絶対、惚れさせてみせますから


 俺が高校生になって突然吹部に入ったのは、今思えば無謀にも猫柳先輩のドラムに憧れたからだった。

 中学の時はサッカー部で、小学生の時も吹奏楽はあったけどまったく興味はなくてスルーしてたし、中学の時も同じだった。っていうか、吹部って女子ばっかだったし、見学一緒に行こうぜって誘われたけど断った。
 高校でいきなり吹部に入るのは抵抗もあって視野にはまったく入れてなかったけど、あの小さな体から放たれる大迫力のサウンドに圧倒された俺は、気が付いたら吹奏楽部に入部していた。音楽も楽器もまったくの素人の俺が、あんな風になりたいと思えるほど、あのビートを近くで聴きたいと思うほど、一緒に演奏ができたらなんて夢を見てしまうほど、俺は一瞬にして惹きつけられてしまった。

 当時のそれは、音楽に対してなのか、先輩に対してなのかは分からない。もともと先輩に対しての憧れもあったんだろうけど、今の俺は先輩に対しての憧れが強くて、つまりは、今の俺は猫柳先輩に、おそらく憧れから変化したであろう恋心を抱いていた。もちろん、音楽に対しての憧れも変わってはいないし、むしろ間近で聞くようになってからこっちも強くなったように感じるけど、最近は先輩が音楽をする姿を見られればそれでいいと思うようになってきた。

 だって、先輩は中学からずっとやってるらしいし、それにしたって高校生にしては上手いと他の先輩たちが時々言っていたから。

「だからそこリズム違うって! あと全体的にもっと出していいってば!」
「はい……すみません」
「うるさいって言われたら小さくすればいいんだからさ、もっと出せって」

 だから憧れといえど、先輩のようにはなれないだろう。そりゃもともと届かないと分かっている憧れではあったけど、音楽は才能の世界らしいし、そもそもキャリアが違うし。

「でも、前よりはできるようになってるよ。あとここさえできればって感じだね」
「……ありがとうございます」

 でも、こうしてつきっきりで教えてもらえるのは、初心者だからこその特権だよな。



 そうそう、言い忘れてたけど、猫柳先輩には恋人がいる。同じ吹部にいる、チューバの合歓木センパイ。何かとつるんでるし、仲いいなーと思ってたら幼馴染らしくて、はーなるほどと思ったけど、それにしてはちょっと距離が近くね? とあやしんでたら、案の定というかなんというか。なんとなく予想はしていたとはいえ、それを知った時の俺がショックを受けたのは言うまでもない。

 でも、俺は先輩と同じパーカスで、あっちはチューバ。今まで一緒に過ごしてきた時間だったら、圧倒的に合歓木センパイのほうが上だけど、学校で一緒にいる時間のトータルは、もしかしたら俺のほうが勝ってるかもしれない。合歓木センパイと猫柳先輩、クラスは違うらしいから。
 それに、俺はまったくの素人で初心者だからよくつきっきりで教えたりしてもらってるしな。猫柳先輩には迷惑かけるけど、猫柳先輩に教えてもらう時間がちょっと幸せだったりする。時々きついことも言われるけど、ってまあそれは俺ができてないのが悪いんだけど、できるようになったらちゃんと褒めてくれるしな。

 ……そんな感じで、時々必死に合歓木センパイに対抗できる要素を考えてみたりするわけだけど、休憩時間とか昼休みなんかは、猫柳先輩は当然合歓木センパイのところに行くわけで。合奏の間の十分くらいの短い休憩だと、合歓木センパイのところに行かなくても、同じパーカスのうさぎ先輩と仲いいからもっぱら話すのはそっちで、パート練習以外に話すことはあんまりない。
 でもまあそれは仕方ない。俺だってなんか話がしたかったら小虎や梓のところに行くし。よっぽど仲良くない限り、先輩後輩とは休憩時間まで話そうとはあんまり思わないのが普通だよな。

 他に勝てる要素といえば、運動神経だったり、学力テストみたいなのの結果だったりと探せばいろいろあったりするんだけど、そんなので合歓木センパイに勝ってもむなしくなるだけだし、猫柳先輩が俺のことを見てくれなきゃ意味がなくて、余計にむなしい。

「いいなーこのチューバめっちゃ楽しいじゃん! 俺も低音やりたーい! 一緒にチューバ吹いてもいい?」
「お前にチューバは……ちょっと、なんか」
「なんかって何?」
「いや? 別に? なんでもないけど?」

 あと、猫柳先輩は家が音楽一家で、打楽器以外にも楽器は一通りなんでもできる。土日の部活の昼休みにピアノ弾いてたり、フルート吹いてたり、ユーフォ吹いてたり、今みたいにチューバ吹いてたり、とにかくいろいろやってるのを時々見かける。ちょっとさわったことがあるだけで難しいことはできないって言ってたけど、素人の俺からすれば音が出るだけでもすごいと思う。見学の時に一回だけトランペット吹いたことあるけど、音すら出なかった。

 合歓木センパイに及ばないのもあるけど、それ以上に猫柳先輩にも及ばないし、到底及びそうにないんだよな。だから、憧れのままでいられたほうが、その先の感情には気付けないでいたほうが、幸せだったんじゃないかと思う。



 今日は新しい楽譜が配られるはずなんだけど、管楽器がいなくなっても俺の手元には楽譜はやってこなくて、先輩たちが机を囲んで何やら悩んでいる様子だった。楽器もとっくに出し終わってるし、基礎練習もさっき終わったし、俺はどうすればいいんでしょうか。

「狗井」
「は、はい!」

 ぼーっとしてるのも時間の無駄だし、もう少し基礎練習でも、そう俺が思ったとほぼ同時に名前を呼ばれて思わず肩が跳ねた。

「ちょっと難しいけど、頑張って! でも、狗井ならできるって信じてる!」

 演技っぽく言いながら菊池先輩から渡された楽譜を見て、「げっ」と声が出そうになった。顔には出てただろうな。

「一番簡単なのがそれなんだよね」
「どうしても無理だったら代わったりするからさ」

 いつもは俺がまったくの初心者だということを考慮してくれて、一番簡単なやつをくれるんだけど、今回はそれがこれらしい。まず変拍子って時点でうわあだし、音符がタイで繋がりまくってるのも嫌だし、忙しいかと思えば長い休みもちょこちょこあって、絶対数えてるうちにずれるやつだ、これ。

「頑張ればもう少し負担を減らしてやれなくもないだろうけど……でもみんな忙しいんだよね、これ」
「いや、大丈夫です……まずは頑張ってみます」
「お、やる気だねー」

 こんなの無理です、絶対できません。そう言いかけたけど、いつまでも甘えてるわけにいかないしな。頑張ってみて、どうしても無理だったら、その時は先輩たちのお言葉に甘えて代わってもらうなり、出番を減らしてもらうなりさせてもらおうと思う。やってみたら案外できるかもしれないし、できないできないって言ってるからできないんだって、猫柳先輩がよく言ってるし。

 ……と、決意したとはいえ、やっぱり俺なんかにこんなのできんのかなとか、正直いうとやっぱり不安なわけで。

「でも、吹部入ってすぐでこれできたらめっちゃかっこいいよ!」

 弱気の俺を一瞬でやる気にさせたのは、猫柳先輩。

「和希がこれできたら俺惚れるわー」
「だってよー、和希ー。これは頑張るしかないね」

 ……猫柳先輩がそれを冗談で言ったのは、うさぎ先輩が茶化さなくとも分かってる、分かってるよ。でもさ、冗談だとしてもさ、先輩に片思いしてる状態で、しかもそれが叶わぬ片思いだと分かってて、そんなこと言われたらちょっとどきっとするじゃん? 叶わないって分かってても、ちょっと期待しちゃうじゃん?

「分かりました。先輩のこと、惚れさせてみせるんで、待っててくださいね」

 顔がにやつきそうになるのを必死に抑えて、心もち視線は猫柳先輩に向けて、かっこよくびしっと、決め台詞みたいに言ってみる。

 猫柳先輩なら、きっと、"待ってる"って返してくれる。そう信じて。

「おう! 待ってる!」

 ほら、やっぱり。期待してた言葉が先輩の口から飛び出してきて、思わずよっしゃと言いそうになった。

 先輩たちに代わってもらわなくとも、ていうか、これができたところで、先輩たちの足元にも及ばないだろうけど、柳先輩が俺のことを少しでもすごいって思ってくれたら、俺のことを見てくれたら、褒めてくれたら、その時の俺は死んでもいいと思うくらいには、幸せになると思う。

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