▼ 結歌子といろは
「いろは、高校ではクラにするの?」
吹奏楽部に見学に行った帰り、信号待ちの最中に思い出したように結歌子が聞くと、青信号に変わった頃にようやくいろはは頷いた。楽器の経験を聞かれた時に迷わずクラリネットと答えていたから、てっきり高校ではクラリネットにするつもりでいるのかと結歌子は思っていたのだが、まだ決心はしていないらしい。
「本当はサックスにしようかなって思ってたんだけど……」
「……うん」
相槌を打ってみたが、その話は続かないらしい。しかし、彼女の言いたいことはなんとなく分かる。おそらく、サックスの先輩がめんどくさそう、とでも言いたかったのだろう。それは結歌子も思っていた。とはいえ、楽器をやっている人間には多かれ少なかれクセがあり、特に花形楽器を担当する人はそれが強い人が多い傾向にある。
結歌子といろはは同じ中学校出身で、二人とも部活は吹奏楽部だった。二人とも楽器はクラリネットだったが、それは二人が中学三年生だった時の話。結歌子は三年間クラリネットだったが、いろはは入部した当時はフルートで、三年生が引退した秋にサックスに移行し、さらにその一年後くらいに、アンサンブルコンテストの関係でクラリネットとサックスを掛け持ちし、三年生のコンクールはクラリネット、文化祭はサックス、定期演奏会はメインはサックス、アンサンブルはクラリネットでステージに乗った経歴を持つ。途中、オーボエとファゴットも練習していたので、吹奏楽で使用されている木管楽器は一通りいける。
先ほど見学に行った時に、経験を聞かれてクラリネットとだけ答えたのは、気まぐれで口数の少ない彼女のことだから、適当に最初に思い浮かんだ楽器を言っただけだったりするのだろう。
「とりあえず、今のところはクラの予定だけど、入部するまでに気が変わることもあるかもって感じなのねー」
木管の中で一番彼女に向いているのはクラリネットだと結歌子は思うし、仲がいいからという理由もあって、高校でも一緒にクラリネットを吹けたら、と結歌子は思っていた。もちろん、強制するつもりはなくて、いろはがサックスがやりたいと言うのなら、その時は頑張れと笑顔で背中を押すつもりだ。
「結歌子ちゃんと一緒がいいからクラにするつもり」
「ありがといろはー! 私もいろはと一緒にクラ吹きたいー!」
「……今のところは」
思わずいろはに抱きついたら、真顔のまま付け足された。