SSS置き場 | ナノ


 凜と有牛

「あーもー無理ー! できないできないこんなの絶っ対できないー!」

 突然聞こえた凜の叫び声に、さすがの有牛もびっくりして小さく身じろぐ。成子はトロンボーンを抱きかかえて小動物のように教室の隅で丸くなっていた。窓とドアを開けているせいか隣の教室にも聞こえたらしく、トランペットの音がぱったりと止んだ。

「どうしたの羽柴」
「このソロ無理……」

 有牛が尋ねると、涙目の凜がこちらに振り返った。凜が指さしている箇所がおそらく本人が今しがた無理だと泣き言を言ったソロの部分なのだろうが、クリアファイルが太陽の光を反射して有牛にはどこを指しているのかまったく分からなかった。

「でもやりたいって言ったのは羽柴なんだから、ちゃんと仕上げなよ」
「そーだけどさー……」
「合奏はまだ先だろうし、焦らなくて大丈夫だよ」
「……だよね。配られたばっかりだしね、まだ時間はあるよね、うん」

 先日、定期演奏会用のために新しく「さくらのうた」の楽譜が配られた。この曲は2012年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲として作曲されたもので、日本人に親しまれている桜の美しさや儚さなどの様々な姿や情景を、ゆったりしたテンポに乗せて歌うノスタルジックな曲だ。この曲には後半にトロンボーンのソロがあり、普段ならソロは有牛が担当するのだが、珍しく凜がやってみたいと言ったので1st及びソロは凜になった。
 ちなみにトロンボーンの他にもソロがある楽器は多数あり、ソロの担当になった人は凜のように苦戦しているらしい。

「やっぱり有牛にまかせればよかったかも……」
「羽柴がそう言うなら代わってもいいけど?」
「いや、いい! ここまできたからがんばる!」

 想像通りの台詞が返ってきて、有牛はふぅと小さく息を吐いた。

 本心では無理だなんて、有牛に代わってほしいだなんて、凜は思っていないことに有牛は気付いていた。少し行き詰まったから、少し弱音を吐きたかっただけだと、それを誰かに聞いてほしかっただけだと。

「さくらのうたのソロが完成したら、羽柴きっと上手くなるよ」
「……なに? 急に。ほめてもなにも出ないんですけど」
「だって、昔の羽柴だったらソロなんて無理とか、こんなの絶対できないとかやる前から投げてたじゃん」

 すると凜はばつの悪そうな顔をして、あからさまに有牛から顔を背ける。
 今でも自分に実力があるかといえば全然そんなことはないと思っているが、それにしたって何事もまずはできないと否定から入っていた自分が、今思えばすごく恥ずかしかった。本心では誰かのそんなことないよ、羽柴ならできるよ、羽柴がやってよという言葉を待っていた部分が少なからずあったから。

「『さくらのうた』はやりたかった曲だし、このソロは難しいけど、できたらかっこいいなって思ったからだよ。好きな曲だからやりたかったの、ソロ。それだけ」
「それだよ。俺は上達する人とそうじゃない人の差ってそこだと思うからね。難しいからこそやってやろうじゃんってなるのか、こんなのできないってはなから諦めるか」
「あー、それはあるかもね。上手い人って難しい曲ほど楽しんでる感じあるもんね」

 上手い人の真似をしたからといって、上手くなれるとは限らない。けれど、挑戦してみなければはじまらないし、やってみなければ分からない。

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -