黄金の歌


 本番を目前に控えた練習。テープで貼られた立ち位置をさりげなく確かめてから舞台の上手に陣取ると、磨き上げられたトランペットを構えた。曲目はリバティー・ファンファーレ。不意にあるひとつの考えが頭を過ぎった。楽器は歌うものである。
 もちろん、演奏の最中はそんな理屈を考える暇はない。そんな事に意識を割く余分が勿体ないのだ。体は楽器と一体となり呼気を吹き込み、曲調から連想される映像をいかに音へ乗せるかだけに集中する。
 時折、連は空想する。自分がトランペットを奏でているだけではない。トランペットもまた自分を奏でているのではないかと。
 それってどういう意味? そう問われれば彼はにっかり笑って、なんとなく! と元気よく答えるに違いない。ただ感じた事だけだ。それだけが全てだ。
 事実、弦楽器は楽器本体の空洞を共鳴させて音量を増している。吹奏楽器にもそれは言える事で、楽器自体の共鳴のみならず、演奏者の体をも媒介にして音を奏でているのである。
 ――人間の体って、60パーセントは水でできてるんだっけ。
 水面にトランペットのベルを近づけて思いっきり吹き込んだら、水は驚いたように身をよじり、深い洞が表面を抉るだろう。ひだを作りながら広がるその波紋こそが可視化された音であり、きっと今、連の体もそうやって心ごと体に波が立っているに違いない。
 クライマックスに向けて、きっと前を睨み据えた。音符の並びは行儀よく整列した階段。実際の音色はその上を所狭しと行きかい踊る舞踏の風景だ。誰もかれもが着飾り、金で刺繍された煌びやかな礼装の裾を翻しているのが目に見えるよう。華々しいファンファーレに相応しいイメージが広がれば、マウスピースを当てている位置をずらさないよう、口角だけを上げてちょっと笑った。なんだか結局、いろいろ考えちゃうもんだなあ。
 フォルテからのデクレッシェンド、ボタンを縫い付ける糸みたいに細くなったそれは、花開くように膨らみを取り戻し、フォルテッシモの頂点を目指してクレッシェンドを開始する。

 最後の音符をひとつ、ピリオドの代わりに置いて曲は終わった。同時に、ばちんという音と共に入った照明のスイッチがスポットライトへ電気を流し、舞台へ一筋の強い光を投げかける。
 普段は賑やかで表情豊かなトランぺッターである彼だが、ひとたび舞台へと上がったなら奏者としての緊張感を心得ていた。例え今は練習であろうと、ここは本番を行う場所に相違ないのだから。楽器を音もなく下ろし、鼓笛隊のごとく横へ収めると息を詰めてスポットライトの先を見つめる。
 ただ赤い布を無造作に肩からかけただけのアランが、いつのまにやら顔を上げてそこに立っていた。背後に玉座がなくとも、頭上に戴く王冠がなくとも、それが国を統べる王の投影である事は厳格な表情から見て取れた。ライトの直射をものともせず、役者はひたと視座を前方に据えたまま揺らがない。ややあって弱まり、狭まり、暗転してゆく舞台の上で、アランはそっと連を見た。声には出さず、完全な暗闇になる前に口の動きだけで何事かを伝えてくる。それを受けてたった一人の楽団は目を瞬かせるものの、快活な笑顔を満面に浮かべて返せば再び自慢のトランペットを構える。
 存分に歌ってくれと、アランは言っていたように思った。
 応じるソリストの腕前、気概は十分。笑みのために持ち上がった頬もそのままに、黄金のベルを、いずれ満席となる客席へ向ける。

 ――ちなみに。午前中におけるこの練習で高音を全てきっかり出し切った。そのため、午後に控えていた本番さながらの通しリハーサルで唇の疲れと格闘する羽目になったのは、また別の話。

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