他の誰でもなく、目の前の彼女ただ1人の事だけで。
分かって受け入れて、望む事を叶えてやりたい。
たとえ知りたくない事だとしても、何も知らないより全然マシだ。
そう言ったきり背中にもたれかかり肩口に顔を埋める彼に小さく息を吐き、チハヤは本に栞を挟んで閉じると腰に回っていた手を両手で取った。
「チハヤ?」
「………」
重ね合った3つの手のひらはそのまま上に移動して、チハヤの左胸ーー控え目な膨らみの下辺りに押し当てられる。
「アルヴィンさん」
「ん…?」
「分かりませんか?」
「………ああ、」
そういう事、と、アルヴィンは微笑を浮かべて自分の手のひらがある場所を見遣った。
布越しでも分かる程はっきりと、激しく鼓動を刻んでいるのは彼女の生命の源。
「…『すごく緊張してて恥ずかしくて、でも逃げたくもないから本でも読んでごまかしてるけど、本当はもっと構ってほしい』、ってとこかな」
「……最後以外は正解です」
「そこは認めようぜ?分かるんだから」
くっと笑う声に面白くなさそうに口元を曲げながらチハヤが振り向けば、その瞳は彼を誘うように熱っぽく揺れていて。
すぐに押し付けられた唇の熱と感触にくらりとのぼせながら、小さな手がしっかりと筋肉の付いた背中に回される。
音のない夜に、邪魔だと放られた本が床に落ちる音が、異様に大きく響いた。
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2013.5.8
夢主が読んでる本のタイトルが分かった方は管理人とがっちり握手。