仕返しだよ


「……なるほど」

 次の日の昼休み。わたしと天野先輩は再び音楽室にいた。もちろん、彼に会うためだ。梅雨も明けたというのに今日は朝から大雨で、校舎中がじっとりしている。音楽室も例外ではなかった。

「お前も生前吹奏楽部だったんだな」
「うん。たぶんだけどねー」
「まあ音楽室にいるってことはそうだろうな」

 昨日の夜、幽霊くんはわたしたちが帰った後にがんばって生前のことを思い出してくれたみたいで、それをわたしたちに話してくれた。
 幽霊くんの話だと、生前ここの学校の生徒で吹奏楽部だったらしくて、ある日下校中に交通事故で亡くなってしまったとのこと。だってその日は帰りが遅くて天気も悪かったからねー、っていつもの調子で語る幽霊くんは、無理をしてるのか、それが素なのかよくわからない。

「ていうかー、お前なんて呼ばないでよ。あと幽霊もやめてーなんかいやー」
「そうだな……。それじゃあ、仮に"れいん"と呼ぼう。雨の音と書いて"れいん"だ」

 ……なんて安直で、そして今時な……。別に字まであてることはないでしょうに。まあいいけどさ。

「むー。きみじゃなくて星野ちゃんに名前つけてほしかったけどなー。でもまあ、それでいいよ」
「どうせ成仏するまでだろ」

 ……なんとなく、天野先輩の幽霊くんに対する風当たりが強い気がするのは気のせいだろうか。

「それで、雨音のしたいこと――やり残したことはなんだ? それさえどうにかすれば成仏できるはずだし、できることなら叶えてやろう」
「覚えてたらたぶん今こうしてここにいないよー。分からないから今もこうしてここにいるんじゃんかー」

 天野先輩の風当たりが強くなる理由もわかるんだけどね。でも、ゆうれ――じゃなかった、雨音くんの言うことも、言い方はともかくとしてその通りではあるんだよね。長い間成仏できないでいると悪霊になることは知らなかったとしても、成仏できるならきっと成仏してるだろうし。なにか未練があるから、できないでいるんだよね、きっと。

「でも、今やりたいことならあるよ」
「なんだ?」
「それはねー」

 雨音くんはふわっと空中で一回転すると、わたしをまっすぐ指さす。

「星野ちゃんと一緒にフルートが吹きたい!」
「え? わ、わたし?」
「うん。星野ちゃんのフルート好きだからさ」

 にこーと屈託のない笑顔で言われて思わず照れてしまった。

 でも、わたしでいいのかな? 小学生からやってるから歴だけは長いとはいえ、レベルなら天野先輩のほうが上だし、いい演奏できそうなのに。

「それがお前のやりたいことなんだな?」
「うん。やり残したことは分からないけど、今は星野ちゃんとフルートが吹きたい。そしたら未練はなくなる気がする」
「星野」
「はい」

 天野先輩がこちらへ向き直ってわたしの目をまっすぐ見つめる。

「協力してくれるよな?」
「……はい!」

 わたしで力になれるかわからないけど、それで雨音くんが悪霊にならずに済むのなら。雨音くんがわたしがいいって言ってくれたんだし、がんばろう。
 力強くうなずくと、雨音くんの表情が明るくなった。

「でも、どうやって?」
「それが問題なんだよな……」
「えー、聞くだけ聞いといてやっぱり無理でしたー、は今回はなしだよ?」

 やる気満々で返事しちゃったけど、雨音くんに聞かれてふと現実に返る。
 そうだよね、雨音くんが成仏できそうなことはわかったのはいいけど、どうやってそれを叶えてあげるかが問題だ。霊が見えるだけで、なにもしてあげられないのは、やっぱり心苦しいな。力になってあげたいのに。

 ちらっと天野先輩を見ると、腕を組んでなにやら考えている様子だった。

「雨音」
「んー?」

 できるかどうかは別として、わたしもなにか方法を考えなきゃと思って思考をめぐらせていたら、天野先輩が雨音くんの名前を呼んだ。雨音くんの返事はあいかわらずのんきだった。

「ものは試しだ。おれの体に入ってみてくれないか?」
「……きみの体に?」

 びっくりしたのは言うまでもない。それってつまり、雨音くんが天野先輩に憑依するってことだよね? 心霊番組とかでやってたりするけど、そんな簡単にできるものなんだろうか……? わたしも先輩もそんな力は持ってないはずだし。まあ、霊が見えるだけで、とは何度も言ってるけど、見えるってことは霊に関与しやすい体質でもある、とも言えなくもないかもしれないけど。

「お前を実体化とかできればいいんだろうけど、あいにくおれも星野も見えるだけでどうにかする力は持ってないからな。おれの体ならフルートも吹けるし、願いは叶えられると思う。やるだけやってみてほしい」
「わかった。やってみる」

 できたらすごいけど、できるかどうかわからないけど、でも、とにかくやってみるしかないよね。

 天野先輩は椅子に腰を下ろして、雨音くんと向かい合う。深呼吸を大きくひとつすると、天野先輩は目を閉じた。雨音くんと天野先輩が重なる。実体のない体が天野先輩の体をすり抜けたかと思いきや、次の瞬間、雨音くんの姿がふっと消えてしまった。

「……星野ちゃん?」

 天野先輩――の体に入った雨音くんがわたしの名前を呼ぶ。どうやら成功したみたいだ。

「なんだかよくわからないけど、うまくいっちゃったみたいだね」

 椅子から立ち上がって、体の調子を確かめるように雨音くんは体を動かす。

「というわけで、やっと会えたね、星野ちゃん」

 ……しかし変な感じだ。天野先輩はわたしのことを星野ちゃんなんて呼ばないし、でも星野ちゃんって呼ぶ声は、雨音くんのものじゃなくて天野先輩のそれだしで。

「えっと……じゃあ、早速フルート吹きますか?」
「ねぇ、星野ちゃん」
「はい?」
「敬語じゃなくていいよ。普通に話して? お願い」
「……はい、じゃなくて、うん、わかった。がんばるね」
「ふふ、星野ちゃんのそういうところ、かわいいよね」

 雨音くんには失礼だけど、天野先輩の姿でそんなこと言わないでほしい。からかいの意味を込めてかわいいよって言われたことは何度かあるけど、普通に言われたことは一度もないからどきっとしてしまった。

「雨音くんは、なにか演奏したい曲はある?」

 軽く音出しも終わったところで聞いてみる。……うーん、天野先輩にため口きいてるみたいでちょっと落ち着かない。

「んー、そうだなぁ。……あ、あれがいいな。いつだったかなぁ、二人で居残りして練習してた曲」

 天野先輩と居残って練習してた曲は何曲かあるなぁ……どれだろう。あれだろうか、それとも。
 ぐるぐる悩んでたら、雨音くんがワンフレーズを吹いてくれた。あの曲か! と思い出すより先に、音のきれいさにびっくりする。天野先輩の音はきれいだし演奏も上手いけど、それとも違う。これは雨音くんの音と演奏だ。

「どうしたの?」
「あ、え、えっと、楽譜持ってくるね」

 思わずかたまっていると、顔をのぞき込まれる。あわてて立ち上がろうとすると、そっと腕をつかまれた。

「それは大丈夫。ずっと聞いてたから覚えてるから」

 音を立ててずれた椅子を戻して、腰を下ろす。

 聞いてたから覚えてる、か……。それもすごいなぁ。かくいうわたしも何度か練習して頭に入ってるから、楽譜はなくて大丈夫かな。

「準備おっけー?」
「うん」

 楽器をかまえてうなずく。雨音くんはオクターブをなめらかにかけ上がると、ひと呼吸おいて目と楽器で合図を出した。ブレスを合わせて、息を吹き込む。音が重なる。

 ……すごい。これが雨音くんの演奏なんだ。一言で言えば上手い、上手いけど天野先輩とも違う。演奏している最中だけど、思わず聞き入ってしまう。けど、落とされないように必死に食らいついていく。

 目が合って、にこっと雨音くんが目で笑う。それを見て、体の力が抜けたのがわかった。せっかくのデュオなのに、力が入ってたらいい演奏も楽しい演奏もできない。力を抜いて、リラックス、リラックス。

 そうすると自然と音も合ってきて、楽しくなってくる。曲はちょっと難しいけど、フルートを吹くのが楽しい、デュオが楽しい、そう感じたのは久しぶりだった。

 あっという間に曲は終わりを迎え、ぴたりと重なった音はかすかな余韻を残して消える。気持ちよかった。いつまでも体と音楽室に残る余韻にひたっていたい。

「星野ちゃん」

 心地いい余韻にひたっていたら、不意に名前を呼ばれてはっとする。目が合うとにっこりと雨音くんは笑う。

「楽しかったね」
「……うん」
「ありがとう」
「こちらこそ」

 すごく、楽しかった。この時間がもっと続けばいいのに。そう思うくらい、楽しかった。あっという間の数分間だった。

「もし、ぼくがあの時さっさと成仏して、生まれ変わって星野ちゃんと同級生で、また吹奏楽部に入ってたとしたら、そしたらきっと、いいコンビになってたよね、ぼくたち」
「……そうかもね」
「さいごに楽しい思い出をありがとう。星野ちゃんに会えてよかった」

 さいごという言葉に、ずきっと胸の奥が痛くなる。

 そうだ。これが最初で最後なんだ。わかってたことなのに、改めて言葉にされると泣きそうだ。そんなわたしとは裏腹に、雨音くんはあいかわらずにこにこと笑みを浮かべていた。

 音楽室に、吹奏楽部に見学にきた時から見えてたのに、話しかけられてるのもわかってたのに、ずっと無視しててごめんねとか、それなのにさいごにわたしと一緒に演奏したいって言ってくれてありがとうとか、伝えたいことがあふれてきて、でもどれも詰まってしまって言葉にできない。

「もー、さいごなのにそんな顔しないでよー。成仏できそうなのにできないじゃんか」
「……そうだね。ごめんね」
「だからー、ごめんねじゃなくてさ」
「……ありがとう。またね」
「うん。またね、祈織」

 名字じゃなくて、名前を呼ばれてびっくりしている間に距離を詰められて、次の瞬間。

「見えないふりしてた仕返しだよ」

 なにが起こったかわからなくて、たぶんまぬけな表情をしていたら、がくんと雨音くん――天野先輩の体が椅子にくずれ落ちた。とっさに駆け寄って体を支えると、うっすらと目が開いた。

「……あいつは……成仏、したのか?」
「た、たぶん……」

 辺りを見回してみる。雨音くんの姿は見当たらなかった。ということは、きっと無事に成仏できたんだろう。
 力になれてよかったという気持ちと、これからは音楽室に来ても幽霊くんの姿はもうないと思うと、なんだか少しさみしい気もして。

「そんな顔するな」

 顔に出ていたのか、ぽんと頭にやさしく手を置かれてどきりと胸が跳ねる。顔を上げると、やさしい表情の天野先輩と目が合って。目が、目、が……。

「……星野?」
「……え、あ」
「おれがあいつに憑依されてる間になにがあった? 変なことでもされたのか?」
「ちっ、ち、ち違います! なにもされてません! ただ一緒に楽器吹いただけで、それだけですから!」
「なにをそんなに必死になってるんだ?」
「本当になんでもないですからー!」

 音楽室を飛び出すと同時に、予鈴が鳴ったのが聞こえた。

 なんてことしてくれたんだ、あの幽霊くんは! 思い出したというか、ようやく理解したというか。そうだよ、あの時、成仏する直前、あいつはあろうことか、

「廊下は走るなよな。すべるぞ」
「うわあ!」
「そんなに驚かなくてもいいだろ」

 走ってたはずなのにいつの間にか立ち止まってたらしく、追いついた天野先輩が隣にいて思わず変な声が出た。

「やっぱりあいつに変なことされたんだろ。なにされたんだよ」
「だからなにもされてませんってば!」

 言えるわけないじゃないですか、キスされたなんて!

 窓の外へ目をやると、雨は晴れていて、太陽が顔を出していた。雲の隙間から差し込む陽射しは、今しがた成仏していったであろう幽霊くんを彷彿とさせて、怒ればいいのか笑えばいいのかわからなくなって、足をじたじたさせるしかできなかった。

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