楽器に名前をつけると上達するといううわさ


 楽器に名前をつけると上手くなるらしい。

 そのうわさを聞いたのはおれがその時使ってたトランペットに名前をつけた後のことで、当時は周りがみんなそうしてて、友達に「お前もつけたら?」って言われてつけたんだけど、おれの学校独自の文化ではないことを知ってちょっとほっとした。なぜって、早くつけろよとなぜか急かされて、とっさに頭に浮かんだ、その時やってたアニメのヒロインのあだ名をつけてしまったからなんだけど、他の学校にはもっとすごい名前をつけてる奴もいるんだろうなって思ったから。

 あとでなんかいいのが思いついたら違う名前にしよう、そう思ってたんだけど、いつの間にか定着してしまって、高校でも同じ名前で呼んでたりする。

 でも、その名前があまりにかわいらしいから、呼んでるのは心の中だけで、実際に口に出して呼んだことは、少なくとも人前ではない。

「そういえばさ、ぶっきーって楽器に名前つけてる?」
「……つけてますけど」
「なんて名前?」

 だから、榎並先輩が突然そんな質問をしてきた時にはめちゃくちゃ焦った。言いたくないなら名前なんてつけてないと嘘をつけばいいものを、正直に答えてしまった自分は馬鹿だと思う。つけてる、って言ったら、その後なんて名前なのか聞かれるに決まってるのに。

 ちなみに榎並先輩はトランペットで3rdが得意だから「とらさぶろう」って名前をつけてる。字は知らん。主に茅ヶ崎先輩のせいだけど、1stやったり2ndやったりする時もあるから、その時は「とらいちろう」「とらじろう」になったりするのかとどうでもいいことを考えた。しっかし、女子高生がつけるには渋い名前だよな。余計なお世話なのは分かってるし、おれがつけた名前よりも断然親しみやすいけど。

「別に変な名前でも笑ったりしないからさ、教えてよぶっきー。超気になる」

 出た。信用ならない台詞。テスト前の全然勉強してないと同じ。好奇心で知りたいだけだろ。それも嫌だけど、正直に言ってくれたほうがまだましだ。

「絶対笑わないでくださいよ」
「うんうん」

 榎並先輩のことだから、笑わないって言ってても絶対笑うのは目に見えてるけど、一応念を押しておく。そんな変な名前をつけてるわけじゃないんだけど、人前で呼ぶのははばかられるし、できることなら言いたくない。けど、つけてるって言ってしまった以上、おれの口から聞くまできっとしつこく聞いてくるだろうし、一度言えばそれで終わるんなら言ってやるよもう。言えばいいんだろ、言えば。

 ……と思いつつも、やっぱりできれば言いたくなくて、榎並先輩の期待の眼差しから目をそらして、咳払いをひとつ。ここまできて「本当は名前なんてつけてないです」なんて無理がありすぎるし、やっぱり言うしかないんだろうな……。やっと覚悟を決めて、口を開く。

「……まゆぽんです」
「え? 何?」
「『まゆぽん』です」
「まゆぽん!?」

 二回も言わされるのが嫌だったら、最初から普通に言えばいいのにな。おれってほんと馬鹿だよな。口ごもらなければ一回で済んだのに。

 そう、おれがトランペットにつけてる名前は「まゆぽん」。だから最初に言っただろ、かわいらしい名前だって。言っとくけど、アニメのヒロインのあだ名だからな。おれが考えたオリジナルではないからな。

 榎並先輩の反応はというと、おれがそんな名前をつけるなんて信じられないとでも言いたげな顔でおれの顔をじっと見て、その後五回くらいその名前を繰り返した後、おれらしくないと言ってやっぱり笑った。

「なんでそんなかわいい名前つけてんの?」
「別に……。とっさに浮かんだのが昔やってたアニメのキャラだったから、それを適当につけたらなじんでしまったというか……」
「あ、そのアニメ知ってるー。妹が好きでよく見てた。だからケースにそんなかわいいストラップつけてるんだ?」

 それは違います、と言おうと思ったけど、よくよく思い出したらまゆぽんの好きな食べ物はドーナツだった。楽器ケースはどれも同じようなもんだからそれぞれ目印をつけてて、よりによっておれはいちごチョコオールドファッションのストラップをつけてたりする。

 でもまゆぽんが好きだからドーナツのストラップをつけてるわけじゃなくて、朝、コンビニでいつものお茶を買ったらおまけについてきたのを適当にケースにつけただけで、そもそもまゆぽんが出てくるアニメは女児向けだし、アニメ自体もまゆぽん自体も特別好きってわけじゃない。朝、家を出る時間にちょうどやってて、そのせいでたまたま頭に浮かんだだけだ。お前らに関係あるわけじゃないのに、さっさとつけろと急かしてきた周りが悪い。早く言わないとおれの名前で羽柴先輩にラブレター書いて出すぞとか脅すからだ。

 願わくば、これが羽柴先輩にばれませんように。名前をつけたのは中一の時、確か日曜日の部活で一年の教室に一年の男子だけ集まって騒いでた時だし、その後からかって連呼する輩は何人かいたけど、羽柴先輩の耳には届いてない……はず。だって、羽柴先輩が知ったら絶対馬鹿にしてくるだろ? そうされた記憶がないってことは、羽柴先輩はおれが楽器にこんな名前をつけてることは、たぶん知らないんだと思う。

「あ、れんれん先輩はなんてつけてるか知ってる?」
「知らないです」
「れんれん先輩は『ピカチュリン』だって。かわいいよね」
「……へえ」

 由来はなんとなく分かる。茅ヶ崎先輩のトランペットはイエローだし、元の遺伝子の名前の由来になったキャラが好きで、キーホルダーとか持ってるし。たぶん、本人は遺伝子の名前だってことは知らないで決めたんだと思う。だって茅ヶ崎先輩だし。榎並先輩は知ってるんかな。どうでもいいけど。

「ぶっきーが『まゆぽん』で、れんれん先輩が『ピカチュリン』かー。なんかあたしだけごついよね、『とらさぶろう』って。しかもそのまんまだし」
「おれはいいと思いますけど。……っていうか、茅ヶ崎先輩は楽器にそんな長い名前つけるくらいだったら、まず人の名前を覚えてほしい」
「あー、そうだね。ぶっきーは難しいかもしれないけど、あたしは三文字だからせめて引退までには覚えてくれないかなぁ……」
「一年以上一緒にいて覚えてくれないんだし、望みは薄いと思いますけどね」
「だよねー」

 ピカチュリンだっていうて六文字だし、そんなに長くはないけど、茅ヶ崎先輩がまともに覚えられる名前は二文字が限界だから。榎並先輩のことはポニテちゃん、おれのことは石頭メガネってあだ名で呼んでるけど、榎並先輩はともかく、おれは名前のほうがどう考えたって短いし、覚えやすいし、呼びやすいと思うんだけどな。トランペットが上手いから仕方ないと割り切ってるけど、なんだかなとも思う。
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