allegro agitato


「鳩村くんお疲れ様ー!」
「あ、お疲れ様です」

やっぱり本番が終わるとどっと疲れが押し寄せてくる。
すれ違う人にお疲れ様と声をかけて、ようやく誰も来なさそうなところまで来て壁にもたれかかって息を吐いた。と同時に出てきた欠伸を噛み殺す。

前日にみっちりリハーサルをして、本番当日は一日中動いてるのは楽しいけど疲れる。まだ二十歳を過ぎたばっかりだけど、高校までとは違うなぁとひしひしと感じる。高校生って若い。あの頃は毎日部活で学校に通ってても元気だったんだけどなぁ。

目を閉じたら意識が飛んでってしまいそうだけど、まだやらなければいけないことは残ってる。ぱしんと両手で両頬を軽く叩いて自分の目を覚まさせると、元来た道を戻る。

「あ、鳩村くんいたいた!」
「へ?」

戻ってすぐ、ひとりの女の人が僕の姿を見るなり駆け寄ってきた。突然名前を呼ばれて僕の口からは間抜けな声が漏れた。

「これ差し入れ。今日はお疲れ様!」
「あ、ありがとうございます。お疲れ様です」

はい、と手渡されたのは大きめの紙袋。僕にそれを手渡すとすぐに去っていってしまった。

子どもみたいだなぁと内心思いつつも中身が気になって紙袋の中を覗く。中にはきれいにラッピングされたカラフルな袋が何個か入っていた。どれも高級そうで美味しそう。
袋を閉じようとした時、袋と袋の隙間に赤いリボンが見えて、気になって取り出してみる。
底に埋もれてたのはクリーム色の紙袋。赤いリボンのシールが貼ってあった。さっき目に入ったのはこれみたい。

中央には僕の名前を書いたシールが貼ってあった。……けど、その下に名前は書いてなかった。誰からのだろう。

……そういえば、前にもこんなことがなかったっけ。いつかの定期演奏会で、確か、その時もこのくらいの紙袋で……。結局誰か分からないまま、お酒が入ったせいで舞い上がってそれで終わったんだっけ。けど嬉しかったのは本当だ。
この字もその時のと同じような気がする。丁寧……とは少し言い難い、ちょっと崩れたような字。三ヶ月以上前のことだからどんな字だったか、はっきり覚えてないけど。もしかしたら今日のアンケートにも僕のことが書いてあるんだろうか。

誰なんだろうなーとシールを眺めていたら、紙袋から少しだけ白い紙が覗いていることに気付く。なにか貼ってあるんだろうかとひっくり返してみたらそこにも僕の名前が書いてあった。ていうかこれ、手紙だ。
名前がどこかに書いてないだろうかと手紙をべりっと紙袋からはがして裏返すと――

「あっ……た……!」

思わず口に出てたみたいではっとして顔を上げると視線が集まっていた。恥ずかしい。かぁっと顔が熱くなる。

「な、なんでもないです……」

へこへこと意味もなく頭を下げてみんなから少し離れた場所に移動する。じゃないと、また無意識に口に出してしまいそうだったから。

だって、そこにあった名前が、名前が、名前が。

「斉藤くん……!」

しばらく封筒の裏側の端の方に控えめに書いてある名前を見つめていた。

斉藤康介。僕の大切な友達の名前。

表に書かれていた僕の名前も、紙袋に貼ってあったシールに書かれていた僕の名前もこの字だった。
ということは、この間の別な演奏会の時に差し入れをくれたのも、アンケートに事細かに僕のことを書いてくれたのも、全部全部、斉藤くんだったんだ。

全部がつながった途端、胸の奥がきゅうっとなって近くの壁にもたれかかって胸の辺りを押さえる。心なしか鼓動が早く感じた。

「鳩村ーミーティングー!」
「……はい、今行きます……」

はぁっと大きく息を吐いて自分自身を落ち着かせる。正直、いても立ってもいられなかった。今すぐにでも飛び出していきたかった。


ミーティングが終わって団員との挨拶もそこそこに、楽屋から自分の荷物を急いで引っ張り出して外に出た。息も落ち着かないままにバッグをあさって携帯を引っ張り出して、電話帳から彼の名前を探す。

「あっ、の、もしもし……!? 斉藤、くん……?」
「もしもし? どうかしたの? 朔楽くん」

興奮している僕の声とは裏腹に、スピーカーから聞こえた久しぶりの彼の声は落ち着いていた。僕がぜいぜい言ってるから心配されたけど。

「あ、のさ……今すぐ……今すぐに、会えないかな」
「え? 今すぐ?」
「うん! 今からそっちに行くから待ってて!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。俺が今どこにいるか、分かってるの?」
「……あ」

電話を切ろうとして、斉藤くんに言われて気付く。僕の間抜けな声にスピーカーの向こうで笑う声が聞こえた。
勝手に家にいるものだと思ってたけど、そうじゃないかもしれないし、そもそも斉藤くんの家がどこにあるのか、付き合いはそこそこあるはずなのに知らなかった。なにやってるんだろう僕。恥ずかしい。

「じゃあいつもの店でいいかな?」
「うん、分かった。今演奏会終わったばっかりだから、時間かかると思うけど」
「待ってるよ」

それから一言二言、適当な話をして電話を切った。目を閉じると、ついさっき聞いた斉藤くんの声が頭の中でリフレインした。

深呼吸をひとつして、アスファルトの上に放り出した荷物を持って走り出す。

さっきまでの疲れはどこかに吹っ飛んでしまっていた。今の僕は、とにかく斉藤くんに会いたかった。


(早く君に会いに行かなくちゃ)






●allegro agitato(アレグロ アジタート)
allegro=速く
agitato=興奮して、激情的に、せき込んで、気ぜわしく
(=興奮して速く)

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