クラリネット・キャンディ


「そろそろパート練する?」
「そうだな」

 本来なら俺が仕切るべきなんだろうけど、いい頃合いの時間に切り出してくれたのは仁方さんだった。

 クラリネットは元々人数の多いパートだけど、今日は普段よりも人数が多くて教室がぎゅうぎゅうなのは、一ヶ月半後に迫った吹奏楽祭の練習のために、季賀峰高校の吹奏楽部がうちに来ているから。合同でステージに乗ることになっていて、合同練習自体は先週から始まっていたりする。

「まず何からやりますか?」
「キャンディ」

 杉田さんの問いに即答したのは柑本。それに驚いた杉田さんがすごい声を上げて柑本に平謝りしてるけど、そうなるのも無理はない。個人練習を始めてから約二時間で初めて発した言葉だし、そうなるよな。

「ヤマトは金管主体だし、私らががんばる必要そんなにないですもんね」
「うん。ヤマトは金管任せでいいし、ワタシらはキャンディ頑張らないとだよね」

 キャンディこと「クラリネット・キャンディ」という曲は、曲名にも入っているようにクラリネットが最初から最後まで大活躍する、クラリネット奏者の腕が鳴る曲だ。運動会でおなじみ、「トランペット吹きの休日」のクラリネットバージョンみたいな感じ。ちなみに作曲者は、「トランペット吹きの休日」や「そりすべり」、「タイプライター」などで有名なルロイ・アンダーソン。聞いたことがなくても楽しめる曲じゃないかな、と俺は思っている。

 タイトルのキャンディはそのまま飴のことらしく、二分の二拍子で自在に動く八分音符が、キャンディのポップな感じを表現している、と俺は思う。もしくは、カラフルなキャンディを目の前にした小さな子どものはしゃいでいる様子とでもいったところか。なんにしろ、かわいらしい感じの曲だ。クラリネットが活躍する曲だし、時々聞いていた曲ではある。初めて聞いた時は、タイトルと曲調から口の中でぱちぱちはじけるキャンディが入ったアイスを連想した。

「しっかし、今回の選曲なんなんだろうね。ヤマトは分かるけど」
「確かに……。ちょっと謎ですよね」
「ほんと、なんでなんですかねー? 中学生の時に高校生の先輩がやってるのを聞いてやってみたいなーって思ってたから、私はちょっとラッキーでしたけど」

 本当に、なんでこんな選曲をしたんだろうな。宇宙戦艦ヤマトは吹奏楽の鉄板だし、大人数で演奏する時によく選ばれる曲だけども。ヤマトは金管が主体だから、二曲目は木管が主体の曲にしたとしても、頑張るのはほぼクラリネットだけだし。
 まあ俺もクラリネット・キャンディはやってみたい――というか、できたらすごいだろうなとは思っていたから、いい機会だとは思った。普通に大変そうだなと思ってたし、ユニゾンで動く箇所も多いからな。確か、元々指定されているのは四人で、それでも大変だろうに、せっかくだからとクラのほぼ全員が前に立つことになっている。本番までに変わる可能性もあるけど、そうならないように頑張ろうと思う。せっかくの機会だから、全員で演奏したいしな。

「早じまい……」
「あっ! 早じまい! クラがめだつ曲やるんだったらそれもよかったなー」
「あー、早じまいね。あれはやってみたいかも。……って、ワタシあんまり詳しくないから違ってるかもだけど。演奏しながら分解していく曲で合ってる?」
「合ってます合ってます」
「あ、それなら私も知ってます!」
「『クラリネットは早じまい』って曲があるんだけど、途中でベルを外して、下管を外して……ってだんだん分解していくんだよ」
「へえ、そんな曲があるんだ」

 俺の隣――といっても二メートルくらい離れてるけど――で、女子の会話についていけていないらしい宮代くんに説明をしてやる。わずかに傾げていた首を元に戻すと、俺の目を真っ直ぐ見てお礼を言われた。……うん、宮代くんはただお礼が言いたかっただけなんだろうけどさ、それだけなんだろうけどさ。だったら言い終わったら視線をそらしてくれてもいいのにな。そう思うのは俺だけかな。

「ま、とりあえず、パート練しようか」

 またしても取り仕切ってくれたのは仁方さんだった。なんだか申し訳ない。
 彼女は俺と同じパートリーダーでコンマス――あ、女性だからコンミスか――コンミスでもあるんだけど、先週はそっちにお邪魔させてもらってたからともかくとして、今日はうちで練習しているから、本来なら俺が仕切るべきのような気がして。

 基礎練習と個人練習は、大雑把にいうと円にはなっているけど、各自散らばって壁や窓に向かう形だったのを、今度は中心に集まって、全員が向かい合うように円になる。

 並び順は、宮代くん、俺、杉田さん、柑本、橘、仁方さん。……こうなるのは仕方ないんだけど、やっぱり宮代くんが隣にくるのか……。

 彼と出会ったのは一週間前の初めての合同練習の時で、一緒にいた時間は数時間くらいにしかならないんだけど、わけあって俺は彼のことを少し警戒していた。 というのも、自分で言うのは非常にあれなのだが、どうやら彼は俺に好意を抱いているらしいのだ。誰かから好意を持たれるのは生まれて初めてだけど、まさかそれが同性なんて思いもしていなかったし、カノンが「あれは兄さんのケツを狙ってるよ、間違いない」なんて言うから……。初対面からなんとなく距離が近いなとは思ってたけど、それは俺のことを意識しているから、なんてはっきり言われたら俺は戸惑う。でも、それが他人から聞いただけでも、そうとも捉えられる言動をしていても、本人の口から聞いたわけではないとしても、こうして一緒に1stをやっているのは、俺がそうしたいからなんだけど……。

「テンポは少しゆっくりめにしとくか。インテンポはいくつだっけ?」
「えー、インテンポより速くしてやりましょうよー」
「ワタシも橘ちゃんの意見に賛成」

 うちの吹部はほとんどこうだ。最初だから、難しいから、だからこそインテンポより速くしてやってみよう。そんな奴らが多い。さり気なく仁方さんも同調しないでくれ。まあ、難しいからインテンポより速くメトロノームを設定して練習するのも手ではあるんだがな。俺はまずテンポを落として、だんだん速くしていきたい派。

「間を取ってインテンポな。これで文句ないだろ」
「仕方ないなー。それで妥協してあげます」
「ワタシも橘ちゃんに免じて妥協してあげよう」
「なんで上からなんだよ」

 合同練習が始まったのは先週からで、会うのは今日が二回目にも関わらず、橘と仁方さんが意気投合している様子なのはなぜなのだろう。一時の付き合いとはいえ、仲がいいにこしたことはないけどさ。

 ちなみに先週も同じやりとりをして、インテンポより速いテンポでやりたいのが橘と仁方さん、インテンポより少し落としてだんだん速くしていきたいのが俺と杉田さんだったから、ちょうど半々になるはず。柑本は相変わらずだんまりで、宮代くんも特に何も言わなかったから、二人次第ではどうなるか分からないけど。

「どうする? 区切ってやる?」
「まず一度最後までやってみて、その後細かいところを見ていけばいいんじゃないか?」
「そうだね。そうしようか」
「俺もそのほうがいいと思う」

 全員が楽器を構えたのを確認して、メトロノームを見つめながらテンポを取っていると、ちょうどトランペットのパート練習でもこれをやっていたらしく、トランペットの前奏から繋がるように、俺より先に仁方さんが合図を出した。それに気付いた杉田さんと橘が吹きながら笑っているのが視界の端で見えた。俺も思わず笑いそうになったけど、先週感じたあの感覚がやってきて、一瞬体が強張ったのと同時に表情が引き締まったのが分かった。楽譜を追いかけるのに、指を回すのに、メトロノームが刻むテンポにしがみつくのに必死なのに、次第に表情が緩んでいくのも。

 宮代くんのことは、正直、俺を狙っているということが分かってからは少し苦手というか、警戒してなんとなく避けてしまっているけど、彼とは不思議と息が合った。先週、合同での初めてのパート練習の時に、思わず宮代くんの顔を凝視してしまったくらいには、本当にびっくりした。しかもそれが偶然ではなくて、その後のパート練習でも、合奏でもそうだった。

 同じ1stを吹いていて、音がぴたりと合って音量が膨れ上がるあの感覚は、最高に気持ちいい。音が合うっていうのはピッチが合うだけじゃなくて、音符の長さや表情といった音のすべてが、とにかくシンクロするんだ。

 コンマス同士、俺と仁方さんの意見が合致して、クラだけチューニングはベーだけではなく、チューニングパターンをこなしているから、という言い訳もできなくはないけど、それは合奏前だけの話で、だったら仁方さんや橘、柑本と同じくらい合ってもいいわけだし、クラパート全員がぴったり合うはずだしな。

 2ndや3rd、4thの音もきちんと聞かないと、とは思うんだけど、宮代くんと音が合うのが気持ち良くて、楽しくて、宮代くんとシンクロする感覚に高揚しているうちにいつの間にか曲は終わっていたらしく、気が付くと俺は余韻に浸っていた。少しして、橘のここまちがっちゃったーという呑気な声にはっとして、疲れたふりをして息を吐く。だって、あんなの、本人を含めて誰にも言えないだろ。

「あんたら、この一週間、裏でこっそり二人で練習してたでしょ」
「してないって……。というか、普通に考えて無理だろ。学校もそんなに近くないし、家だって遠いし。……多分」

 多分、と最後に付け足したのは、宮代くんの家がどこにあるかまでは知らないからだ。連絡先は交換してあるけど、実質会って二日目だし、そこまで仲良くなってはいない。それに、俺と彼の"仲良くしたい"は、意味が違うらしいし。

「仁方センパイ、そこは愛の力というやつですよ」
「そうそう、それだよ橘ちゃん。ワタシが言いたかったのはそれ。もしくは運命みたいな?」
「意味分からん……」

 いや、なんとなくは分かるんだけど。隣の宮代くんが無言で首を縦に振ったように見えたのは、きっと気のせい。……だよな?
 まあ、音がシンクロするという意味では、ある種の運命ともいえるのかもしれないけど。

「あいつらはもうできてるから、ワタシらだけでパート練しよう。隣の教室使ったらダメ?」
「駄目に決まってるだろ。それに、俺と宮代くんが合ってたって、全員で合わないと意味ないだろ」
「俺は別にかまわないけど……」
「あ、私も……」
「……宮代くんは分かるけど、杉田さんまで?」
「あっ、いや、私は2ndだけで一度合わせたいなって思って……!」
「いいじゃん。千鳥くん、一緒にパート練習しようよ。同じ1st同士なんだし」
「何かあったら教えてくださいね!」

 冗談で言っているんだろうけど、背後から宮代くんに肩を掴まれながら、教室を出て行こうとするみんなを俺が必死で引き止めたのは、言うまでもない。

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